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花音の家を訪ねたが、休日で家にいた母親によると、花音はどこかに出掛けたらしく、会うことはできなかった。
それから半日近く経って夜も更けてくると、花音の母親から連絡があった。花音が帰ってこない。朝に出掛けたきり、それも普段使っている私服やリュックも家に置きっぱなしで、連絡が全く取れない。その話を聞いてすぐに家を出たが、花音はどこにもいなかった。コンビニにもスーパーにもいない、街中にも電車にもいない、中学校にも高校にもいない、どこを歩き回ったって探し回ったって、花音を見つけることはできなかった。
すると、花音の母親から再び連絡があった。花音の部屋に、僕宛てと思われる分厚い手紙と、淡い水色のハンカチが置いてあったのだという。花音の家に向かうと、花音の母親は丁寧にその二つを手渡してくれたが、手紙だけ受け取ってその場を後にした。
街の灯の下で手紙を開いてみると、そこにはよもや花音の筆跡だとは思えない儚い文字が、びっしりと書き連ねられていた。筆圧は枚数を重ねるごとに弱くなり、さらには所々に滲んだ跡があったため、終わりの方は目を凝らしても、夜道で読むのは困難だった。
しかし、その手紙は完成されていた。そこに、花音の総てがしっかりと刻まれていた。
厳粛な重みを両手で受け止めながら、僕の両足は、自然とある場所に救いを求めていた。
「拝啓
陽の光が腰を据え、薫る風が浮世を通り過ぎる時節となってまいりました。
隆也さんはいかがお過ごしでしょうか。この頃は会うこともできなくなってしまいましたが、お変わりなさそうな隆也さんの姿をお見掛けして、大層安心しました。隆也さんは、いえ、隆也くんは、やっぱり隆也くんでした。それをこの目に焼き付けることができて、私もこの手紙を書くことを決心しました。私の最後のわがままに、どうかお付き合いください。それと、もう少しの間だけ、隆也くんとお呼びすることをどうかお許しください。
さて、まずはこの手紙の趣旨についてお伝えしなければなりません。
私には、隆也くんに深く謝罪し、お赦しを頂きたい事柄が二つあります。いや、お赦しを頂くなどは甚く傲慢でした。ただ私が犯した罪を、隆也くんと自分に対して負った罪をお伝えすることが、図々しくもこの手紙を書くに至った所存です。
これが隆也くんの元に届くかは希求の域に過ぎませんが、苟もお目にかかった暁には、結びまで私の諸悪にお心を損なわれぬよう、お願い申し上げるばかりです。重ねてになりますが、どうか私のわがままに、最後までお付き合いください。
一つ目の罪について。
隆也くんもご存知の通り、私たち兄妹の身辺には父親がありません。私が二歳の頃、即ち兄の修一が五歳の頃、父は長年患っていた心臓の病気が悪化し、三十五歳の若さで旅立っていきました。そうして母は、女手一つになることを余儀なくされました。遺伝だったのか、父の両親は既に病気で亡くなっており、母もさほど裕福ではない六人家族の末娘だったこともあって、実家の援助にはなかなか見舞われなかったそうです。
しかしそのような状況でも、母は私たちの学習環境に支障が来さぬよう、奮励を続けてくれました。立派とは言えませんが、私たち家族が今でも父の生存時に購入したマイホームに住み続けることができるのは、母が夜勤をしてまで家計を支えてくれているからです。私も兄も三年次には授業料の高い塾に通わせてもらい、兄は無事国立大学に合格し、私もそれを目指せる環境に身を置くことができていました。兄は私が勉強に集中できるよう、つまり共用だった部屋を空けるため、わざわざ地方の大学に進学しました。当初、その際の生活費は自らアルバイトで稼ぐつもりのようでしたが、母がそれを断固として反対し、司法試験の勉強に集中できるよう仕送りをし始めました。そのため、母は夜勤の日数を増やしました。そんな母は見る見るうちに窶れていき、私が一部家事を受け持つようになったものの、もう若くはない母の体は、日勤と夜勤の繰り返しに明らかに蝕まれていました。
そういった事態を経て、私はアルバイトを始めることを決心しました。高校生の私にできることは限られていましたが、せめて増えた夜勤の分、つまりは兄への仕送りの分を私が稼ぐと申し出たのです。当然、母は強く反対しました。しかし、それはもう反対ではありませんでした。窶れ切った母の主張は、私にとっては老婆がやんちゃな孫を制止できないような、弱々しい念仏でしかないのです。三年生に進学するまでの一年間という条件と、私のために遠い異郷の地へ移った兄への恩返しという心にもない兄妹愛を並び立てて、遂にアルバイトを始めることを認めてもらいました。斯くして私は中学のときから続けていた吹奏楽を辞め、あのコンビニを新しい居所にすることを決めたのです。
そこで隆也くんと偶然の再会を果たしたのは言うまでもありませんが、もう一つ、私の人生を大きく変えた出会いがありました。それは隆也くん以外で同じシフトだった、須藤さんです。須藤さんは良くも悪くも、私のことを目に掛けてくれました。まだ勤務に就いて間もない頃、仕事のやり方を教えてくださると同時に、それ以外のこともたくさん教えてくれました。店長は表ではああいう顔をしているが裏ではこんなことをしているだとか、誰と誰の仲が悪いだとか、こういう風にすれば、店長の目をすり抜けて廃棄食品が手に入るだとか、とにかく、色々なことを教えてくれました。職場の巷談にはあまり興味が湧きませんでしたが、最後の甘言については、私はまんまと虜になりました。これさえ手に入れることができれば、母は私の分の夕食を作る必要がなくなる。母の負担を減らせるどころか、食費まで浮くという素晴らしき一石二鳥です。当然、それらが持ち帰ってきた廃棄食品だという事実は隠していました。やけにたくさん持ち帰った日に、お弁当やおにぎりが期限切れだと気付かれてしまいましたが、ギリギリで買って割引してもらったと言って、なんとかその場は誤魔化しました。もしかしたら本当は気付いていて、だけどそれを咎めることは、母もできなかったのかもしれませんね。
そんなこんなで少しずつ、対価以上の恩恵を掠め取っていた私ですが、これが全ての引き金だったと気付いたのは、強烈な罰が当たった後でした。須藤さんは日に日に持ち帰る量に拍車がかかる私を見て、気味悪がるよりも関心を抱いたそうです。「おおよその事はえらく真面目で誠実なのに、この件に関してだけは例外に見える。それには何か深い事情があるんじゃないか?」、ここまで図星を突かれて、しかも優しい声音の裏に脅しのような鋭さを垣間見せられたら、隆也くんにすら明かせなかった本心を漏らしてしまったのも、やむを得ないことだと言わせてください。しかしそれが何よりの、引き金に手をかける、いや、頭部に銃口を突き付ける合図だったのです。
もちろん全てではないですが、私の事情を知った須藤さんは、ある提案を持ちかけてきました。高校生活の妨げにならない程度の短時間で済み、しかもそれが一回のアルバイト代を優に超える額になるという、所謂新しいアルバイトの紹介でした。内容も簡単で、ただ男性たちのお茶やディナーに付き合えばいいという、聞けば聞くほど魅力的な点ばかりが現れ出る話でした。ですが、私はきっぱりと断りました。そういうことが倫理に悖ることだとは私にも解りましたし、何より、隆也くんへの裏切りになると直感したのです。
私の不承を聞いた須藤さんは、最初手を引く姿勢を見せたと思いきや、再び私の事情に付け込み、そして、前者の躊躇の点で止めを刺しにきました。即ち、私にはもう道徳や倫理を気にする道理はないというのです。世間の風当たりは強いが、他人様に迷惑をかけるものではない。その点では、廃棄食品を盗むのと何ら差異はない。私はもう、既にその領域に踏み込んでいるというのです。そのときに、私が本心を漏らした際に感じたあの鋭さが、明確に彼の風体と重なりました。須藤さんは初めから、このためだけに私を目に掛けていたのです。胡散臭さを醸しながら甘い餌を与えることで、警戒と油断を両立させ、本能が餌を食らう瞬間を粛々と待ち設けていた。全ては私の意志を、自責の断崖に立たせるために。
そのとき、私は底知れない恐怖を感じました。結果的に私が彼の提案を受け入れたのは、「みんなやってるから」という至極の甘言などではありません。至極の恐怖が、私から決心の隙すら奪っていったのです。しかしそれもまた、私の決心であることに変わりはありません。心のどこかで、恐怖を口実にしようとしていた自分は、紛れもなくいました。楽をしようとしていた自分は、やはり自分でした。「私だからできる」、そんな風に踊らされた優越感は、やはり、私の中に蔓延っていました。そうして私は、隆也くんとの日々の裏で、新しいアルバイトを始めました。
