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01 間違えられて
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◇
辺境の小国、クレイプ王国のマリオン姫は今、人質として連行されている。行き先はゴダイバ帝国の都だ。揺れる馬車の中で、大使のモロゾフ伯爵が今後の予定を説明していた。
「ドレスが仕上がるまでは私の屋敷でお過ごしください。寸法は送ってあるので、あとは微調整で済むはずです」
姫は白金の豊かな髪と若葉色の瞳を持つ美人だが、いかんせん背が高い。あまりに女の服が似合わないので、普段から男の服を着ていた。故に嫁の貰い手も無く、帝国から直系の姫を求められなければ、修道院に入る予定だった。
「支度が整い次第、乙女の宮にご案内します。何かご質問は?」
「ございません」
大きな体に似合わず、マリオンは小さな声で答えた。老伯爵は励ますように言った。
「何でもこのモロゾフにご相談ください。さあ、帝国語のレッスンをしましょう。言葉ができれば宮での生活も楽しめますよ」
伯爵は親切にも人質の姫に帝国語を教えてくれた。マリオンは拙い発音で教本を読み、熱心に勉強した。その甲斐あって挨拶程度はできるようになった。だが帝都に着いた夜、モロゾフ伯爵は卒倒して意識不明となってしまった。
◇
マリオンは食事を運ぶ使用人に伯爵の病状を尋ねた。しかし言葉が通じないのか、よほど具合が悪いのか、教えてくれない。遠い異国で頼れるのは伯爵だけだ。祈るような気持ちで過ごしていると、数日して小太りの男が来た。
「お待たせしました。代理のモック男爵と申します。今から皇宮へお連れします」
と言って、男爵はマリオンと手荷物だけを馬車に積み込むと伯爵邸を後にした。
(モロゾフ伯爵は亡くなったのかもしれない)
ドレスはまだ仕上がっていない。化粧品や装飾品なども、これから購入する予定だった。だが帝国語では込み入った話ができず、マリオンは途方に暮れた。
◆
「クレイプ王国のマリオン王女?王子の間違いでは?」
モック男爵は皇宮の門で書類の不備を指摘された。薄暗い馬車の中で返された書類を見ると、確かに「王女」となっている。伯爵家から急に押し付けられた仕事だったので、よく読んでいなかった。
「そうだな。どう見ても男だな」
男物の服を着ているし、ヒョロリとしているが男爵より背が高い。モロゾフ伯爵が書き間違えたのだろう。男爵は係官に訊いた。
「じゃあ、どこへ連れて行けば良い?」
「さあ。自分には分かりかねます」
係官は年嵩の官僚を呼んできた。あれやこれや話し合った末、先例に従って人質の王子用の小屋に連れて行くことにした。
マリオン王子が何か言っているが、全然分からない。王子なら帝国語ぐらいマスターしておくべきだ。綺麗な顔をしているのに、残念な男だな。男爵は哀れみの目で異国の王子を見た。
「では私はこれで。ごきげんよう。マリオン殿下」
小屋の管理人に王子を預け、モック男爵の仕事は終わった。
◇
皇宮の壮麗な庭の裏に侘しい小屋が建っていた。どう見ても乙女の宮ではない。マリオンはモック男爵とやらに何度も確認したが、通じなかった。男爵は馬車に乗って去り、庭師風の中年の男が小屋の鍵を開けて入れと手招きした。
「寝室はそこ。井戸と便所は外だ」
伯爵邸を出たのが夕方なので、もうとっぷりと暮れている。庭師はランプを点けて、外国人にも分かる発音で小屋の中を案内した。
「夜の10時過ぎたら、出るな。いいな?」
「は…はい」
「明日の朝、また来る」
と言って、庭師は出て行った。残されたマリオンは呆然と突っ立っていた。何かの間違いだ。今からでもモック男爵に訴えよう。そう思って小屋のドアを開けたが、外は闇に包まれていた。遠くでゴーンと鐘が10回鳴った。出ては行けないと言われたのを思い出し、マリオンは朝を待つことにした。
◇
埃臭いベッドで寝て起きたら体が痒い。マットレスにダニが居る。翌朝、マリオンはやってきた庭師に身振り手振りで伝えた。
「掃除しろ」
庭師はあっさりと言った。
「あの。私、王女、です。ここ、間違い、です。モック男爵、言ってください」
マリオンは下手な帝国語で訴えた。庭師は何処かから掃除道具を持ってきて、彼女に押し付けた。
「面白い冗談だな。どっちでも同じさ。自分の事は自分でするんだ。嫌なら金を払え。国元に頼んで送ってもらいな」
さっと血の気が引いて、彼女はよろめいた。箒を握りしめてブルブルと震えていると、庭師は箪笥から粗末なシャツとズボンを取り出して、放って寄越した。
