1 / 225
エルフェンバインの醜聞事件
第1話 婚約破棄は突然に
しおりを挟む
「ジャネット・ワトサップ! お前との婚約は、今日この時をもって破棄する!!」
突然、そんなことを言われたらどんな顔をすればいいのだろう。
私は呆然として、目の前にいる男性を見つめていた。
金髪碧眼、すらりとした体躯をした、まつ毛の長い彼。
コイニキール様は、エルフェンバイン王国の第一王子である。
私は辺境伯の娘であり、彼と私とは許嫁だった。
今まで、それほど仲が悪いわけでもなかったのに。
一体どうして。
「ど……どうしてですか、コイニキール様」
私は精一杯声を絞り出す。
コイニキール様は、じっと私を見つめた。
それは見慣れた彼の瞳。
だけれど、いつもとは違う色を感じた。
まるで何か、熱に浮かされているような。
「お前の心に聞いてみるがいい、ジャネット! 今日限りで、さようならだ!」
なんということでしょう!
取り付くしまもない。
周囲では、好奇心に目を輝かせ、礼服やドレス、宝飾品で身を飾った人々が見つめている。
とてもいたたまれない。
ここは舞踏会の会場。
私とコイニキールとの結婚が大々的に宣言され、祝福を受けるはずの場所だった。
それがどうして。
私の心は沈む。
お父様に、お母様に、辺境領の皆になんと言えばいいのだろう。
その時だ。
得意げな顔をしているコイニキールの後ろから、妙に通る声が聞こえてきた。
「公の場で婚約を破棄する? 正気かしらあの男。頭がおかしいんじゃなくって?」
「エッ!?」
私の憂いは一気に吹っ飛んで、声がした方を凝視してしまう。
そして、私の目はそこに釘付けになった。
赤と黒のドレスを身に着けた、すらりと背の高い女性が立っていたのだ。
ブルネットの髪は結い上げられ、まるで猛禽のように鋭い目つきで、瞳の色は深いブラウン。
鼻が高くて、痩せている。
彼女の言葉は周囲にも聞こえたようで、ざわめきが広がり始める。
「だ、誰だ! 私の事を今、頭がおかしいと……」
コイニキールが周囲を見回す。
そして、赤と黒のドレスの彼女と目が合うと、「うっ」と言葉に詰まった。
「常識的には、ありえませんものね」
彼女はそう言った。
にこりともしない。
さっきまで、婚約破棄という状況を楽しんでいたようなこの場に、緊迫した空気が流れる。
これ、どうなってしまうのだろうか……?
私が思った時だった。
「ウグワーッ!」
叫んで倒れた人がいた。
あっ!
あれは国王のイニアナガ一世陛下!
「こ、婚約破棄! 辺境伯家と!? ウ、ウグワーッ!!」
「いかん! 陛下の胃にまた穴が空く!」
「魔法医! 魔法医ー!!」
周囲はざわめきや悲鳴が聞こえ、もはや舞踏会どころではない。
えっ、陛下大丈夫!?
心配……すごく心配……。
私の頭の中は、陛下のお腹の心配に埋め尽くされた。
昔から、自分のことよりも人の心配が先に立ってしまう。
コイニキールは私と、赤黒ドレスの彼女を交互に見ると、「ふん! 真実の愛の前に立ちふさがる者たちめ! 私は負けんぞ!!」と吐き捨てながら去っていった。
なんということでしょう……。
もう、めちゃくちゃだ。
私の心の中もめちゃくちゃで、辛うじて陛下の胃が無事であって欲しいという心配が、婚約破棄の衝撃を上回ったので、正気を保てていた。
それにしたって、とても平静ではいられないわけで。
私は頭に両手を当てて、うーんと呻く。
セットした髪が乱れて、プラチナブロンドの前髪が目の前に垂れ下がった。
「大丈夫かしら?」
その髪を整えてくれる人がいた。
赤黒ドレスの彼女だ。
「あ、あなたは……?」
「わたくしはシャーロット。ラムズ侯爵家のシャーロットですわ。きれいな髪が台無し。せっかく朝から地竜の骨のカールでセットをして、この日に望んでいたでしょうに」
「ええ。ごめんなさい。カールで……えっ!?」
私は彼女の言葉の意味に気付いて、驚く。
髪を整えるために、カールを使ったのはその通りだ。
だけど、それの材質が地竜の骨を使っていたなんて、どうして分かるのだろう……!?
