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★ 七月
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★ 七月
おはよう諸君。人によってはこんにちは諸君。こんばんは諸君。もしくは初めまして、諸君。
このサイトを開設してからもう幾許かの時が経過したが、開設した頃のことを考えると、今に至るまでの時間がこんなにもあっという間に過ぎ去るとは考えもしていなかった。大家から虎藤虎太郎の話を聞き、虎藤虎太郎を探すと決意し、初期の頃はインターネットや新聞の切り抜きで虎藤虎太郎の情報を集め、しかしどうやっても事件の詳細や家族関係の情報は得られず、そうして何を血迷ったか手当たり次第にアウトレットや人の多い場所に足を運ぶようになり、だが案の定何の成果も上げられず、結局虎藤虎太郎という名前とあやふやな外見の特徴しかわからない状況のまま、相応の時がただ過ぎていった。
思えばその期間は、時間の流れがとてもゆっくりと感じていたものだ。探せど探せど一向に見つからない虎藤虎太郎の情報、もはや見つかる気配すらなくなった虎藤虎太郎の足跡、私はこんなにも虎藤虎太郎の名を連呼しているのに、まるで世に出ていない創作物の登場人物のように、その名をインターネットで検索しても一つも当て嵌まらなかったときの絶望感、そして遂には存在そのものに疑いの矛先が向くという精神状態が、何よりもその時期の有様をご想像いただけるだろう。
だが今、状況は大きく変わった。唯一虎藤虎太郎という存在の肯定者だった大家から当時の虎藤虎太郎の足跡を訊き、そうしてその足跡を辿ってみると、今までの苦心や苦労を嘲笑うかのように、その存在が具現と化した。
いや、嘲笑ったのではない。雲の上からか草葉の陰からかはわからないが、幸運の女神なるものがどこからか私を見ていて、私の一途な信念に気付き、そっと微笑みをくれたのだ。私は大家からあのラーメン屋の話を聞いて、虎藤虎太郎に出会うまで何度でも通うつもりでいた。十回でも二十回でも、貯金が尽きても借金をしてでも、虎藤虎太郎に出会うまではこの一筋の光を辿ろうと心に決めていた。
そうして、あの男が現れた。あの男が店に入ってきたとき、私は直感した。
この男、もしかしたら──。
以前は百円玉や五十円玉がどうこう言っていたが、あれはただの建前に過ぎない。今思えば五十円玉二枚を引き寄せたなんて、根拠にしては意味不明が過ぎる。それならまだ虎藤虎太郎はよくラーメンと餃子を頼んでいたなんて情報で言い繕えばよかったものの、なんとなく根拠なるものを示したいという欲が働いて、あんなことを書いてしまった。お詫びして訂正すると共に、今ここで改めて真実を述べようと思う。
私は全てを、自らの直感に委ねた。この男は虎藤虎太郎だという直感に、全てを懸けた。
そして私は、賭けに勝った。その男よりも先にラーメン屋を後にした私は、男がラーメン屋から出てくる瞬間をじっと窺っていた。そうしてラーメン屋から出てきた男の後を気付かれないようにそっと尾けていると、衝撃の事実が発覚した。その男はなんと、私のアパートの隣の部屋、すなわち、虎藤虎太郎が姿を消したときに住んでいた部屋に、偶然にも住んでいたのだ。
いや、これは偶然ではない。あの男が虎藤虎太郎であるならば、私の部屋の隣に住んでいても何もおかしくはないのだ。虎藤虎太郎が行方不明になって以降、確かにあの部屋は空き部屋だった。それが私の気付かぬうちに、見知らぬ人間が居付いたのも仄かに心得ていた。しかし私は、新しく居付いたその男が誰なのかについて、全くと言っていいほど気を配らなかった。別に誰であろうがどうでもいい、そんな風に当時の私は考えていた。それもそのはず、当時はこのサイトを開設するよりだいぶ前の時期で、ちょうど私が虎藤虎太郎の捜索に限界を感じ始めていた時期だったのだ。大家は虎藤虎太郎が帰ってくるのを諦めたのか、そう思って余計に心苦しくなったのも、昨日のように憶えている。