初めてのお仕事の日、確か、私と須藤さんが共にシフトに入っていない火曜日だったと思います。駅前の喫茶店へ、学校帰りに直接来るように言われました。本当はせめて一つか二つ隣の駅にしてほしかったのですが、そんなことを言う暇はありませんでした。ちょうどコンビニでのシフトが始まる十七時くらいに待ち合わせ場所に向かうと、須藤さんが待っていました。「もうちょっとでお客さん来るからちょっと待ってて」、そう言うと、席に座った私の姿を写真で撮って、どこかに行ってしまいました。初仕事の上に初めて来るような喫茶店で一人待たされて、面接時のような強烈な不安に駆られましたが、それから五分ほどして、店に入ってきた四十代くらいのスーツ姿の男性が、私を見ていることに気が付きました。そのことに男性も気付いたらしく、まるで娘と待ち合わせをしている父親のように、自然な様子で私の居るテーブルの側にやって来ました。「花織ちゃん、だよね?」、どうやらそれが私の新しい名前のようです。「え? あ、はい!」、一瞬事情が呑み込めなかった私は釣り上げられた魚のように狼狽えていましたが、男性はそのことも理解していたのか、優しく微笑みながら私の前の席に座ってきました。「今日、初めてなんでしょ? 緊張してる?」「……はい。説明もあまり聞いてないので、何をしたらいいかも正直わからなくて……」「そっか。じゃあ、俺が色々教えてあげるから、とりあえず、リラックスしようか」、そう言うと、男性は店員を呼び、自分の分のアイスコーヒーと、私に食べたいものはあるかと訊いて、チーズケーキを注文してくれました。
二人の注文の品が届くまでの間、男性は自分の境遇を話してくれました。彼は裕司さんといい、私ですら名前を知っているような有名企業で、管理職をなさっていると言っていました。結婚もしていて、私と同じ年頃の娘さんもいるそうですが、仕事に熱中するあまりに奥さんを無下にしてしまい、娘さんを連れて実家に帰ってしまったそうです。その悲しみを紛らわすため、娘さんと同じ年頃の私とこうして会っていると言っていました。ちょうどその話が終わった頃に注文の品がやって来て、話も色々な方向に飛び交いました。
このとき私は、このアルバイトを始めてよかったと思いました。私はお客さんだという男性たちについて、とんだ勘違いをしていたと反省しました。もちろん全員が全員というわけではないと自覚はしていましたが、少なくともこの裕司さんは社会的に恥ずかしくない地位と風貌を持っていて、私を求める正当な理由がある。何より、裕司さんと話すことに、心地良さを覚えていました。先ほども申した通り、私には父親がいません。だから、私の話を聞いてくれて、面白い話をしてくれて、私のことを何度も何度も褒めてくれる裕司さんに、無いはずの面影を重ねてしまったのでしょう。
一時間ほど経った頃に、須藤さんが戻ってきました。裕司さんは財布を出し、私と須藤さんにそれぞれ一万円札を手渡しました。須藤さんは何食わぬ顔で受け取っていましたが、私はなかなか受け取れませんでした。すると裕司さんは、「じゃあ、このままディナー付き合ってくれない? それならこれくらいの価値はあるでしょ?」と言って、私たちに投げかけてきました。須藤さんは最初しかめた顔をしていましたが、もう一万円を提示すると、後は好きにしてくれと言わんばかりにお金を受け取って、その場を後にしました。それで私は得利ではなく、好奇心に従って、裕司さんについていきました。ディナーの席でも私は裕司さんの世話になりっぱなしで、初めて行くようなお店をご馳走していただいただけでなく、結局、須藤さんと同じ額を貰い受けました。私がお手洗いに立った際、こっそりリュックの中に封筒が入れられていました。またその帰り際に、裕司さんとはこれから週に一度会う約束を交わし、そのために直接連絡先を交換しました。須藤さんへの斡旋料は別で振り込むという形にして、来週からは二人きりで会うことになりました。長くなりましたが、これが私の「デビュー」でした。
しかし翌週、同じ曜日と時間に同じ待ち合わせ場所に行くと、そこに居たのは須藤さんでした。内心裕司さんに会えることを心待ちにしていたのでがっかりしましたが、そのすぐ後に裕司さん本人もやって来ました。約束と異なる再会に一言謝罪を口にすると、裕司さんは真剣な顔で私の真向かいに座り、このような形での再会の理由を話し始めました。
単刀直入に言います。裕司さんはこのとき、私の身体についての交渉を申し込んできたのです。「料金は倍出す。だから、服の上からでいいから触らせてくれないか?」、唖然として固まる私の横で、須藤さんはほくそ笑んでいました。「お父さん、女子高生の身体を二万で触れるなんて、さすがに虫が好すぎないか?」、裕司さんは険しい顔をしながら、「なら、斡旋料合わせて五万は?」「おいおい、これ、口止め料も込みなんだぜ?」、さらに険しい顔をした裕司さんは、遂に黙り込んでしまいました。すると須藤さんは急に表情を綻ばせ、聞いたことのない優しい声で裕司さんに語りかけました。「それなら、十五万でどうでしょうか? その代わり宿はこちらで用意しますし、なんなら彼女が同意する限り、好きにしてもらって構いません」。裕司さんの返事は二つでした。「……本当に、それでいいんでしょうか?」「ええ。条件についてはこれから彼女と相談しますが、ご期待に添えると思ってもらって大丈夫です。では場所と日時については後程連絡します」「わかりました。よろしくお願いします」、そう言って裕司さんが頭を下げて帰っていくまで、私はその場に居ないも同然でした。「十五万、全額欲しいか?」、裕司さんが席を立ってすぐ、須藤さんは漸く私を居るものとして扱いました。「本来はそんなこと絶対にありえないんだが、もし俺の言う条件を全部呑むなら、初回に限り十五万は全て君のものになる」、呆然状態が収まらないうちに、須藤さんの話は終局を迎えていました。「その、条件というのは……?」「簡単なことだよ。第一に、宿として君の家を提供すること。君は確か母親と二人暮らしで、しかも夜勤で一晩中いない日があるんだろう? その日に是非とも、君の家を貸してくれないか?」、この時点で既に狼狽は頂点に達していましたが、須藤さんの突き付ける銃口は、狼狽なんて甘い恐怖で許してくれるはずがありません。「もう一つだけ。お客さんの言うことは絶対に聞くこと。さすがに暴力を振るわれたとかだったら抵抗してもいいけど、それ以外は君の心身で受け止めること。勝手に話が進んだのは山々だけど、一応、彼はそのことを条件にたった一夜のために大金を出している。これが意味していることは、頭の良い君だったらわかるよね?」、なぜ私はこのとき、ただ黙って頷いてしまったのでしょうか。もうそこには優越感も好奇心もないのに、私はあっさりと、一線を越えてしまいました。
その週の金曜日、初めての日もあっさりとやって来ました。隆也くんとのシフトが終わった後の帰り道、私は初めて、隆也くんを家の前から遠ざけました。不自然な回り道をして、妙な思い出話でその場を誤魔化して、隆也くんに、精一杯の胸の内を伝えて、樹海に行くような気持ちで家に帰りました。でも、心のどこかでは裕司さんへの希望があって、あの優しくて、一瞬でも本当のお父さんのように感じられた裕司さんなら、私同様娘同然と思ってくれている私にそんなことはしない、それだけを考えて、一人ぼっちの夜を耐え忍んでいました。
しかし約束の二十三時になりインターホンが鳴ると、そこに居たのは、もはや私の知っている裕司さんではありませんでした。家に入って早々、彼は私の部屋に案内するよう申し付けると、母が帰ってこないことを入念に確認して、「どこまでできる?」と言い放ちました。そのときの眼は、顔は、本当に恐ろしかった。心からの恐怖に襲われた。あんなに笑顔で私の話を聞いてくれた人の顔が、とても歪んで見えた。まるで、今までは仮面を着けていたかのようでした。「何でも言うことを聞くよう言われてますので……」と言うと、彼は私に服を脱ぐように指示し──、後はもう、言うに忍びないことをご容赦ください。
ただ一つだけ伝えておかねばならないのは、この夜が、私の「初めて」だったということ。それは即ち、隆也くんに、嘘をついていたということ。私はずっと隆也くんを裏切っていただけでなく、遂に直接的に嘘をついたのです。一度だけ隆也くんと身体を交わした日、血がどうこうと言った私の戯言を、今なら嘲笑ってくれるでしょう。あのときに流すはずだった紅い血の行方は、どす黒い鈍色に姿を変えて、私の「お父さん」の欲望を骨の髄まで満たしたのです。
