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5.叱責
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ツララ隊長はタイヨウを前に、黙々と早い昼食を取っていた。タイヨウは途中の食事を、もう食べ続けることができなかった。腹は減っているのに、とても喉を通らなかった。
ツララが店に来た理由は明らかだった。タイヨウを叱責するためだ。だが、ツララはミナモに食事を頼んでから、一言も喋らなかった。
ツララ隊長は長身の壮年で、穏やかな質の人物だった。この隊長が人を叱り飛ばすところを、タイヨウは見たことがない。だが、かといって優しいというわけでもなかった。こうして重い沈黙に耐えながらじっとしているしかないのは、叱り飛ばされるよりもタイヨウには辛い。外からやってくる責めよりも、沈黙の中で自分の内側から聞こえてくる自責の念のほうが、はるかに堪えた。
もはや耐え難くなって、タイヨウは自ら口を開いた。
「申し訳ありません。」
タイヨウは頭を下げた。隊長の顔を見たくなかった。しかしそれを許す優しいツララではなかった。
「顔を上げなさい。」
決して厳しくはないが、一片も優しさの込もらぬ声でツララは言った。顔を上げて見ると、隊長の顔には何の色も浮かんではなかった。ツララは普段なら微笑んでいることが多いのだが、その名の通り、いつでも氷柱のように冷たい視線を投げかけることができた。そして隊長はいま、その特技を存分に発揮していた。
ツララはしばらく冷ややかな目でタイヨウを見据えていた。じっくりと時間をかけて、刃物のような視線を突きつける。やがて若者が耐えきれずに顔を少し逸らすと、その瞬間に突き入れるように口を開いた。
「お前は謝ったが、いったい何を謝るべきか、理解しているか。」
タイヨウはふたたび視線を戻した。短剣が喉元に突き付けられるような冷え冷えとした感触を感じながら、口を開く。
「宿舎へ帰ることを怠り、その報告も怠りました。」
そう答えるが、ツララはすぐには返事をしない。タイヨウが焦れるまでたっぷりと沈黙を重ねてから、ようやく話を続ける。
「私はお前の行いに少なからず苛立ちを感じている。しかしそれは昨夜宿舎へ帰らなかったことや、その報告を怠ったためではない。ではそれがなぜか、分かるか。」
タイヨウは困惑した。義務に違反したのだから、おこられて当然ではある。処罰があってしかるべきだ。だが、それがいかりの原因ではないという。だとすれば、いったいその原因がなんであるのか、検討がつかなかった。
「わかりません。」
しばし逡巡を重ねてから、タイヨウは答えた。ツララは一つ小さく溜め息をついた。心なしか、表情が少し緩んだように見えた。
「昨夜、お前はクモと口論したそうだな。」
ツララは言った。どうしていきなりそんな話をするのかと訝りながら、タイヨウは頷いた。
「お前は魔物を打ち取るために積極的に戦士を派遣するべきであると説いたそうだな。遠い氏族や、異界の霧の向こうの人々のために。これはお前がたびたび口にしていることだ。そしてこれは我ら赤角戦士団のこれまでの方針に反する。」
しかし、とタイヨウが口を開きかけるのを、ツララは視線で制した。この隊長は、目つき一つでタイヨウを抑えられる数少ない人々の一人だ。
「私はお前の考えが間違っていると言おうとしているのではない。方針は絶対的なものではない。私はこれまでのところ現在の方針のほうが理があると考えているが、方針は常に見直されてしかるべきだと思う。批判、反論は歓迎すべきだ。」
鋭い視線を向けながら、だが、と続ける。
「お前にそのような批判を口にする資格があるとは思われない。」
「それは、なんで――」
