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後編
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土曜日の朝。前日までバタバタしていた両親はまだ寝ている。永莉はこっそりと支度を済ませ、いつでも出かけられるようにスタンバイしていた。一応、今日のことは両親に伝えている。が、元々子供に無関心な両親だ。特に何も言われなかった。
「あ」
どうりで寒いはずだ。
窓の外を見れば、よく見なければわからない程の小さな雪がはらはらと舞っている。
しばらく外を見ているとスマホが鳴った。永莉の身体がビクリと跳ねる。
――――きた。
永莉は緊張した面持ちでスマホに手を伸ばした。
慶久が到着したらしい。永莉ははやる心臓を抑えて、外に出た。
私服の慶久が目に入って、一瞬息を呑んだ。
「おはよう。永莉」
「お、はよう。慶久」
服装のせいか。雰囲気がいつもとは違った。声のトーンもいつもよりちょっと違う気がする。なんか、柔らかいというか、気のせいかもしれないけど。
慶久から視線を逸らして、ふと見慣れないものが目に留まった。
「バイク?」
「ああ。今日はこれで移動しようと思って。乗ったことある?」
「いとこの後ろに乗せてもらったことなら何度かあるけど……慶久ってバイク乗れたんだ」
「まあな。なら大丈夫か。ほい、これ」
ヘルメットを渡される。――――慶久ってバイク乗るんだ。
まだ今日が始まって数分なのに、知らない一面がどんどん出て来る。
ドキドキしながら、後ろに乗り慶久の身体に腕を回す。
「ちゃんと捕まっとけよ~」
「うん。安全運転でお願いね」
「今日はちょっと雪降ってるしな……でも、俺運転には自信あるから安心して任せとけ~」
「任せました~」
バイクが発進する。風が冷たいが、そんなことはすぐに気にならなくなった。慶久とこんなに密着するのは初めてでドキドキが止まらない。自分の心臓がうるさい。慶久に聞こえていないか心配で、余計なことばかり考えていた。
到着した先は遊園地だった。いつの間にか到着していた。道中の記憶がない。
「遊園地……いいの?」
思わず慶久に尋ねた。だって、慶久はこういうところに女子と行くのを避けていたはずだ。グループで行くのも女子がいるならって断っていたのを聞いたことがある。それなのに……
「いいんだよ。それよりもチケットとかいろいろ予約してあるからはやく行こうぜ」
「え?! そうなの?!」
「おう! だから今日はとことん楽しむぞ!」
「う、うん!」
勢いに圧され、それ以上考えるのを止め、慶久についていく。
「さあ、乗りまくるぞ~!」
「お、おうー!」
まさかこんなにがっつり遊ぶことになるとは思っていなかった。動きやすい格好できていてよかった。
昨晩の自分を思い出す。最初は機能性よりデザイン性重視のスカートを選ぼうとしていたのだ。危なかった。あの時我に返って選びなおした自分グッジョブ。
ひたすらアトラクションに乗りまくった二人は、半日経った頃にはぐったりしていた。まだまだ乗りたいアトラクションは残っているのに……いつになくはしゃぎまくったせいか。
でも、どれも、楽しかった。これも慶久と一緒だからか……慶久も同じように思ってくれているといいな。そんなことを考えていると隣から独り言のような呟きが聞こえてきた。
「何度もきたことあるはずなのに……今まで一番楽しいかも」
驚いて顔を上げる。慶久は遠くを見ていて視線が合わない。
――――空耳? いや、でも……
「私も一番楽しいかも」
「そっか」
「うん」
――――気のせいじゃなかった。
さっきまでの『楽しい!』という気持ちにプラスして何だか胸の奥がぎゅーってなった。
休憩を挟みつつ、その後もアトラクションを乗り倒した。お化け屋敷は……二人とも苦手だったようで互いに変な言い訳をならべまくって逃げた。
最後は……観覧車。
これで最後かーと何となく乗る前から気落ちする。
観覧車に乗ると、何故か互いに無言になった。なんでだろう。さっきまでたわいない会話で盛り上がっていたはずなのに、今は言葉が見つからない。
先に口を開いたのは慶久だ。
「あのさ、」
「ん?」
「いや。やっぱなんでもない」
「なにそれ、言ってよ」
「いや。今更だし、いいよ」
「いやいや。途中でそんなこと言われたら気になるんだけど?!」
永莉が口を尖らせて問い詰めるが、慶久は煮え切らない態度で言おうとしない。
問い詰めようとしている間に一周してしまった。
眉根を寄せたまま永莉が先に降りる。その後に慶久が続く。
観覧車の案内係の人が戸惑った表情で二人を見送った。
永莉がすたすた先を歩き、慶久はその後を慌てて追いかける。
「おい、なんで怒ってるんだよ」
戸惑う慶久の声にむかっとした永莉は足を止め勢いよく振り向いた。
「そりゃあ怒るでしょ! これが最後かもしれないのに!」
言ってしまってから「しまった」と口を閉じる。勝手にこれが最初で最後のデートになるかもしれないと考えていたのは永莉だけだ。慶久がどう考えているかなんて知らないのに。
「ごめん。つい感情的になっちゃった」
「いや。俺の方こそごめん」
慶久の声色が先程までと違った。驚いて永莉は顔を上げる。
「なんで……」
そんなに傷ついた顔をしているの?
