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零ノ章
買い物籠を持った男
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長い時間走り続けていた。少なくとも、一時間は駆けているはずだ。
息が上がり、身体にも疲れが出始めている。正直なところ、一度立ち止まり、一息入れたい気持ちが強い。だが、足を止める事が出来ないのは、背後から聞こえてくる異能狩りたちの具足音が理由だった。
「いたぞ!あそこだ!」
怒声のような大声が、耳に届くと同時に、張り詰めた糸を引く音が聞こえてきた。弓で狙われたようだ。
咄嗟に、近くに見えていた路地裏へと飛び込み、矢を躱した。
「路地裏に入ったぞ!追え!」
再び足音が動き出した。姿は見えないが、こちらへ向かってきているのは間違いない。それも五人以上はいるようだ。
「囮を引き受けたのはいいけど、思ってたより人数が多いなぁ…」
溜め息混じりにルアは呟いた。
今まで、何度か異能狩に狙われた事はあったが、多くても五人程の集まりしか見た事がない。
だが、今回の異能狩は違う。人数が桁外れなうえに、武術も素人ではない者ばかりが集まっている。道中何人か打ち倒して、ルアはそれを実感していた。
「みんな無事に逃げ切れたかな…」
思っていた以上の手強さに、ルアは途中で別れたリズと、異能狩に絡まれていた母子の身が心配になる。
ティールが一緒にいるので、最悪な事態になるとは思えないが、不安は拭えない。
「そろそろ皆と合流しようかな…時間も十分稼げたしね」
ルアは、強くなる不安な気持ちを払拭するため、囮を切り上げる事にした。体力もかなり消耗している。今が潮時だろう。
次の目的を決めると、ルアは飛び込んだ路地裏の奥へと走り出した。この先に続く大通りへ抜けるためだ。
大通りは、常に人でごった返している。そこまで逃げ切る事が出来れば、人混みに紛れて逃走をはかれるはずだ。それに、いくら粗暴な異能狩りと言えど、一般人が大勢いる場所で、矢を放つ馬鹿な真似はしないはずだ。
裏路地を駆けている間も、異能狩の攻撃は続いた。絶え間なく矢を放ち、追撃の手を緩める事は無い。だが、大通りに近づくに連れ、何故か矢の勢いが弱くなり、やがて止まった。
突如追撃が止まり、ルアは戸惑いを覚えたが、これはチャンスとばかりに足を速め、大通りへと出た。
「後は人混みに…って…」
ルアは言葉を詰まらせ、辺りを見回した。
いつもあるはずの騒がしさを感じられなかったからだ。
「誰も…いない…」
ルアの眼前に広がっていたのは、子ども一人見つからない殺風景な様子の大通りだった。目の前の事実が信じられず、ルアは異能狩に追われているという事を忘れ、ゆっくりと歩を進めた。誰かいないかを探すためだ。
少し歩くと、三つ人影が、道の真ん中に立っているのが見えた。すぐに人が見つかり、ルアはホッと胸を撫で下ろす。
だが、それは束の間。声をかけようとしようとしたルアの顔から、サッと血の気が引いた。三つの人影は、聞き覚えのある容姿をしていたからだ。
赤いローブ、胸に金の羽刺繍…王国騎士団魔導師部隊の正装と同じではないか。
「国直属の軍隊が…なんで…」
本来いるはずの無い存在に、ルアは驚きを隠せなかった。ただ口を開き、小さく「なんで?」と呟き続ける。
しばらく混乱していると、魔導師たちがルアの存在に気付き、三人揃って近づいてきた。怖気付き、一歩後ずさる。
「今回の異能狩は国が…?いや、法を破ってまでこんな事をするわけが…」
思わず心の声を漏らした。すると、それが聞こえたのか、魔導師の一人が言葉を発した。
「隊長。この少年、法改正があった事を知らなかったみたいですよ?ここは捕らえるだけにしてはどうでしょう?事情を国王様に説明すれば…」
「ナブ、お前の言いたいことは分かる。だが、これは命令だ。情に流されていては、お前の首が飛ぶぞ」
