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貴族の狩り

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       ◇


 老師の下で魔法を学び始めて一か月。季節は秋になった。
 皇子とミナミは王都のハンター組合に来ていた。たまには稼ぎがてら、森で息抜きをしようとミナミが提案したからだ。

「すいませんね~。今週は森に入れないんですよ~」

 ハンター組合の受付係は申し訳なさそうに言った。王家主催の狩りが終わるまで、森は立ち入り禁止になるという。また次の機会にすると皇子が言いかけた時、受付係が別の仕事を斡旋してきた。

「勢子が足りないんですよ。今の時期は農民の出稼ぎも減っていて。ハンターの資格がある方なら大歓迎です」

 狩りで動物を射手の方へ追い立てるのが勢子だ。皇子はあまり興味がないが、ミナミは乗り気なようだった。

「煌びやかなお貴族様、見たーい!」

「日給は10000ゴルドですが、食事が出ますよ。いい獲物が獲れたら褒美も出ます」

「やります!」

 ミナミが即決してしまう。仕方なく、貴族の狩りに勢子として行くことになった。


       ◇


 当日、皇子とミナミは他の勢子たちと森で待機していた。今日は射手ではないので、鉈しか持ってきていない。
 狩りの始まりの角笛の音が聞こえた。勢子頭の指示に従って奥から獣を追い立て、馬に乗った貴族の前にうまく誘導する。

「あ、また外した。下手っぴだな~」

 騎射に慣れていない貴族をミナミが酷評する。
 確かに下手な射手が多い。多くの貴族は従者を連れているが、4,5人がかりでも仕留めきれていない。

「衣装は立派なんだけどねぇ」

 こちらの貴族はやたらと光る宝石類を身に着けている。狩りよりも社交の場なのだろう。皇子は下手な矢に当たって逃げた牡鹿に止めをさした。それを貴族が仕留めたことにする。

「見事な牡鹿ですな!さすが王太子殿下だ!」

 一段と煌びやかで仰々しい一行が現れた。輝くような白馬に乗った金髪碧眼の男が王太子らしい。勢子たちは下がって控えた。

「ありがとう。今日は運が良かったな。皆にも褒美を」

 王太子が指示を出す。頭を下げたままミナミが拳を握る。臨時収入に喜んでいるのだろう。従者が勢子に金貨を配ろうと馬を降りた。その時、どこかで嗅いだことのある甘い香りがした。

(これは…ウルフ狩りの時の香に似ている)

「ヨッシー。やばいかも…」

 ミナミも気が付き、皇子の袖を引っ張りながら囁く。彼も小声で訊く。

「何を呼ぶ香だ?」

「多分ボア」

 皇子は腰の鉈に手をかけて身構えた。今日は大型の獣に対する備えがない。

(逃げるか)

 だが逃げるには遅すぎた。森が震えるような獣の咆哮が響き渡る。

「なっ、何だ!?」
 
 木々をなぎ倒し、巨大な猪が飛び出してきた。ウルフよりも更に大きい。

「ひいっ!」

 貴族たちは恐慌におちいった。暴れる馬から振り落とされる者もいる。王太子も落馬した。
 護衛の騎士が矢を射るが、はじかれる。剣を抜いて切りかかった騎士は、猪の首の一振りで吹き飛ばされた。

「殿下!」

 従者たちが王太子の前に出るが、腰巾着の貴族たちは逃げていた。

 ミナミは誰かが落とした弓を拾った。身体強化を習得した彼女は、瞬時に猪の側面に回り込んだ。走りながら目を狙う。

「せいっ!」

 右目に矢が突き刺さった。痛みと怒りに猪は狂ったように暴れる。その隙に皇子は騎士の剣を拾い上げた。
 槍投げのようにそれを投擲し、左目も潰す。

 ボアの弱点はウルフと同じだ。ただ皮がウルフより厚い。皇子は身体強化でボアの上に飛び上がると、鉈に魔力を乗せて振り下ろした。すとりと首が落ちる。

(ウルフの時より楽に斬れたな)

 倒れるボアの身体の下敷きにならぬよう、素早く飛びのきながら思う。

 王太子とその従者たちは茫然としている。倒れた騎士たちの手当てをしていたミナミが戻ってきた。

「みんな生きてるよ。骨折してるけど」

 馬はほとんど逃げてしまったが、人死には無かった。ようやく皇子は王太子に声をかけた。

「歩けるか?」

 不遜な物言いに従者たちは気色ばんだが、王太子が押し留める。

「ああ。ありがとう。助かったよ。君は?」

「ハンターだ。天幕まで歩くぞ。まだ油断するな。俺たちが先頭と殿しんがりを行く。従者は太子を囲め。騎士たちは怪我人を運べ」

 皇子が周囲を警戒しながら指示を出す。ボアが一頭とは限らない。そのことはウルフ狩りで身に染みていた。

「殿下を歩かせるなど!馬がいるではないか!」

 騎士の一人が王太子を馬に乗せろと言い出した。皇子は却下する。

「馬に乗れば格好の的だ。それよりお前、馬で先触れに行け。迎えの兵を寄こさせろ」

「だが…」

「太子を守ることを優先しろ。行け!」

 殺気を込めて睨むと、ぐだぐだと言っていた騎士は馬に飛び乗って駆けていった。抗えばボアのように斬られると思ったのか、一行は皇子の命令に素直に従って歩き出した。

「…君の名を聞いても?」

 先頭を行く皇子に、王太子が訊いた。いつの間にか皇子の横に並んで歩いている。

「従者の後ろに下がれ。狙われているのは太子だ」

「なぜそう思う?」

 下がれと言ってもきかない王太子は興味津々といった表情で訊いてきた。

「ボアを呼ぶ香を焚いた者がいる。逃げた貴族共の誰かだろう」

「そんな香があるのか…。君がいなければ、私ば死んでいたな」

 助けようと思った訳ではない。そう言おうとした時、王太子を迎えにきた騎士たちがやってきた。

「殿下!ご無事で?!」

 馬から飛び降りた騎士に見覚えがあった。向こうも皇子を見て驚く。婆どのの孫の騎士団長だった。

「モーリー!君がボアを倒したのか?」

「騎士団長殿。太子を頼む」

 ようやく貴人を安全な場に移せた。これでお役御免だと、皇子はミナミを連れて離れようとした。

「待ってくれ。君は命の恩人だ。ぜひ礼をさせてくれ」

 だが王太子の鶴の一声で、二人は逃げる機会を失ってしまった。
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