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第5章 離さない

覚醒

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「えぇっと……。今のは――夢よね? じゃぁ、この場所は……どこかしら?」

 夢と現実の狭間が分からず、咄嗟に頬をつねる。
 そうすれば、ちゃんと痛い。――ということは、現実だ。
 ならば呆けている場合ではないと考え、むくりとベッドから起き上がる。

 はて……。全く見覚えのない部屋だ。ジュディットとしてもジュディとしても。

 目に入るのは、上品でありながら繊細な家具や調度品。どれも値の張るアンティークに感じる。

 シンプルなドレッサーの上に、アクセサリーの類は置かれていない。男性の部屋なのか? それとも客間か? いまいち生活感もない……。

「何がどうなったのよ……」

 最後の記憶は、狼に襲われそうだったのを、アンドレに助けてもらった。

 そして今。体が露わになりそうな薄い夜着を纏い、独りポツンと知らない部屋に取り残されている。

「どこに連れてこられたんだ? カステン辺境伯の屋敷……?」

 顎に手を置き考える。

 最後に一緒にいたのはアンドレで間違いない。ゼリーの話を知っているのは彼だけだ。フィリベールではない。

 ……ということは、彼がわたしをここへ運び込んだはずだけど、頭の中が酷く混乱している。

 ただ一つはっきり分かるのは、アンドレが、フィリベールに結ばれた魔法契約を解呪してくれた。これは間違いない。

 わたしの頭の中に、ジュディットとしての記憶が残る。重ねてカステン辺境伯軍で暮らしていたジュディとしての記憶も。

 意識を失う前……アンドレは、わたしを「ジュディット」と呼んでいた。

 となれば、アンドレはジュディの正体を分かって迎えにきてくれたというのか? どうして急に気づいたんだろう?

 本当にこの部屋はどこだというのだ。
 窓の外の景色でも見れば分かるかしらと、大きなバルコニーの付いた窓辺に足を進める。外は真っ青に澄んだ空が広がる。

 バルコニーの手すりで遮られる外の景色。それが少し見えてきたところで、驚きの声が漏れる。

「ええっ⁉ ここは王宮の中なの?」

 窓の外から見えているのは、濃い緑の木々が円錐形に美しく剪定され、等間隔で植えられている。

「間違いないわ。王宮の前庭ね」
 今は何時だろうと思い、時計を探す。

 しかし、何だってこの部屋には時間を示すものは見当たらない。
 この部屋の人間は、寝室に時計を置かない主義なのか? わけも分からず、時間を求めて動き回る。

 部屋にある扉。それを少しだけ開けて、その先の様子を窺う。
 そうすれば、もう一部屋続いていた。廊下じゃないことを確認してから大きく開く。なんといってもわたしは寝衣のままだし。

 三人掛けのソファーが置かれても、少しの狭さを感じない、広々としたリビングへ足を踏み入れる。

 ……ここは王宮に数多存在する、ただの客間ではないみたいだ。

 一般の客人に対して、普通、二間続きの部屋は提供しない。国賓級の招待客なら別だけど、わたしは違う。

 かといって、王太子の婚約者として賜った、わたしの部屋でもない。
 となれば、ますますここはどこだろう。

 腰高のチェストの上に、読みにくい数字が刻まれた時計が見える。アンティークの時計って、実用性がないわよねと不満を抱きながら、時計の前まで歩みを進める。

 九時十分──。
 窓の外へ再び目をやり、明るい屋外を今一度確認すれば、躊躇いなく午前中だと理解する。

 アンドレと再会したのも午前中だった。
 信じられないが、あれから何時間眠っていたんだろう。

 いいえ。そもそも今日は何日なのかという疑問に転じるが、カレンダーなんてあるわけもない。
 まあ、あったところで分からないだろう。

 誰がなんの目的でここに連れてきたんだ? 気味が悪い。まさか……フィリベールか?

