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第一章 失恋・左遷・コールセンター
3.瀬央という男
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多比良オフィスレンタルサービス株式会社――直の働くこの会社では、様々なオフィス用品を法人向けに貸し出している。
あくまでレンタル契約であるため、故障の相談や修理は社内ではサポートしていない。
レンタルした商品に不備がある場合は、商品の入れ替えをした後、メーカーへ戻して修理してもらうことになる。
だから、今までは一次サポートも営業部でやっていた。契約をとってきた担当が、お客様からの修理連絡を貰って飛んでいき、なにはともあれ新しい用品を置いて故障品を回収してくる。
今回のお客様コールセンター計画は、そのルートを集約するためのものだ。故障品の入れ替えについては、宅配会社を手配する。
これまで営業が取っていた相談電話をコールセンターへ回すことで、営業効率を上げることに繋がる。また、いざというときの相談窓口を明確にすることで、お客様に安心感も与えられる。
「……というのが、僕の出した企画な訳だ」
瀬央の説明に、直は頷きながらパソコンを立ち上げた。
異動翌日のプレハブ事務所で、簡単な説明を受けつつ電話を取る準備を進める。
準備と言っても、開通初日だ。互いの卓上にある電話を取りやすいところに置くとか、取り扱っている商品一覧を手元に置くとか、そんなもの。
「えっと、つまり、ここに来る電話は多比良がお客さんにレンタルした商品の故障相談な訳ですね」
「そういうこと。まあ、最初のうちは試行運用としてお客様絞って案内するから、そうそう大量に電話は来ないと思うけど」
「まあ、二人だけですもんねぇ」
「そうそう」
机上の目覚まし時計がじりりりりと鳴り響いた。
始業の合図だ。
「よし。以降電話が入ってくるから。お互い、鳴ったらどんどん取ろうね」
「はい」
……と、言われて直はじっと電話を見つめていた訳だが。
初日は結局、二人のどちらも電話に出ることはなかった。
●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
まだ四月だというのに、やはりプレハブは蒸す。
うっすらと開けていた扉を午後からは全開にし、壁に向けた扇風機で空気の入れ替えをした。
それでも、夕方にはじっとりと汗をかいていたので、これは本格的に暑くなるまでになんとかしなければならない問題である。
暑くて仕事もないなんて、ずいぶん時間を長く感じそうだが――今までほとんど関わりがなかったのに、瀬央はいづらさを感じさせない男だった。
二人きりのはずなのに、時々振ってくる会話が途切れることなく長く続く。
無理をして話を続けている様子も見えないし、よく喋るという訳でもないのだが、とにかく相槌がうまいのだ。
会社ではあまりプライベートのことを話さない直も、思わず休日の趣味――本屋とカフェ巡りについて、じっくり話してしまった。さして面白みがあるとも思えない趣味なのに、瀬央は興味を持って聞いてくれた。
定時のベルが鳴り、帰り支度をする直を見て、瀬央はパソコンから顔を上げる。
「ごめんね。五月までには、ちゃんと空調のある部屋を用意してもらうようにするから」
「そんな……部長が謝ることではないです」
「いや、こういうことをちゃんとするためにいるのが管理職だから。それに、君を巻き込んだ責任はちゃんと取りたい。僕が困るだけでは済まないもの」
「いえ、それはですね……」
単に巻き込まれたという訳ではなく、謝るなら元恋人の優佑が謝るべきだ。だが、そのことを瀬央は知らないし、直からもプライベートが絡んでいて説明しづらい。
なにも言えずもじもじしていると、瀬央はそれをどうとったのか、柔らかそうな髪をかいて困ったように笑って見せた。
「まあ、僕が辞職でもすれば早々に片が付くのかもしれないけどね。ただ、僕にそんなつもりはないから。少しの間だけ我慢してほしい。すぐに、元と同じくらい……いや、それ以上にいい待遇にしてみせるから」
「部長は、自信があるんですね」
「自信がなければ、そもそも企画を出したりしないよ。だから、むしろ専務には礼を言いたいくらいだ。なにはともあれ、こうやって始めるチャンスを貰ったんだから」
言葉通り、瀬央の瞳は輝かんばかりだ。
心からそう思っていることが、その表情からは伝わってくる。
「お客様を万全にサポートするためには絶対必要なんだよ、こういう仕事の集約は。担当営業は不在のことも多いし、メーカーによっては修理ルートがはっきりしないところもある。たまにしか出ないメーカーの商品だと、修理窓口探すだけで苦労したりとかね。ベテランの営業は長年の経験で把握してても、若手はそうはいかない。そういう情報も、コールセンターの中でならもっと共有しやすくなる。お客様のためにもなるし、営業にとっても必要な部門なんだ」
確信のある言葉は、左遷という状況においても前向きだ。
優佑への恨み節で頑張ろうと思っていた自分が、少し恥ずかしくなった。
