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憲兵失踪事件
第52話 下町探検
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途中でシャーロットが、下町遊撃隊の子どもたちをつかまえて何かを依頼していた。
そこまでは覚えているのだが、今日のお菓子を何にするかで頭がいっぱいだった私は、内容まで聞いていなかった。
ようやく我が家でお茶が出て、私が吟味した焼き菓子がお皿に並べられると人心地がつく。
バスカーが走ってきて、私のふとももに頭をごしごし擦り付けてくる。
「もう少ししたらお散歩ね」
『わふ!』
彼をなでなでするのは、カップを持つ方の手。
お菓子をつまむ方の手ではない。
ここは徹底している。
モンスターに触れた手で物を食べると、モンスターの魔力ごと食べてしまうことになるから、その人はいつかモンスターになってしまう……と辺境の呪い師から聞かされたものだ。
その時遠方からやって来ていた褐色の肌の賢者は、そんなことはないよ、と笑っていたが。
「さて、一見するとただの失踪事件のように見えますわね。下町は様々な危険が潜んでいる場所ですわ。分かりやすいものばかりではなく、分かりにくいものも」
「なんとなく想像はつくわね」
王都としては治安の悪い場所、下町。
ただ、そこで日々を暮らす人もいて、直接的な命の危険は辺境よりも少ないと私は見ていた。
だって、道端に座り込んでいても生きていられるのだもの。
辺境では、日が暮れたら家の中に入らないと命が危ない。
守りをすり抜けて、霊体のモンスターが道を歩き回ったりするからだ。
「ジャネット様はモンスター的な脅威を想像なさっているようですけれど」
「分かるの!?」
「付き合いも長くなりましたし、辺境伯領の治安の情報もありますもの。分からないわけがないでしょう? 下町の危険は、そこまで直接的ではないものの、じわじわと侵食してくるようなものですわ。例えば、麻薬とか」
「ああ、戦いの前に恐怖心を麻痺させる……」
「辺境ではよく使われていましたわね、そう言えば! ジャネット様、よくぞそんな地獄みたいなところで生き残って、王都に来られましたわねえ」
「私も、王都がこんなに平和な場所だなんて思わなかったから。でも、麻薬を戦いのためじゃなくて、娯楽で使ってしまう人がいるっていうことなの? 確かにあれは強い常習性があるから、使用量は厳しく定められていたけれど」
「平和だからこそ、際限なく使って中毒になってしまう者がいる、ということですわ。さあ、今日はここまでに致しましょう。明日になれば、下町遊撃隊が何か情報をもってきてくれますから」
「はーい。じゃあ、シャーロットを送るついでにバスカーをお散歩させちゃおうかな」
「下町でもすっかり、ワトサップ家の令嬢と彼女が連れた魔犬は有名ですからねえ……」
そして翌日になる。
アカデミーの帰りに、シャーロットが声を掛けてきた。
「手がかりが見つかりましたわよ。本人はまだですけれど」
「早い! 本当にあの子たち、有能ねえ」
昨日の今日だ。
下町遊撃隊の情報収集能力は凄い。
シャーロットが言うには、子どもだからこそ、どこにでも入り込めるし相手は油断して情報を漏らすのだとか。
そうして、下町遊撃隊で腕を磨いた子どもは成長すると、シャーロットによって王都の諜報機関に推薦されるとか。
「本格的にそちらの道に入る子は、一年に一人もいませんけれど。みんな下町で地に足をつけて暮らすようになりますわ」
諜報活動をする中で、下町の商店街やら工場などと顔見知りになり、そこで働くようになるのだそうだ。
そうすると彼らは遊撃隊を抜ける。
それでも、かつて遊撃隊だった縁があるから、今度は彼らが貴重な情報源になっていく。
シャーロットの、馬のない馬車で下町を走る。
途中で遊撃隊の子どもが走ってきて、馬車に飛び乗った。