ナブと呼ばれた者の言葉を遮り、隊長らしき人物がそう言った。その後、隊長はルアに向かって、右手の平を向けてきた。魔法を使う時の構えだ。
「少年、お前に非は無い。だが、これは国の総意だ。恨むなよ」
明らかに息の根を止めようとしている台詞。ルアは身の危険を感じ、止まっていた思考を再開させた。頭の中は疑問で覆われている。だが、今はそれについて考えている暇は無い。
慌てて周りを見渡した。盾代わりになる物を探すためだ。しかし、魔法を防げるほど頑丈な物は見当たらない。
ふと、路地裏へ戻るのはどうかと考えたが、それは危険だとすぐに判断した。先程の追っ手と、挟み討ちにされるからだ。
眼前には魔導師。退路は無く、防御も不可能。絶望的な状況だ。だが、出来ることが無いわけではない。
生死の賭けになるが、前に出て素早く決着をつける。それが、ルアが思いついた最後の手段だった。
「死ぬつもりは無いけどね…」
生き抜く決意を言葉にし、一歩前に出た。
予想外の行動だったのか、魔導師たちは一歩退がった。が、すぐに気を取り直し、ルアに向けている手の平に、力を込める。他二人の魔導師も、隊長を援護するように、手の平をルアに向けてきた。
どちらかが動けば戦いが始まる。それを認識し、互いに相手の出方を伺う。まるで時間が硬直したかのように、その場が静寂に包まれた。
だが、その静寂はいつまでも続かない。静かさは徐々に波を帯び、ぶつかり、弾ける。
「許せっ!タク・エンティ!」
先に動いたのは魔導師だった。口にした言葉は、火球の魔法。小さいが、触れれば火傷では済まされない威力を持つ魔法だ。
灼熱の炎が、魔導師の手の平に集約され、丸い火球が完成…
しなかった。
それどころか、炎すら発生していない。
「な…ぜだ?確かに唱えたはず…」
「隊長。私たちに任せてください!」
魔法を唱える事が出来なかった隊長を援護するように、残りの二人が魔法を唱えた。
「「タク・エンティ!」」
二つの声が重なり、より大きな音になる。
それに呼応するように、彼らの手の平の上には、赤く輝く炎の玉が…
いくら待てども生まれなかった。
魔法を避ける身構えをしていたルアは、肩透かしを喰らい、思わず体制を崩して転倒しそうになった。
そんな隙を見せてみたが、魔導師たちはルアそっちのけで、魔法を唱えようと必死になっている。
「魔法が打てん…何故だ…」
「今日はまだ、魔力は使っていないのですが…」
ルアは、敵前で戦闘を放棄した魔導師三人組に、しばらく呆れた視線を向けていた。が、ふと自分が逃走中だということを思い出す。
逃げるなら今がチャンスだ。
三人組の横をコッソリ抜けようと、ルアが足を出した時だった。
「もがっ!?何だっ!?」
魔導師の一人が、奇声に近い声を上げた。目を向けると、先程ナブと呼ばれていた男の頭に、一抱えほどの大きさがある買い物籠が被せられていた。
「どうしたナブ。何故そんな物を…ぅぶっ!?」
買い物籠を取ろうとした隊長が、不意に呻きながら倒れ、背後から別の人影が姿を現した。手甲と具足を装備し、短めのマントを羽織った、黒髪の男だった。
突如現れたその男は、戸惑っている魔導師の一人の背後に素早く寄り、足を引っかけて仰向けに引き倒した。
背中から地面に叩きつけられた魔導師は、苦痛の叫びを漏らす。だが、そんな事はお構いなしに、マントの男は倒れている魔導師の鳩尾に、拳を打ち込んだ。
「あぐっ…」
短い呻きを漏らしながら、魔導師は気絶した。マントの男は、魔導師が意識を失ったのを確認した後、いまだに買い物籠を頭から外そうと躍起になっている、ナブに歩み寄り、買い物籠を取った。
「あっ…隊長助かりました。いきなり何か覆い被さってきたもんで、焦ってしまいました…ってあんた誰だ」
目の前に立つ人物が隊長ではない事に気が付いたナブは、慌てて魔法を放とうと、腕を上げようとした。が、それよりも早く、マントの男は手にしていた針をナブの眼前に突きつけ「動くな」と、短く命令を口にした。
「この針には、獄蛙(ごくがえる)の毒が塗ってある。動くと刺すぞ」
