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第2章 届かない想い
妃のクッキー④
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【SIDE アリーチェ】
朝から戦場のような怒号が飛び交う厨房で、わたしは今日も芳醇な香りに包まれている。
幸せな香り漂うその空間で、小さな鍋で火にかけたバターが色付くのを1人静かに見守っていた。
料理人たちは、わたしのことを避けるように作業に没頭して、決して近づいてこない。
朝の忙しい時間帯に、妃の面倒を見るのが御免なんだ。
きっと、わたしが料理人であれば同じことをするでしょうから、気にしていない。
よしっ、黄金色になってきた!
バターが焦げないように、慌ててその鍋を持って、大きなボールに張った水に浸けて冷やす。
ふぅ~、今日も上手くいった。
溶きほぐした卵の中に材料を順番に入れて、型へ流し込めば、わたしの朝の日課は粗方終わったも同然。
後はオーブンの前で待つだけだ。
――う~ん、いい香りが漂ってきた。
いつだってほとんど変わることのない焼き時間。
毎度のことながら、早く焼けないかと気持ちが落ち着かない。
顔が熱いのは、もちろんオーブンのガラス扉から伝わる熱のせいもある。
だけど、愛しの王子様がこれを美味しく食べてくれる姿を想像すると、いつだって胸がキュンとして、頬に熱を感じてしまう。
そうして、焼き上がったフィナンシエを、ぱくっと味見して、わたしの朝食は終わりだ。
気が付けば、こんな生活を続けて1か月以上が経っている。
フィナンシエが冷めたら、わたしの夫であるフレデリック王子の所へ運ぶだけ。
たった今、わたしは朝食を済ませた。
けれど、この厨房は白い城壁に青い屋根のイエール城で暮らす、王族達の朝食を作るのに、猫の手だって借りたいあり様になっている。
それでなくても、朝の一番忙しい時間帯だもの、王城の料理人達の手を煩わせるわけにはいかない。
わたしは、使った鍋やボールを綺麗に洗って拭きあげ、いつもの場所へ戻す。
これで、明日の準備も万端だ。
次は、フレデリック様の所へ行く前に、部屋へ戻って、おめかしをしなくてはいけない。
焼き上がったフィナンシエを両手で抱えて、急いで自分の部屋へ向かう。
まるで迷路のような王城は、厨房と部屋を移動するだけで、10分は掛かる。
2階にある厨房から、階段を下りれば、日中は貴族達が仕事をしている執務室がずらりと並ぶ。
その長い廊下を一気に走り抜けた。
そして、その奥へと続く回廊を抜ければ、貴族達が寝泊まりしている部屋が続く。
朝から息も切れ切れで……、疲れた……。
それもそのはず、日が昇るか登らないかの頃に、わたしはこの回廊を逆向きに走っていた。
そして、厨房で立ちっぱなしで、ここまで戻ってきた。
朝から既に足がパンパンだ。
あ~、やっとだ。
王族居住区へ続く、登り階段。
階段を守る護衛騎士へ「ご苦労様」と声を掛けて、フィナンシエを口へ入れてあげる。
彼の横を通り過ぎると、わたしの部屋が近づいてきたことを実感する。
部屋へ戻れば疲れて休みたい気持ちに負けそうになる。
だけどわたしには、まだ最後の仕事が残っている。
床を見ていた視線を前に向けて、気合を入れ直す。
鏡に映る自分。
昔は母譲りの緑色の瞳だったけど、今ではこの国でよく見かける青い瞳。
それも小動物のようにクリッとした丸い眼をしている。
元々、桜色の小さな唇に白い肌は綺麗だなって、自分では思っていたけど、今は何か違って色がない。
幼い頃のストロベリーブロンドのうねりのあった髪は、思春期を迎える前には、茶色い真っ直ぐな髪に変わった。
大人っぽくなった髪は気に入っている。
自分では鏡に見えている姿は、それなりに整っている方だと思っている。
だけど、顔のパーツは、あどけない女の子の顔から卒業できず、魅惑的な美人に成長できていない気がする。
本当は、色っぽい目元に魅惑的な唇、知的な印象のシュッとしまったフェイスラインを欲しているんだけど。
フレデリック様の好みは、前王妃様のような、美しくて魅惑的な女性。
その容姿へ少しでも近づけるように、念入りな化粧を施す必要がある。
芸術的センスがいまいちなわたしは、毎日悪戦苦闘を繰り返している。
侍女達は揃いも揃って、もう少し控えめな化粧の方が良いと助言を呈してくる。
そのお小言のような指摘が、ちょっとイライラする。
わたしだって、魅惑的な美人なら化粧に時間をかけないし、したくてしているわけじゃない。
しないと顔色が違って、内心穏やかではないから。
侍女たちを説得するのが面倒になって、わたしの容姿には口を出さないように、言い聞かせた。
よしっ! 完璧なまでの武装。
さっきまで鏡に映っていた自分とは、嘘のように違う。
力強さのある目元に、熟成されたワインのような唇。
この1時間で、魅惑的な大人の女性に変身した。
朝から戦場のような怒号が飛び交う厨房で、わたしは今日も芳醇な香りに包まれている。
幸せな香り漂うその空間で、小さな鍋で火にかけたバターが色付くのを1人静かに見守っていた。
料理人たちは、わたしのことを避けるように作業に没頭して、決して近づいてこない。
朝の忙しい時間帯に、妃の面倒を見るのが御免なんだ。
きっと、わたしが料理人であれば同じことをするでしょうから、気にしていない。
よしっ、黄金色になってきた!