思わず口を開こうとしたタイヨウを、ふたたび視線で制する。
「もしも昨夜魔物がこの町を襲ったら、お前はどうするつもりだった?」
不意に投げかけられた問いに、タイヨウは瞬きした。
「それは、どういう……。」
「今日、我々の隊は非番だ。そのため、昨夜の勤務の後は楽にして過ごしていい。だが、非番であろうがなかろうが、町の守護者としての義務は変わらない。」
仮に、と続けながら、ツララは天井に目を転じた。
「仮に昨夜、魔物が町を襲ったとしよう。囲壁を巡回する隊がまずは気づくだろう。様子を見つつ、すぐに報告が回る。仮に魔物が敵意を示すなら、すぐさま投石、投槍で応戦することになるだろう。もしも魔物が地上性のものであり、投射攻撃を具えていなければ、おそらくこの最初の攻撃で追い散らすことができるだろう。」
ツララはふたたび視線をタイヨウに向けた。
「だが魔物が飛翔するものであったら、問題は複雑になる。魔物はすぐに囲壁を越えるだろう。それほど知恵が回らなければ、まずは壁上の巡邏と交戦する。これなら問題は少ない。我々は魔物に対応できるように訓練されている。しかし賢しければ、魔物は武装した戦士を避け、町に降りるだろう。そうなれば町民に被害が及ぶかもしれない。」
タイヨウは知らず知らず顔を下に向けていた。ツララが何を話そうとしているのかが、わかりはじめていた。
「やがて知らせは我々のところにも届く。団長の指揮の下、十人隊は町の各地に広がることだろう。飛翔する魔物に対して、投槍はそう効果的ではない。だから呪師を使わねばならないが、数は限られる。町には呪師がいくらもいるが、戦いの技を知っているわけではない。戦士団の呪師が必要になる。そのため、呪師が魔物に対応するまでのあいだ、十人隊は主に町民の保護をすることになる。」
さらに、と続ける。
「もっと悪い事態を想定しよう。仮に魔物が強力な魔術を使えるならば、ことはさらに難しくなる。」
ツララは言った。魔物には魔術を使う者がある。タイヨウが持つのと同じ力だ。
この世は大きく二つの領域に分かれる。肉を持って五感で把握できる顕界と、霊なる感覚でのみ把握できる幽界がそれだ。顕界が人の暮らす土地であり、物質で構成されているのに対して、幽界は死者が眠り、精霊のたゆたう場所であり、いまだ物質になっていない希薄な元素によって構成されている。
そして顕界にあるすべては幽界に由来する。両界の狭間から元素が流れて来て、それが物質と力として結晶化するのだ。太陽はそうした狭間の一つであり、この世の光の多くはそこに根を持つ。また人の霊は幽界から顕界を訪れ、赤子として受肉する。
幽界には大きく分けて六つの領域があり、物質の起源となる五大領域を元素界、人の起源となり死者の眠る領域を霊界と呼ぶ。この世は大樹のようなものだ。地下たる幽界へと、根たる狭間を下ろし、そこから元素を吸って、幹と枝葉たる顕界を茂らせる。
そして魔術師は、生まれながらにしてこの幽界への根を持つ。これは禍でもあり、福でもある。先天の魔力はそれを持つ者を苦しめるが、魔力を支配すれば呪術師となる。タイヨウはまさにその名の通り、太陽のように光の元素界への根を持ち、そこから光と熱を思うままに引き出すことができる。
そして魔術師と同じく、魔物も幽界への根を持つ。その力を呪術師のように扱えるのか、それとも持て余しているのかは個体によって異なる。だが魔術を操れるのであれば、魔物は大きな危険をもたらす。
「たとえばお前のように――」と、ツララは言う。「その魔物が火の力を持っているとしよう。そうすれば、町は焼けるかもしれん。町民は逃げ惑うだろう。我々は一人でも多くの町民を助けねばならない。火災から身を守るのに精一杯の人々を、武装した我々が魔物から護衛する必要がある。もちろん消火に当たる必要もある。人手はいくらあっても足りないだろう。」