ナブは上げようとした腕を止め、その場に固まった。その表情は、悔しさで溢れている。
「よし…今から一つお前に要求する。いいか?」
「あんたは…いや、要求を聞こう」
「難しい事じゃない。俺たちは、今からここを去る。お前はその邪魔をするな。それだけだ」
「…それは無理だ。あんたらを逃すくらいなら、刺し違えてでも…」
「あんた、家族はいないのか?もしくは愛する人。俺の命と引き換えに、その人たちを悲しませるのは、割に合わないだろう?」
「だが…お前たちをワザと逃せば、責任を取らなければならない。俺も、隊長たちもだ…」
「それなら…」
顔を伏せ、悩む様子を見せているナブの首に、マントの男は当身を入れた。
ナブは、膝が砕けたかのようにその場に尻もちをつき、仰向けに倒れた。
「全員不意打ちを受けた体にすれば、ワザと逃がすよりは、言い訳が立つだろう?」
薄れゆく意識の中、ナブは目線だけをマントの男に向け、ジッと彼の目を見つめた後、静かに目を閉じた。
「さてと…」
地に落ちた買い物籠を拾いながら、マントの男はルアに顔を向けた。眠そうな目をしている男だ。
「ルア、怪我は無いかい?」
マントの男は、優しい声音で問いかけてきた。
その一声で、ルアの張り詰めていた緊張の糸が切れ、ヘナヘナとその場に座り込む。
「ん…大丈夫だよ。助けてくれてありがとう、シャドウ」
「なら良かった。立てるかい?」
シャドウが差し伸べた手を、ルアは掴んで立ち上がった。尻に付いた砂を払い、互いに向き合う。
「シャドウ…あのね」
「事情はリズから聞いた。状況は把握ているよ」
「リズたちと会ったんだ。みんな無事だった?」
「あぁ。怪我ひとつしていなかった。途中でルアが助けたっていう親子も無事だ」
「そう、良かった…」
抱えていた不安が解消され、ルアはホッと胸を撫で下ろす。
「ルア、そろそろ行こう。のんびりしていると、別の部隊に見つかるからな。取り敢えず、ティールたちと合流しよう。話し合いはそれからだ」
ルアが頷きだけで返事を返すのを確認した後、シャドウは腰につけている縄を取り外し、伸ばした。
縄の先端には、四つに枝分かれしている碇の様な物が付いている。
「シャドウ、それは?」
「ん?これは鉤縄って言って、壁をよじ登ったりする時に使う道具なんだ。この鉄の部分を屋根に引っ掛ければ、縄をつたって上に登れる寸法って訳さ。武器にもなるから、和ノ国から取り寄せ…って、今それどころじゃなかったな…」
何故か照れ臭そうな表情を浮かべた後、シャドウは鉤縄の縄部分を握って回し、近くの建物の屋根に向かって投げた。
一瞬、静寂が訪れた後、カツーンと小さく鉄がぶつかる音が耳に届く。
シャドウは縄を何度か引っ張り、鉤縄が外れない事を確認すると、ルアに向かって手招きした。
「先に行きな。下で待機しておくからさ」
「えっと…このかぎなわ…だっけ?これを使って上に登るって事は、屋根をつたって移動するって事?」
「あぁ。地上を歩くよりも、屋根上にいた方が見つかりにくし、対処も難しい。まぁ、矢に注意しないといけないが…」
「千切れたりしないよね?この縄…」
「さっきまで俺が使っていたから大丈夫。ほら、時間が無いんだから、早く行きな」
縄を引張って強度を確かめているルアの肩を、シャドウが軽く叩いた。
不安は残るが、グズグズしている訳にもいかない。ルアは壁に足を掛けると、縄を引っ張り、屋根へと登った。
意外と簡単に登れた。
「さて、無事に登れた事だし、早いとこ三の屋根に向かおう。みんなそこに集まっているはずだからな」
二人とも屋根に登った後、鉤縄を収納しながら、シャドウが言った。その後、身体を翻すと、ゆっくりと歩き始める。
揺れるシャドウの背を見つめながら、ルアはその後に続いた。リズたちの無事を祈りながら…
「そういえばシャドウ。さっきの針に獄蛙の毒を塗っているって話、本当なの?」
「いや、あれは嘘だよ。空気中に触れているだけで、周りに影響が出るほど強力な毒なんだ。それを塗った針なんて、持ち歩けないよ」