バターが焦げないように、慌ててその鍋を持って、大きなボールに張った水に浸けて冷やす。
ふぅ~、今日も上手くいった。
溶きほぐした卵の中に材料を順番に入れて、型へ流し込めば、わたしの朝の日課は粗方終わったも同然。
後はオーブンの前で待つだけだ。
――う~ん、いい香りが漂ってきた。
いつだってほとんど変わることのない焼き時間。
毎度のことながら、早く焼けないかと気持ちが落ち着かない。
顔が熱いのは、もちろんオーブンのガラス扉から伝わる熱のせいもある。
だけど、愛しの王子様がこれを美味しく食べてくれる姿を想像すると、いつだって胸がキュンとして、頬に熱を感じてしまう。
そうして、焼き上がったフィナンシエを、ぱくっと味見して、わたしの朝食は終わりだ。
気が付けば、こんな生活を続けて1か月以上が経っている。
フィナンシエが冷めたら、わたしの夫であるフレデリック王子の所へ運ぶだけ。
たった今、わたしは朝食を済ませた。
けれど、この厨房は白い城壁に青い屋根のイエール城で暮らす、王族達の朝食を作るのに、猫の手だって借りたいあり様になっている。
それでなくても、朝の一番忙しい時間帯だもの、王城の料理人達の手を煩わせるわけにはいかない。
わたしは、使った鍋やボールを綺麗に洗って拭きあげ、いつもの場所へ戻す。
これで、明日の準備も万端だ。
次は、フレデリック様の所へ行く前に、部屋へ戻って、おめかしをしなくてはいけない。
焼き上がったフィナンシエを両手で抱えて、急いで自分の部屋へ向かう。
まるで迷路のような王城は、厨房と部屋を移動するだけで、10分は掛かる。
2階にある厨房から、階段を下りれば、日中は貴族達が仕事をしている執務室がずらりと並ぶ。
その長い廊下を一気に走り抜けた。
そして、その奥へと続く回廊を抜ければ、貴族達が寝泊まりしている部屋が続く。
朝から息も切れ切れで……、疲れた……。
それもそのはず、日が昇るか登らないかの頃に、わたしはこの回廊を逆向きに走っていた。
そして、厨房で立ちっぱなしで、ここまで戻ってきた。
朝から既に足がパンパンだ。
あ~、やっとだ。
王族居住区へ続く、登り階段。
階段を守る護衛騎士へ「ご苦労様」と声を掛けて、フィナンシエを口へ入れてあげる。
彼の横を通り過ぎると、わたしの部屋が近づいてきたことを実感する。
部屋へ戻れば疲れて休みたい気持ちに負けそうになる。
だけどわたしには、まだ最後の仕事が残っている。
床を見ていた視線を前に向けて、気合を入れ直す。
鏡に映る自分。
昔は母譲りの緑色の瞳だったけど、今ではこの国でよく見かける青い瞳。
それも小動物のようにクリッとした丸い眼をしている。
元々、桜色の小さな唇に白い肌は綺麗だなって、自分では思っていたけど、今は何か違って色がない。
幼い頃のストロベリーブロンドのうねりのあった髪は、思春期を迎える前には、茶色い真っ直ぐな髪に変わった。
大人っぽくなった髪は気に入っている。
自分では鏡に見えている姿は、それなりに整っている方だと思っている。
だけど、顔のパーツは、あどけない女の子の顔から卒業できず、魅惑的な美人に成長できていない気がする。
本当は、色っぽい目元に魅惑的な唇、知的な印象のシュッとしまったフェイスラインを欲しているんだけど。
フレデリック様の好みは、前王妃様のような、美しくて魅惑的な女性。
その容姿へ少しでも近づけるように、念入りな化粧を施す必要がある。
芸術的センスがいまいちなわたしは、毎日悪戦苦闘を繰り返している。
侍女達は揃いも揃って、もう少し控えめな化粧の方が良いと助言を呈してくる。
そのお小言のような指摘が、ちょっとイライラする。
わたしだって、魅惑的な美人なら化粧に時間をかけないし、したくてしているわけじゃない。
しないと顔色が違って、内心穏やかではないから。
侍女たちを説得するのが面倒になって、わたしの容姿には口を出さないように、言い聞かせた。
よしっ! 完璧なまでの武装。
さっきまで鏡に映っていた自分とは、嘘のように違う。
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