そんな私に与えられた罰は、段階を追ってやって来ました。彼は翌週も十五万円を携えて、私の家にやって来ました。その翌週も、その翌週も、私は隆也くんとの帰り道の後に、全うすべき「残業」が待っていました。そんなある日でした。隆也くんは私が泥酔したお客さんに絡まれた日のことを、憶えていらっしゃるでしょうか。あの日の帰り道、私は重大なミスを犯しました。不測の事態に惚けていた私は、隆也くんに余計な気を遣わせ、家の前まで付き添ってもらったのです。初めての日だったらそれでも問題はなかったのですが、その頃には私は彼の強硬に耐え切れず、先に家で待てるように、合鍵を渡してしまっていたのです。当然、彼は私が帰宅するのを心待ちにしています。当然、彼は私が帰宅する様子を入念に見ています。私の隣に居た隆也くんの存在を、当然、見過ごしてはくれません。ただのバイト仲間だと言うと激昂し、私の左頬を叩きました。それからリビングで身体を押し倒し、暴力同然の強淫を行ないました。今までは膣内射精も避妊具を着けてくれていたのに、やはり当然、そんなものは未使用のままゴミ箱に捨てられていました。リビングで無惨に蹲る私を見て、夜勤から帰った母は、優しく抱きしめてくれました。何度も何度も、「ごめんね」と言ってくれました。そのときに、この仕事はもう辞めようと決心しました。お金よりも大事なものに気付けた気がしました。もちろん、その中には隆也くんもいます。というより、その後すぐに隆也くんと交わした最高の約束が、私の決心を揺るぎないものにしました。そうして翌週の水曜日、そのことを須藤さんに伝えました。
しかし本当に恐ろしい罰は、今までのものがお試しだったというように、息を衝いてその正体を現しました。話を聞いた須藤さんは、今後裕司さんと引き合わせることはやめると言ってくれましたが、仕事は引き続きやってもらうと言いました。決心の揺るぎなかった私は初めて抵抗しましたが、須藤さんはここで、仮面の下を剥き出したのです。「君を傷つけるきっかけを作った人物に、このことを明かしてもいいのかな?」、最初は意味が解りませんでしたが、須藤さんの口許が歪んでいるのを見て、血の気が引いてきました。この人は隆也くんを引き合いに出して、私を縛り付けようとしている。私が一番大切なものを手に入れた時機を見計らって、私の全てを奪おうとしている。
そうです。私は隆也くんとの幸せな日々の裏で、隆也くんへの裏切りに拍車をかけていました。隆也くんと初めてデートして右手を繋いだ翌日、隣町の公園で初めて会った男性と左手を繋ぎました。隆也くんと水族館に行った前日、男性三人のグループと海に行き、それぞれと口付けを交わしました。隆也くんと初めての約束をしたあの木曜日の当日、私は隆也くんとするより前に、須藤さんとしていました。全て、私に拒否する権利はありません。私にできることはただ一つ。ひたすら須藤さんの言うことを聞いて、隆也くんとの日々を護ること。須藤さんに奴隷のように尽くして、隆也くんに、恋人としてできることを精一杯すること。私の人生は、そのような闇と光に包まれていました。私の稼ぎによって母が夜勤をしなくてよくなったという結果はついてきましたが、その代わり、母との会話はほとんどなくなりました。母はもう、私とどう接していいかわからなくなったようです。そんな母の最大限の愛情があの木曜日のおもてなしだったのですから、やはり私はいつか、母に多大な恩返しをしなくてはなりませんね。
これが、私の一つ目の罪です。随分長くなってしまい、さらには省略した部分も少なくはありませんが、私はこうして色々な人々を、何より隆也くんを裏切り続けてきました。取り返しのつかないことをし続けてきました。それでも隆也くんが、今でも私のことを「花音」と呼んでくれるのならば、私にとって、これ以上の報いはないでしょう。
二つ目の罪について。
話を強引に戻し、私がコンビニでアルバイトを始めようと決心した頃に戻ります。先ほども申した通り、その決心は母のためという内外共に大義な動機が発端でしたが、抵抗がなかったと言えば、真っ赤な嘘になります。僭越ながら、それは隆也くんもよくお解りだと思います。事実、私はそれまでの人生で、勉強とおまけレベルの部活動しかやってこなかった人種です。友人が多いわけでもなく、ましてや異性に迫られることなど一度としてなかった、狭小な学校生活ですら碌に満足させることのできない一介の人間です。そんな私が飛び込もうとしているのは、自分以外は全員「他人」の世界。喜怒哀楽をぶつけるよう保証された教員でなければ、喜怒哀楽を共有するよう仕向けられた同級生でもない。感情の全てを対等な立場で受け止めなければならない、現実世界の人と人。苦労から目を遮られ続けてきた私に、臆するなと言う方が愚行だとはっきり言えます。
ところが、そこに居たのは隆也くんでした。そのときの私の安堵感、それから歓びを、表現し切る手段はこの世に存在しないでしょう。以前にもお伝えしましたが、隆也くんが最初私に気付かなかったことはわかりました。それでも、私は嬉しかったです。だって、この「他人」しかいない世界で、唯一無二の人物に再び巡り会えたのですから。なぜなら隆也くんは私にとって、他人でありながら、身内と呼んでも憚られない唯一の存在です。学校にも家の中にも居ない、たった一人の「隆也くん」なのです。それも、性の区別のタカが外れた十年という歳月が、偶然の再会に運命の拍車をかける。意識するなと言う方が愚行だとはっきり言えます。
私は一瞬のうちに、隆也くんが好きになりました。初めて職場に訪れたときの面接の帰り際では、もう好きで好きで堪らなくなっていました。それは十年前とは違う、「愛」という明快な感情だと気付きました。初めて同じシフトに入ったとき、本当に楽しかったです。初めて再び「花音」と呼んでくれたとき、本当に嬉しかったです。初めて二人で他愛もない話をしながら夜道を歩いたとき、本当に、本当に、幸せでした。
その感情を早くから知っていた人物が一人だけいました。須藤さんではありません。何を隠そう、私たち二人にとって仲人となった文子さんです。文子さんは私と隆也くんが幼馴染だということは知りませんでしたが、私が隆也くんを想っていることはすぐに見抜いていました。そして、私のために、とっても世話を焼いてくれました。同じシフトになることはほとんどありませんでしたが、二人のシフトがない土曜日の空き時間に何度もお茶に誘ってくれて、たまに勉強を教えてもらいながら、たくさんお話をしました。たくさん、隆也くんのことを話しました。文子さんはたった一年の付き合いにもかかわらず、隆也くんのことを本当によく理解していました。だからこそ、文子さんのアドバイスは、何が何でも守り抜こうと心に決めました。決して自分から想いを伝えず隆也くんの告白を待ち続けたことも、恋人としての初めてのデートは公園をただのんびり歩こうと提案したことも、全部、文子さんのアドバイスでした。全部、文子さんのアドバイスのお陰で、欲しかった時間を手に入れることができました。
文子さんにはほんの少しだけ、もう一つのアルバイトのことも話しました。話したというより、自分の境遇について相談したという言い方の方が正しいかもしれません。金曜日の夜の「残業」が始まった辺りから、とても遠回りな言い様でしたが、ある人の口車に乗せられて困っていると伝えました。解決を期待したわけではありません。ただ今まで通り、話を聞いてほしかったのです。誰にも明かすことのできない胸の内を、ほんの少しだけ、一緒に背負ってほしかったのです。文子さんは本当に真摯に話を聞いてくれて、そして、答えを出してくれました。それこそが、あの日曜日のお昼間です。あの、二羽の鳥が翼を一つにして飛ぶような、二本の木が枝を一つにして聳え立つような、仲睦まじい光景です。どんなに苦しい現実が裏に潜んでいようとも、心を躍らせる願望が表で花を開けば、自分たちでその道を切り拓くことができれば、いつかきっと全てが報われると、文子さんは教えてくれました。
それ以降は隆也くんとの日々がメインになったので、文子さんと直接会うことは少なくなりました。それでも常に連絡は取り続けていましたし、デートの日の夜は必ず電話して、その日あったことをたくさん話しました。そんなあの夏は、幸せという真実以外の何物でもありません。裏では須藤さんの圧迫がエスカレートしていましたが、昼に隆也くんとどこかへ行って、夜に文子さんと四六時中を共有すれば、翌日が朝十時に初めてのお客さんと駅前のホテルで待ち合わせでも、苦ではありません。その夜が須藤さんとのシフトの日で、勤務中と勤務後に性処理をさせられても、何とか気を奮い立てられました。それほど私にとって、隆也くんと文子さんは、胸の内を巣食う恐怖を解いてくれる、天使のような存在でした。