さすがにそんなことを口に出して聞くことはできずに、永莉も口を閉じた。
慶久が口を開く。声色は低く、それでいて優しかった。
「帰るか」
「うん」
行きと同じようにバイクの後ろに乗る。でも、行きよりも寒い気がする。
ギュッとバレない程度に慶久の身体に回す手に力を入れた。
バイクが止まる。
「え?」
到着した先は家では無かった。堤防近くの駐車場だ。人気は無くて、波の音だけが聞こえてくる。
「ちょっと歩こうぜ」
「うん」
慶久の考えが読めないまま無言で歩く。雪はいつの間にか止んでいるがそれでも寒い。ついでに海が近いからか風も強い。寒い。ひゅーっと風が吹いた。思わず「さむっ!」と足を止め、目を閉じた。
「大丈夫か? って、髪食ってるって」
笑い声が近くで聞こえ、唇近くを何かが掠めた気がした。驚いて目を開く。いつの間にか、目の前に慶久が立っていた。触れている慶久の指先が熱いのか冷たいのかもわからない。この瞬間だけ、時が止まっている気がした。
指先が離れる。その瞬間、自分の口から言葉にならない声が漏れた。
我に返ったと同時に、慶久の小さな呟きが聞こえてきた。
「本当に、引っ越すのかよ」
「……うん」
私だってできるなら引っ越したくない。でも、まだ未成年の私には拒否権がない……あの両親が私の言葉をまともに聞いてくれるとも思えない。だから、せめて引っ越す前に慶久との関係に白黒つけたかった。でも、慶久は……
「なんで、泣いてるの?」
「な、いてねえし」
「いや、泣いてるよ? ほら」
手を伸ばして、慶久の頬を流れる涙を拭う。けれど、それを本人は認めようとしない。伸ばした手はそのまま慶久の手に捕まえられた。
「おまえこそ、泣いてるじゃん」
「泣いてない」
「嘘つくなって」
そう笑って慶久の手が永莉の濡れた頬を拭う。どちらも明らかに泣いているのに認めようとしない。矛盾だらけの二人。なんだかおもしろい。永莉は頬を拭う慶久の手に己の手を重ねた。
「もしかして、私がいないと寂しい?」
からかうような口調で尋ねる。慶久の目が見開き、そして綻ぶように笑った。
「そんなわけ……あるに決まってるだろ」
「あるに決まってるんだ。そっかそっか」
「なに嬉しそうな顔してんだよ。……おまえこそどうなんだよ?」
慶久が口をとがらせる。ふふ、と笑いがこぼれる永莉。
「私も寂しいよ」
「そっか。……なあ。また、会えるよな?」
「……うん」
慶久の眉間に一気に皺がよった。
「なんだ今の間」
永莉が慌てて手を振った。
「いや、ほら! 会いたいと思ってはいるけどさ。引っ越した後ってしばらく忙しくなるし。その間に慶久は私のことなんて忘れちゃう、というかどうでもよくなっちゃうかもしれないじゃない?! 実際、今までできた友達とはそんな感じが多かったし」
「おまえはばかか」
「ばっ?!」
呆れたような慶久の物言いに永莉は反論しようとしたが、真剣な慶久の表情を見てすぐに口を閉じる。
「他のやつらと俺を一緒にすんな。いいかよく聞け。俺がおまえを忘れることは絶対にない! どうでもよくなることも絶対にない!」
「絶対?」
「絶対!」
「絶対か……そっか」
嬉しすぎてなかなか言葉が出てこない。
「はあ。慶久って……本当にいい人だよね。よかった慶久と出会えて。あー……あっちにも慶久みたいな人がいるといいなー」
「いや。それはダメだろ」
「え? ダメ?」
ハッとした顔で慶久が一瞬口を閉じる。視線を泳がせた後、唸り声を上げ、もう一度口を開いた。
「別にそれなら、俺に連絡してくればいいじゃん」
「あ~うん……そう、だね?」
よくわからないが、とりあえず頷き返す。慶久は満足そうに頷いた。
「何もなくてもいいから連絡してこい。いつでも。っていうか、俺からするわ。毎秒」
「いや、毎秒はしすぎしすぎ」
「そうか? じゃあ毎分?」
「変わんない変わんない。っていうか、それこそ周りに誤解されるんじゃない?」
「慶久ってそういうの嫌がっていたじゃん」と呟けば、慶久は何故か吹っ切れたような顔で肩を竦めた。今までの慶久だったらありえない反応に困惑する。