その少年は私を見て目を丸くしたあと、顔を真っ赤にした。
「じゃ、ジャネット様もいたんすか。エヘヘ……」
「照れてますわねえ……。免疫がない子がジャネット様を見るとまあ、こうなりますわね!」
「何のことなの」
解せぬ。
「それでは報告をして下さいな。目的地とその情報を」
「あ、はい! 水麻窟ってとこで、水麻の取引が行われてるとこなんすけど」
水麻っていうのは、海で穫れる麻薬のことだ。
辺境でも、珍しいものを取り扱う商人が来た時に仕入れて、使ってみたことがあるのだけれど。
これを使用した兵士はその夜、海へと戻っていく自分の夢を見たそうだ。
ここにいるべきではない。
自分の居場所は海だ、とうわごとを言ったりしていたので、これは問題があるなと判断して辺境で取り扱うのは止めた。
「そこに、憲兵が入っていったきり戻ってこないって話が」
「なるほど。では間違いなく、目的地はそこですわね。では君は、憲兵所に連絡をしてくださいまし。行きますわよ、ジャネット様」
「ええ!」
少年を降ろし、馬車は一路、水麻窟へ。
そこは半ばまで海に沈んだ建物で、石造りのあちこちから海藻やサンゴらしきものが生えていた。
桟橋のような入り口に到着すると、横合いの水面から真っ白な顔が突き出した。
マーマンだ。
髪の毛がゆらゆらと揺らめき、大きな目が私たちを見ている。
「何かご用で?」
「わたくしはシャーロット。尋ね人がここにいるらしいので、探しに来たのですわ」
「ああ、噂のシャーロットさん。確かに他の人間の女よりも、背が高い。そちらのきらきら光っている方は?」
「ワトサップ辺境伯令嬢ジャネットです」
私が名乗ると、マーマンが一瞬、水面に飛び上がった。
「これはこれは……! こんなとこにわざわざそんな偉い人が来られるとは。どうぞどうぞ、お入り下さい。ただし、水魔の誘いにはけっして乗らぬよう」
意味深な事を言い、マーマンは水の中に沈んでいった。
言葉の意味が分からず、シャーロットを見る。
彼女はちょっと微笑んで、「行けば分かりますわよ」とだけ言うのだった。
そこまでは覚えているのだが、今日のお菓子を何にするかで頭がいっぱいだった私は、内容まで聞いていなかった。
ようやく我が家でお茶が出て、私が吟味した焼き菓子がお皿に並べられると人心地がつく。
バスカーが走ってきて、私のふとももに頭をごしごし擦り付けてくる。
「もう少ししたらお散歩ね」
『わふ!』
彼をなでなでするのは、カップを持つ方の手。
お菓子をつまむ方の手ではない。
ここは徹底している。
モンスターに触れた手で物を食べると、モンスターの魔力ごと食べてしまうことになるから、その人はいつかモンスターになってしまう……と辺境の呪い師から聞かされたものだ。
その時遠方からやって来ていた褐色の肌の賢者は、そんなことはないよ、と笑っていたが。
「さて、一見するとただの失踪事件のように見えますわね。下町は様々な危険が潜んでいる場所ですわ。分かりやすいものばかりではなく、分かりにくいものも」
「なんとなく想像はつくわね」
王都としては治安の悪い場所、下町。
ただ、そこで日々を暮らす人もいて、直接的な命の危険は辺境よりも少ないと私は見ていた。
だって、道端に座り込んでいても生きていられるのだもの。
辺境では、日が暮れたら家の中に入らないと命が危ない。
守りをすり抜けて、霊体のモンスターが道を歩き回ったりするからだ。
「ジャネット様はモンスター的な脅威を想像なさっているようですけれど」
「分かるの!?」
「付き合いも長くなりましたし、辺境伯領の治安の情報もありますもの。分からないわけがないでしょう? 下町の危険は、そこまで直接的ではないものの、じわじわと侵食してくるようなものですわ。例えば、麻薬とか」
「ああ、戦いの前に恐怖心を麻痺させる……」
「辺境ではよく使われていましたわね、そう言えば! ジャネット様、よくぞそんな地獄みたいなところで生き残って、王都に来られましたわねえ」
