35 / 47
7 しろいゆき
・・・・・・・・
しおりを挟む
***
紗柚はジャージを萌え袖にして息を吹きかけるのが癖だけど、部活の時は腰元に縛って体操服を捲り上げて、金色の楽器を手にしている。
何回か「冷たくないの」って聞いたら「死ぬほど」って返された。でも吹いてるうちに暑くなるし、何より好きだから苦じゃないって笑ってた。
そんな夢中になれることがあるなんていいなあって思う。私には何にもないから。
「今日はまたすっごい冷たそう」
視線の先では、楽器を持った生徒たちが丸くなって何やらやっている。
紗柚は低音パートとか言ってたっけ。吹奏楽についてもう少し勉強しようかな。そしたらもっと紗柚の話もわかって楽しいかもしれない。
曰く「しぶとく指導に残ってた先輩たち」が本格的に受験に打ち込み始めて2年中心になったらしく、毎日忙しそうだ。
部長や副部長以外にもたくさん役割があって、皆それぞれ振られるんだと前に教えてくれた。
――国語準備室前の廊下から中庭を眺めて、30分くらい経っている。
手には、せっちゃんから渡されてた許可証のためのアルバイト申請書。
紗柚のこともあるし、やっぱりいつ誰に見られてもおかしくないのはわかった。
これから受験もあるから、下手なことして内申悪くなるのも嫌だし。
とか何とか心の中で色々言い訳してるけど、結局せっちゃんの忠告とアドバイスを聞くことになったってことで気まずさがあった。
だから、こんなところで立ちっぱなしになっている。
「あれ。宥下さん」
廊下の右側方向から声がした。
用紙を持った手を背中に回して呼ばれた方を見ると、最上さんが歩いてくる。
「最上さん」
「瀬古沢先生に用事?」
ちらっとドアを見てから最上さんは言う。
ここが国語準備室で、主がせっちゃんであることくらい皆知っている。
「うん、まあ。ちょっと提出するのがあって」
「そうなんだ?」
「進路のこととか色々」
「ああ。ウチの高校わりとのんびりだよね」
「そうなの?」
「でもまだ待ってほしい感もあるな。もう将来決めちゃうみたいでちょっと怖いし」
最上さんはそう言って小さくため息を落とした。
そしてハッと気付いたように顔を上げて、手をブンブン左右を振る。
「ゴメンいきなり、こんなこと話されても困るよね。……えっと、じゃね」
恥ずかしそうに言い切ると、私の返事を待たないで小走りで廊下を駆けて行った。
……こんな風に思うのは失礼なのかもだけど、あのしっかりしてそうな最上さんが「怖い」って言ったことに驚いた。
もしかしなくても、みんな不安とか恐怖とかあっても元気に振る舞っているのかもしれない。
紗柚が私のバイトを知らないフリしてくれてたみたいに、私が自分の適当さに目を逸らしてたみたいに、ユキが私のずるいところを知らないフリしてくれてたみたいに。
みんな自分にある秘密を隠しながら、そして誰かの秘密に気付きながらも、そうとは見せないで振る舞っているのかも。
「……提出してくれる気になりましたか?」
「えっ」
最上さんが去った方を見つめていたから、せっちゃんが準備室の引き戸を開けて待っている事にしばらく気が付かなかった。
「あ、え、あちょっと待っ」
「持っているの、申請用紙でしょう? ほら、入りなさい」
慌てる私を完全スルーして、せっちゃんは手招きする。
いつもの困ったような顔じゃなくて、ほっとして崩れたみたいに目が下がっていた。
学校でこの顔を見るのは初めてだから、嬉しいのと苦しいのが混じって息がしにくい。
「ほら宥下?」
「……失礼します」
そろそろと室内に入ると、せっちゃんが引き戸を閉める。
せっちゃんは私より先に奥へと歩みを進めて、いつもの椅子に座った。戸のそばで立ったままの私に向かって手のひらを差し出す。
「持ってきてくれたんでしょう? 出してください」
言われるままに、背中に回してあった手をせっちゃんに突きだした。
迷いに迷ったおかげで少しクシャってなったそれを、近づいてきたせっちゃんがそっと受け取る。
カサリと音がして開き、そしてまた小さく折り畳まれる音がした。
俯いている私には今せっちゃんが何をしているのか、耳でしか分からない。
「確かに受けとりました。許可証が発行されたら渡しますね」
「わかった」
「素直に聞いてくれて嬉しいです」
