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3章
28 作戦失敗?
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その日の夜、シェラは緊張した面持ちで、とある扉の前にいた。
この扉はルディオの部屋へと直接続いている。
普段は鍵をかけていて、ルディオが入ってくるには、シェラが持っている鍵を使わなければならない。
初めてこれから自室となる部屋を訪れたとき、彼は言っていた。
『この扉の鍵は君に預けておく。君の部屋に行く時はノックをするから、私に会いたいと思ってくれるなら鍵を開けてくれ』
結局その日以降、この扉が叩かれたことはない。そもそも隣の住人がほとんど部屋にいないのだから、当たり前なのだが。
だから今日は、こちら側から叩いてみようと思う。
時刻はちょうど日付が変わる頃。
いつもはとっくに寝ている時間である。
つい先ほど彼が戻ってきたようで、隣室の扉が開かれる音が聞こえた。今はたしかに人の気配もする。
あまり時間をおくと彼が寝てしまう可能性もあるため、早いうちに作戦を実行しようと思う。
大きく息を吸って、吐き出した。
いざ扉を叩こうと手を上げた瞬間、カチャ――という音が目の前から聞こえる。
「?」
何の音かと小首を傾げると、ドアノブがゆっくりと下がっていき――
「え……」
静かに音を立てながら、扉が開かれた。
中途半端に上げた右手はそのままに、シェラは向こう側にいた人物を凝視する。
そこには、同じようにシェラを見たまま固まっているルディオがいた。
緑の瞳を大きく見開いて、取っ手に手をかけたままの体勢でピクリとも動かない。
たっぷり十秒は見つめ合って、先に口を開いたのはシェラだった。
「えっと……」
その声に我に返ったのか、彼はびくりと身体を揺らす。一歩扉から後ずさり、明らかに動揺を含んだ声で言った。
「なぜ、起きて……」
確かにいつもは寝入っている時間ではあるが、だからと言って責められるほどの時間でもない。
抗議しようと口を開きかけたが、彼の言葉が遮る。
「いや、起きているのは……おかしくはないな。むしろ、おかしいのは私の方か……」
独り言のように呟く。
先ほどのカチャッという音は、恐らく鍵を開けた音だろう。この扉を開けるには、シェラが持っている鍵が必要なはずだが、ルディオはいま自ら鍵を開けていた。
状況的におかしいのは、確かに彼の方である。
「ああ、だからこれは、その……」
これほど動揺している姿を見るのは初めてだ。
どう言うことかとじっと見つめると、ルディオはまた一歩後ずさり、小さい声で答えた。
「……すまない。弁解を……させてくれ…………」
*
ソファに腰を落ち着けて、一息つく。
ここは初めて入る、ルディオの部屋。
あの後、彼は謝罪を述べながら、シェラを自室に招き入れてくれた。
「寒くないか?」
ナイトドレスにカーディガンを一枚羽織っただけのシェラに、厚手のガウンをかけてくれる。
普段使っている物なのだろう。ふわりと彼の匂いが鼻孔をくすぐった。
「大丈夫です。ありがとうございます」
礼を言うと、彼はぎこちなくほほ笑んだ。
その様子からは、普段の凛々しさは微塵も感じられない。まるで、爪を切られた猫のようだ。
「君は……なぜ扉の前に?」
「あなたに会いたくて」
「……そうか」
素直に答えると、隣に座った彼は小さな声で頷いた。
「ルディオ様は、どうしてわたくしの部屋に? 鍵はこちらで持っている物だけじゃなかったのですか?」
純粋なシェラの質問に、彼は気まずそうに眉を寄せる。
「鍵は……何かあった時のために、もうひとつ作ってあった。使う予定はなかったから、金庫にしまっていたんだが……」
一度言葉を切って、視線を逸らす。
「距離を置いておきながら、結局自分で言ったことを破るなんて、本当に馬鹿らしいな」
「距離を……?」
やはり避けられていたらしい。
予想していた通りの事態に、滲みそうになる涙を隠そうと俯いた。
「忙しさを理由に会いに行かなかったことは、申し訳ないと思っている。君はこうして私の帰りを待って、会いにきてくれたというのに」
「それは……わたくしに会いたくなかった、ということでしょうか?」
ずきりと痛んだ胸に手をあて、目の前にある新緑色の瞳を覗き込む。
ルディオはシェラの瞳をじっと見つめ、それからゆっくりと口を開いた。
「そう思えれば……よかったんだがな。どうやら私は、もう引き返せないところまで来てしまったらしい。自分から避けておいて、耐えられずにこれを使ってしまうなんてな」