慶久がじっと永莉を見つめ口を開く。
「俺なりに想像してみたんだよ。そしたらさ。周りに誤解されることより、永莉と連絡がとれなくなるほうが嫌だった」
「それはなんで、いや、やっぱいいっ」
「俺、おまえが好きみたいだわ」
「ぅえええええ?! いや、えっと、それはあれだ。友達としてってことだよね?」
動揺して変な声がでた。頭の中が真っ白だ。え? 今好きって言われた? 都合のいい夢?
「違う。あ、いや、友達としても人間としても好きなのは間違いないけど」
永莉が固まっていると、慶久がさらに追い打ちをかけるような言葉を続ける。
「今まで誰かを好きになったこと無かったからずっと自分の気持ちに自信がなかったけど。永莉がいなくなるって思ったら、わかった気がする。俺、永莉がいないと無理だわ。誰よりも大切だし、俺以外のやつと仲良くしているとこなんて想像したくもないし……いや無理だな。うん、本当無理」
顔に熱が一気に集まる。これは、そういうことか? そういうことなのか? いや、
「でも、じゃあ、チョコはなんで?」
「う”。それは、本当にゴメン。あの時は周りにからかわれるのが嫌で……本当は嬉しかったんだけど素直になれなくて……あの後受け取らなかったのめちゃくちゃ後悔した」
「ばかじゃん」
思わず口から本音が漏れた。慶久がぐぅっと音を上げ口を閉ざす。
「否定は、できない」
だよね。と頷き返す。そして、項垂れたままの慶久を見てクスッと笑った。
「私も好きだよ。結構前からね」
すんなり、言葉が出てきた。慶久が顔を上げ、瞬きを何度もする。
「まじで?」
「まじで。あのチョコも本命用に作ったやつだったし」
目を見開いた慶久が、
「ま、まだ残ってたりする?!」
と勢いよく永莉に詰め寄る。
永莉はどうどうと押し返しながらにっこりと頷いた。
「もう全部食べちゃった」
「そ、そうだよな。……でも、俺が悪いからな。うん」
「ふふ。今からでも買ってこようか? 市販のでいいなら」
「いや、いいわ……来年、期待してる」
「来年……」
「ああ。来年も、その次も」
じっと永莉の目を見ていう慶久。永莉も真っすぐに見つめ返した。
「わかった。来年も、その先も、約束する」
「ありがとう。……ち、ちなみに、これって付き合うってことでいいんだよな?」
先程までの凛々しい顔はどこへやら、慶久が恐る恐るで尋ねる。
永莉は笑いを堪えながら応えた。
「うん」
「てことは、今から永莉は俺の彼女?」
「だね。慶久は私の彼氏?」
「お、おう」
照れくさそうに微笑む慶久。愛おしさが込み上げてくる。いつの間にか寒さは感じなくなっていた。
「帰ろっか」
「だな」
慶久が差し出してくれた手に己の手を重ねる。
バイクに乗り今日一強い力でギュッと抱きつく。慶久の身体が永莉にもわかるくらい揺れた。クスクスと笑いを零せば、前から「ああああ」という呻き声が聞こえてきてさらに笑い声が漏れた。
永莉の笑いがおさまったタイミングで慶久が口を開いた。
「毎日、連絡するからな。できるだけ会いにも行くから」
「うん。私も、毎日連絡する。でも、無理はしないでね」
「おう!」
返事のいい慶久にまた笑みが浮かぶ。ああ、やっぱりこの人が好きだなと目の前の背中にこつんと額をつけた。
嬉しい。今日が二人にとって終わりの日ではなく、始まりの日になったことが。本当に嬉しい。
「あ」
どうりで寒いはずだ。
窓の外を見れば、よく見なければわからない程の小さな雪がはらはらと舞っている。
しばらく外を見ているとスマホが鳴った。永莉の身体がビクリと跳ねる。
――――きた。
永莉は緊張した面持ちでスマホに手を伸ばした。
慶久が到着したらしい。永莉ははやる心臓を抑えて、外に出た。
私服の慶久が目に入って、一瞬息を呑んだ。
「おはよう。永莉」
「お、はよう。慶久」
服装のせいか。雰囲気がいつもとは違った。声のトーンもいつもよりちょっと違う気がする。なんか、柔らかいというか、気のせいかもしれないけど。
慶久から視線を逸らして、ふと見慣れないものが目に留まった。
「バイク?」
