捨てられ聖女は、王太子殿下の契約花嫁。彼の呪いを解けるのは、わたしだけでした。

鷹凪きら

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3章

34 夜は明ける ①

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 空の色が青から紫に変わっていく。
 朝焼けに染まる空を見つめながら、同じ色の瞳をしたシェラは、小さな白い建物の前にいた。

 地平線の果てからゆっくりと太陽が顔を出す。
 全体が姿を現したのを確認してから、建物の中へと足を踏み入れた。

 一度目の時とは違い、コツリコツリと靴音を立てながら進んでいく。
 鉄格子のついた窓には、登ったばかりの太陽から照らし出された薄日が差し込んでいた。

 ――あぁ、そうか。
 離宮を抜け出したシェラが、ルディオに捕まった際に視た映像。
 あれは、今のこの瞬間だ。

 あの時視たのは彼の過去ではなく、シェラの未来。
 ルディオの記憶を覗いたことなんて、一度たりとも、なかったのだ。

 あの時の映像の通りならば、この先には、きっと――

 通路の突き当りにある一番奥の扉まで、迷うことなく進んだ。
 鍵を外し、映像で見たときと同じようにゆっくりと扉を開く。鉄の扉と石の床の擦れあう、不快な音が響いた。

 最初に目に入ったのは、爪で引っ掻いたような傷跡だらけの床。そして、その上に散らばる、金色の美しい髪の毛。
 次に見たものは、頭を扉の方へ向け、仰向けで横たわる彼の姿だった。
 目は閉じられたままで、ぴくりとも動かない。

 シェラは一度深く呼吸をして、躊躇うことなく足を踏み入れた。

 コツリ――

 己の靴音だけが反響する空間で、はっきりとした男性の声が響く。

「何故、戻ってきた」

 問には答えず、彼の前まで歩いていく。
 真上から見下ろせる位置まで来たところで、歩みを止めた。

 うっすらと目を開き、彼は天井を見つめたまま再度問いかける。

「ハランから、聞いたんだろう?」
「わかるのですか?」
「自我はなくとも、何が起きていたかは覚えているんだ」

 虚ろな視線で宙を見据える。
 その緑の瞳に、シェラを映そうとはしてくれなかった。

「隠していて、すまなかった。夫がこんな呪いを受けていたら、恐ろしいだろう? 私の近くにいたら、また君を傷つけてしまう」

 手の甲の傷を、彼は知っているようだ。

「次は本当に、殺してしまうかもしれない。だから……」
「だから、結婚は取りやめにすると?」

 遮るように言葉を被せる。彼は再び目を閉じ、小さく首を振った。

「それは……できない。ヴェータとの関係もあるから、なかったことにするのは難しい」
「なら、どうするのです?」
「君には不自由させないようにする。……だから、今後は形だけの夫婦でいてほしい。他に男を作っても構わない。形式上、私の妻でいてもらえれば」

 予想していた通りの返答だ。

 獣の姿に変わる呪い。そして、その反動で自我を失い、見境なく人を傷つける。
 呪いの恐ろしさを知ってしまえば、彼のそばにいることがどれだけ危険か分かってしまう。
 怒らせたら食い殺されてしまうかもしれない、そんな恐怖と隣り合わせで、普通の夫婦になどなれるはずがない。

 きっとルディオは、最初からシェラと夫婦になる気などなかったのだ。

「それも無理なら、数年後に離婚しよう。その間にヴェータとの関係を修復すれば、問題はないはずだ」

 それが最善であり、そうするしかないと彼は言う。

「世継ぎはどうするのです?」
「私に子がいなくとも、弟たちがいる。あいつらの子供に継承権が移るだけだ」

 今まで積極的に相手を探してこなかった理由がわかった。弟王子たちが結婚したため、世継ぎの心配がなくなったのだろう。

「私はじきに王位を継ぐが、その次の王が私の子でなくとも問題はない。だから、君には自由に生きてほしいんだ」

 ――その自由をくれたのは、あなたなのに。

「言いたいことは、それだけですか?」

 ゆっくりと目を開けて、彼は全てをあきらめたような、力のない声で言う。

「……ああ。君のしたいようにしてもらって構わない。」

 シェラは静かに息をのみ込み、己の拳を握りしめた。手の傷がピリリと痛む。だが、そんなことはどうでもいい。

 きっと自分はいま、かつてないほど怒っている。もし彼と同じ呪いを抱えていたら、一瞬で姿を変えているほどに。

「わかりました。なら、わたくしの好きなようにさせていただきます」

 言い終わらないうちに、ドレスの内側に忍ばせていたハサミを取り出す。
 これはハランシュカが手の甲の傷を手当てする際に使用した、小箱に入っていた医療用のものだ。

 このハサミを目にしたとき、何故か必要だと思った。部屋にひとりになってから、こっそりとドレスのポケットに忍ばせたのだ。

 刃先が鋭く尖っていて、使い方によっては凶器にもなる。

 それを己の喉元に突きつけ、大きく息を吸った。

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