しかしある日を境に、二人は変わりました。その日の出来事について、私から述べることは何もありません。隆也くんの目で、耳で、鼻で、肌で、舌で感じたことが、全ての真実です。私はただ、罰が当たったのだと思い知りました。私が裏で働いていた悪事を知ったから、私に愛想を尽かしたのだと納得しました。そのときはとにかく、これからどうしたらいいのかを考えて、考えて、文子さんに連絡しました。実際は考える間もなく、文子さんに電話しました。けれども、通話は繋がりません。時間をおいてかけ直しても一向に繋がらないどころか、向こうからかかってくる気配もありません。電話と共に次の土曜日に会いたいというメッセージを送ったのですが、その返信が来たのは日付を跨いだ頃で、「用事があるので難しいです」といった抽象的で素っ気ないものでした。
そうして確信に至ったのは、翌週の水曜日のシフトの日です。日勤の文子さんと夕勤の私はちょうど入れ替わりなので普通だと関わる機会は少ないのですが、私はいつも早くから行って、時間の許す限り文子さんとお喋りに興じていました。その日もいつも通り、というより、明確な目的を持って十六時半頃には職場に向かったのですが、着いて早々挨拶をすると、小さな声で最低限の返事だけして、私から遠ざかっていきました。その後も何度か話しかけたのですが、その度に用があると言って取り合ってもらえず、結局話すことはできぬまま、勤務開始の時間になりました。同時に文子さんから感じたのは、私を嫌悪して忌避しているというよりは、何か事情があって意図して遠ざけているというような、どちらかといえば消極的な印象でした。あくまでその時点では平静を保つための都合の良い解釈でしたが、文子さんが私の前を通って店を後にしようとした際、私にだけ聞こえる小さな呟きで、二人の関係が全ての真実だと確信しました。「……本当に、ごめんね」。その声音は、あの日隆也くんが私の家から去るときの最後の一言とそっくりだったのです。
私は悟りました。この世で最も恐ろしい因果は、理の逆鱗に触れることだと。世界を統べるルールと、物事の理は、全く別物なのだと。国も宗教も、時代も環境も関係ありません。私たち人間は、自然を司る摂理は捻じ曲げられても、理から逃れることなどできはしない。翌日、答え合わせを陰から眺めて、自分の罪を噛み締めました。この真実を踏み締めて生きていくことが、理に泥を塗った私のせめてもの償いだと固く誓いました。ですが、私はその場から動けませんでした。隆也くんに、最後まで、わがままを言ってしまいました。私はやっぱり、どうしようもなく人間なのでしょう。理性も本能もコントロールすることのできない、神が本来の意思でお造りになられた、道化同然の人間なのでしょう。
最後のわがままで晩節を汚した私は、もう一度、あることを固く誓いました。それは、自分のできる範囲でせめて理に忠誠を尽くすことです。私はまず、母に自分の有様を明かしました。須藤さんによってこの道に引き入れられた経緯も、今まで男性たちとどんなことをしてきたのかも、全て話しました。その上で、隆也くんを裏切ってしまったことを、何よりも母に懴悔しました。母は叱ることはありませんでした。ただただ一緒に泣き、私以上に謝罪の言葉を口にし、最後にあるもう一つの決心を自分に約束して、警察に相談することを決めました。詳しい経過はわかりませんが、結果的に須藤さんには裁きの手が下ったようで、裕司さんを始めとする私と関係を持った男性たちも、順次捜査が進んでいくと聞きました。実際、ここ一ヵ月はお仕事の話は完全になくなり、直接連絡先を交換した男性たちからも、連絡は来なくなりました。
しかし、自分に約束したはずのもう一つの決心は、日を追うごとに崩れ落ちていきました。いえ、初めから、決心することなど不可能だったのかもしれません。
私のもう一つの決心、それは、隆也くんを諦めること。隆也くんを、「他人」だと認めること。私がずっといいように使われながらほとんど誰にも相談できなかったのは、どうしても、隆也くんにだけは知られたくなかったからです。もっと早くに母や警察に相談していれば、もっと早くに問題は解決していたでしょう。初めての相手も、きっと、私の思い描く通りになったと思います。それでも私は、もう少しだけ、隆也くんとそのままでいたかった。もう少しだけ、真夏の夜の夢に浸りたかった。喜劇だと解っていても、余計に自分を傷つけていると誰もが口を揃えても、自分の心身を代償に、隆也くんの心身が欲しかった。それを諦めることで、一つ目の決心を導き出しました。隆也くんを諦めることこそが、理に背を向けてきた自分に対する、裏切り続けてきた隆也くんに対する応報でした。私にとっては、即ち、再出発のための新たな理だったのです。
だけど、私は、隆也くんが好きです。
今でも、隆也くんが大好きです。
隆也くんを「他人」と割り切ることなど、私にはできません。
隆也くんは私にとって、いつまでも、「隆也くん」だから──。
これが、私の二つ目の罪です。私がこれまで犯してきた数々の罪の中でも、群を抜いて重いことは間違いありません。罪の上に罪を重ねるとは、まさにこのことでしょう。そもそも初めから、報いる気などなかったのかもしれません。でなければ、こんな手紙など、書くはずがないのですから。
以上が、今回お伝えしたかった、関根花音という罪人の総てです。本当に、長くなってしまいましたね。一人の人間を炙り出せば、こんなにも白地を汚してしまうものなのでしょうか。一人の人間の人生を辿れば、こんなにも、世界はよくできていると腑に落ちるものなのでしょうか。いえ、むしろ、欠片だらけだと教えてくれているのでしょう。
あの夏がなければ、決心は揺るぎなかったかもしれません。文子さんの家族を目の当たりにしていなければ、願望など生じなかったかもしれません。私があのコンビニをアルバイト先に選んでいなかったら、愛など知らないままでいられたかもしれません。十年前、私たちが、出会っていなかったら、本当に、「他人」でいられたかもしれません。
運命というものは、どうしてこうも、私たちを弄ぶのでしょうね。必然というものは、どうしてこうも、私たちに夢を見させるのでしょうね。いっそのこと、全てが偶然だと受け入れることができれば、私たちはもう少しだけ、人間らしく生きられるのかもしれませんね。
最後に、これだけは伝えさせてください。
ありがとう、隆也くん。私の、愛する人でいてくれて。
ありがとう、隆也くん。私を、一時でも、「花音」という人間にしてくれて。
そして、ごめんなさい、隆也くん。私は、「花音」にはなれませんでした。
さようなら、隆也くん。もしまた巡り会えたら、理が、理である世界になりますように。
さようなら。
敬具」
葉の騒めく音で、風が吹いていることがわかった。アスファルトを踏む硬い感覚で、まだ歩いていたことに気が付いた。足を止めると、葉の騒めく音が止んだ。足を動かすと、葉は呼吸をするように、静寂に響を落とした。真ん中に大きな池があり、真夜中を木々と地面が余興で彩り、ただ歩みに呆ける者だけが、有為と無為の交差点を渡る。辿り着いたその場所は、僕たちの地元が誇る公園だった。
花音の一文字一文字を読んで、視て、漸く僕は、目に見えないものを知った。翼を折られても、根を腐らせられても、飛び、繁り、幸せになろうとした情愛の深さに、朝の陽ざしはその輝きを持って応えようとしていた。
だが、世界はもっと明るかった。時間という歯車が地上を平等に照らすのを待つよりも、自分たちで新たな太陽を造る方が効率的だった。歯車で昼と夜を交互に回すよりも、新たな太陽の光で朝と夕方の境を無くす方が合理的だった。そうやって対となる二つの世界を一つにしてしまうことによって、文明は輝きを増し続けた。
輝きの恩恵を受けた我々は、愛と情を追い求めた。計算された条件に基づく愛の理論と、凹凸を極限まで廃した情のパズルを、見事に完成してみせた。技術の進歩が進むにつれて、愛情は完璧になろうとする世界の内に溶け込んでいった。
そんな空の下は、情と愛に憧れた人間から酸素を奪った。理性から自立する情と、本能から溢れ出る愛を纏った花音に、水の中という居場所を与えた。どちらにも居られなかった僕は、二つの生き様を天秤にかけた上で、弱くて孤独な魚たちに止めを刺した。
だけどもし、空の上に行けるものなら、僕たちは再び巡り会えるかもしれない。文明が積み重ねてきた智慧、僕が手に入れた意志、そして、花音の残した情愛を乗せた紙ヒコーキならば、遥か彼方にある夢の続きまで辿り着けるかもしれない。
池の畔に立ち、便箋の最後の一枚を手に取る。雲一つない夜空にもかかわらず、限られた人工の明かりだけで手先を試行錯誤しながら出来上がった紙ヒコーキは、不格好ながら、左右の翼は完全に揃っていた。花音の言う通り、僕たちはずっと一緒に居られた。
そうして、紙ヒコーキを投げた。風は止み、気温も秋分を象徴する具合に調っている。最後の旅路を邪魔する理は、何一つなかった。
しかし、紙ヒコーキは池の中に墜ちた。ゆっくりと、池の底に沈んでいった。
花音はどうやら、先に、行き先へと辿り着いてしまったらしい。