「……ひと言多いから。あとべつにせっちゃんの言うこと聞いたわけじゃないし。来年は受験だし内申響いたらめんどいだけだし」
「わかってますよ」
顔を少しあげてみると、せっちゃんの手元が見えた。
丁寧に用紙を茶封筒に入れて机の上に置く。そして私を見た。
紗柚はジャージを萌え袖にして息を吹きかけるのが癖だけど、部活の時は腰元に縛って体操服を捲り上げて、金色の楽器を手にしている。
何回か「冷たくないの」って聞いたら「死ぬほど」って返された。でも吹いてるうちに暑くなるし、何より好きだから苦じゃないって笑ってた。
そんな夢中になれることがあるなんていいなあって思う。私には何にもないから。
「今日はまたすっごい冷たそう」
視線の先では、楽器を持った生徒たちが丸くなって何やらやっている。
紗柚は低音パートとか言ってたっけ。吹奏楽についてもう少し勉強しようかな。そしたらもっと紗柚の話もわかって楽しいかもしれない。
曰く「しぶとく指導に残ってた先輩たち」が本格的に受験に打ち込み始めて2年中心になったらしく、毎日忙しそうだ。
部長や副部長以外にもたくさん役割があって、皆それぞれ振られるんだと前に教えてくれた。
――国語準備室前の廊下から中庭を眺めて、30分くらい経っている。
手には、せっちゃんから渡されてた許可証のためのアルバイト申請書。
紗柚のこともあるし、やっぱりいつ誰に見られてもおかしくないのはわかった。
これから受験もあるから、下手なことして内申悪くなるのも嫌だし。
とか何とか心の中で色々言い訳してるけど、結局せっちゃんの忠告とアドバイスを聞くことになったってことで気まずさがあった。
だから、こんなところで立ちっぱなしになっている。
「あれ。宥下さん」
廊下の右側方向から声がした。
用紙を持った手を背中に回して呼ばれた方を見ると、最上さんが歩いてくる。
「最上さん」
「瀬古沢先生に用事?」
ちらっとドアを見てから最上さんは言う。
ここが国語準備室で、主がせっちゃんであることくらい皆知っている。
「うん、まあ。ちょっと提出するのがあって」
「そうなんだ?」
「進路のこととか色々」
「ああ。ウチの高校わりとのんびりだよね」
「そうなの?」
「でもまだ待ってほしい感もあるな。もう将来決めちゃうみたいでちょっと怖いし」
最上さんはそう言って小さくため息を落とした。
そしてハッと気付いたように顔を上げて、手をブンブン左右を振る。
「ゴメンいきなり、こんなこと話されても困るよね。……えっと、じゃね」
恥ずかしそうに言い切ると、私の返事を待たないで小走りで廊下を駆けて行った。
……こんな風に思うのは失礼なのかもだけど、あのしっかりしてそうな最上さんが「怖い」って言ったことに驚いた。
もしかしなくても、みんな不安とか恐怖とかあっても元気に振る舞っているのかもしれない。
紗柚が私のバイトを知らないフリしてくれてたみたいに、私が自分の適当さに目を逸らしてたみたいに、ユキが私のずるいところを知らないフリしてくれてたみたいに。
みんな自分にある秘密を隠しながら、そして誰かの秘密に気付きながらも、そうとは見せないで振る舞っているのかも。
「……提出してくれる気になりましたか?」
「えっ」
最上さんが去った方を見つめていたから、せっちゃんが準備室の引き戸を開けて待っている事にしばらく気が付かなかった。
「あ、え、あちょっと待っ」
「持っているの、申請用紙でしょう? ほら、入りなさい」
慌てる私を完全スルーして、せっちゃんは手招きする。
いつもの困ったような顔じゃなくて、ほっとして崩れたみたいに目が下がっていた。
学校でこの顔を見るのは初めてだから、嬉しいのと苦しいのが混じって息がしにくい。
「ほら宥下?」
「……失礼します」
そろそろと室内に入ると、せっちゃんが引き戸を閉める。
せっちゃんは私より先に奥へと歩みを進めて、いつもの椅子に座った。戸のそばで立ったままの私に向かって手のひらを差し出す。
「持ってきてくれたんでしょう? 出してください」
言われるままに、背中に回してあった手をせっちゃんに突きだした。
迷いに迷ったおかげで少しクシャってなったそれを、近づいてきたせっちゃんがそっと受け取る。
