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あからさまなスパイ事件
第200話 気のいいスパイ
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エルフェンバインには、どういうことか、ご近所公認のスパイみたいなのがいる。
私が彼と会ったのは、冬に近づき、風が冷たくなってきた頃合いだった。
一見してどこにでもいそうな中年のおじさんで、丸い鼻がいつも酒焼けなのか赤くなっていた。
「ワトサップのお嬢さん! あの人、オグロムニ連邦のスパイなんだよ」
「へえー」
下町遊撃隊の子に教えられて、おじさんをまじまじと見た。
確かに、人種はエルフェンバインのものではないと思う。
私たちに似ているタイプの人を選んだんだろうけど。
オグロムニ連邦は、かつてグラナート帝国という大陸北部を占める広大な国だったもので、それが周辺の小国を併合していってできあがった連邦国家だ。
未だにその国土を広げようと、周辺諸国に睨みを効かせているらしいのだけれど……。
数年前に、アルマース帝国に侵略しようとして、めちゃめちゃな敗北を喫してから大人しい。
北方の装備で南方に攻め込んだら、何もかも勝手が違って負けてしまったようだ。
「あのおじさんがねえ」
「サンドルって言うんだけどさ。いっつも酒のんでご機嫌で、『エルフェンバインは本当にいいとこだなあ!』って言うんだよ。バレバレだっつーの」
「あはは」
私は笑ってしまった。
サンドルは今日もビールを飲みながら、ニコニコご機嫌で路地を見つめている。
時折やって来る誰かさんとお喋りをして、小銭を受け取る。
「もしかして情報屋をやってるわけ?」
「そ! ああやって情報を売って、一緒に情報を仕入れて、それをまた売るんだ」
「へえー」
それで日がな一日飲んでいられるお金を手にできるとは、良い商売かも知れない。
さて、私がなぜ彼のことを気にしているかと言うと、先日にオーシレイからスパイの話を聞いたからだ。
『我が国にスパイがいる。国家の機密情報を流そうとしているかも知れないから、それがどんな者なのかを調べているのだ』
こんなことを言っていたので、私も興味を抱いたというわけ。
うーん。
見れば見るほど、情報屋でギリギリのお金を稼ぎつつ、一日中お酒とおつまみで生きているおじさんにしか見えない。
いや、それが全てではないのだろうか?
「でもさ、なんでワトサップのお嬢さんがわざわざ見張りをしてるのさ」
「王立アカデミーがペンキの塗替えでしばらく休みなのよ。この時期の貴族の子女は暇してるの」
「いいご身分だなあ」
我ながらそう思う。
「そうね。だからいいご身分の私から、情報を教えてくれた君に情報料。はい」
「うひょ! やった! いいの!? ありがとう!」
下町遊撃隊の子は飛び上がって喜び、このお金で弟と妹に肉を買ってやるんだと飛び跳ねながら去っていった。
さーて、こうしておじさんを観察しているのだけれど、何時間もお酒を飲んでいるだけだぞ。
私としても、お茶だけでお店に居座るのは申し訳ない気分になってきた。
ここは我が友シャーロットに聞きに行ってみようじゃないか。
お茶代を払い、立ち上がる私。
なんとサンドルは、最後まで私に気付くことはなかった。
あれがスパイねえ……。
シャーロット邸にやってきて、またお茶を差し出された。
「お腹たぷたぷになるまで飲んできたから、しばらくお茶はいい……」
「あら、そうですの? ですけどガストルの酒場のお茶は薄くて、お酒の割材やミルクをたっぷり入れて飲む前提でしょう?」
「なんで酒場でお茶してきたって分かるの?」
「ジャネット様の服に、お酒のにおいがありますわ。それからお茶をたっぷり飲んできたのに、明らかに満足していないお顔。これは楽しいお茶ではないし、お茶そのものも美味しくなかったのでしょう? なら、お酒のにおいがするところで、美味しくないお茶を出す場所を限定すればいいのですわ。そこはガストルの酒場ですわね!」
ここまで一気にまくしたてた後、シャーロットは他に、私がいた場所を特定した理由を説明してくれた。
ガストルの酒場は半開放型なので、どちら側に座っていたかで肩口の土埃の付き方が違うと言う話。
そしてお茶をたくさん飲んでも、文句一つ言わないのは、ガストルの酒場くらいだということ。
「なーるほど……。じゃあ、私がどうしてあそこで、美味しくない紅茶をたくさん飲んだのかは分かる?」
「もちろん。ジャネット様ほどの目立つお方がずっといて、何か、誰かを観察していたと見ますわ。そして対象は最後までジャネット様に気付かなかった。そこまで節穴みたいな目をしている人物は……下町では一人しかいませんわね!」
節穴みたいな目!
「スパイのサンドルですわね!」
「シャーロット公認でスパイなんだ……!!」
衝撃を受ける私である。
しかも、誰もが認める節穴スパイだったとは。
これは、オーシレイが警戒する必要なんて無いんじゃないだろうか……!!
途端にへなへな脱力する私なのだ。
「それにしても、幾らジャネット様と言えど、下町でお一人なのは危なくありませんこと? 今日はナイツさんの姿も見えませんけれど」
「実は下町遊撃隊の子たちについてきてもらったの。それにいざとなれば、ほら。この間蛮族から取り上げたトライエッジが」
「物騒なものをポケットに隠し持ってらっしゃいますわね! 下町のごろつきが犠牲にならなかったことを幸いに思いますわ!」
シャーロットが天を仰いだ後、私と顔を見合わせて笑い合うのだった。
ところで、あのスパイについてはどうしよう……?
