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出張!私のイギリス編

第304話 お約束の一般通過救世主はづきっち伝説

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 欧州上空を、魔の風が吹き渡る。
 異世界よりやって来た、意志を持つ風である。

 それらは、風の大魔将の落し子たちだった。

 人々が空を見上げれば、巨大な人の影が空を過ぎ去っていく。
 それに睨まれたらおしまいだ。
 肉体はおろか、魂までも凍てつき、氷の彫像に変えられてしまう。

 既に、北部アイルランドは氷の世界になってしまったと言う。
 あの怪物たちに抗う手段は少ない。

 ようやく大罪を名乗る者たちからの侵略を退け、力を取り戻してくという途中で……。
 欧州は再び、停滞を余儀なくされたのである。

「睨まれるって言っても、気付かれなきゃいいんだ」

 双眼鏡を手にした少年が、窓のベランダから空を見上げる。
 今日も、雲間を行き交う緑色の影が見えた。

 ここから見てあの大きさということは、実際は彼が見下ろせるこの路地よりもさらに大きな怪物なのだろう。
 そんなものが、風のような速度で飛び回っている。

「どういう原理なんだ……? 魔法なんて言われても、ピンと来ないし。現代魔法は配信の中だけで使えるプログラムみたいなものだろ?」

 双眼鏡で、空を飛ぶ影を見る。
 彼らのどこに目があるのかは分からない。
 だが、彼らは人間を睨みつけ、氷漬けにする。

 少年の友人も、空を見上げていたら彼らと目が合い、氷の彫像に変えられてしまった。
 欧州全土で、毎日何百人という人が犠牲になっているらしい。

 あの緑の影は、風を自在に操り、雲を呼び寄せて欧州の空を閉ざした。
 時折雲を切り開いて太陽を見せるが……。
 そこに人々の注目が集まるのを知っているからこそ、そういうことをする。

 太陽が覗いた時が、影が人を狩る時間だ。
 思わず空を見上げれば、影と目が合う。
 そして氷の彫像の出来上がりだ。

 たちが悪い。

「大体、モンスターなんてダンジョンにしか出てこないものじゃなかったのか? なんで自由に空を飛び回っているんだ」

 欧州の空そのものが、ダンジョン化してしまっているということに少年は思い至らない。
 既に、この広大な地域はダンジョンに飲み込まれてしまっていたのである。

 ゆっくりと、真綿で締められるように、欧州は風の大魔将によって滅ぼされていくところだった。
 対抗手段は今のところ、無い。

 空まで上がる手段は飛行機くらいしかないだろうが、奴らをどうにかするには、飛行機の外に出るしか無い。

 だが、上空で外に出るなど自殺行為である。
 さらに、影には現代兵器が通用しなかった。

 ミサイルがすり抜ける。
 逆に、影が放つ視線はパイロットを氷漬けにし、戦闘機を次々に落とした。

「くっそー。今日も我が物顔で飛んでやがる……。日差しが差し込まないから、畑の作物とかヤバいって聞くしな……。どうなっちまうんだろう」

 少年は双眼鏡を覗きながら呟いた。
 町は恐怖と閉塞感に包まれている。
 誰も空を見上げず、うつむいて歩く。

 ゆっくりと、欧州は絶望に飲まれつつあった。
 それこそが大魔将の狙いであり、何よりの愉悦なのだった。

「あれ? なんか音が……。今この時期に、空を飛んでるやつがいるのかよ」

 ふと、少年は気付いた。

 遠くから響く、耳障りな音。
 音速に近い飛行機が、風を切り裂く音だ。
 ジャンボジェットが飛んでくる。

 この、欧州の閉ざされた空に。

 自殺行為だ。
 双眼鏡から目を話して、少年は辺りを見回した。

 それが彼の命を結果的に救った。
 今まさに、少年に目をつけた影がいたのである。

 影の視線が双眼鏡を凍てつかせる。

「あつっ!?」

 凄まじい冷気が、逆に熱いと感じて、少年は手を離した。
 凍りついた双眼鏡がベランダの外に落下する。
 石畳の床に落ちて、双眼鏡が砕けた。

「やべ……」

 もう空を見上げることはしない。
 目をつけられたことを悟ったからだ。

 自分まで、あの時の友人のように氷漬けになりたくはない。
 だけど……。

「いつまでこうやって、地面を向いて生きてたらいいんだ……」

 少年は吐き捨てるように呟く。
 その、答えが得られぬはずの疑問に……。

 今、明後日の方向から答えが来た。

 耳をつんざくジェット機の飛行音。
 これを、緑の影たちが無視するはずがない。

 それぞれが通常の魔将に匹敵する力を持つ、大魔将の眷属である。
 彼らはジェット機を凍てつかせようと飛来した。
 まずは操縦する機長たちを狙わんと、その視線を向ける……。

 視線の先に、たまたま操縦席まで遊びに来ていた日本人の少女がいた。
 彼女はあろうことか、緑の影の視線に気付いて……。

「あちょっ」

 どこからか取り出した薄茶色の棒状のもので叩き返した。

『!? ウグワーッ!!』

 緑の影の一体が、突然縦に裂ける!

