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王女誘拐
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♥
ユリア姫は父王に呼び出され、後宮の一室に向かった。11歳の姫はもうすぐ就寝する時間だった。
「失礼します。御用ですか?お父様」
王家のプライベートな空間である応接間に、王だけでなく王妃と王太子が待っていた。
姫の実母は既に鬼籍に入っている。彼女を育てたのは王妃で、母親同然であった。
「来たかユリア。こんな遅くにすまんな」
忙しい父や兄が揃うには仕方がない。姫は笑顔で家族に駆け寄った。
「またお行儀が…それより大事なお話があるの」
王妃が横に座るように言う。姫は素直に従った。
「ユリア。お前の結婚の話だ」
父が言いにくそうに話を始めた。思いもかけない話題に頭が真っ白になる。ユリアとて王族の娘だ。いつかは嫁ぐ覚悟はしていた。でもまだ11歳だ。早すぎる。
「…相手はお前よりも随分と年上だ。お前の父親のような年だ。だがこの国に必要な人間だ。国のために堪えてほしい」
どんどん血の気が引いてゆく。幼い手が王妃の手を求めてさ迷うと、王妃はしっかりと握りしめてくれた。少し落ち着く。
「し…承知いたしました…陛下…」
どんな時でも王命には臣下として答える。
「大丈夫だよ。きっと大事にしてくれる男だ」
兄が励ましてくれる。兄を見ると、あの男性を思い出してしまう。強くて美しくて優しいひとを。涙がこみ上げてくるのを懸命に堪えながら、ユリアは震える声で相手の素性を訊いた。
「お名前を伺っても…?」
父王は兄と目配せをした。ああ、この縁談はもう覆せないのだ。二人が決めたことなのだ。姫が絶望に胸を締め付けられた時、信じられない言葉が聞こえてきた。
「モーリーだ。今は平民だが、公爵位か大公位に付けようと思う」
◆
ユリア姫が退出した後、残った大人たちは話し合いを続けた。
「本当に大丈夫でしょうか?婚約だけでも十分なのでは?」
王妃が心配そうに意見する。王は首を振った。
「ダメだ。あやつは防備システムが完成したら国を出るつもりだ。今すぐ手を打たねば」
今日の会議での雑談で分かった。貴族よりも貴族らしい態度なので忘れていた。あれは自由民だ。金でも身分でも権力でも、あの男を縛り付けておくことはできない。ならば縁戚にするしかない。王は娘を降嫁させる決断をした。
「あやつが女だったら、王太子妃にした。あの才能と行動力。他国に渡すわけにはいかん」
「ユリアの気持ちが。年が離れすぎてます」
妻はさきほどの義娘の震える手を理由に粘った。退出するときも、女官に支えられながら出ていった。
「大丈夫ですよ、母上。ユリアは嬉しすぎて自失しているだけですから」
息子は笑顔で保証した。王は知らなかったが、姫は美貌の魔法剣士に夢中だったらしい。
「お前な。ユリアがモーリーを好いていることを、なぜ早く言わん」
「え?見てれば分かりませんか?」
「分かるか。心配して損をしたぞ」
王妃はようやく愁眉を開いた。義娘が望む相手だと分かったからだ。王は晴れやかな気分で妻と一緒に息子を見送った。
♥
あの後、どうやって自室まで戻ったのか、ユリア姫の記憶は定かではなかった。いつの間にかベッドに入って、眠っていたらしい。朝が来ても夢見心地の気分は変わらなかった。食事も勉強も、様々なレッスンも心ここにあらずといった状態でこなしていた。
(モーリー様と結婚?本当に?私でいいの?まだ子供なのに?)
