見つけた、いこう

かないみのる

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 朝から降っている雨は夕方になっても一向にやむ気配がない。

十一月の雨はかなり冷たく、空気の温度を容赦なく下げる。



 金曜日の放課後、奈菜が散歩をしたいというので、様々な植物が植えられている大きな公園に行って、用意されている短めのハイキングコースを歩くことにした。



「可那人くん、本当にいいの?雨嫌いじゃなかった?」


「大丈夫! 完全防備で来たし、雨の中の散歩って気になるし」



雨の日に散歩をするなんて俺からしたらかなり危険な行為だが、どうしても奈菜と同じ風景を見たい、奈菜の事をもっと知りたいと思い行くことにした。

もちろん、上下合羽にタオルも持っていくことを忘れない。

傘はかなり大きいものだ。

台風に備える時のような格好で滑稽だが、奈菜は特に気にせずにいてくれた。



雨の日のハイキングコースには俺と奈菜の他には誰もいない。

雨のしずくが地面をたたく音と傘を撥ねる音だけが響き渡っている。

道々には、つつじやツバキなどの木々が生えており、水を含んだ葉が重たげに垂れている。

晴れた日とは違い、植物達は散歩に来た人間をもてなす気は全くないようだ。



「雨の日の散歩も、楽しいと思わない?」



奈菜は傘を少し傾けて、俺の顔を覗き込んだ。



「静かで、空も地面も木もうつむいて眠っているみたいでさ。今、世界で起きているのはわたしと可那人くんの二人だけかもしれないよ?」


「もしそうだとしたら、俺たち、夜更かしをする悪い子じゃん」


「お母さんに怒られちゃうね」


「お母さんも寝てるから問題ないよ」


「そうやって悪いことばっかり考える」


「悪い子だからね」



俺がそう言うと、奈菜はいつもの晴れ間のような笑顔を見せた。

奈菜の周囲だけ光が差し込む。



「本当は、傘を差さないで雨に濡れながら歩きたいんだー。雨のしずくが身体を垂れて流れていくのが好きで、全身ずぶ濡れになるまで雨に打たれたいんだけど、今の時期は寒いからちょっとねー」


「ねえ、奈菜、ちょっと聞いていい?」



俺が立ち止まると、奈菜もすぐに立ち止まった。



「奈菜はなんで、俺と付き合ってるの?」



奈菜は俺が怒っていると勘違いしたのか、心配そうに眉の端を下げた。

自分の言い方で奈菜を不安にさせてしまったのかと反省した。

どうしてこうも不器用なのだろう。



「いや、怒っているわけじゃないんだ。ただ、奈菜に声をかけるやつの中にはさ、格好良かったり、頭が良かったり、俺より外見も内面も優れている人間がいるんじゃないかと思ってさ。わざわざ俺と付き合うメリットはないんじゃないかと思っただけだよ」



先日から疑問に思っていたことを、正直に包み隠さず奈菜に伝える事にした。

言っているうちに、自分の言葉に自分自身が傷つく。

自分のもろさがほとほと嫌になる。

こんなに弱気な姿を奈菜に見せて、自分は何がしたいのだろう。

答えを聞いて、安心したいのか。

きっとそうだ。

奈菜から、「可那人くんのこういうところが好きだよ」と言ってもらい、他の誰かではなく、自分でなければだめだということを聞いて安心したいのだ。

そんな自分勝手な理由から、こんなにみっともないマネをして、奈菜を困らせている。



「そうだなー」



奈菜は俺が怒っているわけではない事が分かって安心したのか、いつもの調子に戻っていた。



「聞きたいんだ。きちんと奈菜の言葉で」



奈菜は口を「へ」の字にしてうつむいた。

何か考えているような仕草だ。



「可那人くん、サソリとカエルの話、知ってる?」


「え?サソリとカエル?」


「サソリとキツネだったかも」


「何の話?」


「サソリが一匹、川岸を歩いていました。サソリは向こう岸へ渡りたいと思っていましたが、彼には泳ぐことができません。そこでサソリは、近くにいたカエルに、『僕を背中に乗せて川の向こう岸に運んでくれないか』と頼みます」


奈菜は、幼稚園児に絵本を読んであげるような、ゆっくりと優しい口調で話した。

俺は急に始まった話に動揺を隠せなかった。

この話が俺の質問とどう関係しているのだろうか?