火の魔物、と聞いて思い出したのは、ミナモの話だった。ミナモの故郷は魔物の火で焼かれた。そしてタイヨウの暮らす〈谷守り〉の町へと逃れて来たのだ。
ツララの冷たい視線に刺され、タイヨウは頭を垂れた。
「私はそのとき、十人隊を率いて町民の保護に当たるだろう。だが、お前はそこにいないのだ。宿舎を探しても、お前のすがたはどこにも見られない。それだけではない。もしも外泊の報せがあったなら、私はお前を当てにすることができる。お前が滞在している場所で、町を守る務めを果たしていると、考えることができる。だが外泊の報告がないのだから、私はお前を当てにすることができない。どこにいるのかも分からぬ者を、どうやって当てにできよう。」
そう言ってから、ツララは手元の盃を指で弾いた。びくりとして、タイヨウは顔を上げた。隊長の目は変わらず冷ややかだった。
「いや、そもそもそれ以前の問題だ。お前は酒にひどく酔っていたそうだな。お前が宿舎にいたとしても、使い物にならんかもしれん。まして居場所も分からなければ、なおさらのことだ。お前は自分が酒に弱いことを知っているだろう。なぜ、それにもかかわらず潰れるまで飲んだのだ。」
ツララの眼光が、いっそう鋭くなった。冷たい風が腹に吹き込んだような、寒々とした気分をタイヨウは味わった。
「お前は戦士の義務を果たしていない。そんな者に、どうして戦士団の方針を批判することができるというのだ。」
そして、ツララは口を閉ざした。沈黙してじっとタイヨウを見つめる。
若者は惨めな気分に浸って、歯を食いしばった。恥ずかしく、情けなかった。一つも言い返す言葉がなかった。せめて相手の目を見返すことだけで、ようやく自分の矜持を守った。きっとカワラやミナモが自分のことを見ているだろう。ここで目を逸らすような、そんな意気地のないところを見せたくなかった。
やがて、ツララはふと表情を緩めた。ひどく寂しげな顔だった。
「私が腹立たしいのは――」と、ツララはいかるよりも、むしろ悲しむように言った。「お前に自分の考えを貫く意気がないからだ。お前が戦士団の方針に異を唱えるのは、人を助けるためであるからだろう。そう唱えながら、どうして守護者としての義務を蔑ろにできる。」
言ってから、ツララは苦く笑う。
「有り体に言うが、町の守護者としての義務を軽んじているのは、お前だけではない。昨夜お前と飲んだ者の多くも、すでに叱責を受けている。それこそクモとて、戦士にはあるまじきことにずいぶん酔っていたからな。私の部隊の隊員ではないから、直に叱ってはおらんが。」
ツララは溜め息をつくと、穏やかな笑みを浮かべてタイヨウを見つめた。染み入るような温さを感じて、思わず涙を零しかけ、慌ててきつく瞬きした。
「わざわざ出向いて、こうしてゆっくりと話した理由が想像できるか?」
「できません。」
タイヨウは答えた。ツララはにこりと笑う。
「他の団員には、お前ほどの理想はない。霧の向こうの人々を守るなど、我々の本来の義務ではない。義務の有無にかかわらず人を助けようという理想高いお前を、私は気に入っている。だが口だけで理想を語っても、それは虚しいものではないか。」
「はい。」
タイヨウは頷いた。
「お前は他の者よりも高い理想を掲げているのだから、それに見合うだけの力を尽くさねばならん。自分の理想を体現できるようになれ。そうすれば自ずと他者もお前の理想を信じるようになるだろう。」
ツララは椅子を引き、立ち上がった。タイヨウも立とうとして、隊長は手で制した。
「休んでいなさい。今日は非番だ。休息もまた戦士の務め。怠けず、浮かれず、しっかりと休みなさい。」
