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彦四郎との再会

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       ◇


 ミナミが用を足す間、皇子は中庭で待っていた。令嬢たちから逃れられて一息つく。何とはなしに中庭の花壇を眺めていると、強烈な視線を感じた。思わず振り返る。20メートルほど離れた処から、一人の令嬢が皇子を凝視していた。

(誰だ…?)

 巻いた茶色い髪を垂らし、黄色いドレスを着た可愛らしい令嬢だ。年のころはミナミと同じくらいだろうか。
 目を見開き、ただならぬ表情で彼を見つめている。

 ふいに彼女は駆け寄ってきた。その速さが尋常ではない。縮地のように瞬時に距離を詰められ、皇子は飛びのいた。

(この娘、何者だ?!)

 武器は手にしていない。細い二の腕を伸ばしてくるだけだ。狭い中庭で後がなくなった。令嬢は皇子の胴にしがみついてきた。皇子は倒れないよう受け止めた。

 殺気は感じないが、身体強化を使って彼の身体を捕らえた。新手の罠か刺客か。皇子は彼女の肩をつかんで引き剝がそうとした。だが剝がせない。頭を殴り飛ばすか、蹴り上げようかと身構える。その時、令嬢が叫んだ。

「み…宮様!大塔おおとうの宮様!!」
 
 見知らぬ娘が、知りえぬはずの称号で呼んだ。皇子は動きを止めた。令嬢は彼の胸に顔を埋めて大泣きしている。

「そなた、何者だ!?」

「うっうっ~、彦四郎でございまずぅ~」

 皇子は衝撃を受けた。村上彦四郎義光。吉野城が落ちる時、皇子の身代わりとなって死んだ側近だ。

「まこと彦四郎か?」

「まことでございますぅ。宮様ぁ~!またお会いできて、嬉しゅうございますぅ~!」

 彦四郎を名乗る令嬢は号泣して離れない。皇子も茫然とその肩をつかんだまま立ちすくんでいた。

「…ヨッシー?何やってんの?」

 そこへミナミが戻ってきた。不審な目で二人を見ている。明らかに誤解をしている。皇子は、そのままの体勢で説明した。


       ◇


「…生まれ変わったら、女の子だった、と」

 何とか令嬢を引き剥がし、場所を庭園の外れの東屋に移す。ミナミは不機嫌な声で令嬢の尋問を始めた。

「そうです!気が付いたら、子爵家の四女に生まれてました!」

 彦四郎はリコリスという令嬢になっていた。涙で落ちた化粧と腫れた目元は、皇子のスキルで戻してやった。

「まさか園遊会で宮様とお会いできるとは!生きていて良かった!ううっ…」

「泣くな。また化粧が落ちるぞ」

「はっ!」

 皇子はまた泣きそうな令嬢を止める。闊達かったつな物言いに、昔の彦四郎が被った。

「この彦四郎、今度こそ宮様を最後までお守りいたします!どうか再びお仕えするお許しを!」

 リコリスが土下座せんばかりの勢いで頼んでくる。ミナミは鼻で笑った。

「貴族の令嬢になっちゃってんのに、どうやって?」

「貴族籍は抜けます!こう見えて鍛錬はしております!」

「アホなの?親が許すわけないじゃん」

「せ…説得いたします!必ず!」

 皇子は沈思黙考ちんしもっこうした。また異世界人が現れた。しかも己の元側近だ。転生して、姿形すがたかたち、性別も違う。前世の記憶は、幼いころからあったらしい。皇子を見て、完全に思い出したと言う。
 だが今の彦四郎は貴族の令嬢だ。平民に仕えるなど、あり得ない。

「…成らぬ。今の俺は只のハンターだ。戦う相手もない。お前は前世の記憶に引きずられているだけだ」

 リコリス嬢は皇子の拒否に青ざめる。だが諦めずに食らいつく。

「それでも!宮様のお側に居とうございます!幼いころから、ドレスも刺繍も好きではありませぬ。剣を振るい、馬で弓を射る方が好きでした。なのに淑女は騎士になれぬと言われるのです!貴族の令嬢など!年頃になれば嫁に行き、子を成すことしか望まれませぬ。こんな一生に何の意味があるというのです…」

 日頃から溜まっていた鬱憤うっぷんを吐き出すと、リコリスはまた泣きだした。ミナミはうんうんと頷きながら聞いている。

「分かるよ~。男尊女卑。あんたも女になって、ようやく分かったでしょ」

「はいっ!この園遊会でご縁が見つからねば、隣の領地の放蕩ほうとう息子に嫁がされてしまうのです!」

「そーなの?可哀そう。ウチ、今はお給料とか出ないよ?それでも良い?」

「もちろんでございます!」

 ミナミがリコリス嬢に同情して、勝手に話を進める。皇子は慌ててさえぎった。

「待て!なぜそうなる!?」

「だってリコリスちゃん、苦労してんだもん。異世界人同士、助け合わないとね」

「親が許すまいと、お前が言ったのではないか!」

 ミナミを問い詰める。すると彼女は真面目な顔で言い返した。

「じゃあ、ヨッシーが同じ立場だったらどうなのさ。嫌な男と結婚して子供産むの幸せ?」

「…」

「リコリスちゃんの幸せは、リコリスちゃんが決める。ヨッシーの為に命を懸けた人なんでしょ?ヨッシーも命懸けで幸せにしてやんなよ」

 皇子は目を見張った。貴族として生まれたなら、貴族として穏やかに生きる方が幸せだと思った。そんな考えがあるとは。
 
「あたし、今すごく良いこと言った?言ったよね?」

「はいっ!ミーナ様!共に宮様にお仕えしましょう!」

「あ、あたしは雇用側だから」

「え?!そうなのですか?」

 二人の少女が言い合うのを、皇子は複雑な思いで見ていた。彦四郎に再び会えたことは嬉しい。だが共にあることが、本当にリコリス嬢の幸せなのか。彼には分からなかった。
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