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第2章 いがみ合うふたり

2-9 婚約者の裏切り④

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 婚約者と会うのが待ちきれなかったルイーズは、いつも以上に急いで着替え、走って屋敷の馬車に乗り込んでいた。
 そのとき、御者には「大至急で屋敷へお願い」と伝えていた。いつも要望を言わないルイーズが願い出たため「何事!」と御者から目を向かれてしまう。

 御者は、いつもの何倍も馬を早く走らせている。

「あわわわっ、振動が……」
 車内は酷い揺れだ。頭をガクンガクンと振っているルイーズ。体中に力を入れて堪えている彼女は、軽々しく依頼したことを後悔している。馬車は急ぐものではないと、車体の揺れに必死に耐えていた。

 そんななかでも、ルイーズはモーガンのことを考えている。

 婚約者は「僕のために頑張ってくれるルイーズが、一番かわいい」と、少し照れてしまうこともさらりと言えるような正直者。言われる度にポッと頬が赤くなり、胸が熱くなる。
 彼のことを疑っていないルイーズは、一緒にいると心が温かくなるのを感じていた。
 愛に飢えて、うぶすぎるルイーズは、少し優しくされただけで胸をときめかせてしまうから、恋や愛を勘違いしているだけかもしれない。

 そんなことは、生きるために一生懸命な彼女には分かるわけもなく、半年以上婚約者を慕っている。

 いつもであれば乱れた呼吸を整えるために、休憩所で休んでから帰っていた。
 床で膝を抱えてしばらく座っている時間。それは、すぐに動けないくらいに疲れたルイーズにとって、大事な休憩時間。
 だが、婚約者を待たせるわけにはいかないと思ったルイーズは、今日に限って、息を切らせながら動いていた。
 前回は、モーガンを待たせ過ぎて帰ってしまったのだから、当然と言えば当然の結果。

「待っているかな……」

 屋敷前に馬車が着くなり、走って飛びだしたルイーズ。
 屋敷の執事からは、ルイーズの婚約者は、既に訪問していると聞いた。ルイーズは、自分の部屋へ急いで駆け上がった。もちろん足音などは立てていない。そんな騒がしくすれば、伯爵夫人にとがめられるのは間違いない。

 その手には、彼が好きだと言う紅茶の缶を握り締めていた。少し高かったけど、喜んでくれる顔が見たくて奮発して買った茶葉。
 婚約者のモーガンと一緒に飲みたくて、あらかじめ、ルイーズが用意していたものだった。
 姉に盗まれないように、今日まで訓練場のロッカーに隠して用意も万全だ。

 婚約者へのプレゼントを、親にねだるわけにはいかないルイーズは、騎士の訓練で出る、わずかばかりの手当をそれに充てていた。

「モーガンお待たせ――った……」
 待ちきれないルイーズは、声を掛けながら自分の部屋の扉を開いたけど、そこにモーガンの姿はなかった。

「どうしていないの……」
 ルイーズの頭に良からぬ想像が浮かぶのは、姉の性格をよく知っているからだ。

(何この胸騒ぎ。もしかして、姉が何かしている……。いや、モーガンに限って、そんなことはあるわけない。落ち着いて……)
 そう思っているルイーズは、婚約者に会えることで、高まっていたワクワクとした感情は、一気に焦りに変わっていた。

 ルイーズは、既に不安そうな顔をしている。
 モーガンなら、きっと大丈夫……、自分を裏切るわけがないと必死に言い聞かせている。彼女はそのまま静かに廊下へ出て、姉の部屋の前に向かった。

 姉の部屋の前。しばらく静かにたたずむ……。会話は聞こえないけど、……声が聞こえる。それも低い声。
 ルイーズが、部屋の中から感じる人の気配は姉1人分ではなかった。
 彼女は、このとき既に、モーガンが、そこにいると確信している。
 わがままな姉の話に付き合わされているだけだろうと、前向きに考えた。
 だが姉の性格は、行動がどんどんエスカレートする。これまで自分が体験しているからよく知っていた。
 ルイーズは、このままにしておくわけにはいかない。そう決心した。
 ふぅーっと、一息ついたルイーズは、覚悟を決めて扉を開く。
 
 静かに扉を開けたルイーズの目に飛び込んできたのは、愛する者同士がする、秘密の行為。

 ……悪いのは、姉と婚約者のモーガンであるのは明らかなのに、ルイーズが青ざめて硬直している。
 服を着ていないモーガンの背面が、丸見えだ。
 その光景にルイーズはただ、ぼうぜんとしている。
 動くこともできずに2人の背後から、ぼんやりとその行為を眺めていた。
 初めは2人が何をしているのか分からなかったルイーズ。次第にそれが、訓練の控室で、うわさに聞く夫婦の行為だと理解していた。

(お願いモーガン、ウソだと言って……。あなただけが、頼りだったの。それなのに……、わたし、これからどうやって、生きていけばいいのよ……)
 ルイーズは、目の当たりにした事実を受け止めきれていない。

 3つ年上のモーガンは、いつもルイーズに優しく穏やかに接してくれる。
 婚約者のモーガンのことを頼りにしていたルイーズは、これまで色々と尽くしてきていた。といっても、ルイーズができることは限られていたから、自分にできそうなことを試行錯誤した。

 一度、刺繍ししゅうを刺したハンカチをモーガンへ渡せば、大袈裟おおげさな程に喜んでくれた。それがうれしくて、たまらなかった。
 彼女は、うれしそうにするモーガンの姿を見たい一心で、騎士の訓練で疲れていても、ハンカチに刺繍ししゅうを刺しては渡していたのだ。

 ルイーズの思考が追い付かず、2人へ声を掛けることもなければ、その部屋から立ち去ることもできない。
 その瞳は潤み、今にもあふれ出しそうになっている。
 だが、ここで泣いてはいけないと必死に堪えて、涙は流れ落ちることはない。
 モーガンとの別れを確信しつつあるルイーズは、屋敷内の雑音は耳に入らない程だった。

「!」

 ルイーズは、初めて姉が淫らな声を出しているのを聞いた。
 姉のその姿におびえているようなルイーズは、直視できずにいる。
 ーー婚約者が必死に腰を振り、姉が生まれたままの姿でそれを受け入れている。
 獣の雄と雌が子孫を残すための、それ、みたいな2人の姿があった。

 モーガンと一緒に飲もうと用意した紅茶の缶。
 それを、ルイーズは無意識のうちに強く握り締めていた。
 だけど、姉が発した大きな声に驚いたルイーズは、その瞬間、紅茶の缶を床に落としてしまったのだ。
 そのせいで、ルイーズが奮発して買った茶葉が部屋中に散らばった。

 ガッチャーン――……。

 ……と、大きな甲高い音が部屋中に鳴り響いた。
 そして、その後を追うように広がった、……ベルガモットの香り。

 姉の寝室に漂っていた不快な匂いは、一瞬で婚約者が好きだと言っていた紅茶の香り変わる。同時にこの部屋の空気も一変した。
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