「少しは自分の心配をなさってもよろしいのではなくって? その気になったら、いつでもわたくしの所にいらっしゃいな。ラムズ侯爵家の屋敷は、王国の魔剣通りにあるから」
「は、はい……!」
シャーロットはにっこり微笑んだ。
猛禽のようだと思った目が、その時だけ優しくなる。
彼女は踵を返して、立ち去っていった。
私に衝撃と、謎を残して。
そのすぐ後で、私の護衛である騎士ナイツが駆けつけてくる。
「お嬢、大丈夫でしたかい? あの王子の野郎、ぶん殴ってやる」
「ちょっと待ってナイツ! あなたに殴られたらコイニキールが死んでしまうわ! それこそ国家的問題よ」
「ああ、これは失敬。しかしお嬢、婚約破棄なんてとんでもねえ事態の後に、また凄いお人に目を付けられましたねえ」
「凄いお人?」
私が首を傾げると、騎士のナイツが教えてくれた。
「有名人ですよ。ラムズ侯爵家のシャーロット。いかなる謎も解き明かす、推理令嬢だって言われてます。俺も冒険者だった頃に、何度か会ってますね。ありゃあ、とんでもないお人だ」
「へえ……!」
「辺境にいるばかりじゃ、分からない噂ってのはありますからね。シャーロットの屋敷に招かれたんでしょう? なら、行ったがいいでしょう。偏屈で有名な人物ですが、お嬢に笑いかけたのを見て驚きましたよ。多分、お嬢は気に入られたんじゃないですかね」
「そうなのかしら……?」
すっかり舞踏会はお開きになってしまい、私はその足で屋敷に帰ることになった。
私の頭の中をいっぱいにしているのは、不思議と婚約破棄のことではなくなっている。
あの不思議な人、シャーロットへの興味がどんどんと湧き出てくるのだった。
そしてこれは、私とシャーロットとの出会いになる。
まさか彼女との付き合いがこの先、長く長く続いていくなんて……。
その時の私には、理解できようはずもなかった。
突然、そんなことを言われたらどんな顔をすればいいのだろう。
私は呆然として、目の前にいる男性を見つめていた。
金髪碧眼、すらりとした体躯をした、まつ毛の長い彼。
コイニキール様は、エルフェンバイン王国の第一王子である。
私は辺境伯の娘であり、彼と私とは許嫁だった。
今まで、それほど仲が悪いわけでもなかったのに。
一体どうして。
「ど……どうしてですか、コイニキール様」
私は精一杯声を絞り出す。
コイニキール様は、じっと私を見つめた。
それは見慣れた彼の瞳。
だけれど、いつもとは違う色を感じた。
まるで何か、熱に浮かされているような。
「お前の心に聞いてみるがいい、ジャネット! 今日限りで、さようならだ!」
なんということでしょう!
取り付くしまもない。
周囲では、好奇心に目を輝かせ、礼服やドレス、宝飾品で身を飾った人々が見つめている。
とてもいたたまれない。
ここは舞踏会の会場。
私とコイニキールとの結婚が大々的に宣言され、祝福を受けるはずの場所だった。
それがどうして。
私の心は沈む。
お父様に、お母様に、辺境領の皆になんと言えばいいのだろう。
その時だ。
得意げな顔をしているコイニキールの後ろから、妙に通る声が聞こえてきた。
「公の場で婚約を破棄する? 正気かしらあの男。頭がおかしいんじゃなくって?」
「エッ!?」
私の憂いは一気に吹っ飛んで、声がした方を凝視してしまう。
そして、私の目はそこに釘付けになった。
赤と黒のドレスを身に着けた、すらりと背の高い女性が立っていたのだ。
ブルネットの髪は結い上げられ、まるで猛禽のように鋭い目つきで、瞳の色は深いブラウン。
鼻が高くて、痩せている。
彼女の言葉は周囲にも聞こえたようで、ざわめきが広がり始める。
「だ、誰だ! 私の事を今、頭がおかしいと……」
コイニキールが周囲を見回す。
そして、赤と黒のドレスの彼女と目が合うと、「うっ」と言葉に詰まった。
「常識的には、ありえませんものね」
彼女はそう言った。
にこりともしない。
さっきまで、婚約破棄という状況を楽しんでいたようなこの場に、緊迫した空気が流れる。
これ、どうなってしまうのだろうか……?