様々な疑問が浮かんでは消える。そう言えば、いつも連れている美少女2人は侍女なのか。もしや側女なのでは。あれだけの美丈夫が独り身なのはおかしい。女性に興味が無いのでは…。
(でも一番怖いのは…嫌われてしまうこと)
彼は決して遜った物言いをしない。父王や兄に対してもだ。王女との婚姻を打診されても、嫌ならきっぱりと断るだろう。父王が無理強いして、あの優しい目が怒りに燃えたら。死にたくなるだろうとユリアは思った。
「姫様?どうかされましたか?」
浮かない顔でお八つのケーキを眺める主に、侍女が心配している。夕べのことは女官長しか知らない。
「あ、そうですわ!姫様にお見せしようと思って、持ってきたんです」
若い侍女はポケットから折りたたんだ紙を出した。丁寧に広げて姫に見せる。
「!」
姫は驚いて心臓が止まりそうだった。それは姿絵だった。
「驚かれました?今神殿ですごく売れてるそうです。聖人モーリー様と聖女クレーナ様です」
神官服姿の想い人が優しく微笑む。その隣には美しい銀髪の美少女が寄り添っている。あまりに似合いの2人に、涙が零れ落ちそうになった。
「…少し庭を散歩してくるわ」
ユリアは気に入りの侍女2人だけを連れて庭に出た。爽やかな風に当たりたかったのだ。
「一人にしてちょうだい」
庭の東屋で人払いをする。どのみちどこかに護衛がいる。王族が完全に一人きりになることはできないのだ。
姫は顔を歪めて嗚咽を漏らした。
(早く大人になりたい。今すぐ。あの方の隣に立ってもおかしくない位、大きくなりたい)
涙で霞んだ視界を、何かが横切った。黒い長い髪が庭の奥に向かって歩いていく。
「モーリー様!」
思わず立ち上がり、ユリアは後を追った。ここは後宮。王とその家族しか入れないエリアだ。平民である彼が迷い込むことすら難しい。心乱れた王女は何も考えられず、ひたすら黒髪の男について行く。
あまりに長い時間、王女が声をかけてこない事を不審に思った侍女が東屋を覗く。そこには先ほど侍女が渡した姿絵だけが落ちていた。
ユリア姫はこの瞬間から失踪した。大規模な捜索が王城中でなされたが、とうとうその日は見つからなかった。
ユリア姫は父王に呼び出され、後宮の一室に向かった。11歳の姫はもうすぐ就寝する時間だった。
「失礼します。御用ですか?お父様」
王家のプライベートな空間である応接間に、王だけでなく王妃と王太子が待っていた。
姫の実母は既に鬼籍に入っている。彼女を育てたのは王妃で、母親同然であった。
「来たかユリア。こんな遅くにすまんな」
忙しい父や兄が揃うには仕方がない。姫は笑顔で家族に駆け寄った。
「またお行儀が…それより大事なお話があるの」
王妃が横に座るように言う。姫は素直に従った。
「ユリア。お前の結婚の話だ」
父が言いにくそうに話を始めた。思いもかけない話題に頭が真っ白になる。ユリアとて王族の娘だ。いつかは嫁ぐ覚悟はしていた。でもまだ11歳だ。早すぎる。
「…相手はお前よりも随分と年上だ。お前の父親のような年だ。だがこの国に必要な人間だ。国のために堪えてほしい」
どんどん血の気が引いてゆく。幼い手が王妃の手を求めてさ迷うと、王妃はしっかりと握りしめてくれた。少し落ち着く。
「し…承知いたしました…陛下…」
どんな時でも王命には臣下として答える。
「大丈夫だよ。きっと大事にしてくれる男だ」
兄が励ましてくれる。兄を見ると、あの男性を思い出してしまう。強くて美しくて優しいひとを。涙がこみ上げてくるのを懸命に堪えながら、ユリアは震える声で相手の素性を訊いた。
「お名前を伺っても…?」
父王は兄と目配せをした。ああ、この縁談はもう覆せないのだ。二人が決めたことなのだ。姫が絶望に胸を締め付けられた時、信じられない言葉が聞こえてきた。
「モーリーだ。今は平民だが、公爵位か大公位に付けようと思う」
◆
