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「ほら、可那人、お水だぞー」
赤ん坊の俺は哺乳瓶に入った水を嬉しそうに飲んだ。父は優しい眼差しで俺を抱きかかえている。
「飲む分には大丈夫らしいな」
「試してみたけど手を洗ったり水飛沫がかかる程度は大丈夫みたいね」
「皮膚の大部分濡れると透明になってしまうのか」
「濡れると透明になるなんてまるでサンカヨウね」
「サンカヨウとは違って徐々にじゃなくて急に透明になるのはなぜだ?」
「分からないけど人間の身体が徐々に透明になるのは気持ち悪過ぎない?きっと神様が調整してくれたのよ」
「俺たちは身体じゃなくて心がサンカヨウみたいになってほしいってお願いしたのに。神様は有能なんだかおっちょこちょいなんだか」
父と母が先ほどから言っている『サンカヨウ』とは、キンポウゲ目メギ科サンカヨウ属の植物で、山深くのやや湿った場所に生える花だ。
春から初夏にかけて白色の花を数個付ける。白く、内側にまるまった花びら六枚ほどで一つの花を形成している。
見た目も美しいが、一番の特徴といいえば、水を含んだ時の変化であろう。
サンカヨウの花びらは、水を含むと透明になる。その透明な花びらは、ガラス細工や氷細工のようとも言われるが、花びらの柔らかさはそのままであり、ガラスとも氷とも呼べぬ繊細な柔和さをもっている。
この幻想的な花を見た人は、魅了され口々に「美しい」といった感想を述べる。
サンカヨウは花だからこのような評価を受けるが、もしこれが、人間だったらどうだろうか。
水に濡れて透明になる人間など、不気味以外の何物でもないだろう。
そんな哀れな性質を持ったのが、俺、橘可那人という人間である。
俺は水がかかると透明になる性質を持つ人間だ。
どういうメカニズムでなるのかは詳細に調べていないから分からないが、身体の大部分が濡れると瞬く間に透明になってしまう。
俺の父と母は、俺の体質について様々な実験をしてある程度までは理解したようだ。
水しぶきがかかる、手を洗うなどのごく一部分が濡れる場合は問題ないが、水に浸かったり胴体の大部分に多量の水がかかったりすると数秒後に透明になる。
生活する上で水が関係するであろう場面を想定してとことん調べ上げた。
それでも、なぜ自分がこんな体質なのか、どうすれば直るのかなどはまったくといっていいほど分からなかった。
サンカヨウと同じ性質を持っていると言っても、サンカヨウと違うところももちろんある。
サンカヨウは透明になっても花びらなどの輪郭や筋は残っているが、俺の場合は輪郭さえも消えてしまう。
また、サンカヨウは透明になるためには長時間、雨などで静かに濡れる必要があるが、俺の場合は濡れれば一瞬で透明になってしまうところである。
化学の実験で使われる指示薬が、溶液一滴で一気に色を失うように。
こんな異様な特徴を持つ人間なんてきっと俺だけだろう。
これが世間にバレたら多くの医者や研究者が俺の身体を調べ上げ、マスコミは「透明な男児の誕生」を大げさに報道されるに違いない。
父と母は俺の性質をできるだけ内密にするようにと医師達に伝えた。
医師達も透明人間の性質の研究などには全く興味を示さない性格だったため、俺のことを分娩室の中だけの秘密にすると約束してくれた。
こうして俺は研究材料にならず、好奇の目にもさらされずにすんだのである。
俺が自分の特異体質について自覚したのは幼稚園の時である。
それまでは、自分の「水に濡れると透明になる」という体質はみんなに共通で、大人になれば直ると思っていた。
大人になると髭が生える、大人になると腋毛が生える、大人になると透明にならなくなる。
そんな感覚でいた俺は、幼稚園でプールの時間になった時、自分が見学している中プールにはいる友人たちがみな透明ではないことに驚きを隠せなかった。
なぜ友人は透明にならないのか、なぜ自分だけ透明になるのか、そしてプールは常に見学していなければいけないのかを両親に聞いたところ、困った表情を見せた後、「可那人は特別な人間だからだよ」とだけ答えた。
「心の綺麗な子になってほしい。サンカヨウの花みたいな」
母の願いはドジな神様のおかげで歪んだ形で叶えられた。