花音の家を訪ねたが、休日で家にいた母親によると、花音はどこかに出掛けたらしく、会うことはできなかった。
それから半日近く経って夜も更けてくると、花音の母親から連絡があった。花音が帰ってこない。朝に出掛けたきり、それも普段使っている私服やリュックも家に置きっぱなしで、連絡が全く取れない。その話を聞いてすぐに家を出たが、花音はどこにもいなかった。コンビニにもスーパーにもいない、街中にも電車にもいない、中学校にも高校にもいない、どこを歩き回ったって探し回ったって、花音を見つけることはできなかった。
すると、花音の母親から再び連絡があった。花音の部屋に、僕宛てと思われる分厚い手紙と、淡い水色のハンカチが置いてあったのだという。花音の家に向かうと、花音の母親は丁寧にその二つを手渡してくれたが、手紙だけ受け取ってその場を後にした。
街の灯の下で手紙を開いてみると、そこにはよもや花音の筆跡だとは思えない儚い文字が、びっしりと書き連ねられていた。筆圧は枚数を重ねるごとに弱くなり、さらには所々に滲んだ跡があったため、終わりの方は目を凝らしても、夜道で読むのは困難だった。
しかし、その手紙は完成されていた。そこに、花音の総てがしっかりと刻まれていた。
厳粛な重みを両手で受け止めながら、僕の両足は、自然とある場所に救いを求めていた。
「拝啓
陽の光が腰を据え、薫る風が浮世を通り過ぎる時節となってまいりました。
隆也さんはいかがお過ごしでしょうか。この頃は会うこともできなくなってしまいましたが、お変わりなさそうな隆也さんの姿をお見掛けして、大層安心しました。隆也さんは、いえ、隆也くんは、やっぱり隆也くんでした。それをこの目に焼き付けることができて、私もこの手紙を書くことを決心しました。私の最後のわがままに、どうかお付き合いください。それと、もう少しの間だけ、隆也くんとお呼びすることをどうかお許しください。
さて、まずはこの手紙の趣旨についてお伝えしなければなりません。
私には、隆也くんに深く謝罪し、お赦しを頂きたい事柄が二つあります。いや、お赦しを頂くなどは甚く傲慢でした。ただ私が犯した罪を、隆也くんと自分に対して負った罪をお伝えすることが、図々しくもこの手紙を書くに至った所存です。
これが隆也くんの元に届くかは希求の域に過ぎませんが、苟もお目にかかった暁には、結びまで私の諸悪にお心を損なわれぬよう、お願い申し上げるばかりです。重ねてになりますが、どうか私のわがままに、最後までお付き合いください。
一つ目の罪について。
隆也くんもご存知の通り、私たち兄妹の身辺には父親がありません。私が二歳の頃、即ち兄の修一が五歳の頃、父は長年患っていた心臓の病気が悪化し、三十五歳の若さで旅立っていきました。そうして母は、女手一つになることを余儀なくされました。遺伝だったのか、父の両親は既に病気で亡くなっており、母もさほど裕福ではない六人家族の末娘だったこともあって、実家の援助にはなかなか見舞われなかったそうです。
しかしそのような状況でも、母は私たちの学習環境に支障が来さぬよう、奮励を続けてくれました。立派とは言えませんが、私たち家族が今でも父の生存時に購入したマイホームに住み続けることができるのは、母が夜勤をしてまで家計を支えてくれているからです。私も兄も三年次には授業料の高い塾に通わせてもらい、兄は無事国立大学に合格し、私もそれを目指せる環境に身を置くことができていました。兄は私が勉強に集中できるよう、つまり共用だった部屋を空けるため、わざわざ地方の大学に進学しました。当初、その際の生活費は自らアルバイトで稼ぐつもりのようでしたが、母がそれを断固として反対し、司法試験の勉強に集中できるよう仕送りをし始めました。そのため、母は夜勤の日数を増やしました。そんな母は見る見るうちに窶れていき、私が一部家事を受け持つようになったものの、もう若くはない母の体は、日勤と夜勤の繰り返しに明らかに蝕まれていました。
そういった事態を経て、私はアルバイトを始めることを決心しました。高校生の私にできることは限られていましたが、せめて増えた夜勤の分、つまりは兄への仕送りの分を私が稼ぐと申し出たのです。当然、母は強く反対しました。しかし、それはもう反対ではありませんでした。窶れ切った母の主張は、私にとっては老婆がやんちゃな孫を制止できないような、弱々しい念仏でしかないのです。三年生に進学するまでの一年間という条件と、私のために遠い異郷の地へ移った兄への恩返しという心にもない兄妹愛を並び立てて、遂にアルバイトを始めることを認めてもらいました。斯くして私は中学のときから続けていた吹奏楽を辞め、あのコンビニを新しい居所にすることを決めたのです。
そこで隆也くんと偶然の再会を果たしたのは言うまでもありませんが、もう一つ、私の人生を大きく変えた出会いがありました。それは隆也くん以外で同じシフトだった、須藤さんです。須藤さんは良くも悪くも、私のことを目に掛けてくれました。まだ勤務に就いて間もない頃、仕事のやり方を教えてくださると同時に、それ以外のこともたくさん教えてくれました。店長は表ではああいう顔をしているが裏ではこんなことをしているだとか、誰と誰の仲が悪いだとか、こういう風にすれば、店長の目をすり抜けて廃棄食品が手に入るだとか、とにかく、色々なことを教えてくれました。職場の巷談にはあまり興味が湧きませんでしたが、最後の甘言については、私はまんまと虜になりました。これさえ手に入れることができれば、母は私の分の夕食を作る必要がなくなる。母の負担を減らせるどころか、食費まで浮くという素晴らしき一石二鳥です。当然、それらが持ち帰ってきた廃棄食品だという事実は隠していました。やけにたくさん持ち帰った日に、お弁当やおにぎりが期限切れだと気付かれてしまいましたが、ギリギリで買って割引してもらったと言って、なんとかその場は誤魔化しました。もしかしたら本当は気付いていて、だけどそれを咎めることは、母もできなかったのかもしれませんね。
そんなこんなで少しずつ、対価以上の恩恵を掠め取っていた私ですが、これが全ての引き金だったと気付いたのは、強烈な罰が当たった後でした。須藤さんは日に日に持ち帰る量に拍車がかかる私を見て、気味悪がるよりも関心を抱いたそうです。「おおよその事はえらく真面目で誠実なのに、この件に関してだけは例外に見える。それには何か深い事情があるんじゃないか?」、ここまで図星を突かれて、しかも優しい声音の裏に脅しのような鋭さを垣間見せられたら、隆也くんにすら明かせなかった本心を漏らしてしまったのも、やむを得ないことだと言わせてください。しかしそれが何よりの、引き金に手をかける、いや、頭部に銃口を突き付ける合図だったのです。
もちろん全てではないですが、私の事情を知った須藤さんは、ある提案を持ちかけてきました。高校生活の妨げにならない程度の短時間で済み、しかもそれが一回のアルバイト代を優に超える額になるという、所謂新しいアルバイトの紹介でした。内容も簡単で、ただ男性たちのお茶やディナーに付き合えばいいという、聞けば聞くほど魅力的な点ばかりが現れ出る話でした。ですが、私はきっぱりと断りました。そういうことが倫理に悖ることだとは私にも解りましたし、何より、隆也くんへの裏切りになると直感したのです。
私の不承を聞いた須藤さんは、最初手を引く姿勢を見せたと思いきや、再び私の事情に付け込み、そして、前者の躊躇の点で止めを刺しにきました。即ち、私にはもう道徳や倫理を気にする道理はないというのです。世間の風当たりは強いが、他人様に迷惑をかけるものではない。その点では、廃棄食品を盗むのと何ら差異はない。私はもう、既にその領域に踏み込んでいるというのです。そのときに、私が本心を漏らした際に感じたあの鋭さが、明確に彼の風体と重なりました。須藤さんは初めから、このためだけに私を目に掛けていたのです。胡散臭さを醸しながら甘い餌を与えることで、警戒と油断を両立させ、本能が餌を食らう瞬間を粛々と待ち設けていた。全ては私の意志を、自責の断崖に立たせるために。
そのとき、私は底知れない恐怖を感じました。結果的に私が彼の提案を受け入れたのは、「みんなやってるから」という至極の甘言などではありません。至極の恐怖が、私から決心の隙すら奪っていったのです。しかしそれもまた、私の決心であることに変わりはありません。心のどこかで、恐怖を口実にしようとしていた自分は、紛れもなくいました。楽をしようとしていた自分は、やはり自分でした。「私だからできる」、そんな風に踊らされた優越感は、やはり、私の中に蔓延っていました。そうして私は、隆也くんとの日々の裏で、新しいアルバイトを始めました。