そう言ってから、不意に店の隅の調理場に立ってずっと様子を見ていたミナモに顔を向けた。二人は目を見合わせると、小さく笑みを交わした。そしてツララは背を向けると、店を出ていった。
遠ざかっていく背中を、タイヨウは瞬きもせずに見つめていた。
ツララが店に来た理由は明らかだった。タイヨウを叱責するためだ。だが、ツララはミナモに食事を頼んでから、一言も喋らなかった。
ツララ隊長は長身の壮年で、穏やかな質の人物だった。この隊長が人を叱り飛ばすところを、タイヨウは見たことがない。だが、かといって優しいというわけでもなかった。こうして重い沈黙に耐えながらじっとしているしかないのは、叱り飛ばされるよりもタイヨウには辛い。外からやってくる責めよりも、沈黙の中で自分の内側から聞こえてくる自責の念のほうが、はるかに堪えた。
もはや耐え難くなって、タイヨウは自ら口を開いた。
「申し訳ありません。」
タイヨウは頭を下げた。隊長の顔を見たくなかった。しかしそれを許す優しいツララではなかった。
「顔を上げなさい。」
決して厳しくはないが、一片も優しさの込もらぬ声でツララは言った。顔を上げて見ると、隊長の顔には何の色も浮かんではなかった。ツララは普段なら微笑んでいることが多いのだが、その名の通り、いつでも氷柱のように冷たい視線を投げかけることができた。そして隊長はいま、その特技を存分に発揮していた。
ツララはしばらく冷ややかな目でタイヨウを見据えていた。じっくりと時間をかけて、刃物のような視線を突きつける。やがて若者が耐えきれずに顔を少し逸らすと、その瞬間に突き入れるように口を開いた。
「お前は謝ったが、いったい何を謝るべきか、理解しているか。」
タイヨウはふたたび視線を戻した。短剣が喉元に突き付けられるような冷え冷えとした感触を感じながら、口を開く。
「宿舎へ帰ることを怠り、その報告も怠りました。」
そう答えるが、ツララはすぐには返事をしない。タイヨウが焦れるまでたっぷりと沈黙を重ねてから、ようやく話を続ける。
「私はお前の行いに少なからず苛立ちを感じている。しかしそれは昨夜宿舎へ帰らなかったことや、その報告を怠ったためではない。ではそれがなぜか、分かるか。」
タイヨウは困惑した。義務に違反したのだから、おこられて当然ではある。処罰があってしかるべきだ。だが、それがいかりの原因ではないという。だとすれば、いったいその原因がなんであるのか、検討がつかなかった。
「わかりません。」
しばし逡巡を重ねてから、タイヨウは答えた。ツララは一つ小さく溜め息をついた。心なしか、表情が少し緩んだように見えた。
「昨夜、お前はクモと口論したそうだな。」
ツララは言った。どうしていきなりそんな話をするのかと訝りながら、タイヨウは頷いた。
「お前は魔物を打ち取るために積極的に戦士を派遣するべきであると説いたそうだな。遠い氏族や、異界の霧の向こうの人々のために。これはお前がたびたび口にしていることだ。そしてこれは我ら赤角戦士団のこれまでの方針に反する。」
しかし、とタイヨウが口を開きかけるのを、ツララは視線で制した。この隊長は、目つき一つでタイヨウを抑えられる数少ない人々の一人だ。
「私はお前の考えが間違っていると言おうとしているのではない。方針は絶対的なものではない。私はこれまでのところ現在の方針のほうが理があると考えているが、方針は常に見直されてしかるべきだと思う。批判、反論は歓迎すべきだ。」
鋭い視線を向けながら、だが、と続ける。
「お前にそのような批判を口にする資格があるとは思われない。」
「それは、なんで――」
思わず口を開こうとしたタイヨウを、ふたたび視線で制する。
「もしも昨夜魔物がこの町を襲ったら、お前はどうするつもりだった?」
不意に投げかけられた問いに、タイヨウは瞬きした。
「それは、どういう……。」