ユリア姫が退出した後、残った大人たちは話し合いを続けた。
「本当に大丈夫でしょうか?婚約だけでも十分なのでは?」
王妃が心配そうに意見する。王は首を振った。
「ダメだ。あやつは防備システムが完成したら国を出るつもりだ。今すぐ手を打たねば」
今日の会議での雑談で分かった。貴族よりも貴族らしい態度なので忘れていた。あれは自由民だ。金でも身分でも権力でも、あの男を縛り付けておくことはできない。ならば縁戚にするしかない。王は娘を降嫁させる決断をした。
「あやつが女だったら、王太子妃にした。あの才能と行動力。他国に渡すわけにはいかん」
「ユリアの気持ちが。年が離れすぎてます」
妻はさきほどの義娘の震える手を理由に粘った。退出するときも、女官に支えられながら出ていった。
「大丈夫ですよ、母上。ユリアは嬉しすぎて自失しているだけですから」
息子は笑顔で保証した。王は知らなかったが、姫は美貌の魔法剣士に夢中だったらしい。
「お前な。ユリアがモーリーを好いていることを、なぜ早く言わん」
「え?見てれば分かりませんか?」
「分かるか。心配して損をしたぞ」
王妃はようやく愁眉を開いた。義娘が望む相手だと分かったからだ。王は晴れやかな気分で妻と一緒に息子を見送った。
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あの後、どうやって自室まで戻ったのか、ユリア姫の記憶は定かではなかった。いつの間にかベッドに入って、眠っていたらしい。朝が来ても夢見心地の気分は変わらなかった。食事も勉強も、様々なレッスンも心ここにあらずといった状態でこなしていた。
(モーリー様と結婚?本当に?私でいいの?まだ子供なのに?)
様々な疑問が浮かんでは消える。そう言えば、いつも連れている美少女2人は侍女なのか。もしや側女なのでは。あれだけの美丈夫が独り身なのはおかしい。女性に興味が無いのでは…。
(でも一番怖いのは…嫌われてしまうこと)
彼は決して遜った物言いをしない。父王や兄に対してもだ。王女との婚姻を打診されても、嫌ならきっぱりと断るだろう。父王が無理強いして、あの優しい目が怒りに燃えたら。死にたくなるだろうとユリアは思った。
「姫様?どうかされましたか?」
浮かない顔でお八つのケーキを眺める主に、侍女が心配している。夕べのことは女官長しか知らない。
「あ、そうですわ!姫様にお見せしようと思って、持ってきたんです」
若い侍女はポケットから折りたたんだ紙を出した。丁寧に広げて姫に見せる。
「!」
姫は驚いて心臓が止まりそうだった。それは姿絵だった。
「驚かれました?今神殿ですごく売れてるそうです。聖人モーリー様と聖女クレーナ様です」
神官服姿の想い人が優しく微笑む。その隣には美しい銀髪の美少女が寄り添っている。あまりに似合いの2人に、涙が零れ落ちそうになった。
「…少し庭を散歩してくるわ」
ユリアは気に入りの侍女2人だけを連れて庭に出た。爽やかな風に当たりたかったのだ。
「一人にしてちょうだい」
庭の東屋で人払いをする。どのみちどこかに護衛がいる。王族が完全に一人きりになることはできないのだ。
姫は顔を歪めて嗚咽を漏らした。
(早く大人になりたい。今すぐ。あの方の隣に立ってもおかしくない位、大きくなりたい)
涙で霞んだ視界を、何かが横切った。黒い長い髪が庭の奥に向かって歩いていく。
「モーリー様!」
思わず立ち上がり、ユリアは後を追った。ここは後宮。王とその家族しか入れないエリアだ。平民である彼が迷い込むことすら難しい。心乱れた王女は何も考えられず、ひたすら黒髪の男について行く。
あまりに長い時間、王女が声をかけてこない事を不審に思った侍女が東屋を覗く。そこには先ほど侍女が渡した姿絵だけが落ちていた。
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