だからこそ、これは偶然ではない。私の直感が真実か虚偽かは一度置いておいたとしても、私の出した答えには自然と紛いなりにも道理が備わっているのだ。私は隣に越してきた男を見知らぬ男だと決めつけ、意識の内から外していた。だがそれは落とし穴であり、その男が虎藤虎太郎本人であるという選択肢を無意識に除外したのだ。これが、私が自分の直感に委ねた理由、すなわちあの男が虎藤虎太郎本人だと信じ込むに至った根拠である。
そうして私は、あの男、すなわち虎藤虎太郎の後を追い続けた。アパートから外出する機会を常に窺い、虎藤虎太郎の行きそうな場所に目星を付け、先回って行動を逐一観察した。空回りに終わることも多々あったが、喫茶店に先に足を運んでいたのは見事に的中した。あれに関しては偶然でもなんでもなく、まさに足を使った捜索である。お陰で周りからは怪しまれることなく、虎藤虎太郎の人となりを観察することができた。これ以上詮索するとさすがに相手側も不審に感じるだろうから、この時点で捜索及び観察は一旦終了した。
逆に言えば、答えが出た故に捜索の方はこれ以上する必要がないので、これからは次の段階に移行しなければならない。つまり、どうやって虎藤虎太郎と接触するかだ。一番簡単なのはアパートの部屋に直接出向くことだが、それには如何せんきっかけがない。幸か不幸か今のところこちらは認識されていないはずなので、突然訪問したところで相手にされない可能性も充分にある。かと言って外で偶然を装うのも、そもそもこちらもきっかけがないし、周りの目を考えると余計に気が引ける。
結局、課題は一つ一つ解決していかないと目標には到達できない。虎藤虎太郎はそんな風に、社会という枠から外れた私のような人間にも大切なことを教えてくれる懐の深さを持っている。これは半分冗談だが、とにかく次の段階に進んだのは明白なことであるので、これからはより一層活動に念を入れていくと共に、ここまでの自分の足取りを細やかに祝福したい。私は漸く、まだ見ぬ新しい世界へと足を踏み入れたのだ。
それでは、また会う日まで。
おはよう諸君。人によってはこんにちは諸君。こんばんは諸君。もしくは初めまして、諸君。
このサイトを開設してからもう幾許かの時が経過したが、開設した頃のことを考えると、今に至るまでの時間がこんなにもあっという間に過ぎ去るとは考えもしていなかった。大家から虎藤虎太郎の話を聞き、虎藤虎太郎を探すと決意し、初期の頃はインターネットや新聞の切り抜きで虎藤虎太郎の情報を集め、しかしどうやっても事件の詳細や家族関係の情報は得られず、そうして何を血迷ったか手当たり次第にアウトレットや人の多い場所に足を運ぶようになり、だが案の定何の成果も上げられず、結局虎藤虎太郎という名前とあやふやな外見の特徴しかわからない状況のまま、相応の時がただ過ぎていった。
思えばその期間は、時間の流れがとてもゆっくりと感じていたものだ。探せど探せど一向に見つからない虎藤虎太郎の情報、もはや見つかる気配すらなくなった虎藤虎太郎の足跡、私はこんなにも虎藤虎太郎の名を連呼しているのに、まるで世に出ていない創作物の登場人物のように、その名をインターネットで検索しても一つも当て嵌まらなかったときの絶望感、そして遂には存在そのものに疑いの矛先が向くという精神状態が、何よりもその時期の有様をご想像いただけるだろう。
だが今、状況は大きく変わった。唯一虎藤虎太郎という存在の肯定者だった大家から当時の虎藤虎太郎の足跡を訊き、そうしてその足跡を辿ってみると、今までの苦心や苦労を嘲笑うかのように、その存在が具現と化した。
いや、嘲笑ったのではない。雲の上からか草葉の陰からかはわからないが、幸運の女神なるものがどこからか私を見ていて、私の一途な信念に気付き、そっと微笑みをくれたのだ。私は大家からあのラーメン屋の話を聞いて、虎藤虎太郎に出会うまで何度でも通うつもりでいた。十回でも二十回でも、貯金が尽きても借金をしてでも、虎藤虎太郎に出会うまではこの一筋の光を辿ろうと心に決めていた。