「今日、我々の隊は非番だ。そのため、昨夜の勤務の後は楽にして過ごしていい。だが、非番であろうがなかろうが、町の守護者としての義務は変わらない。」
仮に、と続けながら、ツララは天井に目を転じた。
「仮に昨夜、魔物が町を襲ったとしよう。囲壁を巡回する隊がまずは気づくだろう。様子を見つつ、すぐに報告が回る。仮に魔物が敵意を示すなら、すぐさま投石、投槍で応戦することになるだろう。もしも魔物が地上性のものであり、投射攻撃を具えていなければ、おそらくこの最初の攻撃で追い散らすことができるだろう。」
ツララはふたたび視線をタイヨウに向けた。
「だが魔物が飛翔するものであったら、問題は複雑になる。魔物はすぐに囲壁を越えるだろう。それほど知恵が回らなければ、まずは壁上の巡邏と交戦する。これなら問題は少ない。我々は魔物に対応できるように訓練されている。しかし賢しければ、魔物は武装した戦士を避け、町に降りるだろう。そうなれば町民に被害が及ぶかもしれない。」
タイヨウは知らず知らず顔を下に向けていた。ツララが何を話そうとしているのかが、わかりはじめていた。
「やがて知らせは我々のところにも届く。団長の指揮の下、十人隊は町の各地に広がることだろう。飛翔する魔物に対して、投槍はそう効果的ではない。だから呪師を使わねばならないが、数は限られる。町には呪師がいくらもいるが、戦いの技を知っているわけではない。戦士団の呪師が必要になる。そのため、呪師が魔物に対応するまでのあいだ、十人隊は主に町民の保護をすることになる。」
さらに、と続ける。
「もっと悪い事態を想定しよう。仮に魔物が強力な魔術を使えるならば、ことはさらに難しくなる。」
ツララは言った。魔物には魔術を使う者がある。タイヨウが持つのと同じ力だ。
この世は大きく二つの領域に分かれる。肉を持って五感で把握できる顕界と、霊なる感覚でのみ把握できる幽界がそれだ。顕界が人の暮らす土地であり、物質で構成されているのに対して、幽界は死者が眠り、精霊のたゆたう場所であり、いまだ物質になっていない希薄な元素によって構成されている。
そして顕界にあるすべては幽界に由来する。両界の狭間から元素が流れて来て、それが物質と力として結晶化するのだ。太陽はそうした狭間の一つであり、この世の光の多くはそこに根を持つ。また人の霊は幽界から顕界を訪れ、赤子として受肉する。
幽界には大きく分けて六つの領域があり、物質の起源となる五大領域を元素界、人の起源となり死者の眠る領域を霊界と呼ぶ。この世は大樹のようなものだ。地下たる幽界へと、根たる狭間を下ろし、そこから元素を吸って、幹と枝葉たる顕界を茂らせる。
そして魔術師は、生まれながらにしてこの幽界への根を持つ。これは禍でもあり、福でもある。先天の魔力はそれを持つ者を苦しめるが、魔力を支配すれば呪術師となる。タイヨウはまさにその名の通り、太陽のように光の元素界への根を持ち、そこから光と熱を思うままに引き出すことができる。
そして魔術師と同じく、魔物も幽界への根を持つ。その力を呪術師のように扱えるのか、それとも持て余しているのかは個体によって異なる。だが魔術を操れるのであれば、魔物は大きな危険をもたらす。
「たとえばお前のように――」と、ツララは言う。「その魔物が火の力を持っているとしよう。そうすれば、町は焼けるかもしれん。町民は逃げ惑うだろう。我々は一人でも多くの町民を助けねばならない。火災から身を守るのに精一杯の人々を、武装した我々が魔物から護衛する必要がある。もちろん消火に当たる必要もある。人手はいくらあっても足りないだろう。」
火の魔物、と聞いて思い出したのは、ミナモの話だった。ミナモの故郷は魔物の火で焼かれた。そしてタイヨウの暮らす〈谷守り〉の町へと逃れて来たのだ。