『!?』『???』『!?!?!?』

 緑の影たちは理解できなかった。
 何が起きた?
 欧州の連合空軍を相手にしてすら、ただ一体すら落とされなかった自分たちが。

 今、意味のわからない状況で一体倒された。

 彼らは、まさか視線を遡ってゴボウで叩き切られたのだとは夢にも思わない。
 彼らの視線は呪詛であり、ガンドと呼ばれる魔術の系譜である。
 そして相手取った少女は、呪詛を弄ぶことに掛けては当代随一というか、よくわからないくらい卓越した存在だった。

 そりゃあ、呪詛を向けられたら遡って呪詛の発生源を物理的に叩き切るくらいできる。

 それが分からなかった緑の影は、次々とガンドを送りつけた。

「あちょちょちょちょー!」

 サクサク裂けていく、緑の影。

『!?!?!?!?!!?』

 分からない。
 何も理解できない。

 堂々と空を通過しようとしたジャンボジェットを、いつものように落としてやろうとしたら、いきなり自分たちの数が半減した。
 生半可なダメージであれば、すぐさま回復してしまう緑の影である。
 だが今回のは違う。
 裂けた者たちは、完膚なきまでに滅ぼされていた。
 もはや復活すら叶うまい。

 ジャンボジェットが近づいてくる。
 緑の影は、これを空のダンジョンへ取り込む事を決めた。

 出口の無い雲の迷宮によって、永久に閉じ込めてしまえばいい。

 本来であれば完璧な作戦だ。
 空の迷宮に閉じ込められた飛行機は、すぐに燃料を失い、落ちるしかなくなる。
 その時だけ、人間の都市へ誘導して被害を拡大させてやればいい。

 緑の影はそう考えたのである。

 彼らにとって想定外だったのは、このゴボウでガンドを打ち返す少女が、そういう迷宮巻き込まれに関しては世界最高のエキスパートだったことである。
 雲が渦巻き、ジャンボジェットを飲み込んだ。
 それと同時に、ジャンボジェットがピンク色に輝き、渦巻く雲を両断した。

『!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?』

 分からない!
 何も、何も理解できない!

 いきなり、理不尽がやって来た。
 彼ら、大魔将の眷属たちにとっての大理不尽が前触れもなく到来したのである。

 人間たちに理不尽を押し付けていた彼らは今、人間がどういう気持ちだったのかを少しだけ知った。

 堂々と通過していくジャンボジェット。
 そして、ジェットを取り巻くピンク色の輝きが広がっていく。
 触れた端から、空のダンジョンが消滅していく。

 もう持たない。
 長く空を封印していたダンジョンは今、消えてなくなろうとしていた。

『!!』

 そんなことは許せない。
 風の大魔将に顔向けができない。
 緑の風は決意した。

 己の身を賭けて、このよく分からないものを排除せねば。
 所詮は人間が作った飛行物。
 生来の飛行能力を持つ、強大な自分たち魔族には及ぶはずもない……!

 さきほど、眷属をけちょんけちょんにされたことを忘れ、緑の影たちは人間を見下すいつものマインドセットに縋った。
 人も魔族も、追い詰められると現実逃避するものである。

 そして緑の影たちにとって、それが致命傷になった。

 こぞってジャンボジェットに集まった彼らは……。
 ジェットの壁を突き抜けて出現した、巨大な光のゴボウによって薙ぎ払われたのである。

『ウグワーッ!!』『ウグワーッ!!』『ウグワーッ!!』『ウグワーッ!!』『ウグワーッ!!』
『ウグワーッ!!』『ウグワーッ!!』『ウグワーッ!!』『ウグワーッ!!』『ウグワーッ!!』
『ウグワーッ!!』『ウグワーッ!!』『ウグワーッ!!』『ウグワーッ!!』『ウグワーッ!!』
『ウグワーッ!!』『ウグワーッ!!』『ウグワーッ!!』『ウグワーッ!!』『ウグワーッ!!』
『ウグワーッ!!』『ウグワーッ!!』『ウグワーッ!!』『ウグワーッ!!』『ウグワーッ!!』

 残る全ての緑の影が薙ぎ払われた。
 全滅、完膚なきまでの全滅である。

 雲は晴れ、欧州の空に満点の青が戻ってきた。

 ジャンボジェットが悠然と飛んでいく……。

「すげえ……なんだあれ」

 何も理解できず、少年は空を見上げる。
 今、彼の町の誰もが空を見ていた。

 誰一人、何が起こったか理解できなかった。
 だが、誰もが、この空と同じように、閉塞した状況が終わろうとしていることを感じ取っていた。

 雲のダンジョンは晴れ、一欠片の影もなく。
 完全無欠の青空なのだった。

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