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二十四
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「華恋」
「英治さん……」
じっと見つめ合う二人。森が華恋へと手を伸ばした。華恋の頬に触れる大きな手。黙って受け入れた華恋。嫌悪感や恐れはない。でも、心臓がドキドキして破裂しそうだ。
森の顔が近づいてくる。
「華恋、優しくするから」
「うん。えいじさ、」
名を呼び終わる前に唇を唇で塞がれた。目を閉じ、応えるように森の首に腕を回す。華恋の身体は森と共にゆっくりとベッドへと沈んでいった。
「……って夢落ちかいっ」
見知った天井を睨みつけ唸り声を上げる華恋。しばらく放心状態になった後、ベッドから抜け出し、重い足取りで出勤準備を始めた。
あれからまだ森のお願いは実行されていない。その内容すら聞いていない。最初こそビクビクしていた華恋だが、今ではむしろ早く聞きたいという気持ちの方が大きい。
というのも、社内イベント以降……森の人気が急上昇しているのだ。彼女である華恋は気が気ではない。
「あ。いたいた~」
「え? どこ~?」
「あそこあそこ~」
廊下から総務部を覗くようにして女性社員達が森を指さしている。華恋のこめかみがぴくりと動いた。キャッキャッと騒ぐ声すら鬱陶しく感じる。
幸いなことに森本人は全く彼女達のことを相手にしていない。自分のことだと気づいているはずだが、我関せずを貫いている。その姿勢は彼女の華恋としてはホッとするが……森の対応が『クールでかっこいい』と女性社員達に受けているというのはやはり気にくわない。
ここに八木もいたら同じように不機嫌になっていただろう。だが、もう彼は総務部にいない。そう、八木は総務部から営業部に強制移動となっていた。花形の営業部への移動。一見罰になっていないように思えるが、今の八木にとっては一番の罰だろう。やり手営業部部長が目を光らせている中、今までのようなやり口は通用しない。仕事に慣れさえすれば営業部は八木にとって天職のはずだが……それまで八木の気力が持つかどうか……。問題を起こせば即クビらしいので色んな意味で崖っぷちだ。
ちなみに、元副社長は今総務部で平社員として働いている。空いた副社長の座には村上元部長が就いた。最初こそ他部署の人々は驚いていたが、数週間もすれば村上副社長の有能さが知れ渡り、今ではすっかり親しみのある副社長として慕われている。
総務部の新部長はというと……塚本が担うことになった。順当な結果ではあるが、元副社長からしてみればこれほどの屈辱はないだろう。ただ、元副社長も八木同様に首皮一枚繋がっている状態なので我慢する他ない。とはいえプライドの高い元副社長のことだ。そのうち耐えきれなくなって辞職するのではと社員達は囁きあっている。
「あんた達! 用がないのなら自分達の部署に戻りなさい! 戻らないなら上司に迎えにきてもらうわよ!」
鶴の一声ならぬ、塚本の一声で女性社員達が散っていく。静かになってから森は席を立った。
「塚本部長、すみません。助かりました」
それに対して塚本は笑って首を振った。
「いちいち謝りにこないでいいわよ。森君のせいじゃないんだから。あなたは気にせず、仕事をどんどん進めてちょうだい。ああいうのは私が相手をするから。これも上司の役目よ。部下達の作業効率が上がるのならいくらでもヒール役やってやるわ」
そう言って華恋にウインクを飛ばす塚本。バレた!と華恋は顔を真っ赤にしながらも目礼して、キーボードを叩き始めた。
「いっそのこと社内全体に噂を流したらどうなの?」
塚本が二人にそう提案したのは昼休憩の時だった。総務部から出た途端絡まれるので最近ではデスクで昼食を取るようになった森と、元々デスクで取っていた華恋。塚本の提案に、華恋も森も箸を止めた。
塚本が二人を見て首を傾げる。
「別に付き合ってるのを隠しているわけではないでしょう? それならばらした方が楽じゃない?」
そう聞かれ、森は華恋の様子を窺った。華恋も同じように森の様子を窺う。森は塚本に視線を戻し、困ったように口を開いた。
「隠しているわけではないです。ただ……この状況で言っても大丈夫なのか……という不安が……」
そう言って華恋にちらりと視線を向ける。
華恋は無言で苦笑した。その点については華恋も考えていた。今、二人の関係をきちんと知っているのは総務部くらい。華恋としても隠すつもりはないが、わざわざ公表するリスクについては悩んでいた。あの事件があったから尚更。
また、森のファンが暴走する可能性は無きにしも非ず。逆に華恋のファンが暴走することだってあるかもしれない。
あの時のことを思い出すと不安は募る。ただ、それよりも……
「英治さん、私は言ってもいいよ」
「だが」
「別に悪いことしてるわけじゃないもの」
「そうよ。まあ……何を警戒して慎重になっているのかはなんとなくわかるけど。そういう輩は、隠していてもそのうち自分達で気づいて勝手に腹をたてて暴れ回るんだから、後手に回るよりは先手を打った方がいいと思うわ」
塚本の意見に「確かに」と頷く。次第に何故そんな輩に気を遣って生活をしなければいけないのかと腹が立ってきた。どうやら気持ちは森と華恋も同じらしい。二人の気持ちを塚本が後押しする。
「私達総務部は二人の味方よ。ねえ皆?」
塚本の言葉に総務部のほとんど(元副社長を除く)の面子が頷いた。二人は顔を見合わせる。
「ありがとうございます」
「心強いです」
二人の微笑みに、総務部の面々も微笑みを浮かべた。覚悟を決めた二人を見て満足そうに塚本も頷き、溜息を吐く。
「あ~これですっきりできるわ~。見ていてじれったかったのよね~」
「「え?」」
「私達からしてみれば二人が付き合い始めたのはバレバレだったから。はやく堂々といちゃいちゃしてくれればいいのに~ってずっと思っていたのよね! 目の保養にもなるし」
そうそうと頷き合う総務部。かぁあああと華恋の頬が赤く染まる。
「い、いや、それはちょっと……あの」
顔をひくつかせながらも、二人は早速翌日から堂々と彼氏彼女として振舞うようになった。総務部の人達が率先して噂を流してくれたおかげで、二人の関係はあっという間に社内全体に広まり、概ね皆も納得してくれた。……が、中には諦めの悪い人達もいた。そういう人達は、総務部から鋭い視線を受け、本人達からばっさりと振られ、早々に二人の関係に横槍を入れようとする猛者はいなくなった。
◇
「そ、それで英治さんのお願いとはなんでしょうか?」
正座し、両手は膝の上。華恋は意を決して森に尋ねた。――――お泊りでもなんでもどんとこい!