そう言いながら、シャドウは後ろを振り返ると、ルアに向かって意地悪そうな笑みを浮かべた。
息が上がり、身体にも疲れが出始めている。正直なところ、一度立ち止まり、一息入れたい気持ちが強い。だが、足を止める事が出来ないのは、背後から聞こえてくる異能狩りたちの具足音が理由だった。
「いたぞ!あそこだ!」
怒声のような大声が、耳に届くと同時に、張り詰めた糸を引く音が聞こえてきた。弓で狙われたようだ。
咄嗟に、近くに見えていた路地裏へと飛び込み、矢を躱した。
「路地裏に入ったぞ!追え!」
再び足音が動き出した。姿は見えないが、こちらへ向かってきているのは間違いない。それも五人以上はいるようだ。
「囮を引き受けたのはいいけど、思ってたより人数が多いなぁ…」
溜め息混じりにルアは呟いた。
今まで、何度か異能狩に狙われた事はあったが、多くても五人程の集まりしか見た事がない。
だが、今回の異能狩は違う。人数が桁外れなうえに、武術も素人ではない者ばかりが集まっている。道中何人か打ち倒して、ルアはそれを実感していた。
「みんな無事に逃げ切れたかな…」
思っていた以上の手強さに、ルアは途中で別れたリズと、異能狩に絡まれていた母子の身が心配になる。
ティールが一緒にいるので、最悪な事態になるとは思えないが、不安は拭えない。
「そろそろ皆と合流しようかな…時間も十分稼げたしね」
ルアは、強くなる不安な気持ちを払拭するため、囮を切り上げる事にした。体力もかなり消耗している。今が潮時だろう。
次の目的を決めると、ルアは飛び込んだ路地裏の奥へと走り出した。この先に続く大通りへ抜けるためだ。
大通りは、常に人でごった返している。そこまで逃げ切る事が出来れば、人混みに紛れて逃走をはかれるはずだ。それに、いくら粗暴な異能狩りと言えど、一般人が大勢いる場所で、矢を放つ馬鹿な真似はしないはずだ。
裏路地を駆けている間も、異能狩の攻撃は続いた。絶え間なく矢を放ち、追撃の手を緩める事は無い。だが、大通りに近づくに連れ、何故か矢の勢いが弱くなり、やがて止まった。
突如追撃が止まり、ルアは戸惑いを覚えたが、これはチャンスとばかりに足を速め、大通りへと出た。
「後は人混みに…って…」
ルアは言葉を詰まらせ、辺りを見回した。
いつもあるはずの騒がしさを感じられなかったからだ。
「誰も…いない…」
ルアの眼前に広がっていたのは、子ども一人見つからない殺風景な様子の大通りだった。目の前の事実が信じられず、ルアは異能狩に追われているという事を忘れ、ゆっくりと歩を進めた。誰かいないかを探すためだ。
少し歩くと、三つ人影が、道の真ん中に立っているのが見えた。すぐに人が見つかり、ルアはホッと胸を撫で下ろす。
だが、それは束の間。声をかけようとしようとしたルアの顔から、サッと血の気が引いた。三つの人影は、聞き覚えのある容姿をしていたからだ。
赤いローブ、胸に金の羽刺繍…王国騎士団魔導師部隊の正装と同じではないか。
「国直属の軍隊が…なんで…」
本来いるはずの無い存在に、ルアは驚きを隠せなかった。ただ口を開き、小さく「なんで?」と呟き続ける。
しばらく混乱していると、魔導師たちがルアの存在に気付き、三人揃って近づいてきた。怖気付き、一歩後ずさる。
「今回の異能狩は国が…?いや、法を破ってまでこんな事をするわけが…」
思わず心の声を漏らした。すると、それが聞こえたのか、魔導師の一人が言葉を発した。
「隊長。この少年、法改正があった事を知らなかったみたいですよ?ここは捕らえるだけにしてはどうでしょう?事情を国王様に説明すれば…」
「ナブ、お前の言いたいことは分かる。だが、これは命令だ。情に流されていては、お前の首が飛ぶぞ」
ナブと呼ばれた者の言葉を遮り、隊長らしき人物がそう言った。その後、隊長はルアに向かって、右手の平を向けてきた。魔法を使う時の構えだ。
「少年、お前に非は無い。だが、これは国の総意だ。恨むなよ」