「しかし、カエルは断ります。『君を背中に乗せて泳いだら、きっと君は、尻尾の針で僕を刺すだろう。僕は君の毒で死んでしまうよ』。するとサソリは『もし僕が君を刺してしまったら、背中に乗っている僕まで溺れて死んでしまうじゃないか』と説得します。カエルはもっともだと思い、サソリを背中に乗せて川を渡ることにしました。川の真ん中あたりに来たころ、カエルは背中に激しい痛みを感じました。サソリがカエルを針で刺したのです。カエルはサソリに問いました。『なぜ、自分も溺れるのに、僕を刺したの?』。サソリは答えました。『仕方がないよ。これが僕の性だから』。はい、おしまい! 」



最後の「い」を跳ね上げるように言って、奈菜は出して笑った。

悪戯をした後の少女のようなあどけない笑顔だった。



「初めて聞いたけど、なんか考えさせられる話だね。ところで、その話が、俺と付き合っていることとどう関係があるの?」


「つまり、そういうことだよ」


「はあ?」


「これ、ベトナム戦争中に流行った寓話なんだって」


「ベトナム戦争?」


「昔の人はよくこんな、分かりやすいようで深い話を考えるよね」


「俺を置いてけぼりにしないでくれる?」


「ん?私はいつでも可那人くんのそばにいるよ?」



だめだ。

こうなった奈菜は、何を言ってものらりくらりとかわしてしまう。

奈菜は時々、水の中の魚のように軽やかに俺を翻弄する。

俺は結局求めていたような答えを得られないまま、奈菜の歩幅に合わせて濡れた小道を歩き続けた。

奈菜は「今度はお花がいっぱい咲いてる春に来ようね」と暢気に言った。

人の気も知らないで、全く。

全身の力が抜ける。


 
コースを一周し、スタート地点まで戻ってきた。

現在は十七時半過ぎ。

雨でもともと薄暗かったが、この時間になると雲の向こうで日が傾いているのか、来た頃よりも幾分暗さが増していた。



「冬は日が短いねえ」



奈菜が欠伸をするようなのんびりとした口調で言った。



「良い子は暗くなる前に帰らないとね」



俺はからかうように言った。

ふざけた口調ではあるが、遅くても二十時前には奈菜を家に送るようにしている。

大学生のデートにしては早い帰宅だと思う。

奈菜の家は特に門限などは決まっていないが、資産家の箱入り娘であり、温室育ちの奈菜を遅くまで連れまわすことに抵抗を感じているのだ。



「そうそう、今日ね、お父さんとお母さんの結婚記念日なんだー」



俺の言葉を受けて奈菜が続ける。



「そうなんだ。おめでたいね」


「それで、二人で食事に行くんだって。だから、今日は家には誰もいないんだー」


「へえ。いいね。奈菜も行けばよかったんじゃない?」


「親の結婚記念日のデートについていきたいと思う?」


「俺は遠慮するかな」


「でしょ?まあ、そういうわけで、今日は遅くなっても大丈夫だよ」


「ええ?本当に大丈夫?急に両親が帰ってきたりしない?」


「大丈夫だいじょうぶっ!」


「そう、じゃあ、夜ご飯でも食べに行くか!」


「うんっ!」


いつもより長く一緒にいられることになり、俺も奈菜も年甲斐もなく喜んだ。

そんな俺達の気持ちに水を出すような出来事が起こった。


 
「待てよ」



雨の中の散歩を終え駐車場へ戻ろうとしたところ、急に後ろから声をかけられた。

雨にも負けない迫力のある大きな声に俺と奈菜は驚いて同時に振り返った。



「よう」


「恭平!?なんでここにいるんだよ」



後ろには険しい顔をした恭平が立っていた。