「ああ。今日はこれで移動しようと思って。乗ったことある?」
「いとこの後ろに乗せてもらったことなら何度かあるけど……慶久ってバイク乗れたんだ」
「まあな。なら大丈夫か。ほい、これ」
ヘルメットを渡される。――――慶久ってバイク乗るんだ。
まだ今日が始まって数分なのに、知らない一面がどんどん出て来る。
ドキドキしながら、後ろに乗り慶久の身体に腕を回す。
「ちゃんと捕まっとけよ~」
「うん。安全運転でお願いね」
「今日はちょっと雪降ってるしな……でも、俺運転には自信あるから安心して任せとけ~」
「任せました~」
バイクが発進する。風が冷たいが、そんなことはすぐに気にならなくなった。慶久とこんなに密着するのは初めてでドキドキが止まらない。自分の心臓がうるさい。慶久に聞こえていないか心配で、余計なことばかり考えていた。
到着した先は遊園地だった。いつの間にか到着していた。道中の記憶がない。
「遊園地……いいの?」
思わず慶久に尋ねた。だって、慶久はこういうところに女子と行くのを避けていたはずだ。グループで行くのも女子がいるならって断っていたのを聞いたことがある。それなのに……
「いいんだよ。それよりもチケットとかいろいろ予約してあるからはやく行こうぜ」
「え?! そうなの?!」
「おう! だから今日はとことん楽しむぞ!」
「う、うん!」
勢いに圧され、それ以上考えるのを止め、慶久についていく。
「さあ、乗りまくるぞ~!」
「お、おうー!」
まさかこんなにがっつり遊ぶことになるとは思っていなかった。動きやすい格好できていてよかった。
昨晩の自分を思い出す。最初は機能性よりデザイン性重視のスカートを選ぼうとしていたのだ。危なかった。あの時我に返って選びなおした自分グッジョブ。
ひたすらアトラクションに乗りまくった二人は、半日経った頃にはぐったりしていた。まだまだ乗りたいアトラクションは残っているのに……いつになくはしゃぎまくったせいか。
でも、どれも、楽しかった。これも慶久と一緒だからか……慶久も同じように思ってくれているといいな。そんなことを考えていると隣から独り言のような呟きが聞こえてきた。
「何度もきたことあるはずなのに……今まで一番楽しいかも」
驚いて顔を上げる。慶久は遠くを見ていて視線が合わない。
――――空耳? いや、でも……
「私も一番楽しいかも」
「そっか」
「うん」
――――気のせいじゃなかった。
さっきまでの『楽しい!』という気持ちにプラスして何だか胸の奥がぎゅーってなった。
休憩を挟みつつ、その後もアトラクションを乗り倒した。お化け屋敷は……二人とも苦手だったようで互いに変な言い訳をならべまくって逃げた。
最後は……観覧車。
これで最後かーと何となく乗る前から気落ちする。
観覧車に乗ると、何故か互いに無言になった。なんでだろう。さっきまでたわいない会話で盛り上がっていたはずなのに、今は言葉が見つからない。
先に口を開いたのは慶久だ。
「あのさ、」
「ん?」
「いや。やっぱなんでもない」
「なにそれ、言ってよ」
「いや。今更だし、いいよ」
「いやいや。途中でそんなこと言われたら気になるんだけど?!」
永莉が口を尖らせて問い詰めるが、慶久は煮え切らない態度で言おうとしない。
問い詰めようとしている間に一周してしまった。
眉根を寄せたまま永莉が先に降りる。その後に慶久が続く。
観覧車の案内係の人が戸惑った表情で二人を見送った。
永莉がすたすた先を歩き、慶久はその後を慌てて追いかける。
「おい、なんで怒ってるんだよ」
戸惑う慶久の声にむかっとした永莉は足を止め勢いよく振り向いた。
「そりゃあ怒るでしょ! これが最後かもしれないのに!」
言ってしまってから「しまった」と口を閉じる。勝手にこれが最初で最後のデートになるかもしれないと考えていたのは永莉だけだ。慶久がどう考えているかなんて知らないのに。
「ごめん。つい感情的になっちゃった」
「いや。俺の方こそごめん」
慶久の声色が先程までと違った。驚いて永莉は顔を上げる。
「なんで……」
そんなに傷ついた顔をしているの?
