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夜這い

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 ピアーデ王国にカチコミに来てから半月が経った。宮廷魔法士団の団長が摂政に、騎士が官僚や役人となって何とか国を維持していた。王城にも料理人や下働きなどの職員が戻り始めている。
 ノースフィルド王国からも人的・物的援助が送られた。幼い王子は実質人質として預けられたが。

「え!?兄貴達、もう発たれるんですか?」

 銀髪野郎が驚く。奴が書いた書類に目を通しながら、皇子は頷いた。

「ああ。もう調べることは無い。ご苦労だったな」


 あの大男と銀髪気障野郎はその後、皇子の薫陶を得て心を入れ替えた。つまり逆襲を企ててボコボコにされた。今では皇子を「兄貴」と呼び、舎弟を名乗っている。一応貴族の端くれらしいが、魔法しかできないので寵姫の調査をさせていた。

 赤毛の少女も、幻術が解けた直後こそ呆けていたが、すぐに復活して皇子に突撃してきた。怒った皇子は彼女を魔法学園に放り込んだ。ロッソピーノ師の元で再教育中だそうだ。


「困り事があれば、ノースフィルド王国の老師を頼れ」

 敵だった連中にも情けをかける。本当に皇子はお人好しだ。ミナミはため息をついた。

「じゃあ姉御あねごも?行っちまうのか?」

 振り向いた銀髪が泣きそうな顔ですがってくる。何故かミナミは『姉御』呼びでタメ口だ。負けたくせに。

「もちろん。稼ぎに行ってくるわ」

 捕虜は全て解放した。騎士には後払いの請求書を渡したが、身代金の回収は難しいだろう。この国は破綻スレスレなのだ。

「そんな!オレのプロポーズの返事は?」

 銀髪が妙なことを言う。ミナミは殺意を込めて睨んだ。

「…いつ?初耳なんだけど」

「初めて会った時だよ!結婚しようって言ったじゃん、オレ」

「100年早いわ。ヨッシーに一撃でも入れられたら考えてやる」

 横目で皇子を見る。いつもなら苦笑いを浮かべる所なのに無表情で黙っている。先日、夜遅くに帰って来た日から様子がおかしい。絶対何かに悩んでいる。ヤマタイ皇国に向かう日が近づくにつれ、彼の懊悩おうのうは深まっていくようだった。


       ◇


 深夜。仮住まいの一室で皇子は目を覚ました。僅かに開けていた窓の隙間から何かが入ってきた。ネズミだ。

「…ミナミか。何の真似だ」

 皇子にはミナミの魔力波が見える。見破られたネズミは明らかに動揺していた。

「こんな夜中に男の部屋へ来るな。はしたない」

 摘まみ出そうと手を伸ばすと、「チーッ!」と鳴いて噛んだ。大して痛くはないが、その剣幕に驚く。

「どうした?話なら明日聞くぞ」

 ネズミの姿ではしゃべることはできない。空中に光る文字が浮かび上がった。魔法だ。

『何を悩んでいるの?』

 暗闇の中、皇子は目を見張った。ネズミは小さな両前脚で彼の指を握り、大きな黒目で見上げた。

『あの寵姫のこと?正体が分かったの?』

 ミナミは勘が働く娘だ。皇子の懊悩など、とっくに気づいていたろう。その優しさ、深い情愛に心打たれる。

 皇子はネズミを手のひらに乗せて寝台に座った。

「…皇国へは俺1人で行こうかと考えていた」

『何で?』
 
 ネズミが首を伸ばす。髭をひくひくと動かす仕草が愛らしい。皇子は小さな頭を撫ぜた。

「寵姫は悪霊に操られていた。その悪霊が、恐らく皇国にいるからだ」

『操るって。どうやってそんな遠くから?』

「三種の神器だ」

 それは皇国の始祖が異世界からもたらした魔道具だ。瘴気を集める性質を持つ。始祖とその子孫は浄化の力を持ち、瘴気溜まりであった地に皇国を築いた。

 1年半前に翁が探す親王と共に三種の神器が消えた。膨大な瘴気を抱えた神器は、悪霊によってこの地にばら撒かれる。1つはヴィレッジ子爵領で魔獣を産んだ。もう1つはピアーデ王国の寵姫に取り憑き、国を滅ぼしかけた。あと1つはまだ見つかっていない。

「翁が俺を皇国に連れていく理由は、その悪霊を封じてほしいからだ」

 寵姫ですらあれ程強かった。お前たちを危険に晒すことはできない。皇子は正直に言った。ネズミはじっと聞いていたが、やがて光る文字を浮かばせた。

『それだけじゃない。皇国から帰れないかもって考えてるでしょ?』

 皇子は驚いた。ほとんど見透かされていた。

「…神器を皇国に戻しても、引き続き浄化を掛けられる皇族がいない。俺にはそれができる」

『このド阿保!』

 ネズミはまた彼の指を噛んだ。今度は血が出た。文字が大きく震えながら皇子に迫る。

『何でヨッシーが悪霊と対決しなきゃいけない?犠牲にならないといけないの?』

「だが…」

『百歩譲って悪霊退治をするとしよう。金払えよ!浄化?一生?できるかっ!』

 大きな瞳からぽろぽろと涙が零れ落ちる。怒りの涙だ。

『舐めんなよ!ヤマタイ皇国!ウチの護良様は、そんなに安い男じゃないっ!沢山の人に愛されてる、世界一の英雄ヒーローなんだよっ!』

 皇子は手のひらの中のネズミを見つめた。ミナミの言葉が風のように体を吹き抜ける。聖女の宿題がやっと解けた。彼自身が一番己を愛していなかったのだ。

『…あたしたちも連れてってよ。一緒に考えよう。神器に自動浄化機能つけられるかも』

 ネズミは彼の指にぎゅうとしがみついた。

「ありがとう…」

 胸が詰まってうまく言葉が出ない。掠れる声で礼を言う。ネズミはぴょんと飛び降りた。そして窓によじ登ると振り向いた。

『おやすみ。思い切って夜這いに来て良かった』

 皇子は吹き出した。これは夜這いだったのか。

「意味を分かっているのか?」

『またはしたないって怒るから言わない』

 ネズミはするりと隙間から出て行った。光る文字が消えるまで、彼は笑いながらそれを見ていた。久しぶりに笑った気がした。
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