明らかに息の根を止めようとしている台詞。ルアは身の危険を感じ、止まっていた思考を再開させた。頭の中は疑問で覆われている。だが、今はそれについて考えている暇は無い。
慌てて周りを見渡した。盾代わりになる物を探すためだ。しかし、魔法を防げるほど頑丈な物は見当たらない。
ふと、路地裏へ戻るのはどうかと考えたが、それは危険だとすぐに判断した。先程の追っ手と、挟み討ちにされるからだ。
眼前には魔導師。退路は無く、防御も不可能。絶望的な状況だ。だが、出来ることが無いわけではない。
生死の賭けになるが、前に出て素早く決着をつける。それが、ルアが思いついた最後の手段だった。
「死ぬつもりは無いけどね…」
生き抜く決意を言葉にし、一歩前に出た。
予想外の行動だったのか、魔導師たちは一歩退がった。が、すぐに気を取り直し、ルアに向けている手の平に、力を込める。他二人の魔導師も、隊長を援護するように、手の平をルアに向けてきた。
どちらかが動けば戦いが始まる。それを認識し、互いに相手の出方を伺う。まるで時間が硬直したかのように、その場が静寂に包まれた。
だが、その静寂はいつまでも続かない。静かさは徐々に波を帯び、ぶつかり、弾ける。
「許せっ!タク・エンティ!」
先に動いたのは魔導師だった。口にした言葉は、火球の魔法。小さいが、触れれば火傷では済まされない威力を持つ魔法だ。
灼熱の炎が、魔導師の手の平に集約され、丸い火球が完成…
しなかった。
それどころか、炎すら発生していない。
「な…ぜだ?確かに唱えたはず…」
「隊長。私たちに任せてください!」
魔法を唱える事が出来なかった隊長を援護するように、残りの二人が魔法を唱えた。
「「タク・エンティ!」」
二つの声が重なり、より大きな音になる。
それに呼応するように、彼らの手の平の上には、赤く輝く炎の玉が…
いくら待てども生まれなかった。
魔法を避ける身構えをしていたルアは、肩透かしを喰らい、思わず体制を崩して転倒しそうになった。
そんな隙を見せてみたが、魔導師たちはルアそっちのけで、魔法を唱えようと必死になっている。
「魔法が打てん…何故だ…」
「今日はまだ、魔力は使っていないのですが…」
ルアは、敵前で戦闘を放棄した魔導師三人組に、しばらく呆れた視線を向けていた。が、ふと自分が逃走中だということを思い出す。
逃げるなら今がチャンスだ。
三人組の横をコッソリ抜けようと、ルアが足を出した時だった。
「もがっ!?何だっ!?」
魔導師の一人が、奇声に近い声を上げた。目を向けると、先程ナブと呼ばれていた男の頭に、一抱えほどの大きさがある買い物籠が被せられていた。
「どうしたナブ。何故そんな物を…ぅぶっ!?」
買い物籠を取ろうとした隊長が、不意に呻きながら倒れ、背後から別の人影が姿を現した。手甲と具足を装備し、短めのマントを羽織った、黒髪の男だった。
突如現れたその男は、戸惑っている魔導師の一人の背後に素早く寄り、足を引っかけて仰向けに引き倒した。
背中から地面に叩きつけられた魔導師は、苦痛の叫びを漏らす。だが、そんな事はお構いなしに、マントの男は倒れている魔導師の鳩尾に、拳を打ち込んだ。
「あぐっ…」
短い呻きを漏らしながら、魔導師は気絶した。マントの男は、魔導師が意識を失ったのを確認した後、いまだに買い物籠を頭から外そうと躍起になっている、ナブに歩み寄り、買い物籠を取った。
「あっ…隊長助かりました。いきなり何か覆い被さってきたもんで、焦ってしまいました…ってあんた誰だ」
目の前に立つ人物が隊長ではない事に気が付いたナブは、慌てて魔法を放とうと、腕を上げようとした。が、それよりも早く、マントの男は手にしていた針をナブの眼前に突きつけ「動くな」と、短く命令を口にした。
「この針には、獄蛙(ごくがえる)の毒が塗ってある。動くと刺すぞ」
ナブは上げようとした腕を止め、その場に固まった。その表情は、悔しさで溢れている。
「よし…今から一つお前に要求する。いいか?」
「あんたは…いや、要求を聞こう」