さすがにそんなことを口に出して聞くことはできずに、永莉も口を閉じた。
慶久が口を開く。声色は低く、それでいて優しかった。
「帰るか」
「うん」
行きと同じようにバイクの後ろに乗る。でも、行きよりも寒い気がする。
ギュッとバレない程度に慶久の身体に回す手に力を入れた。
バイクが止まる。
「え?」
到着した先は家では無かった。堤防近くの駐車場だ。人気は無くて、波の音だけが聞こえてくる。
「ちょっと歩こうぜ」
「うん」
慶久の考えが読めないまま無言で歩く。雪はいつの間にか止んでいるがそれでも寒い。ついでに海が近いからか風も強い。寒い。ひゅーっと風が吹いた。思わず「さむっ!」と足を止め、目を閉じた。
「大丈夫か? って、髪食ってるって」
笑い声が近くで聞こえ、唇近くを何かが掠めた気がした。驚いて目を開く。いつの間にか、目の前に慶久が立っていた。触れている慶久の指先が熱いのか冷たいのかもわからない。この瞬間だけ、時が止まっている気がした。
指先が離れる。その瞬間、自分の口から言葉にならない声が漏れた。
我に返ったと同時に、慶久の小さな呟きが聞こえてきた。
「本当に、引っ越すのかよ」
「……うん」
私だってできるなら引っ越したくない。でも、まだ未成年の私には拒否権がない……あの両親が私の言葉をまともに聞いてくれるとも思えない。だから、せめて引っ越す前に慶久との関係に白黒つけたかった。でも、慶久は……
「なんで、泣いてるの?」
「な、いてねえし」
「いや、泣いてるよ? ほら」
手を伸ばして、慶久の頬を流れる涙を拭う。けれど、それを本人は認めようとしない。伸ばした手はそのまま慶久の手に捕まえられた。
「おまえこそ、泣いてるじゃん」
「泣いてない」
「嘘つくなって」
そう笑って慶久の手が永莉の濡れた頬を拭う。どちらも明らかに泣いているのに認めようとしない。矛盾だらけの二人。なんだかおもしろい。永莉は頬を拭う慶久の手に己の手を重ねた。
「もしかして、私がいないと寂しい?」
からかうような口調で尋ねる。慶久の目が見開き、そして綻ぶように笑った。
「そんなわけ……あるに決まってるだろ」
「あるに決まってるんだ。そっかそっか」
「なに嬉しそうな顔してんだよ。……おまえこそどうなんだよ?」
慶久が口をとがらせる。ふふ、と笑いがこぼれる永莉。
「私も寂しいよ」
「そっか。……なあ。また、会えるよな?」
「……うん」
慶久の眉間に一気に皺がよった。
「なんだ今の間」
永莉が慌てて手を振った。
「いや、ほら! 会いたいと思ってはいるけどさ。引っ越した後ってしばらく忙しくなるし。その間に慶久は私のことなんて忘れちゃう、というかどうでもよくなっちゃうかもしれないじゃない?! 実際、今までできた友達とはそんな感じが多かったし」
「おまえはばかか」
「ばっ?!」
呆れたような慶久の物言いに永莉は反論しようとしたが、真剣な慶久の表情を見てすぐに口を閉じる。
「他のやつらと俺を一緒にすんな。いいかよく聞け。俺がおまえを忘れることは絶対にない! どうでもよくなることも絶対にない!」
「絶対?」
「絶対!」
「絶対か……そっか」
嬉しすぎてなかなか言葉が出てこない。
「はあ。慶久って……本当にいい人だよね。よかった慶久と出会えて。あー……あっちにも慶久みたいな人がいるといいなー」
「いや。それはダメだろ」
「え? ダメ?」
ハッとした顔で慶久が一瞬口を閉じる。視線を泳がせた後、唸り声を上げ、もう一度口を開いた。
「別にそれなら、俺に連絡してくればいいじゃん」
「あ~うん……そう、だね?」
よくわからないが、とりあえず頷き返す。慶久は満足そうに頷いた。
「何もなくてもいいから連絡してこい。いつでも。っていうか、俺からするわ。毎秒」
「いや、毎秒はしすぎしすぎ」
「そうか? じゃあ毎分?」
「変わんない変わんない。っていうか、それこそ周りに誤解されるんじゃない?」
「慶久ってそういうの嫌がっていたじゃん」と呟けば、慶久は何故か吹っ切れたような顔で肩を竦めた。今までの慶久だったらありえない反応に困惑する。
慶久がじっと永莉を見つめ口を開く。
「俺なりに想像してみたんだよ。そしたらさ。周りに誤解されることより、永莉と連絡がとれなくなるほうが嫌だった」
「それはなんで、いや、やっぱいいっ」
「俺、おまえが好きみたいだわ」
「ぅえええええ?! いや、えっと、それはあれだ。友達としてってことだよね?」
動揺して変な声がでた。頭の中が真っ白だ。え? 今好きって言われた? 都合のいい夢?