「私も、王都がこんなに平和な場所だなんて思わなかったから。でも、麻薬を戦いのためじゃなくて、娯楽で使ってしまう人がいるっていうことなの? 確かにあれは強い常習性があるから、使用量は厳しく定められていたけれど」
「平和だからこそ、際限なく使って中毒になってしまう者がいる、ということですわ。さあ、今日はここまでに致しましょう。明日になれば、下町遊撃隊が何か情報をもってきてくれますから」
「はーい。じゃあ、シャーロットを送るついでにバスカーをお散歩させちゃおうかな」
「下町でもすっかり、ワトサップ家の令嬢と彼女が連れた魔犬は有名ですからねえ……」
そして翌日になる。
アカデミーの帰りに、シャーロットが声を掛けてきた。
「手がかりが見つかりましたわよ。本人はまだですけれど」
「早い! 本当にあの子たち、有能ねえ」
昨日の今日だ。
下町遊撃隊の情報収集能力は凄い。
シャーロットが言うには、子どもだからこそ、どこにでも入り込めるし相手は油断して情報を漏らすのだとか。
そうして、下町遊撃隊で腕を磨いた子どもは成長すると、シャーロットによって王都の諜報機関に推薦されるとか。
「本格的にそちらの道に入る子は、一年に一人もいませんけれど。みんな下町で地に足をつけて暮らすようになりますわ」
諜報活動をする中で、下町の商店街やら工場などと顔見知りになり、そこで働くようになるのだそうだ。
そうすると彼らは遊撃隊を抜ける。
それでも、かつて遊撃隊だった縁があるから、今度は彼らが貴重な情報源になっていく。
シャーロットの、馬のない馬車で下町を走る。
途中で遊撃隊の子どもが走ってきて、馬車に飛び乗った。
その少年は私を見て目を丸くしたあと、顔を真っ赤にした。
「じゃ、ジャネット様もいたんすか。エヘヘ……」
「照れてますわねえ……。免疫がない子がジャネット様を見るとまあ、こうなりますわね!」
「何のことなの」
解せぬ。
「それでは報告をして下さいな。目的地とその情報を」
「あ、はい! 水麻窟ってとこで、水麻の取引が行われてるとこなんすけど」
水麻っていうのは、海で穫れる麻薬のことだ。
辺境でも、珍しいものを取り扱う商人が来た時に仕入れて、使ってみたことがあるのだけれど。
これを使用した兵士はその夜、海へと戻っていく自分の夢を見たそうだ。
ここにいるべきではない。
自分の居場所は海だ、とうわごとを言ったりしていたので、これは問題があるなと判断して辺境で取り扱うのは止めた。
「そこに、憲兵が入っていったきり戻ってこないって話が」
「なるほど。では間違いなく、目的地はそこですわね。では君は、憲兵所に連絡をしてくださいまし。行きますわよ、ジャネット様」
「ええ!」
少年を降ろし、馬車は一路、水麻窟へ。
そこは半ばまで海に沈んだ建物で、石造りのあちこちから海藻やサンゴらしきものが生えていた。
桟橋のような入り口に到着すると、横合いの水面から真っ白な顔が突き出した。
マーマンだ。
髪の毛がゆらゆらと揺らめき、大きな目が私たちを見ている。
「何かご用で?」
「わたくしはシャーロット。尋ね人がここにいるらしいので、探しに来たのですわ」
「ああ、噂のシャーロットさん。確かに他の人間の女よりも、背が高い。そちらのきらきら光っている方は?」
「ワトサップ辺境伯令嬢ジャネットです」
私が名乗ると、マーマンが一瞬、水面に飛び上がった。
「これはこれは……! こんなとこにわざわざそんな偉い人が来られるとは。どうぞどうぞ、お入り下さい。ただし、水魔の誘いにはけっして乗らぬよう」
意味深な事を言い、マーマンは水の中に沈んでいった。
言葉の意味が分からず、シャーロットを見る。
彼女はちょっと微笑んで、「行けば分かりますわよ」とだけ言うのだった。
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