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第二章 出会い・前進・家族の問題
3.足りないもの
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板来少年――いや見た目は少女――が、じっと直の手元を見つめている。
その真剣すぎるまなざしに、そこはかとなく照れつつ、直は受話器を置いた。
お客様データと照らし合わせてから、運送会社の手配を始める。
その様子を腕組みしながら見ていた板来は、直の手が止まったところで大きくため息をついた。
「正社員だって言うから期待してたけど。ふーん、瀬央さんが当てにしてる部のエースがこれねぇ……」
「なっ!? だ、誰が期待してくれなんて言いました? それに、瀬央さんが私のこと当てにしてるなんて、そんなことありませんけど!」
「どうしてそこで否定しちゃうの。僕は当てにしてるよ、板来くんにもそう言ってある」
「えええええっ……あ、ありがとう、ございます……」
頬が燃えるかと思った。
両手で顔を押さえて呻いている間も、板来は冷ややかなまなざしで直を見ている。
「いや、手が遅いし電話もたどたどしいし……なにより、今めちゃくちゃ失礼だったんだけど」
「し、失礼ですか!? 私が?」
瀬央に目で助けを求める。
が、相手はしばらく視線をうろつかせた後、困ったように笑った。
「ははは、煙咲さんは先週まで、事務方だったからね。多比良の場合、営業が自分で電話とっちゃうから……」
「まあそりゃ仕方ないですけど。なんでそんなひとがこんなとこいんスか? 普通の電話もとったことないって、そりゃあんだけ失礼な言い方もするわ。なんでコールセンター配属にしたの」
「うーん、それには色々事情があってね……」
「うぐぐぐぐ……し、失礼なのはあなたの方だよ、板来くん!」
「俺はわかって言ってるんで」
「わかってりゃ失礼でもいいってもんじゃないでしょ!」
「失礼かもわかんないで言ってるよりゃマシだよな」
「ぅうううううっ!」
呻いた直の額に、板来はびしりと指を突き付けた。
爪先まできれいに整えられていて、荒れ放題の直の手よりよほど綺麗なくらいだ。
「あんた今までは知らなかったのかもしんないけどさ。ずっとそのままでいるつもりなの? もう異動したのに? 今後もここでやってくつもりはないってこと?」
「あるよ! このままのつもりなんてない!」
「じゃあちっとは勉強しろよな。俺は普段のマナーなんてどうでもいいと思ってるけど、それで金貰うならちゃんとするつもりだ。それがプロだろ」
「私だって……もちろん……」
言いかけた声が小さくなってしまったのは、自分で気付いたからだ。
異動してから、もう一週間。
その間、目の前のできごとに精一杯で、電話マナーだとかプロ意識だとか考えてもみなかった、ということに。
「電話マナーだって……これから勉強する、つもりで……」
言い訳じみた言い方――いや、完全に言い訳だ。
学ぶあてもないものを、その予定だと言い切ることは直にはできなかった。
押し黙ってしまった直を見て、板来がとどめをさそうと口を開く。
それを遮るように、瀬央は片手をあげた。
「うんうん、そうだよね。人が増えれば手も空くようになるし、これから煙咲さんには勉強して貰おうと思ってたんだ。そのためには、板来くんがうってつけだなって」
「俺……ですか?」
板来は、怪訝な顔で振り向いた。
直にはタメ口をきく板来だが、瀬央に対しては丁寧な口調で接している。
これが彼のプロ意識なのかと思えば、腹立たしいやら見事やら。
「あのね、煙咲さん。板来くんは経験者なんだ。先日まで、他社のコールセンターで働いていたらしい」
「経験者!?」
「そうだけど……おい、あんま期待しすぎるなよ? 別に本職じゃないぜ。ここと同じ、大学の講義の合間にちょっとバイトしてただけ」
「週五でね。ちょっとというにはだいぶがっつりシフト入れてるなぁ」
瀬央が横から口を挟む。
板来が一瞬、困ったように横を向いてから、直をちらりと見た。
「……あんま期待するなってば」
「し、してないけど」
「まあ、どのみち、僕らの中の誰よりも君がこの仕事に詳しいのは間違いない。自信があろうがなかろうが、面接で言った通り君にはいろいろ教えてもらうつもりだから、よろしく」
「はあ、まあ……その分ちょっとバイト代に色つけてもらいましたしね。俺は構わないですけど」
「わっ私も! ぜひお願いしたい! です!」
勢い込んだついでに、机をばん、と叩いてしまった。
目を丸くした板来が、一拍おいて唇を歪める。
「ふぅん、その気はあるって訳だ」
「あるよ、もちろん!」
「いいぜ。じゃあ、教えてやるよ」
乱暴な口調も低い声も、皮肉げな表情も、美少女然とした身なりには似合わない。
が、その視線は真剣に見えた。
「だいたい、こういう適当な仕事が俺は我慢できないんだ。やるならきちっとやれ」
「やりますとも!」
「いいだろう、まずはもう一回電話に出てみろ」
「ええ、いいでしょう! どこからでも突っ込んでくださいな」
ほとんど売り言葉に買い言葉で、直は再び席についた。
