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しおりを挟む「霜田君っていつも放課後勉強してるの?」
「大体はね」
「この間は早く帰ってたじゃない」
「あの日は友達と映画を見る予定だったから」
「高校生活充実してるね」
あたしと霜田はあれからよく話すようになった。
物理の授業前や放課後に話したり一緒に勉強するような関係になっていた。
あたしは話し相手ができて嬉しかったし、霜田は霜田で一緒に勉強してくれる相手ができたって喜んでくれた。
霜田のクラスである四組の教室で机を向かい合わせにして、二人で明日の予習に勤しんでいた時のことだった。
「諏訪部さんは、充実していないの?」
霜田は顔を教科書に向けたまま聞いてきた。
口を動かしながら頭では全く違うことを考えているのだからすごい。
「全く。別に学校生活に何も求めていないし」
あたしは数学の問題が解けずにシャープペンを持て余しながら言った。
三角関数の式をいくらいじくりまわしても正解に辿り着けず、悶々としていた。
そこへ霜田がノートにヒントを書いてくれた。
なるほど、こうやればいいのか。
お陰であたしは無事正解に辿り着けた。
「諏訪部さんって、楽しいと思うことあるの?趣味とか」
「ないよ。霜田君って結構ずけずけとものを言うね。別にいいけど。あ、見て!逆さ虹!」
外を見ると、アーチを逆にした、逆さ虹が出ていた。
普通の虹のようにはっきりと弧を描いているわけではないが、強めの光を帯びていて、とても鮮やかだ。
「おお!すごい!環天頂アークだ!滅多に見られないんだよね?」
「そうなの?あたし結構見るけど」
「頻繁に空を見ていないと気付けないよ。諏訪部さんは空を見るのが好きなんだね」
前にも誰かにこんなことを言われたような気がした。
綺麗な風景を見ると、心の底に溜まった澱のような物を流してくれる。
あたしの趣味と言えるのは、それくらいしかないかもしれない。
「うん、空を見るのは好き。特に虹を見るのが好きだな」
二人で虹を眺めていると、ドタバタという足音と共に男の子が教室に入ってきた。
「霜田、勉強教えて!全然分からん!」
この間霜田と一緒に自転車で走っていた子だ。
入ってくるなり、霜田の肩を高速で叩いた。
「おー柴崎。どうしたの?」
「明日の予習してたんだけど、なんか変なんだよ。教えて!」
あたしは柴崎君とやらの勢いに驚き、瞬きを数回して固まった。
随分せっかちな人だな。
柴崎君はあたしの存在に気づいてペコリと頭を下げた。
「あ、すみません、霜田が女の子と話しているなんて思わなくて」
「いいえ、気にせずお話を続けてください」
「ありがとうございます。霜田、頼むよ。頼れるのはお前だけなんだよ」
「変ってどういうこと?なんの教科?」
「英語」
「英語は無理!」
「そんなこと言わずに!いつも映画は字幕で観てるじゃん!」
「それとこれとは話が別なんだよ」
「どの問題ですか?」
二人の漫才のようなやり取りをしばらく眺めていたが、英語の話題が出たのであたしはつい口を挟んでしまった。
自分でもなんでこんなことをしたのかはわからないけど、英語は予習を終えていたからたぶん教えられるはず。
「え?あー、ここなんですけど……訳すと『私はキュウリのように冷たかった』になるんですけど、合ってます?」
柴崎君は教科書を開き、英文の一つを指差した。
「これは、イディオムですね。cool as a cucumber でとても冷静だったって意味になります」
「そうなんスね。真面目な文章なのに、キュウリが出てきてビビったんスよ!」
霜田と違ってテンションが高い。
この二人がどうやって仲良くなったのかは非常に気になるところだ。
「イディオムって分かりづらいけど面白いですよね。It’s a piece of cake. とか」
「なんだっけそれ?」
蚊帳の外にいた霜田が話に入ってきてくれて、あたしは嬉しかった。
やっぱり霜田が話に入ってくれると安心する。
「簡単って意味。日本語で言う『朝飯前』みたいなものかな。一切れのケーキを食べるくらいに簡単だよってこと」
「そんなのもあるんですね!ありがとうございます!助かったっス!」
「柴崎が学校で勉強なんて珍しいじゃん」
「俺、明日の英語の授業で確実に当てられるんだよー。図書室にこもっているところ!でもあらかた終わったし帰るわー。観たいテレビあるし」
「おつかれー」
柴崎君は机や椅子にぶつかりながら教室を出て行った。
嵐のような出来事で、柴崎君が出て行った後、あたしは放心状態で座っていた。
一瞬だったけど、あたしは充足感でいっぱいだった。
こんなあたしでも、役に立つことができた。
今までにない経験に、高揚感を感じていたんだと思う。
「霜田君ってこうやって勉強教えてるんだね」
「人に教えると、自分の方も身につくんだよ。頭が整理されるしね。でも、諏訪部さんが英語得意なんて意外だった」
「それどういう意味?」
「僕も英語は諏訪部さんに教えてもらおうかな」
霜田が目を細めて笑った。
普段はあまり見せないような愛嬌のある表情だった。
あの時の霜田の笑顔は、あたしの脳裏に強烈に刻まれた。
またあの笑顔が見たいなあ。きっと見られるよね。
しばらくすると、次は別の男の子が霜田を訪ねて来た。
少しぽっちゃりしていて眼鏡をかけていて、お笑い芸人のような陽気な雰囲気を帯びている。
「霜田ー、この本ありがとう!面白かったよ!感想を聞いてくれ!めちゃくちゃ感動したんだよ!」
そう言って本屋さんの袋を渡していた。膨らみ方を見るに、文庫本が入っているのだろう。
「何だっけ?」
「『フェルマーの最終定理』」
「ああ、あれね。どう?数学好きになれそう?」
「それはわかんねえ」
一人去るとまた一人、霜田に用事のある生徒が次々と教室に入ってくる。
───「霜田、今度ライブやるから来て!」
「何歌うの?」
「ボン・ジョヴィ」
「渋いね。いいよ」
───「幸祐!漫研で描いた漫画、ちょっと感想聞かせてくれない?」
「明日でもいい?」
「うん。今日貸すから、家で読んできて。明日、感想教えて?」
「了解」
次から次へと相手をする霜田を眺めながら、あたしは少し寂しさを感じた。
あたしにとっては唯一の友人だけど、霜田にとってはあたしも友人の一人にすぎないんだろうな。
「霜田君って人気者なんだね」
あたしは少し皮肉っぽく言った。
なんでこんなに可愛げがないんだろうって自己嫌悪に陥る。
「そう?こんなもんじゃない?」
「あたしに比べたら」
「そうかなあ。まあ、中学校時代よりは友達は増えたね。高校デビューに成功したのかな」
「失敗したあたしとは違うね。でも、こんなにひっきりなしに友達が来てたら、集中して勉強できなくない?」
「いや、その都度頭を切り替えるだけだから大丈夫だよ」
さっきまで一緒に数学を勉強していたのに、今は世界史の教科書を読んでいる。
霜田は本当に頭がいい。
きっと霜田の頭は常に高速回転しているんだろう。
改めて振り返ると、あたしは霜田と関わっちゃいけなかったのかもって思う。
そんなこと考えたって無駄なのに、思わずにはいられないのが人間の性というものなのかな。
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