赤ん坊の俺は哺乳瓶に入った水を嬉しそうに飲んだ。父は優しい眼差しで俺を抱きかかえている。
「飲む分には大丈夫らしいな」
「試してみたけど手を洗ったり水飛沫がかかる程度は大丈夫みたいね」
「皮膚の大部分濡れると透明になってしまうのか」
「濡れると透明になるなんてまるでサンカヨウね」
「サンカヨウとは違って徐々にじゃなくて急に透明になるのはなぜだ?」
「分からないけど人間の身体が徐々に透明になるのは気持ち悪過ぎない?きっと神様が調整してくれたのよ」
「俺たちは身体じゃなくて心がサンカヨウみたいになってほしいってお願いしたのに。神様は有能なんだかおっちょこちょいなんだか」
父と母が先ほどから言っている『サンカヨウ』とは、キンポウゲ目メギ科サンカヨウ属の植物で、山深くのやや湿った場所に生える花だ。
春から初夏にかけて白色の花を数個付ける。白く、内側にまるまった花びら六枚ほどで一つの花を形成している。
見た目も美しいが、一番の特徴といいえば、水を含んだ時の変化であろう。
サンカヨウの花びらは、水を含むと透明になる。その透明な花びらは、ガラス細工や氷細工のようとも言われるが、花びらの柔らかさはそのままであり、ガラスとも氷とも呼べぬ繊細な柔和さをもっている。
この幻想的な花を見た人は、魅了され口々に「美しい」といった感想を述べる。
サンカヨウは花だからこのような評価を受けるが、もしこれが、人間だったらどうだろうか。
水に濡れて透明になる人間など、不気味以外の何物でもないだろう。
そんな哀れな性質を持ったのが、俺、橘可那人という人間である。
俺は水がかかると透明になる性質を持つ人間だ。
どういうメカニズムでなるのかは詳細に調べていないから分からないが、身体の大部分が濡れると瞬く間に透明になってしまう。
俺の父と母は、俺の体質について様々な実験をしてある程度までは理解したようだ。
水しぶきがかかる、手を洗うなどのごく一部分が濡れる場合は問題ないが、水に浸かったり胴体の大部分に多量の水がかかったりすると数秒後に透明になる。
生活する上で水が関係するであろう場面を想定してとことん調べ上げた。
それでも、なぜ自分がこんな体質なのか、どうすれば直るのかなどはまったくといっていいほど分からなかった。
サンカヨウと同じ性質を持っていると言っても、サンカヨウと違うところももちろんある。
サンカヨウは透明になっても花びらなどの輪郭や筋は残っているが、俺の場合は輪郭さえも消えてしまう。
また、サンカヨウは透明になるためには長時間、雨などで静かに濡れる必要があるが、俺の場合は濡れれば一瞬で透明になってしまうところである。
化学の実験で使われる指示薬が、溶液一滴で一気に色を失うように。
こんな異様な特徴を持つ人間なんてきっと俺だけだろう。
これが世間にバレたら多くの医者や研究者が俺の身体を調べ上げ、マスコミは「透明な男児の誕生」を大げさに報道されるに違いない。
父と母は俺の性質をできるだけ内密にするようにと医師達に伝えた。
医師達も透明人間の性質の研究などには全く興味を示さない性格だったため、俺のことを分娩室の中だけの秘密にすると約束してくれた。
こうして俺は研究材料にならず、好奇の目にもさらされずにすんだのである。
俺が自分の特異体質について自覚したのは幼稚園の時である。
それまでは、自分の「水に濡れると透明になる」という体質はみんなに共通で、大人になれば直ると思っていた。
大人になると髭が生える、大人になると腋毛が生える、大人になると透明にならなくなる。
そんな感覚でいた俺は、幼稚園でプールの時間になった時、自分が見学している中プールにはいる友人たちがみな透明ではないことに驚きを隠せなかった。
なぜ友人は透明にならないのか、なぜ自分だけ透明になるのか、そしてプールは常に見学していなければいけないのかを両親に聞いたところ、困った表情を見せた後、「可那人は特別な人間だからだよ」とだけ答えた。
「心の綺麗な子になってほしい。サンカヨウの花みたいな」
母の願いはドジな神様のおかげで歪んだ形で叶えられた。
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