初めてのお仕事の日、確か、私と須藤さんが共にシフトに入っていない火曜日だったと思います。駅前の喫茶店へ、学校帰りに直接来るように言われました。本当はせめて一つか二つ隣の駅にしてほしかったのですが、そんなことを言う暇はありませんでした。ちょうどコンビニでのシフトが始まる十七時くらいに待ち合わせ場所に向かうと、須藤さんが待っていました。「もうちょっとでお客さん来るからちょっと待ってて」、そう言うと、席に座った私の姿を写真で撮って、どこかに行ってしまいました。初仕事の上に初めて来るような喫茶店で一人待たされて、面接時のような強烈な不安に駆られましたが、それから五分ほどして、店に入ってきた四十代くらいのスーツ姿の男性が、私を見ていることに気が付きました。そのことに男性も気付いたらしく、まるで娘と待ち合わせをしている父親のように、自然な様子で私の居るテーブルの側にやって来ました。「花織ちゃん、だよね?」、どうやらそれが私の新しい名前のようです。「え? あ、はい!」、一瞬事情が呑み込めなかった私は釣り上げられた魚のように狼狽えていましたが、男性はそのことも理解していたのか、優しく微笑みながら私の前の席に座ってきました。「今日、初めてなんでしょ? 緊張してる?」「……はい。説明もあまり聞いてないので、何をしたらいいかも正直わからなくて……」「そっか。じゃあ、俺が色々教えてあげるから、とりあえず、リラックスしようか」、そう言うと、男性は店員を呼び、自分の分のアイスコーヒーと、私に食べたいものはあるかと訊いて、チーズケーキを注文してくれました。
二人の注文の品が届くまでの間、男性は自分の境遇を話してくれました。彼は裕司さんといい、私ですら名前を知っているような有名企業で、管理職をなさっていると言っていました。結婚もしていて、私と同じ年頃の娘さんもいるそうですが、仕事に熱中するあまりに奥さんを無下にしてしまい、娘さんを連れて実家に帰ってしまったそうです。その悲しみを紛らわすため、娘さんと同じ年頃の私とこうして会っていると言っていました。ちょうどその話が終わった頃に注文の品がやって来て、話も色々な方向に飛び交いました。
このとき私は、このアルバイトを始めてよかったと思いました。私はお客さんだという男性たちについて、とんだ勘違いをしていたと反省しました。もちろん全員が全員というわけではないと自覚はしていましたが、少なくともこの裕司さんは社会的に恥ずかしくない地位と風貌を持っていて、私を求める正当な理由がある。何より、裕司さんと話すことに、心地良さを覚えていました。先ほども申した通り、私には父親がいません。だから、私の話を聞いてくれて、面白い話をしてくれて、私のことを何度も何度も褒めてくれる裕司さんに、無いはずの面影を重ねてしまったのでしょう。
一時間ほど経った頃に、須藤さんが戻ってきました。裕司さんは財布を出し、私と須藤さんにそれぞれ一万円札を手渡しました。須藤さんは何食わぬ顔で受け取っていましたが、私はなかなか受け取れませんでした。すると裕司さんは、「じゃあ、このままディナー付き合ってくれない? それならこれくらいの価値はあるでしょ?」と言って、私たちに投げかけてきました。須藤さんは最初しかめた顔をしていましたが、もう一万円を提示すると、後は好きにしてくれと言わんばかりにお金を受け取って、その場を後にしました。それで私は得利ではなく、好奇心に従って、裕司さんについていきました。ディナーの席でも私は裕司さんの世話になりっぱなしで、初めて行くようなお店をご馳走していただいただけでなく、結局、須藤さんと同じ額を貰い受けました。私がお手洗いに立った際、こっそりリュックの中に封筒が入れられていました。またその帰り際に、裕司さんとはこれから週に一度会う約束を交わし、そのために直接連絡先を交換しました。須藤さんへの斡旋料は別で振り込むという形にして、来週からは二人きりで会うことになりました。長くなりましたが、これが私の「デビュー」でした。
しかし翌週、同じ曜日と時間に同じ待ち合わせ場所に行くと、そこに居たのは須藤さんでした。内心裕司さんに会えることを心待ちにしていたのでがっかりしましたが、そのすぐ後に裕司さん本人もやって来ました。約束と異なる再会に一言謝罪を口にすると、裕司さんは真剣な顔で私の真向かいに座り、このような形での再会の理由を話し始めました。
単刀直入に言います。裕司さんはこのとき、私の身体についての交渉を申し込んできたのです。「料金は倍出す。だから、服の上からでいいから触らせてくれないか?」、唖然として固まる私の横で、須藤さんはほくそ笑んでいました。「お父さん、女子高生の身体を二万で触れるなんて、さすがに虫が好すぎないか?」、裕司さんは険しい顔をしながら、「なら、斡旋料合わせて五万は?」「おいおい、これ、口止め料も込みなんだぜ?」、さらに険しい顔をした裕司さんは、遂に黙り込んでしまいました。すると須藤さんは急に表情を綻ばせ、聞いたことのない優しい声で裕司さんに語りかけました。「それなら、十五万でどうでしょうか? その代わり宿はこちらで用意しますし、なんなら彼女が同意する限り、好きにしてもらって構いません」。裕司さんの返事は二つでした。「……本当に、それでいいんでしょうか?」「ええ。条件についてはこれから彼女と相談しますが、ご期待に添えると思ってもらって大丈夫です。では場所と日時については後程連絡します」「わかりました。よろしくお願いします」、そう言って裕司さんが頭を下げて帰っていくまで、私はその場に居ないも同然でした。「十五万、全額欲しいか?」、裕司さんが席を立ってすぐ、須藤さんは漸く私を居るものとして扱いました。「本来はそんなこと絶対にありえないんだが、もし俺の言う条件を全部呑むなら、初回に限り十五万は全て君のものになる」、呆然状態が収まらないうちに、須藤さんの話は終局を迎えていました。「その、条件というのは……?」「簡単なことだよ。第一に、宿として君の家を提供すること。君は確か母親と二人暮らしで、しかも夜勤で一晩中いない日があるんだろう? その日に是非とも、君の家を貸してくれないか?」、この時点で既に狼狽は頂点に達していましたが、須藤さんの突き付ける銃口は、狼狽なんて甘い恐怖で許してくれるはずがありません。「もう一つだけ。お客さんの言うことは絶対に聞くこと。さすがに暴力を振るわれたとかだったら抵抗してもいいけど、それ以外は君の心身で受け止めること。勝手に話が進んだのは山々だけど、一応、彼はそのことを条件にたった一夜のために大金を出している。これが意味していることは、頭の良い君だったらわかるよね?」、なぜ私はこのとき、ただ黙って頷いてしまったのでしょうか。もうそこには優越感も好奇心もないのに、私はあっさりと、一線を越えてしまいました。
その週の金曜日、初めての日もあっさりとやって来ました。隆也くんとのシフトが終わった後の帰り道、私は初めて、隆也くんを家の前から遠ざけました。不自然な回り道をして、妙な思い出話でその場を誤魔化して、隆也くんに、精一杯の胸の内を伝えて、樹海に行くような気持ちで家に帰りました。でも、心のどこかでは裕司さんへの希望があって、あの優しくて、一瞬でも本当のお父さんのように感じられた裕司さんなら、私同様娘同然と思ってくれている私にそんなことはしない、それだけを考えて、一人ぼっちの夜を耐え忍んでいました。
しかし約束の二十三時になりインターホンが鳴ると、そこに居たのは、もはや私の知っている裕司さんではありませんでした。家に入って早々、彼は私の部屋に案内するよう申し付けると、母が帰ってこないことを入念に確認して、「どこまでできる?」と言い放ちました。そのときの眼は、顔は、本当に恐ろしかった。心からの恐怖に襲われた。あんなに笑顔で私の話を聞いてくれた人の顔が、とても歪んで見えた。まるで、今までは仮面を着けていたかのようでした。「何でも言うことを聞くよう言われてますので……」と言うと、彼は私に服を脱ぐように指示し──、後はもう、言うに忍びないことをご容赦ください。
ただ一つだけ伝えておかねばならないのは、この夜が、私の「初めて」だったということ。それは即ち、隆也くんに、嘘をついていたということ。私はずっと隆也くんを裏切っていただけでなく、遂に直接的に嘘をついたのです。一度だけ隆也くんと身体を交わした日、血がどうこうと言った私の戯言を、今なら嘲笑ってくれるでしょう。あのときに流すはずだった紅い血の行方は、どす黒い鈍色に姿を変えて、私の「お父さん」の欲望を骨の髄まで満たしたのです。