 逃げようと考えたが、流石にこの格好のまま王宮内をうろつくわけにはいかない。

「そうだ着替えればいいんだわ」
 そう思い立ち、クローゼットを開けるが、タキシードやら軍服やらしか入っていない。流石にこれを着て逃げるわけにもいかないと、肩を落とす。

 王宮の中を、ぶかぶかなタキシードを着て歩く時点で不審者と見なされ、衛兵に捕まるだけだ。

「夜着かぁ……ほとんど体が見えているじゃない……」
 見知った者もいる場所で、情けない格好で歩く訳にもいかないし。

 ――それならばしかたない。部屋の主が戻るのを待つか。
 だけど、あの扉から誰が来るかしら……。と、廊下と繋っているであろう扉を睨む。

 最悪なパターンとして、わたしがフィリベールに引き渡されたのであれば、彼がわたしから目を離すわけがない。わたしにやられた後だ。見張りを置くだろう。

「廊下に通じる扉から入ってくるのは、フィリベールじゃないことを祈りましょう」

 どうせフィリベールのことだ。わたしを利用するために山道まで迎えにきたのだろう。
 魔力の枯渇を嫌うリナの結界は、十分とはいえない。そんなのは端から分かり切ったことだ。

 寄せられる各地からの苦情に耐え切れず、わたしを迎えにきたのだろう。
 崖から落とした理由も、大体見当がつく。

 わたしから記憶を奪う直前、彼らは得意気に全てを喋っていたもの。

 記憶喪失の原因を事故のせいにして、ジュディのまま利用する気だったのか。
 ――あの男、どこまでも最低だ。

 幼いころ。わたしの魔力が彼より大きいと分かった途端。「自分は魔法契約もできる」と誇らし気に言い放ち、肩に魔法陣を残された。
 わたしより劣っている事実を、彼のプライドが許さなかったのだろう。

 あれから何度も消してと頼んだけれど、応じてくれなかった彼らしい発想だわ。

 それに……アンドレの正体が分かった気がする。
 ジュディットの記憶を取り戻した今、彼の名前に心当たりもある。

 ――彼はアンフレッド殿下だ。世間では、フィリベールの二歳離れた王子として公表されている。

 一度も公の場に現れたことのない殿下は、王位継承権はない。
 フィリベールの次は、王弟に続いていく継承順位である。それもあって、注目されることのない王子だ。

 以前、エレーナが話していた忌み子の話と、わたしの闇魔法の契約が解呪できた事を考えれば、アンドレはフィリベールの双子なのだろう、実際は。

 二十歳のフィリベール王太子には、生まれた時から精霊の呪いで魔法が使えない、二歳年の離れた弟がいるのは、有名な話だ。

 ――それがアンフレッド殿下だし。

 わたしが五歳の頃だったろうか。
 王妃様へアンフレッド殿下の状態異常の解呪を申し出たのだが、「無理だろう」と断られた。

 確かに母が筆頭聖女なのだ。その母が治せないはずはない。当時、余計な事を言ったと反省した記憶がある。

 それでも何かできる事はないかと、光魔法を付与した栞を送り続けた。
 後にも先にもアレを送ったのは、陛下を通してアンフレッド殿下しかいない。

 次期筆頭聖女のわたしでさえ顔を知らないのだから、陛下と王妃直々に命令を受けた者しか、アンドレのことを知らないのだろう。

 この国の慣習で双子として公表できず。次の出産としてアンフレッド殿下の誕生を発表したのか……。

 とはいえ、すでに二歳になっている王子の姿も、実在しない赤子も見せる訳にはいかず、呪われた王子として、人目を避けて暮らしていたのかしら。

 ふふっ、そんな所にわたしが押しかけたんだもの、アンドレもカステン辺境伯も困ったはずだ。本当に気の毒なことをしてしまった。

 気がつけば、自分の欲しい情報は記憶の引き出しからするすると取り出せる程、すっかり頭の中が整っている。

 けれど、魔力は戻っていないようだ。自分の魔力を感じない。

 まあ、わざとね。
 わたしの魔力を戻せば、攻撃魔法をアンドレに繰り出すところだった。今なら、そうならなくて良かったと思うけど。

 彼のことだ。恩人を罵倒し続けたわたしを呆れているころだろう。

 さて、これからどうするかと思っていると、カチャと扉が開く音が響き、顔を向ける。
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