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エルフェンバインの醜聞事件
第1話 婚約破棄は突然に
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「ジャネット・ワトサップ! お前との婚約は、今日この時をもって破棄する!!」
突然、そんなことを言われたらどんな顔をすればいいのだろう。
私は呆然として、目の前にいる男性を見つめていた。
金髪碧眼、すらりとした体躯をした、まつ毛の長い彼。
コイニキール様は、エルフェンバイン王国の第一王子である。
私は辺境伯の娘であり、彼と私とは許嫁だった。
今まで、それほど仲が悪いわけでもなかったのに。
一体どうして。
「ど……どうしてですか、コイニキール様」
私は精一杯声を絞り出す。
コイニキール様は、じっと私を見つめた。
それは見慣れた彼の瞳。
だけれど、いつもとは違う色を感じた。
まるで何か、熱に浮かされているような。
「お前の心に聞いてみるがいい、ジャネット! 今日限りで、さようならだ!」
なんということでしょう!
取り付くしまもない。
周囲では、好奇心に目を輝かせ、礼服やドレス、宝飾品で身を飾った人々が見つめている。
とてもいたたまれない。
ここは舞踏会の会場。
私とコイニキールとの結婚が大々的に宣言され、祝福を受けるはずの場所だった。
それがどうして。
私の心は沈む。
お父様に、お母様に、辺境領の皆になんと言えばいいのだろう。
その時だ。
得意げな顔をしているコイニキールの後ろから、妙に通る声が聞こえてきた。
「公の場で婚約を破棄する? 正気かしらあの男。頭がおかしいんじゃなくって?」
「エッ!?」
私の憂いは一気に吹っ飛んで、声がした方を凝視してしまう。
そして、私の目はそこに釘付けになった。
赤と黒のドレスを身に着けた、すらりと背の高い女性が立っていたのだ。
ブルネットの髪は結い上げられ、まるで猛禽のように鋭い目つきで、瞳の色は深いブラウン。
鼻が高くて、痩せている。
彼女の言葉は周囲にも聞こえたようで、ざわめきが広がり始める。
「だ、誰だ! 私の事を今、頭がおかしいと……」
コイニキールが周囲を見回す。
そして、赤と黒のドレスの彼女と目が合うと、「うっ」と言葉に詰まった。
「常識的には、ありえませんものね」
彼女はそう言った。
にこりともしない。
さっきまで、婚約破棄という状況を楽しんでいたようなこの場に、緊迫した空気が流れる。
これ、どうなってしまうのだろうか……?
私が思った時だった。
「ウグワーッ!」
叫んで倒れた人がいた。
あっ!
あれは国王のイニアナガ一世陛下!
「こ、婚約破棄! 辺境伯家と!? ウ、ウグワーッ!!」
「いかん! 陛下の胃にまた穴が空く!」
「魔法医! 魔法医ー!!」
周囲はざわめきや悲鳴が聞こえ、もはや舞踏会どころではない。
えっ、陛下大丈夫!?
心配……すごく心配……。
私の頭の中は、陛下のお腹の心配に埋め尽くされた。
昔から、自分のことよりも人の心配が先に立ってしまう。
コイニキールは私と、赤黒ドレスの彼女を交互に見ると、「ふん! 真実の愛の前に立ちふさがる者たちめ! 私は負けんぞ!!」と吐き捨てながら去っていった。
なんということでしょう……。
もう、めちゃくちゃだ。
私の心の中もめちゃくちゃで、辛うじて陛下の胃が無事であって欲しいという心配が、婚約破棄の衝撃を上回ったので、正気を保てていた。
それにしたって、とても平静ではいられないわけで。
私は頭に両手を当てて、うーんと呻く。
セットした髪が乱れて、プラチナブロンドの前髪が目の前に垂れ下がった。
「大丈夫かしら?」
その髪を整えてくれる人がいた。
赤黒ドレスの彼女だ。
「あ、あなたは……?」
「わたくしはシャーロット。ラムズ侯爵家のシャーロットですわ。きれいな髪が台無し。せっかく朝から地竜の骨のカールでセットをして、この日に望んでいたでしょうに」
「ええ。ごめんなさい。カールで……えっ!?」
私は彼女の言葉の意味に気付いて、驚く。
髪を整えるために、カールを使ったのはその通りだ。
だけど、それの材質が地竜の骨を使っていたなんて、どうして分かるのだろう……!?