「……部長は、強いですね」
「強い? そんなこと言われたの初めてだ。頼りない、とかよく言われるけど」
はは、と照れ臭そうに笑う顔は、とても敏腕営業とは思えない純粋さだ。こういうところが可愛がられる秘訣なのかもしれない。
とは言え、専務のお嬢さんの見合い相手が優佑に移ったことを知っているあたり、それだけの人物ではないのだろう、とも直は考えているのだが。
「頼りないけど、できるだけのことはするから君には頑張ってほしい。ただ、今日のところは……そもそも貸し出した商品が故障しないと電話は鳴らないんだよね。だから今日は、お客様のためにはよかったと言えるかな」
「まあ、それは確かにそうですね……」
直は言葉尻を濁しながら頷いた。
飲み込んだのは、試行運用として対象になっているお客様が少なすぎるんじゃないか、という言葉だ。
なにせ、この企画にゴーを出した専務は、単に瀬央にいやがらせがしたかっただけ。
営業一部の部長である優佑は、瀬央のことをよく思っていない。
そんな状態では、試行運用先を広めることはできないのではないだろうか。
が、それを口に出しても空気が後ろ向きになるだけだ。
なにか他の話題を、と探すうちに、瀬央が会話の合間でパソコンを叩いていることに気が付いた。
「あの、部長さっきからなにしてるんですか?」
「ん、このままだとずっと電話が鳴らなそうだからさ。とりあえず一枚広告作って、担当営業に配ってもらおうと思って。試行運用の対象顧客ももう少し数を増やして良さそうだなぁ」
ディスプレイを見れば、作り慣れた様子のパワーポイントに、お客様がコールセンターを使う利点が理路整然と並んでいる。
「あの、でも……一部の佐志波部長は、あんまり……乗り気じゃないのでは」
「佐志波は多分そうだね。ご存じの通り、僕らうまくいっていないし。ただ、営業一部全体では、僕の企画に賛成してくれる人もいるよ。高梨課長とか、ベテランの西田とかね。それに、営業二部は部をあげて協力してくれる」
「そう、なんですか……」
「うん。有用だってことがわかれば、佐志波も参加せざるを得なくなるだろうしね。だから、お客様を巻き込むのがいちばん早いんだ」
直が考えていたことは、瀬央の中では既に解決済みらしい。
そのうえで、次の手を打とうとしている。
「部長……」
自分にはない前向きさに、感動した。
そんなことを口にしようと瀬央のデスクの脇に立った途端、ガン、と入り口で大きな音が響いた。
振り向けば、男が一人立っている。
見慣れたオーダーメイドのスーツに赤いネクタイを締め、きっちりとまとめ上げた髪は乱れ一つない。
――優佑。
直は、思わず両手で口を押さえた。
優佑の目は怯えた様子の直を通り過ぎ、瀬央の上で止まって、皮肉に細められた。
あくまでレンタル契約であるため、故障の相談や修理は社内ではサポートしていない。
レンタルした商品に不備がある場合は、商品の入れ替えをした後、メーカーへ戻して修理してもらうことになる。
だから、今までは一次サポートも営業部でやっていた。契約をとってきた担当が、お客様からの修理連絡を貰って飛んでいき、なにはともあれ新しい用品を置いて故障品を回収してくる。
今回のお客様コールセンター計画は、そのルートを集約するためのものだ。故障品の入れ替えについては、宅配会社を手配する。
これまで営業が取っていた相談電話をコールセンターへ回すことで、営業効率を上げることに繋がる。また、いざというときの相談窓口を明確にすることで、お客様に安心感も与えられる。
「……というのが、僕の出した企画な訳だ」
瀬央の説明に、直は頷きながらパソコンを立ち上げた。
異動翌日のプレハブ事務所で、簡単な説明を受けつつ電話を取る準備を進める。
準備と言っても、開通初日だ。互いの卓上にある電話を取りやすいところに置くとか、取り扱っている商品一覧を手元に置くとか、そんなもの。
「えっと、つまり、ここに来る電話は多比良がお客さんにレンタルした商品の故障相談な訳ですね」
「そういうこと。まあ、最初のうちは試行運用としてお客様絞って案内するから、そうそう大量に電話は来ないと思うけど」
「まあ、二人だけですもんねぇ」
「そうそう」
机上の目覚まし時計がじりりりりと鳴り響いた。
始業の合図だ。
「よし。以降電話が入ってくるから。お互い、鳴ったらどんどん取ろうね」
「はい」
……と、言われて直はじっと電話を見つめていた訳だが。
初日は結局、二人のどちらも電話に出ることはなかった。
●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
まだ四月だというのに、やはりプレハブは蒸す。
うっすらと開けていた扉を午後からは全開にし、壁に向けた扇風機で空気の入れ替えをした。
それでも、夕方にはじっとりと汗をかいていたので、これは本格的に暑くなるまでになんとかしなければならない問題である。
暑くて仕事もないなんて、ずいぶん時間を長く感じそうだが――今までほとんど関わりがなかったのに、瀬央はいづらさを感じさせない男だった。
二人きりのはずなのに、時々振ってくる会話が途切れることなく長く続く。