そんな私に与えられた罰は、段階を追ってやって来ました。彼は翌週も十五万円を携えて、私の家にやって来ました。その翌週も、その翌週も、私は隆也くんとの帰り道の後に、全うすべき「残業」が待っていました。そんなある日でした。隆也くんは私が泥酔したお客さんに絡まれた日のことを、憶えていらっしゃるでしょうか。あの日の帰り道、私は重大なミスを犯しました。不測の事態に惚けていた私は、隆也くんに余計な気を遣わせ、家の前まで付き添ってもらったのです。初めての日だったらそれでも問題はなかったのですが、その頃には私は彼の強硬に耐え切れず、先に家で待てるように、合鍵を渡してしまっていたのです。当然、彼は私が帰宅するのを心待ちにしています。当然、彼は私が帰宅する様子を入念に見ています。私の隣に居た隆也くんの存在を、当然、見過ごしてはくれません。ただのバイト仲間だと言うと激昂し、私の左頬を叩きました。それからリビングで身体を押し倒し、暴力同然の強淫を行ないました。今までは膣内射精も避妊具を着けてくれていたのに、やはり当然、そんなものは未使用のままゴミ箱に捨てられていました。リビングで無惨に蹲る私を見て、夜勤から帰った母は、優しく抱きしめてくれました。何度も何度も、「ごめんね」と言ってくれました。そのときに、この仕事はもう辞めようと決心しました。お金よりも大事なものに気付けた気がしました。もちろん、その中には隆也くんもいます。というより、その後すぐに隆也くんと交わした最高の約束が、私の決心を揺るぎないものにしました。そうして翌週の水曜日、そのことを須藤さんに伝えました。
しかし本当に恐ろしい罰は、今までのものがお試しだったというように、息を衝いてその正体を現しました。話を聞いた須藤さんは、今後裕司さんと引き合わせることはやめると言ってくれましたが、仕事は引き続きやってもらうと言いました。決心の揺るぎなかった私は初めて抵抗しましたが、須藤さんはここで、仮面の下を剥き出したのです。「君を傷つけるきっかけを作った人物に、このことを明かしてもいいのかな?」、最初は意味が解りませんでしたが、須藤さんの口許が歪んでいるのを見て、血の気が引いてきました。この人は隆也くんを引き合いに出して、私を縛り付けようとしている。私が一番大切なものを手に入れた時機を見計らって、私の全てを奪おうとしている。
そうです。私は隆也くんとの幸せな日々の裏で、隆也くんへの裏切りに拍車をかけていました。隆也くんと初めてデートして右手を繋いだ翌日、隣町の公園で初めて会った男性と左手を繋ぎました。隆也くんと水族館に行った前日、男性三人のグループと海に行き、それぞれと口付けを交わしました。隆也くんと初めての約束をしたあの木曜日の当日、私は隆也くんとするより前に、須藤さんとしていました。全て、私に拒否する権利はありません。私にできることはただ一つ。ひたすら須藤さんの言うことを聞いて、隆也くんとの日々を護ること。須藤さんに奴隷のように尽くして、隆也くんに、恋人としてできることを精一杯すること。私の人生は、そのような闇と光に包まれていました。私の稼ぎによって母が夜勤をしなくてよくなったという結果はついてきましたが、その代わり、母との会話はほとんどなくなりました。母はもう、私とどう接していいかわからなくなったようです。そんな母の最大限の愛情があの木曜日のおもてなしだったのですから、やはり私はいつか、母に多大な恩返しをしなくてはなりませんね。
これが、私の一つ目の罪です。随分長くなってしまい、さらには省略した部分も少なくはありませんが、私はこうして色々な人々を、何より隆也くんを裏切り続けてきました。取り返しのつかないことをし続けてきました。それでも隆也くんが、今でも私のことを「花音」と呼んでくれるのならば、私にとって、これ以上の報いはないでしょう。
二つ目の罪について。
話を強引に戻し、私がコンビニでアルバイトを始めようと決心した頃に戻ります。先ほども申した通り、その決心は母のためという内外共に大義な動機が発端でしたが、抵抗がなかったと言えば、真っ赤な嘘になります。僭越ながら、それは隆也くんもよくお解りだと思います。事実、私はそれまでの人生で、勉強とおまけレベルの部活動しかやってこなかった人種です。友人が多いわけでもなく、ましてや異性に迫られることなど一度としてなかった、狭小な学校生活ですら碌に満足させることのできない一介の人間です。そんな私が飛び込もうとしているのは、自分以外は全員「他人」の世界。喜怒哀楽をぶつけるよう保証された教員でなければ、喜怒哀楽を共有するよう仕向けられた同級生でもない。感情の全てを対等な立場で受け止めなければならない、現実世界の人と人。苦労から目を遮られ続けてきた私に、臆するなと言う方が愚行だとはっきり言えます。
ところが、そこに居たのは隆也くんでした。そのときの私の安堵感、それから歓びを、表現し切る手段はこの世に存在しないでしょう。以前にもお伝えしましたが、隆也くんが最初私に気付かなかったことはわかりました。それでも、私は嬉しかったです。だって、この「他人」しかいない世界で、唯一無二の人物に再び巡り会えたのですから。なぜなら隆也くんは私にとって、他人でありながら、身内と呼んでも憚られない唯一の存在です。学校にも家の中にも居ない、たった一人の「隆也くん」なのです。それも、性の区別のタカが外れた十年という歳月が、偶然の再会に運命の拍車をかける。意識するなと言う方が愚行だとはっきり言えます。
私は一瞬のうちに、隆也くんが好きになりました。初めて職場に訪れたときの面接の帰り際では、もう好きで好きで堪らなくなっていました。それは十年前とは違う、「愛」という明快な感情だと気付きました。初めて同じシフトに入ったとき、本当に楽しかったです。初めて再び「花音」と呼んでくれたとき、本当に嬉しかったです。初めて二人で他愛もない話をしながら夜道を歩いたとき、本当に、本当に、幸せでした。
その感情を早くから知っていた人物が一人だけいました。須藤さんではありません。何を隠そう、私たち二人にとって仲人となった文子さんです。文子さんは私と隆也くんが幼馴染だということは知りませんでしたが、私が隆也くんを想っていることはすぐに見抜いていました。そして、私のために、とっても世話を焼いてくれました。同じシフトになることはほとんどありませんでしたが、二人のシフトがない土曜日の空き時間に何度もお茶に誘ってくれて、たまに勉強を教えてもらいながら、たくさんお話をしました。たくさん、隆也くんのことを話しました。文子さんはたった一年の付き合いにもかかわらず、隆也くんのことを本当によく理解していました。だからこそ、文子さんのアドバイスは、何が何でも守り抜こうと心に決めました。決して自分から想いを伝えず隆也くんの告白を待ち続けたことも、恋人としての初めてのデートは公園をただのんびり歩こうと提案したことも、全部、文子さんのアドバイスでした。全部、文子さんのアドバイスのお陰で、欲しかった時間を手に入れることができました。
文子さんにはほんの少しだけ、もう一つのアルバイトのことも話しました。話したというより、自分の境遇について相談したという言い方の方が正しいかもしれません。金曜日の夜の「残業」が始まった辺りから、とても遠回りな言い様でしたが、ある人の口車に乗せられて困っていると伝えました。解決を期待したわけではありません。ただ今まで通り、話を聞いてほしかったのです。誰にも明かすことのできない胸の内を、ほんの少しだけ、一緒に背負ってほしかったのです。文子さんは本当に真摯に話を聞いてくれて、そして、答えを出してくれました。それこそが、あの日曜日のお昼間です。あの、二羽の鳥が翼を一つにして飛ぶような、二本の木が枝を一つにして聳え立つような、仲睦まじい光景です。どんなに苦しい現実が裏に潜んでいようとも、心を躍らせる願望が表で花を開けば、自分たちでその道を切り拓くことができれば、いつかきっと全てが報われると、文子さんは教えてくれました。
それ以降は隆也くんとの日々がメインになったので、文子さんと直接会うことは少なくなりました。それでも常に連絡は取り続けていましたし、デートの日の夜は必ず電話して、その日あったことをたくさん話しました。そんなあの夏は、幸せという真実以外の何物でもありません。裏では須藤さんの圧迫がエスカレートしていましたが、昼に隆也くんとどこかへ行って、夜に文子さんと四六時中を共有すれば、翌日が朝十時に初めてのお客さんと駅前のホテルで待ち合わせでも、苦ではありません。その夜が須藤さんとのシフトの日で、勤務中と勤務後に性処理をさせられても、何とか気を奮い立てられました。それほど私にとって、隆也くんと文子さんは、胸の内を巣食う恐怖を解いてくれる、天使のような存在でした。
しかしある日を境に、二人は変わりました。その日の出来事について、私から述べることは何もありません。隆也くんの目で、耳で、鼻で、肌で、舌で感じたことが、全ての真実です。私はただ、罰が当たったのだと思い知りました。私が裏で働いていた悪事を知ったから、私に愛想を尽かしたのだと納得しました。そのときはとにかく、これからどうしたらいいのかを考えて、考えて、文子さんに連絡しました。実際は考える間もなく、文子さんに電話しました。けれども、通話は繋がりません。時間をおいてかけ直しても一向に繋がらないどころか、向こうからかかってくる気配もありません。電話と共に次の土曜日に会いたいというメッセージを送ったのですが、その返信が来たのは日付を跨いだ頃で、「用事があるので難しいです」といった抽象的で素っ気ないものでした。