「難しい事じゃない。俺たちは、今からここを去る。お前はその邪魔をするな。それだけだ」
「…それは無理だ。あんたらを逃すくらいなら、刺し違えてでも…」
「あんた、家族はいないのか?もしくは愛する人。俺の命と引き換えに、その人たちを悲しませるのは、割に合わないだろう?」
「だが…お前たちをワザと逃せば、責任を取らなければならない。俺も、隊長たちもだ…」
「それなら…」
顔を伏せ、悩む様子を見せているナブの首に、マントの男は当身を入れた。
ナブは、膝が砕けたかのようにその場に尻もちをつき、仰向けに倒れた。
「全員不意打ちを受けた体にすれば、ワザと逃がすよりは、言い訳が立つだろう?」
薄れゆく意識の中、ナブは目線だけをマントの男に向け、ジッと彼の目を見つめた後、静かに目を閉じた。
「さてと…」
地に落ちた買い物籠を拾いながら、マントの男はルアに顔を向けた。眠そうな目をしている男だ。
「ルア、怪我は無いかい?」
マントの男は、優しい声音で問いかけてきた。
その一声で、ルアの張り詰めていた緊張の糸が切れ、ヘナヘナとその場に座り込む。
「ん…大丈夫だよ。助けてくれてありがとう、シャドウ」
「なら良かった。立てるかい?」
シャドウが差し伸べた手を、ルアは掴んで立ち上がった。尻に付いた砂を払い、互いに向き合う。
「シャドウ…あのね」
「事情はリズから聞いた。状況は把握ているよ」
「リズたちと会ったんだ。みんな無事だった?」
「あぁ。怪我ひとつしていなかった。途中でルアが助けたっていう親子も無事だ」
「そう、良かった…」
抱えていた不安が解消され、ルアはホッと胸を撫で下ろす。
「ルア、そろそろ行こう。のんびりしていると、別の部隊に見つかるからな。取り敢えず、ティールたちと合流しよう。話し合いはそれからだ」
ルアが頷きだけで返事を返すのを確認した後、シャドウは腰につけている縄を取り外し、伸ばした。
縄の先端には、四つに枝分かれしている碇の様な物が付いている。
「シャドウ、それは?」
「ん?これは鉤縄って言って、壁をよじ登ったりする時に使う道具なんだ。この鉄の部分を屋根に引っ掛ければ、縄をつたって上に登れる寸法って訳さ。武器にもなるから、和ノ国から取り寄せ…って、今それどころじゃなかったな…」
何故か照れ臭そうな表情を浮かべた後、シャドウは鉤縄の縄部分を握って回し、近くの建物の屋根に向かって投げた。
一瞬、静寂が訪れた後、カツーンと小さく鉄がぶつかる音が耳に届く。
シャドウは縄を何度か引っ張り、鉤縄が外れない事を確認すると、ルアに向かって手招きした。
「先に行きな。下で待機しておくからさ」
「えっと…このかぎなわ…だっけ?これを使って上に登るって事は、屋根をつたって移動するって事?」
「あぁ。地上を歩くよりも、屋根上にいた方が見つかりにくし、対処も難しい。まぁ、矢に注意しないといけないが…」
「千切れたりしないよね?この縄…」
「さっきまで俺が使っていたから大丈夫。ほら、時間が無いんだから、早く行きな」
縄を引張って強度を確かめているルアの肩を、シャドウが軽く叩いた。
不安は残るが、グズグズしている訳にもいかない。ルアは壁に足を掛けると、縄を引っ張り、屋根へと登った。
意外と簡単に登れた。
「さて、無事に登れた事だし、早いとこ三の屋根に向かおう。みんなそこに集まっているはずだからな」
二人とも屋根に登った後、鉤縄を収納しながら、シャドウが言った。その後、身体を翻すと、ゆっくりと歩き始める。
揺れるシャドウの背を見つめながら、ルアはその後に続いた。リズたちの無事を祈りながら…
「そういえばシャドウ。さっきの針に獄蛙の毒を塗っているって話、本当なの?」
「いや、あれは嘘だよ。空気中に触れているだけで、周りに影響が出るほど強力な毒なんだ。それを塗った針なんて、持ち歩けないよ」
そう言いながら、シャドウは後ろを振り返ると、ルアに向かって意地悪そうな笑みを浮かべた。
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