「わりいな、こっそり後を付けさせてもらった」



試合前のボクシング選手の様な視線を俺に送ってくる。

そんな熱烈な視線を浴びせられるとこちらも困ってしまう。



「何でそんなことを」


「お前に決闘を挑むためだ! 」


「へ?」


「橘、やっぱりお前は奈菜と釣り合わない。奈菜をかけて、俺と決闘しろ!」


「はあ?」



唐突な発言に困惑を隠せなかった。

冗談でも言っているのではないかと恭平の顔を見るが、恭平の顔は本気だった。

女の子をかけて決闘するなんて、ドラマや漫画に影響されすぎではないだろうか。

中学生や高校生ならともかく、大学生が考えることではない。

いや、考えるやつがいるんだな、ここに。

呆れて言葉が出ない。



 隣の奈菜に視線を向けた。

奈菜は、呆れを通り越して侮蔑の表情をしていた。

瞼は半分閉じ、頬は無気力に下がり、口は「うわあ」という心の声が漏れ出てそのまま固まったというような形をしていた。

この人が同じ大学の生徒であることが、いや、同じ人類であることが心底いやだという嫌悪感丸出しの顔だ。

奈菜の顔を見て俺は決意した。

奈菜のためにも何とかしなくては。
 


「いや、決闘とか止めとこう?そんな荒っぽい事をしたってなんの解決にもならないって。一度落ち着いて話そう、な?」


「なんだよ、ビビってんのか?奈菜、こんな臆病なやつやめて、俺の彼女になれよ。その方が絶対に幸せだ」



だめだ。恭平は自分の台詞に酔いしれている。



「だから落ち着けって」


「俺は奈菜に聞いてんだよ。こんなやつと付き合ってたら、奈菜の品格が下がる。だからこんなやつやめておけよ」


「おい、恭平」


「橘と結婚したら、奈菜、『たちばななな』だぞ?名前にバナナが入るんだぞ?格好悪いと思わねえ?」


「名前を馬鹿にするなよ。失礼だろう」


「俺は奈菜に言ってんだよ。お前は黙ってろよ」


「いい加減にしろよ」



俺は語勢を強めていった。

臆病者の俺でも流石に言われっぱなしで腹が立ってきた。

全身の血が脈を打ちながら頭に集まっていくのが分かった。

恭平の言葉一つひとつが、俺の感情を逆なでし、脈拍を上げ、鼓動を加速させている。

気温に逆らって身体が熱くなっていく。



「可那人くん、もう行こうよ」



奈菜が俺の腕を引く。



「奈菜、ここで俺たちが引いたとしても、あいつはまた同じように来る。ここで決着をつけた方がいい」



恭平に影響されて俺も芝居がかった口調になった。

言ってから恥ずかしくなった。



「わたしが相手にしなきゃいいだけだよ」



奈菜が不安そうな顔つきで俺を見つめる。

俺が危険な目に合うのではないかと危惧しているようだ。



「大丈夫、心配しなくていいよ。きちんと、大人の話し合いで決着をつけるから。野蛮なことはしない」



奈菜を安心させる様に言って、自分の携帯電話を取り出し、電話を掛ける。



「奈菜、ちょっと先に帰ってて。終わったら家に行くから」



俺は携帯電話を耳にあてながら奈菜に言う。

呼び出し音が三回ほど鳴り、相手は出た。



「もしもし、拓也?俺だけど、悪いんだけどさ、悠創の丘まで来てくれねえ?奈菜と二人で来てたんだけど、俺の車、故障しちゃったみたいで。うん、いや、バッテリー切れではないと思う。それでさ、奈菜をちょっと家まで送ってほしいんだ。うん、遅くなる前に家に返さないといけなくて。俺?俺は車の修理をしてから帰るよ。自力でなんとかできるから。うん、悪いな」