無理をして話を続けている様子も見えないし、よく喋るという訳でもないのだが、とにかく相槌がうまいのだ。
会社ではあまりプライベートのことを話さない直も、思わず休日の趣味――本屋とカフェ巡りについて、じっくり話してしまった。さして面白みがあるとも思えない趣味なのに、瀬央は興味を持って聞いてくれた。
定時のベルが鳴り、帰り支度をする直を見て、瀬央はパソコンから顔を上げる。
「ごめんね。五月までには、ちゃんと空調のある部屋を用意してもらうようにするから」
「そんな……部長が謝ることではないです」
「いや、こういうことをちゃんとするためにいるのが管理職だから。それに、君を巻き込んだ責任はちゃんと取りたい。僕が困るだけでは済まないもの」
「いえ、それはですね……」
単に巻き込まれたという訳ではなく、謝るなら元恋人の優佑が謝るべきだ。だが、そのことを瀬央は知らないし、直からもプライベートが絡んでいて説明しづらい。
なにも言えずもじもじしていると、瀬央はそれをどうとったのか、柔らかそうな髪をかいて困ったように笑って見せた。
「まあ、僕が辞職でもすれば早々に片が付くのかもしれないけどね。ただ、僕にそんなつもりはないから。少しの間だけ我慢してほしい。すぐに、元と同じくらい……いや、それ以上にいい待遇にしてみせるから」
「部長は、自信があるんですね」
「自信がなければ、そもそも企画を出したりしないよ。だから、むしろ専務には礼を言いたいくらいだ。なにはともあれ、こうやって始めるチャンスを貰ったんだから」
言葉通り、瀬央の瞳は輝かんばかりだ。
心からそう思っていることが、その表情からは伝わってくる。
「お客様を万全にサポートするためには絶対必要なんだよ、こういう仕事の集約は。担当営業は不在のことも多いし、メーカーによっては修理ルートがはっきりしないところもある。たまにしか出ないメーカーの商品だと、修理窓口探すだけで苦労したりとかね。ベテランの営業は長年の経験で把握してても、若手はそうはいかない。そういう情報も、コールセンターの中でならもっと共有しやすくなる。お客様のためにもなるし、営業にとっても必要な部門なんだ」
確信のある言葉は、左遷という状況においても前向きだ。
優佑への恨み節で頑張ろうと思っていた自分が、少し恥ずかしくなった。
「……部長は、強いですね」
「強い? そんなこと言われたの初めてだ。頼りない、とかよく言われるけど」
はは、と照れ臭そうに笑う顔は、とても敏腕営業とは思えない純粋さだ。こういうところが可愛がられる秘訣なのかもしれない。
とは言え、専務のお嬢さんの見合い相手が優佑に移ったことを知っているあたり、それだけの人物ではないのだろう、とも直は考えているのだが。
「頼りないけど、できるだけのことはするから君には頑張ってほしい。ただ、今日のところは……そもそも貸し出した商品が故障しないと電話は鳴らないんだよね。だから今日は、お客様のためにはよかったと言えるかな」
「まあ、それは確かにそうですね……」
直は言葉尻を濁しながら頷いた。
飲み込んだのは、試行運用として対象になっているお客様が少なすぎるんじゃないか、という言葉だ。
なにせ、この企画にゴーを出した専務は、単に瀬央にいやがらせがしたかっただけ。
営業一部の部長である優佑は、瀬央のことをよく思っていない。
そんな状態では、試行運用先を広めることはできないのではないだろうか。
が、それを口に出しても空気が後ろ向きになるだけだ。
なにか他の話題を、と探すうちに、瀬央が会話の合間でパソコンを叩いていることに気が付いた。
「あの、部長さっきからなにしてるんですか?」
「ん、このままだとずっと電話が鳴らなそうだからさ。とりあえず一枚広告作って、担当営業に配ってもらおうと思って。試行運用の対象顧客ももう少し数を増やして良さそうだなぁ」
ディスプレイを見れば、作り慣れた様子のパワーポイントに、お客様がコールセンターを使う利点が理路整然と並んでいる。
「あの、でも……一部の佐志波部長は、あんまり……乗り気じゃないのでは」
「佐志波は多分そうだね。ご存じの通り、僕らうまくいっていないし。ただ、営業一部全体では、僕の企画に賛成してくれる人もいるよ。高梨課長とか、ベテランの西田とかね。それに、営業二部は部をあげて協力してくれる」
「そう、なんですか……」
「うん。有用だってことがわかれば、佐志波も参加せざるを得なくなるだろうしね。だから、お客様を巻き込むのがいちばん早いんだ」
直が考えていたことは、瀬央の中では既に解決済みらしい。
そのうえで、次の手を打とうとしている。
「部長……」
自分にはない前向きさに、感動した。
そんなことを口にしようと瀬央のデスクの脇に立った途端、ガン、と入り口で大きな音が響いた。
振り向けば、男が一人立っている。
見慣れたオーダーメイドのスーツに赤いネクタイを締め、きっちりとまとめ上げた髪は乱れ一つない。
――優佑。
直は、思わず両手で口を押さえた。
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