「少しは自分の心配をなさってもよろしいのではなくって? その気になったら、いつでもわたくしの所にいらっしゃいな。ラムズ侯爵家の屋敷は、王国の魔剣通りにあるから」
「は、はい……!」
シャーロットはにっこり微笑んだ。
猛禽のようだと思った目が、その時だけ優しくなる。
彼女は踵を返して、立ち去っていった。
私に衝撃と、謎を残して。
そのすぐ後で、私の護衛である騎士ナイツが駆けつけてくる。
「お嬢、大丈夫でしたかい? あの王子の野郎、ぶん殴ってやる」
「ちょっと待ってナイツ! あなたに殴られたらコイニキールが死んでしまうわ! それこそ国家的問題よ」
「ああ、これは失敬。しかしお嬢、婚約破棄なんてとんでもねえ事態の後に、また凄いお人に目を付けられましたねえ」
「凄いお人?」
私が首を傾げると、騎士のナイツが教えてくれた。
「有名人ですよ。ラムズ侯爵家のシャーロット。いかなる謎も解き明かす、推理令嬢だって言われてます。俺も冒険者だった頃に、何度か会ってますね。ありゃあ、とんでもないお人だ」
「へえ……!」
「辺境にいるばかりじゃ、分からない噂ってのはありますからね。シャーロットの屋敷に招かれたんでしょう? なら、行ったがいいでしょう。偏屈で有名な人物ですが、お嬢に笑いかけたのを見て驚きましたよ。多分、お嬢は気に入られたんじゃないですかね」
「そうなのかしら……?」
すっかり舞踏会はお開きになってしまい、私はその足で屋敷に帰ることになった。
私の頭の中をいっぱいにしているのは、不思議と婚約破棄のことではなくなっている。
あの不思議な人、シャーロットへの興味がどんどんと湧き出てくるのだった。
そしてこれは、私とシャーロットとの出会いになる。
まさか彼女との付き合いがこの先、長く長く続いていくなんて……。
その時の私には、理解できようはずもなかった。
突然、そんなことを言われたらどんな顔をすればいいのだろう。
私は呆然として、目の前にいる男性を見つめていた。
金髪碧眼、すらりとした体躯をした、まつ毛の長い彼。
コイニキール様は、エルフェンバイン王国の第一王子である。
私は辺境伯の娘であり、彼と私とは許嫁だった。
今まで、それほど仲が悪いわけでもなかったのに。
一体どうして。
「ど……どうしてですか、コイニキール様」
私は精一杯声を絞り出す。
コイニキール様は、じっと私を見つめた。
それは見慣れた彼の瞳。
だけれど、いつもとは違う色を感じた。
まるで何か、熱に浮かされているような。
「お前の心に聞いてみるがいい、ジャネット! 今日限りで、さようならだ!」
なんということでしょう!
取り付くしまもない。
周囲では、好奇心に目を輝かせ、礼服やドレス、宝飾品で身を飾った人々が見つめている。
とてもいたたまれない。
ここは舞踏会の会場。
私とコイニキールとの結婚が大々的に宣言され、祝福を受けるはずの場所だった。
それがどうして。
私の心は沈む。
お父様に、お母様に、辺境領の皆になんと言えばいいのだろう。
その時だ。
得意げな顔をしているコイニキールの後ろから、妙に通る声が聞こえてきた。
「公の場で婚約を破棄する? 正気かしらあの男。頭がおかしいんじゃなくって?」
「エッ!?」
私の憂いは一気に吹っ飛んで、声がした方を凝視してしまう。
そして、私の目はそこに釘付けになった。
赤と黒のドレスを身に着けた、すらりと背の高い女性が立っていたのだ。
ブルネットの髪は結い上げられ、まるで猛禽のように鋭い目つきで、瞳の色は深いブラウン。
鼻が高くて、痩せている。
彼女の言葉は周囲にも聞こえたようで、ざわめきが広がり始める。
「だ、誰だ! 私の事を今、頭がおかしいと……」
コイニキールが周囲を見回す。
そして、赤と黒のドレスの彼女と目が合うと、「うっ」と言葉に詰まった。
「常識的には、ありえませんものね」
彼女はそう言った。
にこりともしない。
さっきまで、婚約破棄という状況を楽しんでいたようなこの場に、緊迫した空気が流れる。
これ、どうなってしまうのだろうか……?