そうして確信に至ったのは、翌週の水曜日のシフトの日です。日勤の文子さんと夕勤の私はちょうど入れ替わりなので普通だと関わる機会は少ないのですが、私はいつも早くから行って、時間の許す限り文子さんとお喋りに興じていました。その日もいつも通り、というより、明確な目的を持って十六時半頃には職場に向かったのですが、着いて早々挨拶をすると、小さな声で最低限の返事だけして、私から遠ざかっていきました。その後も何度か話しかけたのですが、その度に用があると言って取り合ってもらえず、結局話すことはできぬまま、勤務開始の時間になりました。同時に文子さんから感じたのは、私を嫌悪して忌避しているというよりは、何か事情があって意図して遠ざけているというような、どちらかといえば消極的な印象でした。あくまでその時点では平静を保つための都合の良い解釈でしたが、文子さんが私の前を通って店を後にしようとした際、私にだけ聞こえる小さな呟きで、二人の関係が全ての真実だと確信しました。「……本当に、ごめんね」。その声音は、あの日隆也くんが私の家から去るときの最後の一言とそっくりだったのです。
私は悟りました。この世で最も恐ろしい因果は、理の逆鱗に触れることだと。世界を統べるルールと、物事の理は、全く別物なのだと。国も宗教も、時代も環境も関係ありません。私たち人間は、自然を司る摂理は捻じ曲げられても、理から逃れることなどできはしない。翌日、答え合わせを陰から眺めて、自分の罪を噛み締めました。この真実を踏み締めて生きていくことが、理に泥を塗った私のせめてもの償いだと固く誓いました。ですが、私はその場から動けませんでした。隆也くんに、最後まで、わがままを言ってしまいました。私はやっぱり、どうしようもなく人間なのでしょう。理性も本能もコントロールすることのできない、神が本来の意思でお造りになられた、道化同然の人間なのでしょう。
最後のわがままで晩節を汚した私は、もう一度、あることを固く誓いました。それは、自分のできる範囲でせめて理に忠誠を尽くすことです。私はまず、母に自分の有様を明かしました。須藤さんによってこの道に引き入れられた経緯も、今まで男性たちとどんなことをしてきたのかも、全て話しました。その上で、隆也くんを裏切ってしまったことを、何よりも母に懴悔しました。母は叱ることはありませんでした。ただただ一緒に泣き、私以上に謝罪の言葉を口にし、最後にあるもう一つの決心を自分に約束して、警察に相談することを決めました。詳しい経過はわかりませんが、結果的に須藤さんには裁きの手が下ったようで、裕司さんを始めとする私と関係を持った男性たちも、順次捜査が進んでいくと聞きました。実際、ここ一ヵ月はお仕事の話は完全になくなり、直接連絡先を交換した男性たちからも、連絡は来なくなりました。
しかし、自分に約束したはずのもう一つの決心は、日を追うごとに崩れ落ちていきました。いえ、初めから、決心することなど不可能だったのかもしれません。
私のもう一つの決心、それは、隆也くんを諦めること。隆也くんを、「他人」だと認めること。私がずっといいように使われながらほとんど誰にも相談できなかったのは、どうしても、隆也くんにだけは知られたくなかったからです。もっと早くに母や警察に相談していれば、もっと早くに問題は解決していたでしょう。初めての相手も、きっと、私の思い描く通りになったと思います。それでも私は、もう少しだけ、隆也くんとそのままでいたかった。もう少しだけ、真夏の夜の夢に浸りたかった。喜劇だと解っていても、余計に自分を傷つけていると誰もが口を揃えても、自分の心身を代償に、隆也くんの心身が欲しかった。それを諦めることで、一つ目の決心を導き出しました。隆也くんを諦めることこそが、理に背を向けてきた自分に対する、裏切り続けてきた隆也くんに対する応報でした。私にとっては、即ち、再出発のための新たな理だったのです。
だけど、私は、隆也くんが好きです。
今でも、隆也くんが大好きです。
隆也くんを「他人」と割り切ることなど、私にはできません。
隆也くんは私にとって、いつまでも、「隆也くん」だから──。
これが、私の二つ目の罪です。私がこれまで犯してきた数々の罪の中でも、群を抜いて重いことは間違いありません。罪の上に罪を重ねるとは、まさにこのことでしょう。そもそも初めから、報いる気などなかったのかもしれません。でなければ、こんな手紙など、書くはずがないのですから。
以上が、今回お伝えしたかった、関根花音という罪人の総てです。本当に、長くなってしまいましたね。一人の人間を炙り出せば、こんなにも白地を汚してしまうものなのでしょうか。一人の人間の人生を辿れば、こんなにも、世界はよくできていると腑に落ちるものなのでしょうか。いえ、むしろ、欠片だらけだと教えてくれているのでしょう。
あの夏がなければ、決心は揺るぎなかったかもしれません。文子さんの家族を目の当たりにしていなければ、願望など生じなかったかもしれません。私があのコンビニをアルバイト先に選んでいなかったら、愛など知らないままでいられたかもしれません。十年前、私たちが、出会っていなかったら、本当に、「他人」でいられたかもしれません。
運命というものは、どうしてこうも、私たちを弄ぶのでしょうね。必然というものは、どうしてこうも、私たちに夢を見させるのでしょうね。いっそのこと、全てが偶然だと受け入れることができれば、私たちはもう少しだけ、人間らしく生きられるのかもしれませんね。
最後に、これだけは伝えさせてください。
ありがとう、隆也くん。私の、愛する人でいてくれて。
ありがとう、隆也くん。私を、一時でも、「花音」という人間にしてくれて。
そして、ごめんなさい、隆也くん。私は、「花音」にはなれませんでした。
さようなら、隆也くん。もしまた巡り会えたら、理が、理である世界になりますように。
さようなら。
敬具」
葉の騒めく音で、風が吹いていることがわかった。アスファルトを踏む硬い感覚で、まだ歩いていたことに気が付いた。足を止めると、葉の騒めく音が止んだ。足を動かすと、葉は呼吸をするように、静寂に響を落とした。真ん中に大きな池があり、真夜中を木々と地面が余興で彩り、ただ歩みに呆ける者だけが、有為と無為の交差点を渡る。辿り着いたその場所は、僕たちの地元が誇る公園だった。
花音の一文字一文字を読んで、視て、漸く僕は、目に見えないものを知った。翼を折られても、根を腐らせられても、飛び、繁り、幸せになろうとした情愛の深さに、朝の陽ざしはその輝きを持って応えようとしていた。
だが、世界はもっと明るかった。時間という歯車が地上を平等に照らすのを待つよりも、自分たちで新たな太陽を造る方が効率的だった。歯車で昼と夜を交互に回すよりも、新たな太陽の光で朝と夕方の境を無くす方が合理的だった。そうやって対となる二つの世界を一つにしてしまうことによって、文明は輝きを増し続けた。
輝きの恩恵を受けた我々は、愛と情を追い求めた。計算された条件に基づく愛の理論と、凹凸を極限まで廃した情のパズルを、見事に完成してみせた。技術の進歩が進むにつれて、愛情は完璧になろうとする世界の内に溶け込んでいった。
そんな空の下は、情と愛に憧れた人間から酸素を奪った。理性から自立する情と、本能から溢れ出る愛を纏った花音に、水の中という居場所を与えた。どちらにも居られなかった僕は、二つの生き様を天秤にかけた上で、弱くて孤独な魚たちに止めを刺した。
だけどもし、空の上に行けるものなら、僕たちは再び巡り会えるかもしれない。文明が積み重ねてきた智慧、僕が手に入れた意志、そして、花音の残した情愛を乗せた紙ヒコーキならば、遥か彼方にある夢の続きまで辿り着けるかもしれない。
池の畔に立ち、便箋の最後の一枚を手に取る。雲一つない夜空にもかかわらず、限られた人工の明かりだけで手先を試行錯誤しながら出来上がった紙ヒコーキは、不格好ながら、左右の翼は完全に揃っていた。花音の言う通り、僕たちはずっと一緒に居られた。
そうして、紙ヒコーキを投げた。風は止み、気温も秋分を象徴する具合に調っている。最後の旅路を邪魔する理は、何一つなかった。
しかし、紙ヒコーキは池の中に墜ちた。ゆっくりと、池の底に沈んでいった。
花音はどうやら、先に、行き先へと辿り着いてしまったらしい。
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