私が思った時だった。
「ウグワーッ!」
叫んで倒れた人がいた。
あっ!
あれは国王のイニアナガ一世陛下!
「こ、婚約破棄! 辺境伯家と!? ウ、ウグワーッ!!」
「いかん! 陛下の胃にまた穴が空く!」
「魔法医! 魔法医ー!!」
周囲はざわめきや悲鳴が聞こえ、もはや舞踏会どころではない。
えっ、陛下大丈夫!?
心配……すごく心配……。
私の頭の中は、陛下のお腹の心配に埋め尽くされた。
昔から、自分のことよりも人の心配が先に立ってしまう。
コイニキールは私と、赤黒ドレスの彼女を交互に見ると、「ふん! 真実の愛の前に立ちふさがる者たちめ! 私は負けんぞ!!」と吐き捨てながら去っていった。
なんということでしょう……。
もう、めちゃくちゃだ。
私の心の中もめちゃくちゃで、辛うじて陛下の胃が無事であって欲しいという心配が、婚約破棄の衝撃を上回ったので、正気を保てていた。
それにしたって、とても平静ではいられないわけで。
私は頭に両手を当てて、うーんと呻く。
セットした髪が乱れて、プラチナブロンドの前髪が目の前に垂れ下がった。
「大丈夫かしら?」
その髪を整えてくれる人がいた。
赤黒ドレスの彼女だ。
「あ、あなたは……?」
「わたくしはシャーロット。ラムズ侯爵家のシャーロットですわ。きれいな髪が台無し。せっかく朝から地竜の骨のカールでセットをして、この日に望んでいたでしょうに」
「ええ。ごめんなさい。カールで……えっ!?」
私は彼女の言葉の意味に気付いて、驚く。
髪を整えるために、カールを使ったのはその通りだ。
だけど、それの材質が地竜の骨を使っていたなんて、どうして分かるのだろう……!?
「少しは自分の心配をなさってもよろしいのではなくって? その気になったら、いつでもわたくしの所にいらっしゃいな。ラムズ侯爵家の屋敷は、王国の魔剣通りにあるから」
「は、はい……!」
シャーロットはにっこり微笑んだ。
猛禽のようだと思った目が、その時だけ優しくなる。
彼女は踵を返して、立ち去っていった。
私に衝撃と、謎を残して。
そのすぐ後で、私の護衛である騎士ナイツが駆けつけてくる。
「お嬢、大丈夫でしたかい? あの王子の野郎、ぶん殴ってやる」
「ちょっと待ってナイツ! あなたに殴られたらコイニキールが死んでしまうわ! それこそ国家的問題よ」
「ああ、これは失敬。しかしお嬢、婚約破棄なんてとんでもねえ事態の後に、また凄いお人に目を付けられましたねえ」
「凄いお人?」
私が首を傾げると、騎士のナイツが教えてくれた。
「有名人ですよ。ラムズ侯爵家のシャーロット。いかなる謎も解き明かす、推理令嬢だって言われてます。俺も冒険者だった頃に、何度か会ってますね。ありゃあ、とんでもないお人だ」
「へえ……!」
「辺境にいるばかりじゃ、分からない噂ってのはありますからね。シャーロットの屋敷に招かれたんでしょう? なら、行ったがいいでしょう。偏屈で有名な人物ですが、お嬢に笑いかけたのを見て驚きましたよ。多分、お嬢は気に入られたんじゃないですかね」
「そうなのかしら……?」
すっかり舞踏会はお開きになってしまい、私はその足で屋敷に帰ることになった。
私の頭の中をいっぱいにしているのは、不思議と婚約破棄のことではなくなっている。
あの不思議な人、シャーロットへの興味がどんどんと湧き出てくるのだった。
そしてこれは、私とシャーロットとの出会いになる。
まさか彼女との付き合いがこの先、長く長く続いていくなんて……。
その時の私には、理解できようはずもなかった。
0
お気に入りに追加
441
あなたにおすすめの小説
魅了が解けた貴男から私へ
砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。
彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。
そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。
しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。
男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。
元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。
しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。
三話完結です。
記憶を失ったらあなたへの恋心も消えました。
ごろごろみかん。
恋愛
