捨てられ聖女は、王太子殿下の契約花嫁。彼の呪いを解けるのは、わたしだけでした。

鷹凪きら

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5章

57 呪いという名の希望

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 力なく床に膝を突いたルディオは、苦しそうな吐息をもらした。

「っ……」
「ルディオ様!?」

 しゃがんで彼の顔を覗き込むと、額にうっすらと汗を滲ませている。

「どうされました!?」

 ただならぬ様子に思わず大きな声をあげると、ルーゼが駆け寄ってきた。彼女はルディオの様子を確認して、険しい顔つきで言う。

「まさか……矢に毒が?」
「ど、く……?」

 一瞬にして血の気の引いたシェラを横目に、ルーゼは先ほど打ち落とした矢を拾い上げる。鏃を指でなぞり、そのまま舌先で舐めとると、すぐに顔をしかめて吐き出した。

「舌が痺れる……これは恐らく、サリジシの毒です」
「サリジシ?」
「はい。体内に入ると少しずつ身体の自由を奪って、最後には呼吸が止まる致死毒です」

 思わずヒュッと息をのむ。
 自分を庇ったせいで、ルディオが毒矢を受けてしまった。やはり無理やりにでも、式典は中止させるべきだったのだ。

 罪悪感とやるせ無さで、胸が締め付けられていく。

「ど、どうしたら……」
「サリジシは人の身体に対してはまわりが早く、一時間程度で死に至らしめます。……ですが、大型の獣であれば効力が弱まり、身体を麻痺させる程度で済むため、麻酔薬としても使われているのです」

 ルーゼの言葉に、ごくりと唾を飲み込んだ。彼女が言わんとしていることは、ひとつしかない。

「それは……呪いを発動させて、毒のまわりを抑えると言うことですか?」
「……はい。その間に解毒剤を摂取できれば恐らくは……」

 獣に変われば毒は致死性が低くなる。
 ルディオは一度呪いが発動したら、翌日の朝までは人の姿に戻れない。今は正午近くなので、次の夜が明けるまでに毒を中和できれば、助かる可能性があるということだろう。

「サリジシの解毒剤なら、城内にも保管されているはずだ。クアイズ、急いで侍医に取り次いで持ってこさせろ」
「はい!」

 バルコニーにいたロイアルドが、指示を出しながらこちらに歩いてくる。
 兄の様子を確認して、表情を険しくした。

 ルディオは身体に力が入らないようで、ルーゼに支えられながら床に座り込んでいる。
 毒が身体にまわり切る前に、一刻も早く獅子の姿にならなければ手遅れになるだろう。

 しかし、呪いを発動させるにあたって気がかりなことがある。
 不安げなシェラの表情を見て察したのか、ルーゼが安心させるように言った。

「万が一呪いが発動した際に自我が残っていなかったとしても、動きの鈍っている今なら、私たちで押さえられるはずです。心配はいりません」

 自我が残らなかったときの凶暴さは、シェラもよく知っている。
 たしかに今は毒によって麻酔を打たれているような状態であるし、ここにはルーゼやロイアルドを含め、複数の騎士がいる。彼らに任せれば問題はなさそうだ。

「ルディオ様、聞いていました? 今すぐ獅子になってください!」

 あとは呪いを発動させるだけ。
 状況は彼も理解できているだろう。
 焦りを滲ませたシェラの言葉に、ルディオは苦しそうに息を吐いた。

「無茶を、言うな……さっき君に……魔力をやったばかりだ」

 意識が朦朧としているのか、彼は俯いたまま答える。

「無茶でもなんでもありません! ならなきゃ死ぬんですよ!?」

 彼の服を掴み、詰め寄るように叫ぶ。
 ともに生きる道を選ばせておきながら、置いていくなんて絶対に許さない。

 早く怒りの感情を抱いてもらわなければならないのだが、身体を揺さぶってみても、ルディオの反応はいまいちだった。恐らく毒の影響で、思考がうまく回っていないのだろう。

 こうなっては、なりふり構っていられない。手段を選んでいる時間はないのだ。

 目を閉じ、心を決めるようにゆっくりと頷く。

 呪いを発動させるために、純粋な怒りよりも、もっと効果的な感情をシェラは知っている。

 スッと立ち上がり、室内を見渡す。
 適任者は一人しかいない。
 その人物の前まで数歩進み、ピタリと足を止めて丁寧に一礼した。

「バルトハイル陛下、失礼いたします」
「……なんだ?」

 もうこの人を、兄と呼ぶ必要もない。今まで散々命令を聞いてきたんだ。最後くらい付き合わせてもいいだろう。

 深い青色の瞳をじっと見つめてから、今度はその隣にいる者に視線を向ける。

「ごめんね、レニエッタ」

 やられたら、やり返す。たまにはそれもいいだろう。
 これは、操られた騎士の分。

 レニエッタの黒い瞳が見開かれる。
 その視線の先には、両手でバルトハイルの頬をつかみ、口づけをするシェラの姿があった。



 静まり返る室内に、閃光が走る。
 それは一瞬にして拡散し、光の粒子となってその場に降り注いだ。

 シェラが振り返ると、先ほどまでルディオがいた場所に、一頭の大きな獅子が座っている。透き通った緑色の瞳が、まっすぐシェラを見つめていた。

「ルディオ……さ、ま」

 名前を呼ぶと、獅子がゆっくりと近づいてくる。その足取りはふらついていて、とても頼りなく見えた。

 これは彼の意思か、それとも本能か。
 もう……どちらでもいい。

 視線の高さを合わせるように床に膝を突くと、目の前に迫った獅子に押し倒される。
 そのまま組み敷くようにシェラに覆いかぶさり、大きく口を開けた。

 室内に緊張が走った瞬間、ネコ科特有のざらついた舌で、べろりと唇を掬い上げるように舐められる。
 驚きで言葉を発せずにいるシェラの上で、獅子がにやりと笑った気がした。

「っ――」

 思わず手を伸ばし、獣の太い首を両腕で抱きしめる。

 初めて触れた黄金色のたてがみは、切ないほどに、やわらかかった。

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