ELYSIUM

久保 ちはろ

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Part 8-1

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 寮の白い塔の入り口で、鳳乱とまどかは皆と別れ、まだ先にある宿舎まで行った。空は真っ暗で、星が騒がしいくらいに瞬いていた。森の方から葉ずれが聞こえる。

 教官の居住地区へは、芝生の上に連なるフットライトが導いた。目の前に、皆同じ形の白い長方形の一軒家が等間隔に並んでいるのが見える。窓から明かりが漏れているところもあったが、物音は聞こえない。
 鳳乱の住まいは居住地の奥の方にあった。
 スライド式のドアから入ると、室内はすぐに点灯した。
 部屋は天井が高く、やたら広いオープンスペースで、壁の仕切りがない。
 左手にカウンターで仕切られたキッチン、中央に大きなソファとローテーブル。右手の壁にドアが二つ見えるが、寝室と浴室だろう。
 正面はカーテンが閉められているが、ここに来るまで見た家と同じなら、一面ガラス張りで庭に続いているはずだ。
 二人は革張りのソファに座った。まどかはあまりにも疲れていて、体をぐったりと背に凭せた。
「勝手に決めて……やはり気を悪くしたかな」
 鳳乱は肘を膝について、下から探るようにまどかの様子を伺っている。
 さっきから彼がどことなく緊張しているのは、まどかががここに来るまで、ずっと無言だったからだろう。
 まどかは仲間と別れて、鳳乱と住むことになっていた。それをあらかじめ本人に相談しなかったことに、まどかが腹を立てている。
 そう思っているのだ。
「ううん、そうじゃないの。そうじゃなくて……あ、鳳乱、お水もらっていい?」
 彼は頷き、キッチンへ行った。
「よかったら、アルコールもあるけど……」
 カウンターの向こうから彼は呼びかける。
「えっと、じゃあ、白ワインを水で割ったやつがいい」
 ワインなんてあるのかな、と思いながら取りあえず言ってみる。すぐにグラスの触れ合う硬質な音と、水の流れる音が聞こえた。
 鳳乱が両手にグラスを手に戻って来た。
「はい。ワイングラスじゃなくてもいいだろ?」
 シンプルなガラスのコップに入ったワインを受け取る。正直、指一本動かすのも億劫だった。
「うん、ありがとう。鳳乱も同じもの?」
「いや、割ってない」
 そして鳳乱は「ようこそ、イリア・テリオに。バーシスの一員に」と、杯を目の高さに掲げた。
 それぞれのグラスを傾ける。二口、三口飲んだところで、まどかが口を開いた。
「別に怒っていたわけじゃないの。みんなに後ろめたいとは思ったけど……。だって、みちる達はそれぞれ一人で暮らすのに、私はぽんっと当然のように鳳乱のところに来たじゃない。なんか、特典のような、贔屓されてるような、甘やかされているような……」
「僕は甘やかさないけど?」
 彼は口角を上げた。
「えっ、そうなの?」
「ていうか、まどかは甘えないだろ」
 もっと甘えればいいのに。そう言って顔を近づけると、まどかの唇を吸う。ふわりとワインの香りが鼻腔に入り込む。
 少し顔を離して、彼は続ける。
「まあ、バーシスにとっても二人一部屋の方が節約出来るって、内心喜んでると思うぜ? それに、どんな形であれ、僕はまどかのものだ。それを手に入れたのはまどか自身だし。まどかは運が良かったんだ。でも運だとしてもそれはまどかに備わっていたもの。普段からぼうっとしてる者には運が舞い込んだことすら気がつかない。ま、運なんてその程度のものだし、自分が手に入れたものは自由に使えばいいさ」
「鳳乱が私のものだなんて……」
「まあ、裏を返せばまどかも僕のものだけどね」
 そう言って彼はまどかの手からグラスを取ると、テーブルの上の、彼の空のグラスの横に置いた。そしてぎゅっとまどかを抱きしめた。
 まどかは体を委ね、彼の肩に顎を預ける。
「フーアのところで……まどかは」
「え?」
 まどかは顔を傾けて彼を見る。その瞳は切なげに一瞬揺れた。
「地球を見た時に、少し泣いただろ。僕はあの時胸が締め付けられるようだった。やっぱりまどかには帰るべきところがあって、それを望んでいると。きっと僕はほんの少しでも期待していたんだと思う。まどかがここに残ることを。船の中でもそれだけを考えていた。フーアがいっそ『帰る術が無い』と言ってくれればいいとか」
 彼の、まどかを抱く腕に力がこもった。
 少し痛いくらいのそれはすぐに弛んだ。そして正面からじっと見つめてくる。
「ごめん。こんなこと言って困るのはまどかなのに」
 まどかは両手で彼の顔をそっと包み、触れるだけのキスをした。
「先のことなんかわからない。私はとにかくここに居る間、あなたとなるべく同じ時間を過ごしたい。帰るのが一年後か二年後かなんて分からない、その日をカウントダウンするよりも、一日一日を楽しく一緒に過ごしたらいいと思う。……なんて言って、もしかしたら私たちこれから大喧嘩して明日には別れているかもしれないし」
 まどかは首をすくめて笑った。相手の目が微かに見開く。
「喧嘩? なんで喧嘩するの?」
