上 下
10 / 225
ヒーローの研究事件

第10話 様子がおかしい

しおりを挟む
 食堂でシャーロットとお茶をしていたら、外がにわかに騒がしくなる。
 紳士淑女たることを旨とする、王立アカデミーには似つかわしくないほどの音量で、皆が騒いでいる。

「とは言っても、いつもひそひそ声のうわさ話も十分耳に入ってくるのだけど」

「誰かが来たようですわね。聞こえてくる声の中に、浮ついたものや喜び、興奮が混じっています。これは、噂の君が現れたということでしょうね」

「そんな事が分かるの?」

 ざわめきを耳にしただけで、外で何が起こっているかを推測するシャーロット。
 私は半信半疑だ。
 確かめてみようと、紅茶の残りを飲んでから立ち上がった。

 うん、やっぱりミルクとお砂糖は入っていた方が好きだ。
 食堂のお茶は、シャーロットの家でいただいた紅茶よりも少し香りが弱かった気がする。
 もしやシャーロット、こだわっていい茶葉を使っているのではないだろうか。

 そんなことを考えつつ、食堂から出る。
 すると、すぐに人だかりがあった。

 アカデミーに通う者たちがみんな集まっているのではないか、と思えるほどの数。
 そしてその中心に、すらりと背が高い男性がいた。

 カラスの濡れ羽のような黒い髪に、やっぱり黒い瞳。
 日に焼けた肌。
 上等な衣装の上からも分かる、鍛えられた体。

 ホーリエル公爵家が産んだ英雄、ドッペルゲンだ。
 彼は微笑みながら、周囲の人々に当たり障りのない返事をしている。

 なぜここにやって来たのだろう?
 知らぬ仲ではないので、私も挨拶をしておくことにした。

「ドッペルゲン様、お久しぶりです。無事のご帰還をお慶び申し上げます」

「ああ。ありがとう」

 私を見て、ドッペルゲンはそう返した。
 他の人々に返答したものと同じである。

 おや?
 と、一瞬違和感を覚える。
 立場として、公爵家の生まれであるドッペルゲンと、辺境伯家の娘である私は同じ地位にある。

 それを当たり障りのない返事……というよりは、中身のない通り一辺倒の対応で済ませるなど……彼がやるだろうか?
 いや、大きな仕事から帰ってきて、疲れているだけかも知れない。

 私はそう思って自分を納得させることにした。
 結局、ドッペルゲンとの会話はなく、彼はアカデミーの中を隅々まで見回ってから、帰っていった。
 何をしに来たのだろう?

 かつて通っていたアカデミーを、今更見回ったところで新しい発見はあるまい。
 ここは時が止まったような場所。
 百年も前から、アカデミーにあるものは変わっていない。

 変化したのは通っている貴族の子女ばかり。

「浮かぬ顔をしておいでですわね」

 出た、シャーロット。
 私の顔をじーっと見て、ニヤリと笑った。

「ジャネット様の気になってらっしゃることを、当てて見せましょうか」

「どうぞ。当てられるものなら」

 今度は何を言おうというのだ。

「ホーリエル公爵家のドッペルゲン様。彼の様子が知っているものとは明らかに違っていたのですわね? そして行動も不審に見える」

「ええっ!?」

 思わず驚いて大きな声が出た。

「さっきあなた、あそこにいなかったでしょう!? どうして分かるの!?」

 続けて問いかけるのも大きな声だったので、私のところに駆け寄ろうとしていたらしい、カゲリナとグチエルがギョッとして立ち止まった。

「あ、あのう……ジャネット様……?」

「ああ、ごめんなさい。思わず大きな声を。はしたない」

 おほほほ、と笑ってごまかす。
 二人は私に、ドッペルゲンがいかに素敵かという話をキャッキャと話し、満足した様子で去っていった。

「彼女たち、すっかりジャネット様の派閥の一員ですわね」

「私、派閥とかいやなんだけど……。ああ、そうそう! 話の途中だった。どうして分かったの、シャーロット」

 シャーロットはニッコリ微笑んだ。

「簡単なことですわよ、ジャネット様。あなたとドッペルゲン様が無視し合うことは、対外的にはありえませんもの。そしてお二人が反目するほど、接触の機会は多くありませんでしょう? ジャネット様がこちらにいらっしゃったのは、ドッペルゲン様が旅立たれた後ですもの。それ以前に会っていたとしても、ジャネット様はほんの小さな頃でしょう?」

「確かにそう。その通り」

 むむむ、と私は唸った。

「なのに、ドッペルゲン様はジャネット様に、対等の立場にある貴族に向けて、とるべき態度をとらなかった。異常と言ってもよろしいですわね。そしてアカデミーを見回っていたことを、ジャネット様は訝しがっておられる」

「そこまで分かるの?」

「ここはわたくしも、同じ気持ちだからですわ。ドッペルゲン様の様子は、まるで初めてアカデミーを訪れたもののようですもの」

 シャーロットの話がきなくさくなってきた。
 これは、立ち話でするものではない。

 私は車止めのあるところで、待っていたナイツを呼んで馬車に乗り込んだ。
 シャーロットと並んで、車に揺られながら話の続きをする。

「戦場で生死の境をさまようと、ああなってしまう兵士は多いわ。ドッペルゲンはよほど大変な目に遭ってきたのかも知れないって私は思っている」

 私の推測を告げると、シャーロットは満足げに頷いた。

「百点満点の回答だと思いますわ。ごく自然で、誰も疑問には思いませんわね。いつかドッペルゲン様は、元の自分のようになって、自然とこの街に溶け込んでいくことでしょう」

