ロストラヴァーズ2コール

狼子 由

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第二章 出会い・前進・家族の問題

4.言葉だけを聞くな

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「いいか、あんたのはマナー以前の問題だ」

 電話が終わった途端に呆れた顔で呟かれ、なおはむっとして言い返した。

「どういう意味、それ。教えるって言ったなら、もっと具体的に教えなさい」
「なんで教わる側が偉そうなんだ」
「あなたはもっと偉そうでしょ」
「ま、その話は今はいい。ちゃんと一個ずついってやるからしっかり聞け」

 腕組みをしたまま、板来いたらいはじろりと直を見下ろす。

「。一つ、お客様の言葉を遮るな。ちゃんと言葉尻まで聞け。二つ、相手が理解してないのにまくしたてんな。三つ、説明するならわかりやすくしろ。あのなぁ、あんたは手元にマニュアルあるからわかってるだろうが、向こうはぜんぜん理解してないぞ。あんた確かに敬語の間違いも多いがな、それより先に……とにかく印象悪ぃよ」
「えっ言葉を……遮る? 私、そんなことしたことない、けど……」
「自覚もねぇのか……」

 盛大に舌打ちされる。
 印象が悪いと言うなら、今の板来の方がよほど悪い。
 そう言い返そうとして、だけど直はぎりぎりで口を閉じた。

 どっちが悪いかの競争をしている場合ではない。
 この企画ををきちんと成功させることが目的なのだから。

「……あの、私、普段通りに話してるつもりよ? 人の言葉を遮るなんて、そんなこと」
「あー、そっからかよ」

 再び舌打ち。さきほど抑えたはずの怒りが再燃しかけたところで、通話を終えた瀬央せおが苦笑とともにたしなめた。

「板来くん、言っただろう? ここで経験者として色々教えてくれることも、君のバイト代に入ってるって」
「だから、こうして教えてますけど」
「個人的な言い合いなら僕は口を出さないけど、煙咲たばさきさんに教えている間は仕事だから――プロ意識を持ってくれると嬉しいな」
「……わかりました」

 板来は一瞬眉を上げたが、すぐに表情を緩めて直に向き直った。

「じゃあ、煙咲さん。一個ずつ確認しようじゃないか」

 口調はやわらぎ、口元にはうっすらと微笑みさえ浮かべている。
 気持ち悪い――と、喉から出そうになった言葉を、直はごくりと飲み込んだ。
 せっかく瀬央が間にはいってくれたのに、その厚意を無碍にしてはいけない。

「あの、私……遮ってなんてないよ?」
「今はそうだね」
「お客様もそんなこと言ってなかったし、あなたも電話の向こうの声を聞いてた訳じゃないでしょう?」
「言ってることがわかるほどには聞こえないな。ただ、お客様がだんだん苛立ってたのはわかった」
「うっ……」

 板来の言う通りだった。
 最初は淡々と始まったはずの会話は、なぜか途中からお客様の声が冷ややかになっていった。だが、なぜお客様が不機嫌になっているのか、明確な話があった訳ではない。特に急いでいる様子はなかったし、初期不良でもない。
 だが、どうしても冷たい声は改善せず、最後はこういう性格の人なのかもしれないと自分をなだめ、代替品を送ると伝えて電話を切ったのだった。

「苛立つというか……ううん、別にクレームになったわけでもないし」
「四つ目だ。お客様の言葉はちゃんと聞け。だが、言葉だけを聞くな。感情をしっかり把握しろ……と、いうのも追加しておきますね」

 言いながら気付いたのか、語尾だけ丁寧に付け加えた板来の言葉に、直は思わず苦笑を浮かべた。

「ねえ、板来くんの喋り方って、その中間くらいのはないの?」
「中間?」
「乱暴か丁寧か……そういう極端なのじゃなくて。もっと普通に友達とかに話しかける感じは無理かな?」

 ひどく顔をしかめた板来は、そのまま直から目を逸らす。

「……友達とかいねぇんだよ」
「ああ――」

 わかる、と続けそうになった。
 無理やり口を閉じた。ディスプレイの影で、瀬央が吹き出しかけているのが見えた気がしたが、言及しないことにした。

「じゃ、じゃあ……口調は普段ので、いいよ?」
「けど、キツイ言い方だと腹立つんだろ」
「立つけど……そんな、いろいろ気を遣いながら教えるの、大変だろうし」

 そもそも直は、基本的に相手に譲る方だ。
 だからこそ、たとえ電話でもお客様の声を遮っているなんて、自分でも信じられない。

「まあ、あんたがいいなら、俺もこっちのが楽だから言葉に甘えるけど……」
「うん」
「……けど、俺が言い過ぎた時は言ってくれ。あんたが無理なら……あの、瀬央さん」
「ああ、あんまりひどい言い方していたら注意するよ」
「はい、お願いします」

 素直に頭を下げる様子を見ると、直もこれまでの反発が溶ける気がした。
 瀬央が間に入ってくれると、すんなりと受け入れられそうだ。

 たぶん、板来のことを瀬央が信じているからだろう。
 それが直にも伝わってきて、板来は悪い子ではないと思えるのだ。

 一つ不思議なのは、昨日の面接で経験者だと知っただけで、そんなに信じられるものかという点だが。
 あるいは、話術で人を惹き込む営業という仕事ゆえ、なのかもしれないが。

 しかしそんなことを考え始めると、直には対応の粗雑な板来が、瀬央には丁寧であることも気になってくる――が、これも、単にそういう人物だというだけかもしれない。直は頭の中でそう結論づけた。
 直も、何度か経験がある。男性に対しては丁寧になるというひとは、時々いるものだ。

 板来はヘッドドレスのついた髪を指先ですいてから、深くため息をついた。

「……とにかく、自覚がないってのは大いなる問題だな。プロってのは他人の目を意識するとこから始まるんだよ」
「確かに、板来くんはどこから見ても完璧なゴスロリ美少女だもんね。それも他人の目を意識して……なのかな?」
「は? いや、これは――」

 ちらりと板来の目が瀬央の方を見た――気がした。
 ディスプレイの向こうから、瀬央の声は聞こえない。
 すぐに視線を戻した板来が、微かに口元を歪める。

「……他人の目なんて関係ない。だって、俺に似合うだろ?」
「あ、うん……」

 似合っているのは間違いない。
 喋りさえしなければ、絶対に違和感を覚えるひとはいないだろう。
 こんな格好で会社の敷地に入り込んできていることを除けば。

 似合っているかどうかにしても、少なくとも、直が着るよりはよっぽど似合っているはずだ。
 そんな直の答えに対し、板来はなにかを言おうと口を開き――そこで、次の電話が鳴り始めた。

 直はすぐに受話器に手を伸ばす。
 そのあとに続く電話のラッシュは、まるで戦場の弾幕のようだった。
 板来の教えを受ける余裕もなく、直は次々にお客様の対応をした。

 すべてが片付いた頃には夕方になっていて、板来は既に帰宅してしまっていた。

「……もっと教えて欲しかったですけど、残念です」

 半分は本気、だがもう半分は瀬央への気遣いで、そう口にすると、瀬央は嬉しそうに笑った。

「二人とも、うまくやれそうでよかった。もし煙咲さんが本当に問題ないなら、明日の引っ越しには板来くんも来てくれるはずだから、そこでもっとゆっくり話が聞けると思うよ」

 一瞬ためらったが、もとから引っ越しはやると言ってあったことだ。
 だから、直はこわごわゆっくり頷いたのだった。
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