昼休みが終わり次第、電話が鳴り始める。
受話器に伸ばした直の手を、板来がじっと睨みつけていた。
その真剣すぎるまなざしに、そこはかとなく照れつつ、直は受話器を置いた。
お客様データと照らし合わせてから、運送会社の手配を始める。
その様子を腕組みしながら見ていた板来は、直の手が止まったところで大きくため息をついた。
「正社員だって言うから期待してたけど。ふーん、瀬央さんが当てにしてる部のエースがこれねぇ……」
「なっ!? だ、誰が期待してくれなんて言いました? それに、瀬央さんが私のこと当てにしてるなんて、そんなことありませんけど!」
「どうしてそこで否定しちゃうの。僕は当てにしてるよ、板来くんにもそう言ってある」
「えええええっ……あ、ありがとう、ございます……」
頬が燃えるかと思った。
両手で顔を押さえて呻いている間も、板来は冷ややかなまなざしで直を見ている。
「いや、手が遅いし電話もたどたどしいし……なにより、今めちゃくちゃ失礼だったんだけど」
「し、失礼ですか!? 私が?」
瀬央に目で助けを求める。
が、相手はしばらく視線をうろつかせた後、困ったように笑った。
「ははは、煙咲さんは先週まで、事務方だったからね。多比良の場合、営業が自分で電話とっちゃうから……」
「まあそりゃ仕方ないですけど。なんでそんなひとがこんなとこいんスか? 普通の電話もとったことないって、そりゃあんだけ失礼な言い方もするわ。なんでコールセンター配属にしたの」
「うーん、それには色々事情があってね……」
「うぐぐぐぐ……し、失礼なのはあなたの方だよ、板来くん!」
「俺はわかって言ってるんで」
「わかってりゃ失礼でもいいってもんじゃないでしょ!」
「失礼かもわかんないで言ってるよりゃマシだよな」
「ぅうううううっ!」
呻いた直の額に、板来はびしりと指を突き付けた。
爪先まできれいに整えられていて、荒れ放題の直の手よりよほど綺麗なくらいだ。
「あんた今までは知らなかったのかもしんないけどさ。ずっとそのままでいるつもりなの? もう異動したのに? 今後もここでやってくつもりはないってこと?」
「あるよ! このままのつもりなんてない!」
「じゃあちっとは勉強しろよな。俺は普段のマナーなんてどうでもいいと思ってるけど、それで金貰うならちゃんとするつもりだ。それがプロだろ」
「私だって……もちろん……」
言いかけた声が小さくなってしまったのは、自分で気付いたからだ。
異動してから、もう一週間。
その間、目の前のできごとに精一杯で、電話マナーだとかプロ意識だとか考えてもみなかった、ということに。
「電話マナーだって……これから勉強する、つもりで……」
言い訳じみた言い方――いや、完全に言い訳だ。
学ぶあてもないものを、その予定だと言い切ることは直にはできなかった。
押し黙ってしまった直を見て、板来がとどめをさそうと口を開く。
それを遮るように、瀬央は片手をあげた。
「うんうん、そうだよね。人が増えれば手も空くようになるし、これから煙咲さんには勉強して貰おうと思ってたんだ。そのためには、板来くんがうってつけだなって」
「俺……ですか?」
板来は、怪訝な顔で振り向いた。
直にはタメ口をきく板来だが、瀬央に対しては丁寧な口調で接している。
これが彼のプロ意識なのかと思えば、腹立たしいやら見事やら。
「あのね、煙咲さん。板来くんは経験者なんだ。先日まで、他社のコールセンターで働いていたらしい」
「経験者!?」
「そうだけど……おい、あんま期待しすぎるなよ? 別に本職じゃないぜ。ここと同じ、大学の講義の合間にちょっとバイトしてただけ」
「週五でね。ちょっとというにはだいぶがっつりシフト入れてるなぁ」
瀬央が横から口を挟む。
板来が一瞬、困ったように横を向いてから、直をちらりと見た。
「……あんま期待するなってば」
「し、してないけど」
「まあ、どのみち、僕らの中の誰よりも君がこの仕事に詳しいのは間違いない。自信があろうがなかろうが、面接で言った通り君にはいろいろ教えてもらうつもりだから、よろしく」
「はあ、まあ……その分ちょっとバイト代に色つけてもらいましたしね。俺は構わないですけど」
「わっ私も! ぜひお願いしたい! です!」
勢い込んだついでに、机をばん、と叩いてしまった。
目を丸くした板来が、一拍おいて唇を歪める。
「ふぅん、その気はあるって訳だ」
「あるよ、もちろん!」
「いいぜ。じゃあ、教えてやるよ」
乱暴な口調も低い声も、皮肉げな表情も、美少女然とした身なりには似合わない。
が、その視線は真剣に見えた。
「だいたい、こういう適当な仕事が俺は我慢できないんだ。やるならきちっとやれ」
「やりますとも!」
「いいだろう、まずはもう一回電話に出てみろ」
「ええ、いいでしょう! どこからでも突っ込んでくださいな」
ほとんど売り言葉に買い言葉で、直は再び席についた。
昼休みが終わり次第、電話が鳴り始める。
受話器に伸ばした直の手を、板来がじっと睨みつけていた。
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