懐から鍵を取り出して、彼は自身の手のひらに載せた。
「仕事を終えて自室に戻ったはずが、気づいたら君の部屋にいた。疲れていてあまりよく覚えていないんだが、無意識に持ち出したらしい」
鍵を見つめ、申し訳なさそうに眉尻を下げながら言葉を続ける。
「一度許してしまうと、もう止められなくてな……悪いと思いつつも、何度も君の寝顔を見に行った」
「何度も……?」
「そうだな。もう……一週間になるか」
衝撃の事実に、徐々に頬が熱をもっていく。
一週間も前から、彼に寝顔を盗み見されていたと言うのか。
「起こしていただければ……!」
「起こしたら、そのまま何もしないでいられる自信がなかった」
「え……?」
意味がわからず首を傾げると、彼の腕が背中に回され抱き寄せられる。
「!?」
「ああもう、全てが遅いな。初めから素直になっておくべきだった。そうすれば、君を傷つけずに済んだのに」
「ルディオ様?」
真意を探るように、腕の中から彼の顔を見上げる。
「すまない。君を避けていたことも、勝手に部屋に入ったことも、ここ数日の私の行動は本当に浅はかだった。許してくれとは言わない。だが、もう自分の気持ちに嘘はつけそうもない」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
一人で勝手に話を進めるルディオに待ったをかける。
何が起きているのか、何を言われているのか、理解が追いつかない。
だから、まずははっきりさせなくては。
「ルディオ様は……わたしを好いてくれているのですか?」
自惚れでもいい。間違いでもいい。
そう、覚悟の上で問いかけた。
「妻を好きになっては、いけないか?」
思考が止まる。
ぽかんと口を開けたまま、緑の瞳を見つめ返した。
微動だにしなくなったシェラに、ルディオは顔を近づけて言う。
「もし、私の気持ちが迷惑であれば、今すぐこの腕を振り払って逃げてほしい」
そんなこと、できるわけがない。
ずっとこの腕の温もりを、求めていたのだから。
ぶんぶんと音が鳴りそうな勢いで、首を横に振る。
ルディオは目尻を下げて、小さくほほ笑んだ。
「逃げないのなら、覚悟することだな。君も、そして、私も――」
そのまま唇が重なる。
お互いの体温を確かめるようにそっと触れ合って、ゆっくりと離れた。
初めてのキスに、頭がくらくらする。
嬉しさと恥ずかしさで、顔が赤く染まっていった。
しばらく余韻に浸るように彼の胸に凭れていると、思い出したようにルディオが言う。
「何か欲しいものはあるか? 勝手に部屋に入った詫びに、なんでも揃えるが」
罪悪感は残っていたようで、彼はそんなことを提案してきた。
一番欲しかったものは、たった今もらってしまった。
それは――彼の心。
これ以上に欲しいものはない。
しばし考えて、シェラは思いついたことを口にする。
「では、その鍵をください」
彼が予備で持っていた、二人の部屋を繋ぐ扉の鍵を示した。
「これは、いざという時にないと――」
「いえ、もう鍵はかけません。あなたの部屋に、自由に出入りする権利をください」
強引かとも思ったが、少し悩んだ様子を見せてから、彼は頷いてくれた。
「わかった。私から言い出したことだし、許可しよう」
「ありがとうございます」
別に、彼の部屋を物色しようというわけではない。
ルディオがシェラの部屋を勝手に訪れていたと聞いて、ある野望が思い浮かんだのだ。それを実行するためには、彼の部屋に自由に入れることが最低条件だった。
そのあとは自室に戻り、一人でベッドに入った。
本当はヴェータにいた頃のように彼と一緒に眠りたかったのだが、それは許可してくれなかった。
横になり、大きく息を吐く。
嫌われているわけではなかった。
むしろその逆で……彼に好かれているなんて、本当に夢のようだ。
しかし、込み上げてくる嬉しさとは逆に、不安も同じくらい押し寄せてくる。
本当に、このまま彼の隣にいてもいいのだろうか。
この身体は普通とは違う。
生命力のすり減ったシェラは、見た目は若くとも、生きるための力は老人のようなものだ。
王太子の妻になると言うことは、子を成さなければならない。果たしてシェラに、その大役が務まるのか。
それ以前に、いつまで生きられるのかすら分からないのだ。
こんな身体で彼に愛してもらおうなんて、本当におこがましいと思う。
でも、それでも……少しでも長く、そばにいたい。
最近は力を全く使っていないからか体調も良いし、このまま普通の人と同じように生きられたら――
