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第2章 いがみ合うふたり

2-10 婚約者の裏切り⑤

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 缶が落下する大きな音に驚いたのは、姉と婚約者モーガンだった。

 姉は、腰を突き出し、顔だけ振り返って怒鳴り散らしている。
「きゃっ、何のぞいているのよ」

 妹にいいところを邪魔されたのと、自分の今の姿が恥ずかしくて憤慨している姉。叫びながらも、手を伸ばし遠くの掛け布団を引き寄せようとしている。プルプルと姉の腕が振るえているが、あともう少しのところで届かない。
 必死なミラベルは、自分の体をその辺の布で隠したかったのだ。
 だけどそれは、少しも動いて欲しくないモーガンに腰を抑えられて、できずにいた。

「えっ、あっ、どっどっどうしてルイーズが?」
 何が起きたのか、分からない反応をするモーガン。そう言いつつも、まだ、ミラベルの中に自分の大切なものを隠したままだった。
 逃げようとしているミラベルの腰をガシッとつかんで、少しも離さない。
 それは、これから起きそうなそれを、今、誰かに見られるのが恥ずかしいと思ったのだろう。特にルイーズには見せたくなかった。
 その高まったモーガンの感覚は、確かに正しく、すぐにミラベルの中ではじけていた。 

「あっ、ちょっと馬鹿、何やっているのよ」
 見る見るうちに、真っ赤な顔になって怒り出すミラベル。

「いや、驚いて、それで」
 モーガンと姉が何かをもめ始めていたけど、ルイーズは全く気にしていない。人のめ事、に気を取られる余裕はない。
 衝撃が大き過ぎて心が追い付かないルイーズは、かみしめた唇はずっとそのままになっている。

「早く出ていってよっ!」
 よんどころない事情で必死の姉は、相当に激昂げっこうしてルイーズに言い放った。
 ルイーズのことよりも、今、自分の中にあるものをどうにかしないといけない。大誤算だと憤慨している。

 姉はモーガンを射抜くようににらみつけている。
 ミラベルの視線を気にしていないモーガンは、天井を見ながら、この後どうすべきか。次に打つ手を考えるのに忙しい。

 姉からそう言われなくても、既にルイーズはきびすを返して扉の外にいて、力いっぱい扉を閉めていた。

(モーガンと過ごした時間はなんだったの……、もし、わたしが今、姉とのことを知らなければ、彼はこの後、わたしに笑顔を向けながら話をしていたの……。
 いつの間に、あのふたりは恋仲になっていたんだろう……。
 わたし、馬鹿だな……全然気が付かなかった。
 裏切られているとも知らず、大事なお金を紅茶なんかに……。
 あのお金で、何かおいしいしいものが食べられたのに……。
 モーガンに勧められた騎士の訓練だって、……しんどい……。
 それなのに……、今のわたしに行かないという選択肢もないもの。いいえ、ここまで来たら、騎士になれば1人でも家を借りられるかもしれない。女1人でも暮らしていける希望はある。もし、なれなかったら……)

 ……ブルルッと、寒くもないのに恐怖心から身震いした。 
 18歳の誕生日が近づいているのに、家を出る当てが見当もつかない。それどころか、伯爵夫人の狙いを知っていたのに、期限が差し迫る中で望みを失った……。

 姉の部屋を出た瞬間から、ボロボロと大粒の涙をこぼすルイーズは、自分の部屋にこもり、部屋の隅で小さく膝を抱えてうつむいていた。

 まだ、恋人同士の行為をよく知らないルイーズにとっては、衝撃が大き過ぎて怖くてたまらない。
 真っ青になって、体が震えている。
 そして、自分に希望を与えた人物を、あっさりと姉が手にしている悔しさをひたすらに耐えていた。
 ……だけど、心残りはもう何もない。
 いや実際には、婚約者とのことで感傷に浸れる程、ルイーズに余裕はなかった。次に進まなければ、娼館しょうかんに売られる。

 それからしばらくして、モーガンがルイーズの部屋を訪ねてきた。
 モーガンに泣いていたことを悟られないように、ルイーズは何度も鏡の前で自分の姿を確認した。彼女に涙の痕は少しも残っていない。

 あの直後に、よく平気でルイーズの部屋を訪ねることができるものだと、あきれた顔をしているルイーズ。
(裏切った後に、平然とわたしの前に姿を見せるなんて、どうかしている)

 モーガンを喜ばせようとする気持ちを失ったようなルイーズは、彼の姿を見て、冷たい視線を向けている。

「僕は、姉のミラベルより、ルイーズの方が好きなんだ。だから機嫌を直して」
「何を言っているの? 姉と愛し合っていて、わたしが好きって、意味が分からない。ふざけないで」
 モーガンが差し伸べかけた手を強く払った。
 少し低いその声は、いつもは弾むように話すルイーズとは、全然違って冷たかった。
 
「ルイーズ、本当にそれでいいのかい?」
 首を傾げて、悲しそうな表情を見せるモーガン。その彼を見ても、アレを見せられた直後では、揺れる感情はない。ためらいなく言い切る。
「当たり前でしょう」

「チッ、生意気だな。お前のような女に下手に出てやったのに、何を調子に乗っているんだよ」
 これまでルイーズが見たことのない、冷え切った表情を向けられる。
 ひょう変したモーガンから予期せぬ言葉を浴びせられ、沸き起こる恐怖心によって、ルイーズはカタカタと震えておびえている。

「……モ、モーガン」
「お前のような取り柄のない女、誰が好きになるって! あり得ないだろう。少しおだてたくらいで、喜ぶような単純な女を利用しただけだ。馬鹿だよな、まさか素人が騎士になろうとするとは。もし本当に騎士になれたら、またお前のことを考えてやるよ。じゃあな」
 優しさのかけらもない口調で言い放ち、モーガンは消えていった。

「ぇ……」
 声にならない音を出すために、少しだけ開いた唇。ルイーズの表情も体も石のように固まっている。

 今日一番の衝撃は、最後のモーガンの言葉だった。
 その後静かに布団の中で泣いていたルイーズ。
 日頃、エドワードが言う、騎士にはなれないとか、自分には女性らしさが足りないとか、そんな言葉が痛い程、胸に刺さっていた。
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