カサリと音がして開き、そしてまた小さく折り畳まれる音がした。
俯いている私には今せっちゃんが何をしているのか、耳でしか分からない。
「確かに受けとりました。許可証が発行されたら渡しますね」
「わかった」
「素直に聞いてくれて嬉しいです」
「……ひと言多いから。あとべつにせっちゃんの言うこと聞いたわけじゃないし。来年は受験だし内申響いたらめんどいだけだし」
「わかってますよ」
顔を少しあげてみると、せっちゃんの手元が見えた。
丁寧に用紙を茶封筒に入れて机の上に置く。そして私を見た。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
【完結】忘れてください
仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。
貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。
夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。
貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。
もういいの。
私は貴方を解放する覚悟を決めた。
貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。
私の事は忘れてください。
※6月26日初回完結
7月12日2回目完結しました。
お読みいただきありがとうございます。
【完結】貴方の望み通りに・・・
kana
恋愛
どんなに貴方を望んでも
どんなに貴方を見つめても
どんなに貴方を思っても
だから、
もう貴方を望まない
もう貴方を見つめない
もう貴方のことは忘れる
さようなら
「好き」の距離
饕餮
恋愛
ずっと貴方に片思いしていた。ただ単に笑ってほしかっただけなのに……。
伯爵令嬢と公爵子息の、勘違いとすれ違い(微妙にすれ違ってない)の恋のお話。
以前、某サイトに載せていたものを大幅に改稿・加筆したお話です。
王子様な彼
nonnbirihimawari
ライト文芸
小学校のときからの腐れ縁、成瀬隆太郎。
――みおはおれのお姫さまだ。彼が言ったこの言葉がこの関係の始まり。
さてさて、王子様とお姫様の関係は?
ずぶ濡れで帰ったら彼氏が浮気してました
宵闇 月
恋愛
突然の雨にずぶ濡れになって帰ったら彼氏が知らない女の子とお風呂に入ってました。
ーーそれではお幸せに。
以前書いていたお話です。
投稿するか悩んでそのままにしていたお話ですが、折角書いたのでやはり投稿しようかと…
十話完結で既に書き終えてます。
それは報われない恋のはずだった
ララ
恋愛
異母妹に全てを奪われた。‥‥ついには命までもーー。どうせ死ぬのなら最期くらい好きにしたっていいでしょう?
私には大好きな人がいる。幼いころの初恋。決して叶うことのない無謀な恋。
それはわかっていたから恐れ多くもこの気持ちを誰にも話すことはなかった。けれど‥‥死ぬと分かった今ならばもう何も怖いものなんてないわ。
忘れてくれたってかまわない。身勝手でしょう。でも許してね。これが最初で最後だから。あなたにこれ以上迷惑をかけることはないわ。
「幼き頃からあなたのことが好きでした。私の初恋です。本当に‥‥本当に大好きでした。ありがとう。そして‥‥さよなら。」
主人公 カミラ・フォーテール
異母妹 リリア・フォーテール
従妹と親密な婚約者に、私は厳しく対処します。
みみぢあん
恋愛
ミレイユの婚約者、オルドリッジ子爵家の長男クレマンは、子供の頃から仲の良い妹のような従妹パトリシアを優先する。 婚約者のミレイユよりもクレマンが従妹を優先するため、学園内でクレマンと従妹の浮気疑惑がうわさになる。
――だが、クレマンが従妹を優先するのは、人には言えない複雑な事情があるからだ。
それを知ったミレイユは婚約破棄するべきか?、婚約を継続するべきか?、悩み続けてミレイユが出した結論は……
※ざまぁ系のお話ではありません。ご注意を😓 まぎらわしくてすみません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる