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直訴

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       ◇



 会議は何事もなく終わった。閉会の宣言の後、出席者同士で別れの挨拶を交わす。皇子は船を降りて以来話していなかったシルヴィア姫にも声をかけた。

「無事に家臣らと落ち合えて良かった。息災でな」

 縁があったらまた会おうと、右手を差し出す。だが姫は口元を引き結んだまま動かない。

「姫?」

 訝しむ皇子の目を見て、シルヴィア姫は言った。

「ヤマタイ皇国へ行くのよね?その後でいいから、ぜひエルフの国へも来てちょうだい。歓迎するわ」

「有り難いが…いつになるか分からんぞ?」

「待ってるわ。いつまでも」

 やっと笑顔になった姫と握手を交わす。エルフ族の宰相が睨み殺さんばかりに見てきたが無視した。マリエル同様、皇子もあの男エルフは好かなかった。

 皇子とマリエルは贈られた品を馬車に積み、宿舎へと戻った。 


       ♡


 会議の間、ミナミはリコリス、ヒナと共に獣人の市場に繰り出した。さすが海辺の市場、海産物の買い食いスポットが目白押しだ。イカフライや魚貝の網焼き、刺身まであった。もちろん全て食べた。お腹もいっぱいになり、ベンチでお茶を飲んでいたら、上品そうな若い女性の獣人が声をかけてきた。

「あの。もしや人族の方ですか?」

「貴女は?」

 すかさずノアと護衛騎士がミナミらの前に出る。

「ヴォルフの妻です」

 聞き覚えの無い名前にミナミは首を傾げた。

「ヴォルフって誰だっけ?」

「王太子殿下じゃないですか?獣人族の」

 ヒナが教えてくれた。王子王女だらけで覚えていなかった。では女性は王太子妃殿下か。

「義弟が大変ご迷惑を…。謝って済む問題ではないことは重々承知しておりますが、何卒なにとぞ、何卒命ばかりは…」

 妃殿下は腰を曲げて深く頭を下げた。周囲の人々が何事かと注目する。

「お止めください。それとも、民の前で言質げんちを取ろうというおつもりか?」

 ノアが貴族っぽく抗議すると、妃殿下は慌てて体を起こした。
       
「決して…!決してそのような…」

 ミナミは段々かわいそうになってきた。1人の過ちで家族みんなが犯罪者だ。

「立ち話も何なんで。宿舎、すぐそこだから、行きません?」

 移動を提案する。そう言えば妃殿下の護衛はどこにいるのだろう。獣人の王族は単独行動可なのだろうか。そう訊くと、子供たちと散歩に行くと言って王太子宮を抜け出してきたそうだ。

「子供たち?」

 妃殿下のスカートがもぞもぞと動いた。裾からひょこっと子狼が顔を出す。1、2、3…全部で5匹だ。あまりの可愛らしさに、3人娘は悶絶した。


       ♡


 妃殿下と子狼もとい王子王女らを宿舎へと招く。誘拐騒動になると困るので、警備兵に王太子宮に知らせてもらった。

「あたしが決めるの?義弟さんの処分」

 皇子と王太子がそう決めたらしい。初耳だった。それで妃殿下が矢も楯もたまらず、ミナミと接触しようとしてきたわけだ。

「ミーナ様。“さん”は付けなくても。罪人ですよ」

 リコリスが細かいところを指摘する。獣人の妃殿下は耳をぺたりと下げた。5匹の子狼はじっとしていられずに、客間を走り回っている。眼福だ。

「あたしよりヨッシーがいかってんだよね」

「殿下におすがりした方が良いと思います」

「僕もそう思う」

 ヒナとノアが皇子への直訴を勧める。多分まだ絶賛激怒中だ。ミナミが悩んでいると、1頭の子狼が膝に乗ってきた。

「こんな可愛い頃があったんだろうにね。あの人にも」

 彼女は処遇を決めた。罪を憎んで人を憎まず。皇子に分かってもらえるだろうか。


       ◇


 皇子とマリエルが宿舎に戻ると、王太子妃だという獣人の女と5匹の子狼が土下座をしていた。

「何をしている」

「殿のお情けにすがりに参りました。義弟のご無礼、平にひらにご容赦ください」

「…」

 再び怒りが湧いて来た。だが女子供に当たることもできず、皇子は無言でソファに座った。ミナミがすかさず茶を出す。彼の機嫌を取ろうという腹だろう。

「…殺さんのか」

「うん。でも罪は償ってもらう。手伝ってよ」

 少し茶色がかったミナミの瞳が綺羅綺羅と輝く。こういう時は大体荒唐無稽な悪戯を考えている。皇子は息を吐いて怒りを抑えた。

「分かった。俺が納得する処分だろうな?」

「うーん。多分?」

 ミナミは王太子妃に手を貸して起こす。そして彼女にも協力を求めた。

「今夜、義弟くんに処分を伝えに行きます。旦那さんに頼んでくれますか?」

「はっはい!」

 待っていた迎えの兵と共に王太子妃、子狼たちは帰っていった。


       ◆


 王太子ヴォルフは妻から人族の言伝を聞いた。弟の死刑は無いと知り、安堵する。やはり側妃殿は優しいお方だ。

 あの人族の男は唯者ではない。狼獣人である弟が何の抵抗もできずにやられた。魔法も武器も使わずに殴打され死にかけている。王太子ですら止めるのが限界だった。敵に回してはいけない。獣の本能がそう言っていた。

 夜、子供たちが寝所に引き取った頃に人族たちがやって来た。皆、夜会のように煌びやかな格好をしている。特に黒髪の側妃殿はルクスソリア女神もかくやという美しさだった。

「急にすみません。早い方が良いかと思って」

 夕べの騒動などまるで感じさせず、笑顔で側妃殿が挨拶をする。エスコートする美貌の男は不機嫌そうに黙っていた。

「いいえ。弟の命を救っていただけるそうで。感謝いたします」

「死んだ方がマシって言うかもしれませんよ?」

 王太子はぎょっとした。彼女は何を求刑する気だろう。不安を感じつつ、弟を運んでおいた部屋へ人族を案内した。

 並外れた回復力を持つ狼獣人と言えども、あの重傷は1日では治らない。担架のまま床に下ろされた弟は、体中を包帯で巻かれ、虫の息だった。

「これじゃ話できないね。ヨッシー、

「ああ。“癒しヒール”」

 治癒魔法がかけられ、腫れあがった身体がみるみる元に戻る。王宮の治療士の何百倍もの早さだ。

「う…」

 弟は意識を取り戻した。目の前に番とその連れ合いがいる。さぞ辛かろう。側妃殿は弟を見下ろし、声をかけた。

「さて。1日ぶりだね。頭は冷えたかな?」

「…殺せ。他の男といる君を、見たくない」
 
 痛みに喘ぎながら顔を背ける。

「その前に謝れ。この婦女暴行未遂犯」

「違う!オレは君を愛…」

「愛があったら何しても良いのかよ。馬鹿なの?馬鹿なんだね。もういいわ」

 呆れた様子で彼女は会話を打ち切った。

「獣人族第2王子くん。判決、女体化の刑に処す」

 王太子を始め、その場にいた獣人全員が己の耳を疑った。
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