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外伝~アスカ大公子物語~ 神人族

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 護公子が消え、すぐにアスカ大公が来た。聖女の側仕えは見たままを話した。大公も同じように消えた。

 聖女はルクスソリア神の像の前に跪いて祈っていた。

(どうかお戻りください。まだ早い…まだ)

 護公子が光となって消えていくのを感じた時、畏れるよりも焦った。彼が亜神であることは知っていた。だがこんなに早く神界に召されるとは。大公夫妻の悲しみは如何ばかりか。

(いいえ。私も悲しい)

 公子が赤子の頃から知っている。光魔法を教えたのは聖女だ。彼の姿は見えないが、神々しいオーラは見える。猛々しい大公とは違う、慈愛の光が。

 公子が神となったなら、こうして祈ろう。聖女にできることは他にない。でも、できることなら。

「聖女様」

 公子が己を呼ぶ声がする。幻聴かと頭を回らせると、すぐ側に彼の気配があった。

「護様!」

 聖女は立ち上がり、手探りで公子に近づいた。その手を公子が取った。

「ご心配おかけしました。ただいま戻りました」

「ああ…良かった…」

 涙が頬を伝う。泣いたのは何年ぶりだろう。公子の温かい手に額を当て、神に感謝した。気づけば大公閣下の気配も戻っている。さらに2人いるが、オーラが人ではない。

「閣下もご無事で。…もしや神々もいらっしゃいますか?」

「さすが聖女だ。僕はトキ。安徳帝と呼ばれる1柱だ。こちらは菅原道真公。よろしく」

 聖女は2柱の神と2人の亜神の前に平伏した。

「ルクスソリアの神々に帰依したてまつります。聖女クレーナ、身命を賭してお仕えすることを誓います」

「うんうん。ちゃんとしていて良いね。本当に何でもする?」

 道真公が聖女の覚悟を問う。

「はい。私にできることであれば」

「神の花嫁となることはできる?」

 己の命を望まれた。聖女は更に深く頭を下げた。

「喜んで。護様をお返しくださり、ありがとうございます。もう思い残すことはございません」

 作法に沿って護符の短剣を取り出す。鞘を払い、刃を喉に向けて一思いに突こうとすると、

「ちょっ…何?!何で自決?」

 安徳帝の神力が刃を止めた。公子が聖女から短剣を取り上げる。

「誤解です!そういう意味じゃありません!」

 では何だろう。戸惑う聖女を公子は立たせた。彼女の手を取ったまま、彼は跪いた。

「僕と結婚してください。聖女様」



             ◇



「良く言えば清らか。悪く言えば枯れている。君が17で神化した理由だ」

 神界にある安徳帝の庵で言われた。護はショックで固まった。帝の母君が茶を出してくれたが飲む気になれない。

「護良にも責任の一端はある。子供を甘やかせすぎだ。息子というのは父を乗り越えていくものだ」

「いやいやいや。どうやって越えろって言うんです。こんなチートな人を」

 護は抗議した。己が父に勝てるのは弟妹の寝かしつけぐらいだ。

「ブフォ!」

 菅公が茶を噴き出した。また思考を読まれた。

「それより新しい氏族を造るとはどういう意味だ」

 父が2柱に訊く。菅公は咳ばらいをして、説明を始めた。

「そろそろアスカ大公家の不老が疑われ始めてるだろう?」

 菅公の言葉に父が目を見開く。

「レグラスはエルフだから良かったが、人族は20年が限界だろう。そこで半神の氏族を造ることにした」

「…俺たちが人ではないと公表するつもりか」

 父は不機嫌な声で言った。

「18年隠せた。次の段階に進むべきだ。…護。今の大公家の因果律を見なさい」

 菅公に命じられ、護は目を閉じた。意識的に因果を読む。瞼の裏に様々な映像が見える。

 現王の死後、アスカ大公家を王に望む声が高まる。だが不老の大公を怪しむ人々が反乱を起こす。

 暴徒に襲われ燃える屋敷。逃げ惑う弟妹達。魔法で抗うが、数で押し切られる。その身体を刃が貫く。

(父上がいない…母上たちも…四郎は?タマは?)

