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3章
32 金色の獣
しおりを挟む冷気が頬を撫でる。
部屋着のまま出てきてしまったため、外気の冷たさに身を震わせた。
だが、そんなことを気にしてはいられない。
シェラは前を歩く金色の髪を必死で追いかけた。
気づかれないように、そして、見失わないように。この暗闇では、さすがに血の跡を辿ることはできないだろう。
庭園内をしばらく進むと、小さな白い建物が見えてきた。
外観は質素で、窓には鉄格子が取り付けられている。夜の暗闇の中でぼんやりと佇むその様子に、なにか薄気味悪さを感じた。
金の髪の持ち主は、迷うことなくその建物へと入っていく。
入口に鍵がかけられていたようだが、彼は開けたまま放置していったようだ。半開きのままだった扉を抜け中に入ると、さらに気味の悪い空間が広がっていた。
目の前の光景に、ぴたりと足を止める。
通路を照らすのは、壁に掛けられたただひとつの明かりだけ。
薄暗い通路には、格子窓のついた鉄の扉がいくつか並んでいる。扉はほとんどが開いたままで、その先を覗くとひとつひとつが小さな部屋になっていた。
シェラはこの光景に見覚えがあった。
ヴェータにいた頃、離宮を抜け出したシェラは、主城でルディオに捕まったことがある。
その際、流れ込んできた彼の記憶の中で視たものと、同じなのだ。
だが、違うところがひとつだけある。
彼の記憶の中では、窓から薄日が差していた。時刻的には間違いなく、夜ではなかった。
そうするとあの時の映像は、やはり彼の過去だったのかもしれない。
そう考えながら、通路をゆっくりと進んでいった。
床は石で造られており、下手をしたら足音を立てかねない。
思えば、彼には不思議なところが沢山あった。
レニエッタの聖女の力の影響を受けなかったこともそうだし、夜中に離宮の部屋に戻ってこなかったこともある。
あの時のルディオとハランシュカの会話はまだ覚えているが、内容は今でも理解できていない。
彼にもシェラと同じように何か秘密があるのではと、考えたことは一度ではない。
何故こんなところまで彼を追って来たのか。それはきっと、彼の隠している何かを知ることができるかもしれないと、そう思ってしまったからだろう。
通路の先にひとつの扉が見えてきた。
あれは彼の記憶の中でどうしても気になり、開けてしまった一番奥の扉だ。
だけど今は開け放たれたままの状態で、扉の先に目的の人物が背を向けて立っていた。
シェラは吸い込まれるように彼に近づいていく。これ以上踏み込んではいけないと、頭の隅で警鐘が鳴り響いていた。
ガンガンと鳴り響くそれは、まるで酷い頭痛に似ていて。
扉の前まで来たシェラは、頭の痛みにふらりとよろついた。
――コツリッ
一瞬鳴った靴音に、目の前の人が振り返る。
現れた緑の瞳は大きく見開かれ、いつもより暗い色に見えた。
「何故、ここに――ッ」
彼は急に片手で頭を押さえ、苦しそうに息を吐く。
その右手は、血に濡れていた。
「後をっ……つけて、きたのか――!」
「す、すみません! 怪我をされているようだったので気になって……!」
シェラの言葉など聞こえていない様子で、ルディオは荒い呼吸を何度も繰り返している。
そして、うめくような声で言った。
「くそっ……もう、止まらな……早く、ここから離れっ――」
その言葉を最後に、視界が光の粒子に包まれる。
眩しさに目を閉じ慌てて開くと、目の前に金色のたてがみを持つ、大きな獅子が立っていた。
その緑の瞳は暗く光り、牙を剥き出しにして唸り声を上げている。
身の毛もよだつ獰猛な獣の姿に、思わず一歩後ずさるも、恐怖から身体が震えそれ以上動けなかった。
頭の中は混乱でいっぱいで。
目の前にいたルディオが、獅子の姿に変わった。それは間違いない。
だが、いま気にしなくてはいけないことは、そこではなかった。
この猛獣は、あきらかにシェラに敵意を向けているのだ。
それは殺意と言っても過言ではなく。
扉の外側にいるシェラ目がけて、獅子が飛びつこうと両手を振り上げた。
逃げなければ――!
そう思うも、恐怖に固まった身体は言うことをきかず、反射的に目をつむる。
獅子の爪がシェラを切り裂く瞬間、思い切り後ろに引っ張られた。
鋭い爪先が手の甲をうっすらと抉り、スカートの裾を切り裂いて地面に着地する。
急に後ろから服をひっぱられたせいで、バランスを崩し地面に座り込んだシェラの横を、人影が素早く通り過ぎていった。そのまま獅子を中に押し込めるように強引に扉を閉め、錠前をかける。
閉じ込められた獅子が、中から体当たりしているのか、ガンガンと扉が音を立てて揺れていた。
低く唸るような獣の咆哮が、建物内に響き渡る。
突如現れた人物はシェラを振り返り、怒鳴り声を上げた。
「どうして君がここに……! ルディの後をつけたのか!?」
うまく言葉が紡げず、こくりと首を縦に振る。
「僕が間に合ったからよかったものの、もう少しで食い殺されていたところだぞ!?」
そういってシェラの側まで歩いてきたのは、ルディオの部下であるハランシュカだ。
彼は膝を突いて屈むと、シェラの左手を取り、まじまじと見つめて舌打ちをする。
「あぁ傷までつけられて……あとでルディがどう思うか――いや、もうそれ以前の問題だな。こんな形で知られるなんて……」
何が起きたのか理解の追いつかないシェラの横で、ハランシュカは一人で呟いた。
「あの……どういう、ことですか?」
喉から絞り出すように、やっと言葉を紡ぐ。
ハランシュカは眉間に深くしわを刻み、あきらめたかのように溜め息をついた。
「不本意だけど、僕の口から話すしかなさそうだね」
不機嫌をあらわにした声で言い、掴んだままのシェラの手を引き立ち上がらせた。
「ここではゆっくり話せないから、移動しよう」
いまだに暴れているのか、小部屋の中からは騒々しい物音が聞こえる。
あのまま放っておいていいのかと思いながらも、大人しくハランシュカの後についていくことしかできなかった。
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