婚約者には、何よりも大切にしている義妹がいる、らしい。
ある日、私は階段から転がり落ち、目が覚めた時には全てを忘れていた。
対面した婚約者は、
「お前がどうしても、というからこの婚約を結んだ。そんなことも覚えていないのか」
……とても偉そう。日記を見るに、以前の私は彼を慕っていたらしいけれど。
「階段から転げ落ちた衝撃であなたへの恋心もなくなったみたいです。ですから婚約は解消していただいて構いません。今まで無理を言って申し訳ありませんでした」
今の私はあなたを愛していません。
気弱令嬢(だった)シャーロットの逆襲が始まる。
☆タイトルコロコロ変えてすみません、これで決定、のはず。
いっとう愚かで、惨めで、哀れな末路を辿るはずだった令嬢の矜持
空月
ファンタジー
古くからの名家、貴き血を継ぐローゼンベルグ家――その末子、一人娘として生まれたカトレア・ローゼンベルグは、幼い頃からの婚約者に婚約破棄され、遠方の別荘へと療養の名目で送られた。
その道中に惨めに死ぬはずだった未来を、突然現れた『バグ』によって回避して、ただの『カトレア』として生きていく話。
※悪役令嬢で婚約破棄物ですが、ざまぁもスッキリもありません。
※以前投稿していた「いっとう愚かで惨めで哀れだった令嬢の果て」改稿版です。文章量が1.5倍くらいに増えています。
婚約破棄されたら魔法が解けました
かな
恋愛
「クロエ・ベネット。お前との婚約は破棄する。」
それは学園の卒業パーティーでの出来事だった。……やっぱり、ダメだったんだ。周りがザワザワと騒ぎ出す中、ただ1人『クロエ・ベネット』だけは冷静に事実を受け止めていた。乙女ゲームの世界に転生してから10年。国外追放を回避する為に、そして后妃となる為に努力し続けて来たその時間が無駄になった瞬間だった。そんな彼女に追い打ちをかけるかのように、第一王子であるエドワード・ホワイトは聖女を新たな婚約者とすることを発表した。その後はトントン拍子にことが運び、冤罪をかけられ、ゲームのシナリオ通り国外追放になった。そして、魔物に襲われて死ぬ。……そんな運命を辿るはずだった。
「こんなことなら、転生なんてしたくなかった。元の世界に戻りたい……」
あろうことか、最後の願いとしてそう思った瞬間に、全身が光り出したのだ。そして気がつくと、なんと前世の姿に戻っていた!しかもそれを第二王子であるアルベルトに見られていて……。
「……まさかこんなことになるなんてね。……それでどうする?あの2人復讐でもしちゃう?今の君なら、それができるよ。」
死を覚悟した絶望から転生特典を得た主人公の大逆転溺愛ラブストーリー!
※最初の5話は毎日18時に投稿、それ以降は毎週土曜日の18時に投稿する予定です
悪役令嬢の涙
拓海のり
恋愛
公爵令嬢グレイスは婚約者である王太子エドマンドに卒業パーティで婚約破棄される。王子の側には、癒しの魔法を使え聖女ではないかと噂される子爵家に引き取られたメアリ―がいた。13000字の短編です。他サイトにも投稿します。
悪役令嬢にざまぁされた王子のその後
柚木崎 史乃
ファンタジー
王子アルフレッドは、婚約者である侯爵令嬢レティシアに窃盗の濡れ衣を着せ陥れようとした罪で父王から廃嫡を言い渡され、国外に追放された。
その後、炭鉱の町で鉱夫として働くアルフレッドは反省するどころかレティシアや彼女の味方をした弟への恨みを募らせていく。
そんなある日、アルフレッドは行く当てのない訳ありの少女マリエルを拾う。
マリエルを養子として迎え、共に生活するうちにアルフレッドはやがて自身の過去の過ちを猛省するようになり改心していった。
人生がいい方向に変わったように見えたが……平穏な生活は長く続かず、事態は思わぬ方向へ動き出したのだった。
もう死んでしまった私へ
ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。
幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか?
今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!!
ゆるゆる設定です。
魔法のせいだからって許せるわけがない
ユウユウ
ファンタジー
私は魅了魔法にかけられ、婚約者を裏切って、婚約破棄を宣言してしまった。同じように魔法にかけられても婚約者を強く愛していた者は魔法に抵抗したらしい。
すべてが明るみになり、魅了がとけた私は婚約者に謝罪してやり直そうと懇願したが、彼女はけして私を許さなかった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる