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外伝~トモと友~07 公子の誤解

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 ユリウスは必死にトモの行方を探した。やがて父が諜報部に調査を命じていた事を知った。伝手を辿って、その報告をしたという若い騎士に会うことができた。
  
「調査内容については守秘義務があります。ご容赦ください」

 彼はにべもなく断った。公子は食い下がった。

「そこを何とか!お願いします!」

 憐れに思ったのか、騎士はボソッと独り言風のヒントをくれた。

「…公子のお義姉さんが運営する寮。これ以上は閣下に殺されるっス」

「ありがとう!」
 
 早速、ユリウスはそこに向かった。愛する少女に会える喜びしか無かった。



          ◆



 下町の一角に母子寮と呼ばれる建物があった。聖女クレーナが貧しい女性のために開いた施設だ。ユリウスは応接室に通された。男子禁制の建物で、面会はそこでしかできないと管理人に言われたのだ。

 トモを呼んでもらう。少しして長い黒髪の女が部屋に入って来た。

「お久しぶりです。公子」

「トモ…?」

 3年ぶりに会った彼女は、別人のようだった。華奢な身体は同じだ。しかし濃い化粧をした顔はひどく老けて見えた。

「こんな格好で申し訳ありません。仕事に行くところだったので」

「仕事って?魔法士じゃないの?」

 街に住んでいるならてっきり魔法士だと思った。

「酒場の妓女です。今度飲みに来てください。金貨1枚で30分お相手できます」

 トモは媚びた笑みを浮かべた。ユリウスは血の気が引くのを感じた。

(違う。こんなのトモじゃない)

 愛した女はそこまで身を持ち崩してしまったのか。ユリウスは何も言えず席を立ち、フラフラと部屋を出る。そのまま表に待たせていた馬車で大公邸へと帰った。



          ◇



「いいのかい?」

 隣人の女が大尉に訊いた。

「いい。優しくしたら、もう1人産まされる」

「違いないや。貴族は腹黒いからね。愛人にすらしないよ。きっと」

 濃い化粧を落とし、隣人に別れを言うと、大尉は息子を連れて母子寮を出た。今日でここは引き払う。やたら目立つ大公家の馬車が来て、周囲の住人も驚いていた。すぐに噂は広まるだろう。

「おたあさま。どこいくの?」

 辻馬車に乗ると息子が不安そうに訊いた。その小さな体を抱き上げ、大尉は優しくフードの上から頭を撫でた。

「南の国だよ。海があるよ」

「うみ!おふねのる?」

「ああ。沢山乗るよ。楽しみだね」

「うん!」

 先ほどの公子を思わせる、碧い瞳が見上げる。公子の側にいては危険が増す。可哀そうだが、あえて苦界に沈んだふりをした。

(傷つけてごめん。元気でな)

 船で神人族領を目指す予定だ。そこでは亜人でも人族でも、種族に関係なく雇ってくれると聞いた。

 子供が成人するまで何とか生き延びる。そのためにはどこへでも行くし、何でもする。息子は今の大尉の全てだった。



          ♠



 母子寮に乗り込んだ息子の様子を聞き、大公は頭痛がした。

「…それで、ユリウスはどうしている?」

「昨日はお部屋から出てきませんでした。今日は学園の研究室へ行っています」

 蒼い髪の忍びは淡々と報告した。友久は王都を出た。行き先は分かっている。

(育て方を間違えたか)

 ユリウスは幼い時から繊細な子だった。天才なのは確かだが、他人の感情や言葉の裏が理解できない。ただの研究者なら良い。しかし王位継承権第1位だ。いざとなったら王になる。今のままでは無理だ。

 友久が娼婦になったと思い込んだらしい。派手な貴族の馬車で乗り付け、身分も隠さず面会を申し込んだそうだ。逃げられて当然だろう。大公は口を出すべきか迷っていた。

 書斎のドアがノックされ、執事がユリアの訪れを知らせた。眷属は一礼して影に潜った。

「あなた。トモが消えたと聞きました」

 沈んだ声で妻が訊く。下町に行って以来、元気が無い。

「大丈夫だ。神人族領に行くと知らせてきた」

 大公は妻をソファに座らせ、友久からの手紙を見せた。そこには律儀に時候の挨拶から無沙汰の詫び、訪問への礼と母子寮を出たことなどが綴られていた。

『神人族領では、種族に関係なく移民を募集していると聞きました。特に母子家庭を優先して雇い入れてくれるとか。聖女様のお情けにすがろうかと思います』 

「良かった!あそこなら危険もありませんね。1度訪れても良いですか?」

 見る間に妻の顔が明るくなった。大公も安堵した。

「ああ。一緒に孫の顔を見に行こう」

「ええ!楽しみですわ!」

 大公は決心した。息子に真実を教えるのは止めた。孫は己が密かに面倒を見よう。



          ◆



 逃げるようにトモの前から去って1カ月。ユリウスは本格的に学園の教師として働き始めた。

 たまに王城へ行って王太子教育というのを受ける。だがユリウスより優れた学者はそういない。形だけだ。聞くべき講義は少なく、退屈な習慣だった。

「そろそろ婚約者がいた方が良いな」

 ある日、祖父である先王が孫に言った。講義の後は大体王家の誰かとの茶を飲む決まりだ。

「嫌です。僕は結婚しません」

 ユリウスは断った。伯父にあたる現王には王女しかおらず、王太子の不在が常態化していた。そのせいで己が面倒な立場になっている。

「叔父上が側妃を取れば解決する問題です。あるいは女王の即位を可能にするよう法改正すべきです」

「何でも思うようには出来んのだ。王と言えどもな」

 祖父はため息をついた。

「お前が早く妃を迎えてくれると、王室派も貴族派も落ち着くが」

 未だに貴族には派閥がある。ユリウスは祖父の愚痴を聞いて茶会を辞した。早く帰ろうと車寄せに向かうと令嬢たちに囲まれた。いつものことだがうんざりする。

「ご機嫌よう、ユリウス公子殿下!〇〇伯爵家の~」

「お久しぶりでごさいます!××子爵家の△△ですわ。ぜひ我が家の舞踏会に~」

「公子!今日も素敵な@”#$%&’()=~」

 色とりどりのドレスが一斉に何かを話す。だが令嬢の顔も声も、一切ユリウスの記憶に残らない。強い化粧の匂いで気分が悪くなった。

(トモ。今夜も酒場で…)

 己だけのものだったのに。なぜ待っていてくれなかった。悔しさと怒りに胸が苦しくなる。

「すみません。今日は仕事があって」

 作り笑顔で令嬢たちの間をすり抜ける。ユリウスは2度と女に近づくまいと誓っていた。

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