通話を終えて携帯電話をポケットにしまい、奈菜に微笑む。

不必要に心配させたくない。

奈菜に悲しい顔は似合わない。



「拓也に迎えを頼んだから、先に帰ってて。絶対に行くから」


「うん……わかった」



奈菜は不安が隠せていないが、俺を信じようとしてくれたらしい。

覚悟を決めた顔で頷いた。

俺を信じてくれるその気持ちがうれしかった。



「おい、恭平。勝った方が、奈菜の家へ行って奈菜に会うことにしよう。奈菜と付き合いたいならそこで口説き落とせばいい。それでいいな」


「本当は奈菜には見ていてほしかったんだけどな。俺らのどっちが強いか。まあ、それでいい」



 恭平はキザな口調でそういうと、持っていた傘を放り投げた。

格好つけたつもりのようだが、傘は開いていたため空気の抵抗を受け、あまり遠くまで飛ばずにみっともなく恭平の傍に落下した。

奈菜は恭平を不快なものでも見るような目で一瞥し、俺に手を振って、その場を後にした。



俺は恭平と向かい合った。

恭平は、フットサルのサークルとテコンドー部を二つ掛け持ちしているスポーツマンだ。

まともに戦って勝てる相手ではない。



「可那人、お前、雨が嫌いなんだろう?だから、雨が降っている時を狙って、勝負を挑んだんだ。卑怯だと思うかもしれないが、それくらい俺は本気だ」



恭平がどこからそんな情報を仕入れたのか疑問に思ったが、気にしている場合ではない。



「わかってるよ。俺も本気を出す」



俺は相槌をうちつつ、戦略を考えた。

思いついた方法は一つ。

爆弾を持って敵に飛び込むような危険な賭けだが、俺にできることは、この方法しかない。



俺は傘を閉じ、近くに放り投げた。

恭平と違ってきちんと狙った場所に傘は落下した。

雨は先ほどから徐々に強まり、今は土砂降り状態である。

これくらいの雨であれば、二、三分程度だ。



俺は覚悟を決めた。



「ははははは、恭平。今、俺はお前との決闘にふさわしいバトルステージを用意した!」



俺は戦隊ヒーロー番組に出てくる悪役のような口調で叫んだ。

中学生の時に考えた、自分が漫画の主人公だったら悪役はこういうやつだな、という語るに堪えない設定の妄想の産物だ。

あの時の妄想を今このような形で利用するとは、と心の中で苦笑いする。

甦れ! 俺の黒歴史!



「このバトルステージでは、精神力が影響してくる。少しでもおびえれば、お前の視界に悪影響を及ぼすだろう」



顔から火が出るのではないかというくらいの恥ずかしさが俺を覆い尽くしたが、なりふり構っている場合ではない。

失敗は許されないのだ。

失敗すれば、奈菜がどんなに絶望するか。それだけは絶対に阻止しなければ。

───「腰抜け!意気地ナシ!」

あんな情けない思いは、もう二度としたくない。



「何をわけのわからないことを言ってるんだよ。ごちゃごちゃ言ってないで、来いよ」



恭平が挑発的に両手の拳を顔の下で構える。

俺は来ていた合羽を、わざとらしく大げさに脱ぎ捨てる。

恭平は俺の動きを注意深く観察している。

先ほどの芝居がかった発言や、仰々しい振る舞いに不信感を抱いたのか、かなり慎重になっているようだ。



着ていたパーカーが雨を帯びて身体にのしかかるように重さをかける。

給水力のあるパーカーを、俺は脱ぎ捨てた。

水が溜まった路上にパーカーがどさりと落ちる。

ああ、高かったのに。

大粒の雨が容赦なく俺を叩きつける。



俺はとにかく悪役の如く大声で笑った。

なんとかしてあと少し時間を稼がなければ。

俺が笑うたびに恭平は苛立たしげに「何だよ!」とか「ふざけてんのか!」と声を荒立てた。



中に来ていたTシャツに水が染み込み、肩から背中にかけて大部分が冷たくなってきた。

そろそろだ。



恭平とのにらみ合いが数分間続いた後、恭平の表情が急に変わった。

目を大きく見開き、顎がかすかにふるえている。

俺は両手を確認する。よし。



「はははははは。どうだ?このステージの仕組みが分かったか?今、お前は俺におびえている。気持ちで負けているんだ。その証拠に、俺の顔が見えないだろう?俺にはお前がしっかり見えている。勝負はついたも同然だけど、それでもやるか?恭平」



俺は威嚇するように大きな声を出す。

ここで恥ずかしがって相手に勢いづかれたら全てが水の泡となって雨水に流されてしまう。

やけくそになって恭平を怒鳴りつけた。

俺の声を受け、恭平は口を力なく動かしている。

口の形を見るに、「うそだろ」だとか、「そんなわけない」という月並みのことを言っているようだ。

雨粒が地面をたたくよりも小さな声で言っているのか、声はまったく聞こえてこない。

俺が一歩前に踏み込むと、恭平は足を引き摺る様に後ずさった。

腰が抜けそうなほどに、足が震えている。

まるで生まれたての子ヤギだ。



「お前のような何の力もない臆病者に奈菜は絶対に渡さない。どうだ、やるか?」



俺は再度大声を出した。

恭平は近くに落ちていた傘を拾い、俺に背を向け逃げる様に走って行った。

途中で足をもつれさせ転びそうになっていたが、逃げたいという気持ちが強いのか、止まることなく進み続けて俺の視界から消えた。



誰が臆病者だ!



俺は心の中で叫んだ。


恭平が去ったとたんに、俺の膝は力を失くし、俺は崩れ落ちるように座り込んだ。

全身の力が抜けた。

虚勢を張っていた反動か、身体が震える。

火照った身体が徐々に雨に熱を奪われる。



奈菜! 俺は勝ったぞ!



早く奈菜に会わなければ。

心配しているに違いない。

すっかり冷えて震える身体に鞭を打ち、

脱ぎ捨てた合羽とパーカーを拾い上げ、放り投げた傘を拾い、車に向かった。

早く車の中のバスタオルと着替えで身体を乾かさなければ。

 
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