「オレは親方と呼べ。それに着替えてついて来い。仕事をやる。飯が食いたきゃ働け」
辺境の小国、クレイプ王国のマリオン姫は今、人質として連行されている。行き先はゴダイバ帝国の都だ。揺れる馬車の中で、大使のモロゾフ伯爵が今後の予定を説明していた。
「ドレスが仕上がるまでは私の屋敷でお過ごしください。寸法は送ってあるので、あとは微調整で済むはずです」
姫は白金の豊かな髪と若葉色の瞳を持つ美人だが、いかんせん背が高い。あまりに女の服が似合わないので、普段から男の服を着ていた。故に嫁の貰い手も無く、帝国から直系の姫を求められなければ、修道院に入る予定だった。
「支度が整い次第、乙女の宮にご案内します。何かご質問は?」
「ございません」
大きな体に似合わず、マリオンは小さな声で答えた。老伯爵は励ますように言った。
「何でもこのモロゾフにご相談ください。さあ、帝国語のレッスンをしましょう。言葉ができれば宮での生活も楽しめますよ」
伯爵は親切にも人質の姫に帝国語を教えてくれた。マリオンは拙い発音で教本を読み、熱心に勉強した。その甲斐あって挨拶程度はできるようになった。だが帝都に着いた夜、モロゾフ伯爵は卒倒して意識不明となってしまった。
◇
マリオンは食事を運ぶ使用人に伯爵の病状を尋ねた。しかし言葉が通じないのか、よほど具合が悪いのか、教えてくれない。遠い異国で頼れるのは伯爵だけだ。祈るような気持ちで過ごしていると、数日して小太りの男が来た。
「お待たせしました。代理のモック男爵と申します。今から皇宮へお連れします」
と言って、男爵はマリオンと手荷物だけを馬車に積み込むと伯爵邸を後にした。
(モロゾフ伯爵は亡くなったのかもしれない)
ドレスはまだ仕上がっていない。化粧品や装飾品なども、これから購入する予定だった。だが帝国語では込み入った話ができず、マリオンは途方に暮れた。
◆
「クレイプ王国のマリオン王女?王子の間違いでは?」
モック男爵は皇宮の門で書類の不備を指摘された。薄暗い馬車の中で返された書類を見ると、確かに「王女」となっている。伯爵家から急に押し付けられた仕事だったので、よく読んでいなかった。
「そうだな。どう見ても男だな」
男物の服を着ているし、ヒョロリとしているが男爵より背が高い。モロゾフ伯爵が書き間違えたのだろう。男爵は係官に訊いた。
「じゃあ、どこへ連れて行けば良い?」
「さあ。自分には分かりかねます」
係官は年嵩の官僚を呼んできた。あれやこれや話し合った末、先例に従って人質の王子用の小屋に連れて行くことにした。
マリオン王子が何か言っているが、全然分からない。王子なら帝国語ぐらいマスターしておくべきだ。綺麗な顔をしているのに、残念な男だな。男爵は哀れみの目で異国の王子を見た。
「では私はこれで。ごきげんよう。マリオン殿下」
小屋の管理人に王子を預け、モック男爵の仕事は終わった。
◇
皇宮の壮麗な庭の裏に侘しい小屋が建っていた。どう見ても乙女の宮ではない。マリオンはモック男爵とやらに何度も確認したが、通じなかった。男爵は馬車に乗って去り、庭師風の中年の男が小屋の鍵を開けて入れと手招きした。
「寝室はそこ。井戸と便所は外だ」
伯爵邸を出たのが夕方なので、もうとっぷりと暮れている。庭師はランプを点けて、外国人にも分かる発音で小屋の中を案内した。
「夜の10時過ぎたら、出るな。いいな?」
「は…はい」
「明日の朝、また来る」
と言って、庭師は出て行った。残されたマリオンは呆然と突っ立っていた。何かの間違いだ。今からでもモック男爵に訴えよう。そう思って小屋のドアを開けたが、外は闇に包まれていた。遠くでゴーンと鐘が10回鳴った。出ては行けないと言われたのを思い出し、マリオンは朝を待つことにした。
◇
埃臭いベッドで寝て起きたら体が痒い。マットレスにダニが居る。翌朝、マリオンはやってきた庭師に身振り手振りで伝えた。
「掃除しろ」
庭師はあっさりと言った。
「あの。私、王女、です。ここ、間違い、です。モック男爵、言ってください」
マリオンは下手な帝国語で訴えた。庭師は何処かから掃除道具を持ってきて、彼女に押し付けた。
「面白い冗談だな。どっちでも同じさ。自分の事は自分でするんだ。嫌なら金を払え。国元に頼んで送ってもらいな」
さっと血の気が引いて、彼女はよろめいた。箒を握りしめてブルブルと震えていると、庭師は箪笥から粗末なシャツとズボンを取り出して、放って寄越した。
「オレは親方と呼べ。それに着替えてついて来い。仕事をやる。飯が食いたきゃ働け」
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