ツララの冷たい視線に刺され、タイヨウは頭を垂れた。
「私はそのとき、十人隊を率いて町民の保護に当たるだろう。だが、お前はそこにいないのだ。宿舎を探しても、お前のすがたはどこにも見られない。それだけではない。もしも外泊の報せがあったなら、私はお前を当てにすることができる。お前が滞在している場所で、町を守る務めを果たしていると、考えることができる。だが外泊の報告がないのだから、私はお前を当てにすることができない。どこにいるのかも分からぬ者を、どうやって当てにできよう。」
そう言ってから、ツララは手元の盃を指で弾いた。びくりとして、タイヨウは顔を上げた。隊長の目は変わらず冷ややかだった。
「いや、そもそもそれ以前の問題だ。お前は酒にひどく酔っていたそうだな。お前が宿舎にいたとしても、使い物にならんかもしれん。まして居場所も分からなければ、なおさらのことだ。お前は自分が酒に弱いことを知っているだろう。なぜ、それにもかかわらず潰れるまで飲んだのだ。」
ツララの眼光が、いっそう鋭くなった。冷たい風が腹に吹き込んだような、寒々とした気分をタイヨウは味わった。
「お前は戦士の義務を果たしていない。そんな者に、どうして戦士団の方針を批判することができるというのだ。」
そして、ツララは口を閉ざした。沈黙してじっとタイヨウを見つめる。
若者は惨めな気分に浸って、歯を食いしばった。恥ずかしく、情けなかった。一つも言い返す言葉がなかった。せめて相手の目を見返すことだけで、ようやく自分の矜持を守った。きっとカワラやミナモが自分のことを見ているだろう。ここで目を逸らすような、そんな意気地のないところを見せたくなかった。
やがて、ツララはふと表情を緩めた。ひどく寂しげな顔だった。
「私が腹立たしいのは――」と、ツララはいかるよりも、むしろ悲しむように言った。「お前に自分の考えを貫く意気がないからだ。お前が戦士団の方針に異を唱えるのは、人を助けるためであるからだろう。そう唱えながら、どうして守護者としての義務を蔑ろにできる。」
言ってから、ツララは苦く笑う。
「有り体に言うが、町の守護者としての義務を軽んじているのは、お前だけではない。昨夜お前と飲んだ者の多くも、すでに叱責を受けている。それこそクモとて、戦士にはあるまじきことにずいぶん酔っていたからな。私の部隊の隊員ではないから、直に叱ってはおらんが。」
ツララは溜め息をつくと、穏やかな笑みを浮かべてタイヨウを見つめた。染み入るような温さを感じて、思わず涙を零しかけ、慌ててきつく瞬きした。
「わざわざ出向いて、こうしてゆっくりと話した理由が想像できるか?」
「できません。」
タイヨウは答えた。ツララはにこりと笑う。
「他の団員には、お前ほどの理想はない。霧の向こうの人々を守るなど、我々の本来の義務ではない。義務の有無にかかわらず人を助けようという理想高いお前を、私は気に入っている。だが口だけで理想を語っても、それは虚しいものではないか。」
「はい。」
タイヨウは頷いた。
「お前は他の者よりも高い理想を掲げているのだから、それに見合うだけの力を尽くさねばならん。自分の理想を体現できるようになれ。そうすれば自ずと他者もお前の理想を信じるようになるだろう。」
ツララは椅子を引き、立ち上がった。タイヨウも立とうとして、隊長は手で制した。
「休んでいなさい。今日は非番だ。休息もまた戦士の務め。怠けず、浮かれず、しっかりと休みなさい。」
そう言ってから、不意に店の隅の調理場に立ってずっと様子を見ていたミナモに顔を向けた。二人は目を見合わせると、小さく笑みを交わした。そしてツララは背を向けると、店を出ていった。
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