今まで、散々頑張ってきたのだ。
少しくらいわがままを言ってもいいだろう。
そう自分に言い聞かせ、深い眠りについた。
この扉はルディオの部屋へと直接続いている。
普段は鍵をかけていて、ルディオが入ってくるには、シェラが持っている鍵を使わなければならない。
初めてこれから自室となる部屋を訪れたとき、彼は言っていた。
『この扉の鍵は君に預けておく。君の部屋に行く時はノックをするから、私に会いたいと思ってくれるなら鍵を開けてくれ』
結局その日以降、この扉が叩かれたことはない。そもそも隣の住人がほとんど部屋にいないのだから、当たり前なのだが。
だから今日は、こちら側から叩いてみようと思う。
時刻はちょうど日付が変わる頃。
いつもはとっくに寝ている時間である。
つい先ほど彼が戻ってきたようで、隣室の扉が開かれる音が聞こえた。今はたしかに人の気配もする。
あまり時間をおくと彼が寝てしまう可能性もあるため、早いうちに作戦を実行しようと思う。
大きく息を吸って、吐き出した。
いざ扉を叩こうと手を上げた瞬間、カチャ――という音が目の前から聞こえる。
「?」
何の音かと小首を傾げると、ドアノブがゆっくりと下がっていき――
「え……」
静かに音を立てながら、扉が開かれた。
中途半端に上げた右手はそのままに、シェラは向こう側にいた人物を凝視する。
そこには、同じようにシェラを見たまま固まっているルディオがいた。
緑の瞳を大きく見開いて、取っ手に手をかけたままの体勢でピクリとも動かない。
たっぷり十秒は見つめ合って、先に口を開いたのはシェラだった。
「えっと……」
その声に我に返ったのか、彼はびくりと身体を揺らす。一歩扉から後ずさり、明らかに動揺を含んだ声で言った。
「なぜ、起きて……」
確かにいつもは寝入っている時間ではあるが、だからと言って責められるほどの時間でもない。
抗議しようと口を開きかけたが、彼の言葉が遮る。
「いや、起きているのは……おかしくはないな。むしろ、おかしいのは私の方か……」
独り言のように呟く。
先ほどのカチャッという音は、恐らく鍵を開けた音だろう。この扉を開けるには、シェラが持っている鍵が必要なはずだが、ルディオはいま自ら鍵を開けていた。
状況的におかしいのは、確かに彼の方である。
「ああ、だからこれは、その……」
これほど動揺している姿を見るのは初めてだ。
どう言うことかとじっと見つめると、ルディオはまた一歩後ずさり、小さい声で答えた。
「……すまない。弁解を……させてくれ…………」
*
ソファに腰を落ち着けて、一息つく。
ここは初めて入る、ルディオの部屋。
あの後、彼は謝罪を述べながら、シェラを自室に招き入れてくれた。
「寒くないか?」
ナイトドレスにカーディガンを一枚羽織っただけのシェラに、厚手のガウンをかけてくれる。
普段使っている物なのだろう。ふわりと彼の匂いが鼻孔をくすぐった。
「大丈夫です。ありがとうございます」
礼を言うと、彼はぎこちなくほほ笑んだ。
その様子からは、普段の凛々しさは微塵も感じられない。まるで、爪を切られた猫のようだ。
「君は……なぜ扉の前に?」
「あなたに会いたくて」
「……そうか」
素直に答えると、隣に座った彼は小さな声で頷いた。
「ルディオ様は、どうしてわたくしの部屋に? 鍵はこちらで持っている物だけじゃなかったのですか?」
純粋なシェラの質問に、彼は気まずそうに眉を寄せる。
「鍵は……何かあった時のために、もうひとつ作ってあった。使う予定はなかったから、金庫にしまっていたんだが……」
一度言葉を切って、視線を逸らす。
「距離を置いておきながら、結局自分で言ったことを破るなんて、本当に馬鹿らしいな」
「距離を……?」
やはり避けられていたらしい。
予想していた通りの事態に、滲みそうになる涙を隠そうと俯いた。
「忙しさを理由に会いに行かなかったことは、申し訳ないと思っている。君はこうして私の帰りを待って、会いにきてくれたというのに」
「それは……わたくしに会いたくなかった、ということでしょうか?」
ずきりと痛んだ胸に手をあて、目の前にある新緑色の瞳を覗き込む。
ルディオはシェラの瞳をじっと見つめ、それからゆっくりと口を開いた。
「そう思えれば……よかったんだがな。どうやら私は、もう引き返せないところまで来てしまったらしい。自分から避けておいて、耐えられずにこれを使ってしまうなんてな」
懐から鍵を取り出して、彼は自身の手のひらに載せた。
「仕事を終えて自室に戻ったはずが、気づいたら君の部屋にいた。疲れていてあまりよく覚えていないんだが、無意識に持ち出したらしい」