 なんだろう。
 とっても引っかかる言い方だぞ。

「シャーロットは何を考えているの?」

「今、口にしては失礼になる言葉ですわ。少なくとも推測に過ぎない以上、これはわたくしの胸の中に留めておくべきでしょう。わたくしはただ、謎を調べたり解いたりすることが好きなだけで、預言者ではありませんの。ですから余計な事を告げて、ジャネット様の中に先入観を植え付ける気はない、ということで」

 それっきり、彼女はドッペルゲンに関する話をしてくれなかった。
 その後、会話はシャーロットの家の茶葉の話になり、彼女がいかに紅茶に情熱を燃やし、ブレンドして香りを追求しているかという事をひたすら聞かされることになった。

 翌日。

 ホーリエル家に仕える侍従の死体が見つかり、事件が始まる。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。

友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」 貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。 「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」 耳を疑いそう聞き返すも、 「君も、その方が良いのだろう?」 苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。 全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。 絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。 だったのですが。

【完結】父が再婚。義母には連れ子がいて一つ下の妹になるそうですが……ちょうだい癖のある義妹に寮生活は無理なのでは?

つくも茄子
ファンタジー
父が再婚をしました。お相手は男爵夫人。 平民の我が家でいいのですか? 疑問に思うものの、よくよく聞けば、相手も再婚で、娘が一人いるとのこと。 義妹はそれは美しい少女でした。義母に似たのでしょう。父も実娘をそっちのけで義妹にメロメロです。ですが、この新しい義妹には悪癖があるようで、人の物を欲しがるのです。「お義姉様、ちょうだい!」が口癖。あまりに煩いので快く渡しています。何故かって?もうすぐ、学園での寮生活に入るからです。少しの間だけ我慢すれば済むこと。 学園では煩い家族がいない分、のびのびと過ごせていたのですが、義妹が入学してきました。 必ずしも入学しなければならない、というわけではありません。 勉強嫌いの義妹。 この学園は成績順だということを知らないのでは?思った通り、最下位クラスにいってしまった義妹。 両親に駄々をこねているようです。 私のところにも手紙を送ってくるのですから、相当です。 しかも、寮やクラスで揉め事を起こしては顰蹙を買っています。入学早々に学園中の女子を敵にまわしたのです!やりたい放題の義妹に、とうとう、ある処置を施され・・・。 なろう、カクヨム、にも公開中。

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

【完結】4人の令嬢とその婚約者達

cc.
恋愛
仲の良い4人の令嬢には、それぞれ幼い頃から決められた婚約者がいた。 優れた才能を持つ婚約者達は、騎士団に入り活躍をみせると、その評判は瞬く間に広まっていく。 年に、数回だけ行われる婚約者との交流も活躍すればする程、回数は減り気がつけばもう数年以上もお互い顔を合わせていなかった。 そんな中、4人の令嬢が街にお忍びで遊びに来たある日… 有名な娼館の前で話している男女数組を見かける。 真昼間から、騎士団の制服で娼館に来ているなんて… 呆れていると、そのうちの1人… いや、もう1人… あれ、あと2人も… まさかの、自分たちの婚約者であった。 貴方達が、好き勝手するならば、私達も自由に生きたい! そう決意した4人の令嬢の、我慢をやめたお話である。 *20話完結予定です。

元侯爵令嬢は冷遇を満喫する

cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。 しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は 「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」 夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。 自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。 お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。 本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。 ※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

いっとう愚かで、惨めで、哀れな末路を辿るはずだった令嬢の矜持

空月
ファンタジー
古くからの名家、貴き血を継ぐローゼンベルグ家――その末子、一人娘として生まれたカトレア・ローゼンベルグは、幼い頃からの婚約者に婚約破棄され、遠方の別荘へと療養の名目で送られた。 その道中に惨めに死ぬはずだった未来を、突然現れた『バグ』によって回避して、ただの『カトレア』として生きていく話。 ※悪役令嬢で婚約破棄物ですが、ざまぁもスッキリもありません。 ※以前投稿していた「いっとう愚かで惨めで哀れだった令嬢の果て」改稿版です。文章量が1.5倍くらいに増えています。

【完結】言いたいことがあるなら言ってみろ、と言われたので遠慮なく言ってみた

杜野秋人
ファンタジー
社交シーズン最後の大晩餐会と舞踏会。そのさなか、第三王子が突然、婚約者である伯爵家令嬢に婚約破棄を突き付けた。 なんでも、伯爵家令嬢が婚約者の地位を笠に着て、第三王子の寵愛する子爵家令嬢を虐めていたというのだ。 婚約者は否定するも、他にも次々と証言や証人が出てきて黙り込み俯いてしまう。 勝ち誇った王子は、最後にこう宣言した。 「そなたにも言い分はあろう。私は寛大だから弁明の機会をくれてやる。言いたいことがあるなら言ってみろ」 その一言が、自らの破滅を呼ぶことになるなど、この時彼はまだ気付いていなかった⸺! ◆例によって設定ナシの即興作品です。なので主人公の伯爵家令嬢以外に固有名詞はありません。頭カラッポにしてゆるっとお楽しみ下さい。 婚約破棄ものですが恋愛はありません。もちろん元サヤもナシです。 ◆全6話、約15000字程度でサラッと読めます。1日1話ずつ更新。 ◆この物語はアルファポリスのほか、小説家になろうでも公開します。 ◆9/29、HOTランキング入り!お読み頂きありがとうございます! 10/1、HOTランキング最高6位、人気ランキング11位、ファンタジーランキング1位!24h.pt瞬間最大11万4000pt!いずれも自己ベスト!ありがとうございます!

裏切りの先にあるもの

マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。 結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。

処理中です...