 そうか。父が神化した直後なんだ。置き去りにされた弟妹達は虐殺される。護は愛する家族の最期を父に伝えた。

「…」

 父は絶句した。
 
「子らを無残に殺された護良は狂った神になる。妻たちも復讐の女神に堕ちる。人族は滅びる」

 安徳帝が無情な予言をする。だが因果は数ある選択肢の1つに過ぎない。まだ変えられる。護は決心した。

「分かりました。僕がその未来を変えます。父の神化後も地上に留まり、弟妹を守ります」

「良く言った。君を“神人族”の始祖とする。人族でも亜人族でもない。魔力と神力を併せ持つ、限りなく神に近い種族だ」

「はい」

 目を閉じたまま、苦しみに耐えるように父が護の手を握った。

「…すまん。護」

「父上。親孝行させてください。皆を護らせてください」
 
「大丈夫、大丈夫。じゃあ、まずは結婚しようか。相手は聖女でいいかな?」

 しんみりとした空気を菅公がぶち壊す。呆気に取られた護は、すぐに正気に戻った。

「何で結婚?僕まだ17ですよ」

「貴族なんだから普通でしょ。始祖は夫婦でないと。さあ、今から聖女にプロポーズに行こう」

 菅公は上機嫌で立ち上がる。安徳帝も同意する。

「確かに聖女は始祖の妻にうってつけだ。護良も良いよね?」

「ああ。構わん」

 大人たちが勝手に話を進めて行く。2柱は光の粒子となって消えた。父が護に神界と地上の移動の仕方を教えてくれる。神殿を思い浮かべ、身体を光の波動に合わせると、目の前に聖女がいた。



               ◇




 聖女は必死に護の帰還を祈っていた。護にはその横顔がすごく綺麗だと思えた。菅公のせいで変に意識してしまう。

 護の無事を泣いて喜んでくれた。菅公が「神の花嫁になれるか」と訊くと、なぜか聖女は短剣で死のうとする。誤解させてしまった。

 だが護はその気高い振舞いに感動した。気づくと、跪いて聖女に結婚を申し込んでいた。



               ♥



 2柱と大公らの話を聞き、聖女は困惑した。己はすでに40近い。公子の花嫁となるにはとうが立ち過ぎている。

「ご存じの通り、私は目が見えません。護様のお世話は御側室にお任せし、形だけの正室でよろしければ」

 聖女は正直に答えた。誠心誠意、公子にお仕えしたいが、こればかりは。

「自分のことは何でもできます。料理や洗濯だって。育児は父より上手いんですよ。だから形だけなんて言わないでください」

 公子が的外れな事を言う。俗世を知らぬ聖女より純粋だ。2柱がため息をついた。

「護…そういう意味じゃない。よし、目が見えるようにしよう。眼球はある。見えないのは高すぎる魔力が常に視神経を圧迫しているからだ。護良、魔力を逃がす器官を作れないかい?」

 安徳帝が大公に相談する。

「難しいが可能だろう。少し時間をくれ」

 この目が見えるようになる。聖女は肩を震わせた。

「聖女様?どうなさいました?」

 公子がハンカチを握らせてくれる。

「…ありがとうございます…」

 今日は泣いてばかりだ。聖女は決心した。優しいこの方に全てを捧げよう。



               ◇



 夜明け前に父と屋敷に戻ると、母と妹が寝ずに待っていてくれた。いつもはクールなマナミが号泣していた。弟妹達が起きる前に、リコリス妃とユリア妃を呼び、緊急家族会議が開かれる。

 大公家の悲惨な未来を避けるため、護が新しい種族の始祖となることを伝えると、母たちは泣いた。だが聖女との結婚は大喜びで受け入れられた。

「聖女様が義理の娘に?!何その展開~!」

 母が驚いて叫んだ。後で根掘り葉掘り聞かれる予感がする。

「あの護が結婚…成長しましたね…ううっ」

 リコリス妃が嬉し涙を拭く。あのっていうのが気になる。

「早いものね。護がお嫁さんをもらうなんて」

 ユリア妃はしみじみと言った。優しい笑みに癒される。

「聖女の目の治療が終わり次第、式を挙げる。ミナミ、聖女を迎え入れる準備を。リコリスは2人の衣装だな。ユリアは王の許可と招待状を用意してくれ」
 
 父が指示を出すと、3妃は喜んで了承した。

「兄さん」

 会議終了後、マナミが護の袖を引っ張った。徹夜明けなので腹が減った。2人は厨房に向かった。

「心配かけてごめん。マナミが父上を呼んでくれて助かったよ。ありがとう」

 神界まで来てくれたんだ。神々相手に対等に話してて。護は妹に父自慢をしながらミルクを温めた。

「まあ父上だしね。ところでノーラはどうするの?」

「ノーラ?」

 姪がどうしたのだろう。マナミはため息をついた。

「やっぱ気が付いてなかったんだ」

「だから何を?はい、ミルク。砂糖2杯ね」

 マグカップを渡しながら訊く。

「ノーラは兄さんが好きなんだよ。異性として」

「え」 

「招待状なんか送ったら大変なことになるよ。きちんと話した方が良い」




               ◆



 その後、人族と亜人族の主要な者たちにアスカ大公子と聖女の婚約が知らされた。美貌の公子を狙っていた人族の令嬢や亜人の王族は落胆した。だが続いて各種族の神官が受けた神託は、更に衝撃を与えた。

『アスカ大公子を始祖とする“神人族”が誕生した。これを認めよ』

 新しい種族の登場は数百年ぶりだ。これを受けて各亜人の王が集まる緊急の会議が開かれることとなった。
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