私が思った時だった。
「ウグワーッ!」
叫んで倒れた人がいた。
あっ!
あれは国王のイニアナガ一世陛下!
「こ、婚約破棄! 辺境伯家と!? ウ、ウグワーッ!!」
「いかん! 陛下の胃にまた穴が空く!」
「魔法医! 魔法医ー!!」
周囲はざわめきや悲鳴が聞こえ、もはや舞踏会どころではない。
えっ、陛下大丈夫!?
心配……すごく心配……。
私の頭の中は、陛下のお腹の心配に埋め尽くされた。
昔から、自分のことよりも人の心配が先に立ってしまう。
コイニキールは私と、赤黒ドレスの彼女を交互に見ると、「ふん! 真実の愛の前に立ちふさがる者たちめ! 私は負けんぞ!!」と吐き捨てながら去っていった。
なんということでしょう……。
もう、めちゃくちゃだ。
私の心の中もめちゃくちゃで、辛うじて陛下の胃が無事であって欲しいという心配が、婚約破棄の衝撃を上回ったので、正気を保てていた。
それにしたって、とても平静ではいられないわけで。
私は頭に両手を当てて、うーんと呻く。
セットした髪が乱れて、プラチナブロンドの前髪が目の前に垂れ下がった。
「大丈夫かしら?」
その髪を整えてくれる人がいた。
赤黒ドレスの彼女だ。
「あ、あなたは……?」
「わたくしはシャーロット。ラムズ侯爵家のシャーロットですわ。きれいな髪が台無し。せっかく朝から地竜の骨のカールでセットをして、この日に望んでいたでしょうに」
「ええ。ごめんなさい。カールで……えっ!?」
私は彼女の言葉の意味に気付いて、驚く。
髪を整えるために、カールを使ったのはその通りだ。
だけど、それの材質が地竜の骨を使っていたなんて、どうして分かるのだろう……!?
「少しは自分の心配をなさってもよろしいのではなくって? その気になったら、いつでもわたくしの所にいらっしゃいな。ラムズ侯爵家の屋敷は、王国の魔剣通りにあるから」
「は、はい……!」
シャーロットはにっこり微笑んだ。
猛禽のようだと思った目が、その時だけ優しくなる。
彼女は踵を返して、立ち去っていった。
私に衝撃と、謎を残して。
そのすぐ後で、私の護衛である騎士ナイツが駆けつけてくる。
「お嬢、大丈夫でしたかい? あの王子の野郎、ぶん殴ってやる」
「ちょっと待ってナイツ! あなたに殴られたらコイニキールが死んでしまうわ! それこそ国家的問題よ」
「ああ、これは失敬。しかしお嬢、婚約破棄なんてとんでもねえ事態の後に、また凄いお人に目を付けられましたねえ」
「凄いお人?」
私が首を傾げると、騎士のナイツが教えてくれた。
「有名人ですよ。ラムズ侯爵家のシャーロット。いかなる謎も解き明かす、推理令嬢だって言われてます。俺も冒険者だった頃に、何度か会ってますね。ありゃあ、とんでもないお人だ」
「へえ……!」
「辺境にいるばかりじゃ、分からない噂ってのはありますからね。シャーロットの屋敷に招かれたんでしょう? なら、行ったがいいでしょう。偏屈で有名な人物ですが、お嬢に笑いかけたのを見て驚きましたよ。多分、お嬢は気に入られたんじゃないですかね」
「そうなのかしら……?」
すっかり舞踏会はお開きになってしまい、私はその足で屋敷に帰ることになった。
私の頭の中をいっぱいにしているのは、不思議と婚約破棄のことではなくなっている。
あの不思議な人、シャーロットへの興味がどんどんと湧き出てくるのだった。
そしてこれは、私とシャーロットとの出会いになる。
まさか彼女との付き合いがこの先、長く長く続いていくなんて……。
その時の私には、理解できようはずもなかった。
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