そうして、あの男が現れた。あの男が店に入ってきたとき、私は直感した。
この男、もしかしたら──。
以前は百円玉や五十円玉がどうこう言っていたが、あれはただの建前に過ぎない。今思えば五十円玉二枚を引き寄せたなんて、根拠にしては意味不明が過ぎる。それならまだ虎藤虎太郎はよくラーメンと餃子を頼んでいたなんて情報で言い繕えばよかったものの、なんとなく根拠なるものを示したいという欲が働いて、あんなことを書いてしまった。お詫びして訂正すると共に、今ここで改めて真実を述べようと思う。
私は全てを、自らの直感に委ねた。この男は虎藤虎太郎だという直感に、全てを懸けた。
そして私は、賭けに勝った。その男よりも先にラーメン屋を後にした私は、男がラーメン屋から出てくる瞬間をじっと窺っていた。そうしてラーメン屋から出てきた男の後を気付かれないようにそっと尾けていると、衝撃の事実が発覚した。その男はなんと、私のアパートの隣の部屋、すなわち、虎藤虎太郎が姿を消したときに住んでいた部屋に、偶然にも住んでいたのだ。
いや、これは偶然ではない。あの男が虎藤虎太郎であるならば、私の部屋の隣に住んでいても何もおかしくはないのだ。虎藤虎太郎が行方不明になって以降、確かにあの部屋は空き部屋だった。それが私の気付かぬうちに、見知らぬ人間が居付いたのも仄かに心得ていた。しかし私は、新しく居付いたその男が誰なのかについて、全くと言っていいほど気を配らなかった。別に誰であろうがどうでもいい、そんな風に当時の私は考えていた。それもそのはず、当時はこのサイトを開設するよりだいぶ前の時期で、ちょうど私が虎藤虎太郎の捜索に限界を感じ始めていた時期だったのだ。大家は虎藤虎太郎が帰ってくるのを諦めたのか、そう思って余計に心苦しくなったのも、昨日のように憶えている。
だからこそ、これは偶然ではない。私の直感が真実か虚偽かは一度置いておいたとしても、私の出した答えには自然と紛いなりにも道理が備わっているのだ。私は隣に越してきた男を見知らぬ男だと決めつけ、意識の内から外していた。だがそれは落とし穴であり、その男が虎藤虎太郎本人であるという選択肢を無意識に除外したのだ。これが、私が自分の直感に委ねた理由、すなわちあの男が虎藤虎太郎本人だと信じ込むに至った根拠である。
そうして私は、あの男、すなわち虎藤虎太郎の後を追い続けた。アパートから外出する機会を常に窺い、虎藤虎太郎の行きそうな場所に目星を付け、先回って行動を逐一観察した。空回りに終わることも多々あったが、喫茶店に先に足を運んでいたのは見事に的中した。あれに関しては偶然でもなんでもなく、まさに足を使った捜索である。お陰で周りからは怪しまれることなく、虎藤虎太郎の人となりを観察することができた。これ以上詮索するとさすがに相手側も不審に感じるだろうから、この時点で捜索及び観察は一旦終了した。
逆に言えば、答えが出た故に捜索の方はこれ以上する必要がないので、これからは次の段階に移行しなければならない。つまり、どうやって虎藤虎太郎と接触するかだ。一番簡単なのはアパートの部屋に直接出向くことだが、それには如何せんきっかけがない。幸か不幸か今のところこちらは認識されていないはずなので、突然訪問したところで相手にされない可能性も充分にある。かと言って外で偶然を装うのも、そもそもこちらもきっかけがないし、周りの目を考えると余計に気が引ける。
結局、課題は一つ一つ解決していかないと目標には到達できない。虎藤虎太郎はそんな風に、社会という枠から外れた私のような人間にも大切なことを教えてくれる懐の深さを持っている。これは半分冗談だが、とにかく次の段階に進んだのは明白なことであるので、これからはより一層活動に念を入れていくと共に、ここまでの自分の足取りを細やかに祝福したい。私は漸く、まだ見ぬ新しい世界へと足を踏み入れたのだ。
それでは、また会う日まで。
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