私が彼と会ったのは、冬に近づき、風が冷たくなってきた頃合いだった。
一見してどこにでもいそうな中年のおじさんで、丸い鼻がいつも酒焼けなのか赤くなっていた。
「ワトサップのお嬢さん! あの人、オグロムニ連邦のスパイなんだよ」
「へえー」
下町遊撃隊の子に教えられて、おじさんをまじまじと見た。
確かに、人種はエルフェンバインのものではないと思う。
私たちに似ているタイプの人を選んだんだろうけど。
オグロムニ連邦は、かつてグラナート帝国という大陸北部を占める広大な国だったもので、それが周辺の小国を併合していってできあがった連邦国家だ。
未だにその国土を広げようと、周辺諸国に睨みを効かせているらしいのだけれど……。
数年前に、アルマース帝国に侵略しようとして、めちゃめちゃな敗北を喫してから大人しい。
北方の装備で南方に攻め込んだら、何もかも勝手が違って負けてしまったようだ。
「あのおじさんがねえ」
「サンドルって言うんだけどさ。いっつも酒のんでご機嫌で、『エルフェンバインは本当にいいとこだなあ!』って言うんだよ。バレバレだっつーの」
「あはは」
私は笑ってしまった。
サンドルは今日もビールを飲みながら、ニコニコご機嫌で路地を見つめている。
時折やって来る誰かさんとお喋りをして、小銭を受け取る。
「もしかして情報屋をやってるわけ?」
「そ! ああやって情報を売って、一緒に情報を仕入れて、それをまた売るんだ」
「へえー」
それで日がな一日飲んでいられるお金を手にできるとは、良い商売かも知れない。
さて、私がなぜ彼のことを気にしているかと言うと、先日にオーシレイからスパイの話を聞いたからだ。
『我が国にスパイがいる。国家の機密情報を流そうとしているかも知れないから、それがどんな者なのかを調べているのだ』
こんなことを言っていたので、私も興味を抱いたというわけ。
うーん。
見れば見るほど、情報屋でギリギリのお金を稼ぎつつ、一日中お酒とおつまみで生きているおじさんにしか見えない。
いや、それが全てではないのだろうか?
「でもさ、なんでワトサップのお嬢さんがわざわざ見張りをしてるのさ」
「王立アカデミーがペンキの塗替えでしばらく休みなのよ。この時期の貴族の子女は暇してるの」
「いいご身分だなあ」
我ながらそう思う。
「そうね。だからいいご身分の私から、情報を教えてくれた君に情報料。はい」
「うひょ! やった! いいの!? ありがとう!」
下町遊撃隊の子は飛び上がって喜び、このお金で弟と妹に肉を買ってやるんだと飛び跳ねながら去っていった。
さーて、こうしておじさんを観察しているのだけれど、何時間もお酒を飲んでいるだけだぞ。
私としても、お茶だけでお店に居座るのは申し訳ない気分になってきた。
ここは我が友シャーロットに聞きに行ってみようじゃないか。
お茶代を払い、立ち上がる私。
なんとサンドルは、最後まで私に気付くことはなかった。
あれがスパイねえ……。
シャーロット邸にやってきて、またお茶を差し出された。
「お腹たぷたぷになるまで飲んできたから、しばらくお茶はいい……」
「あら、そうですの? ですけどガストルの酒場のお茶は薄くて、お酒の割材やミルクをたっぷり入れて飲む前提でしょう?」
「なんで酒場でお茶してきたって分かるの?」
「ジャネット様の服に、お酒のにおいがありますわ。それからお茶をたっぷり飲んできたのに、明らかに満足していないお顔。これは楽しいお茶ではないし、お茶そのものも美味しくなかったのでしょう? なら、お酒のにおいがするところで、美味しくないお茶を出す場所を限定すればいいのですわ。そこはガストルの酒場ですわね!」
ここまで一気にまくしたてた後、シャーロットは他に、私がいた場所を特定した理由を説明してくれた。
ガストルの酒場は半開放型なので、どちら側に座っていたかで肩口の土埃の付き方が違うと言う話。
そしてお茶をたくさん飲んでも、文句一つ言わないのは、ガストルの酒場くらいだということ。
「なーるほど……。じゃあ、私がどうしてあそこで、美味しくない紅茶をたくさん飲んだのかは分かる?」
「もちろん。ジャネット様ほどの目立つお方がずっといて、何か、誰かを観察していたと見ますわ。そして対象は最後までジャネット様に気付かなかった。そこまで節穴みたいな目をしている人物は……下町では一人しかいませんわね!」
節穴みたいな目!
「スパイのサンドルですわね!」
「シャーロット公認でスパイなんだ……!!」
衝撃を受ける私である。
しかも、誰もが認める節穴スパイだったとは。
これは、オーシレイが警戒する必要なんて無いんじゃないだろうか……!!
途端にへなへな脱力する私なのだ。
「それにしても、幾らジャネット様と言えど、下町でお一人なのは危なくありませんこと? 今日はナイツさんの姿も見えませんけれど」
「実は下町遊撃隊の子たちについてきてもらったの。それにいざとなれば、ほら。この間蛮族から取り上げたトライエッジが」
「物騒なものをポケットに隠し持ってらっしゃいますわね! 下町のごろつきが犠牲にならなかったことを幸いに思いますわ!」
シャーロットが天を仰いだ後、私と顔を見合わせて笑い合うのだった。
ところで、あのスパイについてはどうしよう……?
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