鍵を見つめ、申し訳なさそうに眉尻を下げながら言葉を続ける。
「一度許してしまうと、もう止められなくてな……悪いと思いつつも、何度も君の寝顔を見に行った」
「何度も……?」
「そうだな。もう……一週間になるか」
衝撃の事実に、徐々に頬が熱をもっていく。
一週間も前から、彼に寝顔を盗み見されていたと言うのか。
「起こしていただければ……!」
「起こしたら、そのまま何もしないでいられる自信がなかった」
「え……?」
意味がわからず首を傾げると、彼の腕が背中に回され抱き寄せられる。
「!?」
「ああもう、全てが遅いな。初めから素直になっておくべきだった。そうすれば、君を傷つけずに済んだのに」
「ルディオ様?」
真意を探るように、腕の中から彼の顔を見上げる。
「すまない。君を避けていたことも、勝手に部屋に入ったことも、ここ数日の私の行動は本当に浅はかだった。許してくれとは言わない。だが、もう自分の気持ちに嘘はつけそうもない」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
一人で勝手に話を進めるルディオに待ったをかける。
何が起きているのか、何を言われているのか、理解が追いつかない。
だから、まずははっきりさせなくては。
「ルディオ様は……わたしを好いてくれているのですか?」
自惚れでもいい。間違いでもいい。
そう、覚悟の上で問いかけた。
「妻を好きになっては、いけないか?」
思考が止まる。
ぽかんと口を開けたまま、緑の瞳を見つめ返した。
微動だにしなくなったシェラに、ルディオは顔を近づけて言う。
「もし、私の気持ちが迷惑であれば、今すぐこの腕を振り払って逃げてほしい」
そんなこと、できるわけがない。
ずっとこの腕の温もりを、求めていたのだから。
ぶんぶんと音が鳴りそうな勢いで、首を横に振る。
ルディオは目尻を下げて、小さくほほ笑んだ。
「逃げないのなら、覚悟することだな。君も、そして、私も――」
そのまま唇が重なる。
お互いの体温を確かめるようにそっと触れ合って、ゆっくりと離れた。
初めてのキスに、頭がくらくらする。
嬉しさと恥ずかしさで、顔が赤く染まっていった。
しばらく余韻に浸るように彼の胸に凭れていると、思い出したようにルディオが言う。
「何か欲しいものはあるか? 勝手に部屋に入った詫びに、なんでも揃えるが」
罪悪感は残っていたようで、彼はそんなことを提案してきた。
一番欲しかったものは、たった今もらってしまった。
それは――彼の心。
これ以上に欲しいものはない。
しばし考えて、シェラは思いついたことを口にする。
「では、その鍵をください」
彼が予備で持っていた、二人の部屋を繋ぐ扉の鍵を示した。
「これは、いざという時にないと――」
「いえ、もう鍵はかけません。あなたの部屋に、自由に出入りする権利をください」
強引かとも思ったが、少し悩んだ様子を見せてから、彼は頷いてくれた。
「わかった。私から言い出したことだし、許可しよう」
「ありがとうございます」
別に、彼の部屋を物色しようというわけではない。
ルディオがシェラの部屋を勝手に訪れていたと聞いて、ある野望が思い浮かんだのだ。それを実行するためには、彼の部屋に自由に入れることが最低条件だった。
そのあとは自室に戻り、一人でベッドに入った。
本当はヴェータにいた頃のように彼と一緒に眠りたかったのだが、それは許可してくれなかった。
横になり、大きく息を吐く。
嫌われているわけではなかった。
むしろその逆で……彼に好かれているなんて、本当に夢のようだ。
しかし、込み上げてくる嬉しさとは逆に、不安も同じくらい押し寄せてくる。
本当に、このまま彼の隣にいてもいいのだろうか。
この身体は普通とは違う。
生命力のすり減ったシェラは、見た目は若くとも、生きるための力は老人のようなものだ。
王太子の妻になると言うことは、子を成さなければならない。果たしてシェラに、その大役が務まるのか。
それ以前に、いつまで生きられるのかすら分からないのだ。
こんな身体で彼に愛してもらおうなんて、本当におこがましいと思う。
でも、それでも……少しでも長く、そばにいたい。
最近は力を全く使っていないからか体調も良いし、このまま普通の人と同じように生きられたら――
今まで、散々頑張ってきたのだ。
少しくらいわがままを言ってもいいだろう。
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