「違う。あ、いや、友達としても人間としても好きなのは間違いないけど」
永莉が固まっていると、慶久がさらに追い打ちをかけるような言葉を続ける。
「今まで誰かを好きになったこと無かったからずっと自分の気持ちに自信がなかったけど。永莉がいなくなるって思ったら、わかった気がする。俺、永莉がいないと無理だわ。誰よりも大切だし、俺以外のやつと仲良くしているとこなんて想像したくもないし……いや無理だな。うん、本当無理」
顔に熱が一気に集まる。これは、そういうことか? そういうことなのか? いや、
「でも、じゃあ、チョコはなんで?」
「う”。それは、本当にゴメン。あの時は周りにからかわれるのが嫌で……本当は嬉しかったんだけど素直になれなくて……あの後受け取らなかったのめちゃくちゃ後悔した」
「ばかじゃん」
思わず口から本音が漏れた。慶久がぐぅっと音を上げ口を閉ざす。
「否定は、できない」
だよね。と頷き返す。そして、項垂れたままの慶久を見てクスッと笑った。
「私も好きだよ。結構前からね」
すんなり、言葉が出てきた。慶久が顔を上げ、瞬きを何度もする。
「まじで?」
「まじで。あのチョコも本命用に作ったやつだったし」
目を見開いた慶久が、
「ま、まだ残ってたりする?!」
と勢いよく永莉に詰め寄る。
永莉はどうどうと押し返しながらにっこりと頷いた。
「もう全部食べちゃった」
「そ、そうだよな。……でも、俺が悪いからな。うん」
「ふふ。今からでも買ってこようか? 市販のでいいなら」
「いや、いいわ……来年、期待してる」
「来年……」
「ああ。来年も、その次も」
じっと永莉の目を見ていう慶久。永莉も真っすぐに見つめ返した。
「わかった。来年も、その先も、約束する」
「ありがとう。……ち、ちなみに、これって付き合うってことでいいんだよな?」
先程までの凛々しい顔はどこへやら、慶久が恐る恐るで尋ねる。
永莉は笑いを堪えながら応えた。
「うん」
「てことは、今から永莉は俺の彼女?」
「だね。慶久は私の彼氏?」
「お、おう」
照れくさそうに微笑む慶久。愛おしさが込み上げてくる。いつの間にか寒さは感じなくなっていた。
「帰ろっか」
「だな」
慶久が差し出してくれた手に己の手を重ねる。
バイクに乗り今日一強い力でギュッと抱きつく。慶久の身体が永莉にもわかるくらい揺れた。クスクスと笑いを零せば、前から「ああああ」という呻き声が聞こえてきてさらに笑い声が漏れた。
永莉の笑いがおさまったタイミングで慶久が口を開いた。
「毎日、連絡するからな。できるだけ会いにも行くから」
「うん。私も、毎日連絡する。でも、無理はしないでね」
「おう!」
返事のいい慶久にまた笑みが浮かぶ。ああ、やっぱりこの人が好きだなと目の前の背中にこつんと額をつけた。
嬉しい。今日が二人にとって終わりの日ではなく、始まりの日になったことが。本当に嬉しい。
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