「ええと、部屋の壁の色が気に入らないとか?」
 鳳乱の部屋全体はオフホワイトで、家具はみな、低めで赤黒い重厚な木材のものが多かった。
 気に入らないなんて、嘘だ。
 まどかはこの開放的で、それでも落ち着いた雰囲気の部屋を一目で気に入っていた。
 ただ、やはりどこかで鳳乱の望み通りになっているのが悔しかったのかもしれない。それは自分の望みでもあったけれど、少し、彼を困らせたいと言う気持ちが湧いてきたのだ。
「じゃあ、明日、まどかの好きな色に塗り替えさせるよ」
 彼は躊躇せずに言い、まどかの脚をゆっくり撫で始めた。
「家具のセンスが悪いとか」
「じゃあ、明日、新しい家具を買いに行こう。好きなものを買えばいい」
 まどかは小さく吹き出した。彼も小さく笑う。全部、見透かされている。
 彼は手を伸ばして脚の短い、目の前のテーブルに触れる。それは他の家具よりはずっと色の明るい素材だった。
「これは、柳の木なんだ」
「柳って、日本にもあるわ」
 まどかは急にそのテーブルに親近感を持った。たとえこの星で育った柳だとしても。
「柳は古代エジプト、ヘリオポリスの伝説にあって。『世界の始め、太陽が鳥の姿で休む原初の木である』と。この『太陽が鳥の姿で』っていうのがフェニックスなんだ。それで、たまたまテーブルを探していた時に、一目で気に入ったのが、これがだった。偶然だとは思えずに即買いだよ」
 彼はテーブルから手を離すと、ついでにまどかのグラスからワインを一口飲んだ。
「古代エジプトのことなんて、学校で習うの?」
「いや、それは母親が話して聞かせてくれた。母も僕と同じ分野のバーシスの研究員だったから。植物に関する逸話とか……とにかく植物にすごく詳しい人だった」
「だった、って?」
「他界したから。僕が二十の時に」
「ごめんなさい……」
「いや、謝ること無いよ。僕の話を全然していないしな。まどかが側に居ると、つい、言葉の無い会話をしたくてたまらなくなるから」
 そう言って、片手をまどかの頬に添え、首をかしげた。
「少し顔が赤い」
「お酒飲んだから……」
 それに、鳳乱がとても近くに居るから。やっぱりまだ慣れないみたい……。
「そんなまどかも、可愛い」
 ほとんどかすれ声で囁いた彼は、まどかの頭の後ろに手を回し、唇を重ねた。
 軽く唇を弄ぶだけのキスから、やがて舌が割り込んでくる。
 舌が触れ合い、ぞくりと肌が泡だった。まどかは彼のシャツにしがみつく。
 彼は舌を追いかけながら、ゆっくりと体を押し倒した。
「んふっ」
 舌が甘噛みされ、甘い旋律が体を走る。キスは優しく、そして執拗だ。逃げれば追い、吸い上げ、濡れてざらつくそれでお互いを舐め合った。
 頭の芯がじんじんと痺れ、下腹が疼いてまどかは腿をすり合わせた。だんだん快感の波が足元から打ち寄せる。このまま彼に体を預けて唇を貪っていたら、すぐに溺れてしまう。
 理性が官能に揺らいだが、まどかはなんとか腕に力を入れて相手の体を押し返した。
 ふっと唇が離れて銀糸が二人の口を繋いだのもつかの間、消えた。
 鳳乱の顔に驚きが表れるが、すぐに「ああ……、」と一人納得したように呟いた。
「部屋を暗くして欲しい?」
「ち、ちがう……私、鳳乱の話の続きが聞きたいの」
 声が、熱に浮かされたように震えた。彼は困惑したように視線を泳がせる。
「それは……済んだ後じゃだめなのかな」
「だめ。だって、それで結局朝になっちゃったら、話は今度いつになるか分からないもの」
 そう言うと、彼の目が輝き、意味ありげな含み笑いが現れた。
「何? そんな笑い方はあなたに似合わないんですけど。言いたいことがあれば言って?」
「……つまり、朝までやるつもりなんだ。やらしーな、まどかは」
 途端に、頰が燃えるように熱くなる。
「なっ、どっちがよ!」
「でも、好きだろ?」
「……セックスが?」
 ぶっ、と彼は吹き出す。そして軽くコン、と額を合わせた。
「ばかだな。僕のことだよ。まだ、僕にまどかはきちんと言ってない」
 まどかは、前髪の隙間から覗く、近すぎる彼の深いオリーブグリーンの目を覗き込む。
(私が欲しい……んだよね……)
 相手の、自分を求める切実な気持ちが十分伝わってくるが、正面からじっと見つめられると、言いにくい。
「言ったこと……あるよ。でも……わかるでしょ? そんな、何回も言わなくても」
「わからない。ちゃんと言葉にしてくれないと。それに、何回でも聞きたい」
 彼は拗ねたように眉を寄せる。まどかは、ますます高鳴る鼓動を鎮めるように、小さく息を吸った。
「……好き。鳳乱が好きよ」
 もう、いっぱいいっぱいだ。それでも、目を逸らさずに気持ちを彼に伝えた。彼が嬉しそうに微笑し、顔を傾けてまどかの唇を捕らえる。
「上出来だ。じゃあ、ご褒美はピロートーク、僕の生い立ち編、だな」
 そう言って、立ち上がると、すぐにまどかを抱き上げた。
 まどかは慌てて、脚をばたつかせた。
「今日は疲れたろ。存分に甘やかしてやる。さ、寝室にご案内」
 楽しそうな鳳乱の横顔を見ると、まどかは素直に彼の首に腕を巻き付けた。
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