勝手にその気になっていた華恋は森の次の発言に固まった。
「華恋の両親に挨拶にいきたい」
「……え?」
「俺としては結婚も考えているから……いや、すぐにというわけじゃないが。まだプロポーズだってしてないし、ただ……先にけじめをつけてから……というか、その」
その後に続くものがナニを指しているのかに気づいて華恋の頬に朱がさす。嬉しい。それだけ森は真剣に、真面目に、大切にしようと考えてくれているのだ。そんな森がやっぱり好きだと思う。
ただ……
「まだ早い、か?」
「ううん。そんなことない。それは大丈夫」
大丈夫と言いつつ華恋は俯いた。今、自分の顔色が酷いことになっているのには気づいている。
両親はきっと反対しないだろう。というよりは……
「華恋!」
森に名前を呼ばれ顔を上げる。なぜか焦った顔の森と目があった。
「大丈夫か?」
「大丈夫だよ」
ふにゃりと笑う華恋、森の顔が険しくなった。
「……やっぱり止めよう。俺は」
「大丈夫! 大丈夫だから。両親に話して、日程が決まったら教えるね」
「……ああ」
心配そうな森の視線から逃れるように華恋は視線を逸らした。代わりに森の手をぎゅっと握る。本当に大丈夫だと伝えたくて。華恋の想いが伝わったのか、森は黙って握り返すだけで、それ以上は追求しないでくれた。
「英治さん……」
じっと見つめ合う二人。森が華恋へと手を伸ばした。華恋の頬に触れる大きな手。黙って受け入れた華恋。嫌悪感や恐れはない。でも、心臓がドキドキして破裂しそうだ。
森の顔が近づいてくる。
「華恋、優しくするから」
「うん。えいじさ、」
名を呼び終わる前に唇を唇で塞がれた。目を閉じ、応えるように森の首に腕を回す。華恋の身体は森と共にゆっくりとベッドへと沈んでいった。
「……って夢落ちかいっ」
見知った天井を睨みつけ唸り声を上げる華恋。しばらく放心状態になった後、ベッドから抜け出し、重い足取りで出勤準備を始めた。
あれからまだ森のお願いは実行されていない。その内容すら聞いていない。最初こそビクビクしていた華恋だが、今ではむしろ早く聞きたいという気持ちの方が大きい。
というのも、社内イベント以降……森の人気が急上昇しているのだ。彼女である華恋は気が気ではない。
「あ。いたいた~」
「え? どこ~?」
「あそこあそこ~」
廊下から総務部を覗くようにして女性社員達が森を指さしている。華恋のこめかみがぴくりと動いた。キャッキャッと騒ぐ声すら鬱陶しく感じる。
幸いなことに森本人は全く彼女達のことを相手にしていない。自分のことだと気づいているはずだが、我関せずを貫いている。その姿勢は彼女の華恋としてはホッとするが……森の対応が『クールでかっこいい』と女性社員達に受けているというのはやはり気にくわない。
ここに八木もいたら同じように不機嫌になっていただろう。だが、もう彼は総務部にいない。そう、八木は総務部から営業部に強制移動となっていた。花形の営業部への移動。一見罰になっていないように思えるが、今の八木にとっては一番の罰だろう。やり手営業部部長が目を光らせている中、今までのようなやり口は通用しない。仕事に慣れさえすれば営業部は八木にとって天職のはずだが……それまで八木の気力が持つかどうか……。問題を起こせば即クビらしいので色んな意味で崖っぷちだ。
ちなみに、元副社長は今総務部で平社員として働いている。空いた副社長の座には村上元部長が就いた。最初こそ他部署の人々は驚いていたが、数週間もすれば村上副社長の有能さが知れ渡り、今ではすっかり親しみのある副社長として慕われている。
総務部の新部長はというと……塚本が担うことになった。順当な結果ではあるが、元副社長からしてみればこれほどの屈辱はないだろう。ただ、元副社長も八木同様に首皮一枚繋がっている状態なので我慢する他ない。とはいえプライドの高い元副社長のことだ。そのうち耐えきれなくなって辞職するのではと社員達は囁きあっている。
「あんた達! 用がないのなら自分達の部署に戻りなさい! 戻らないなら上司に迎えにきてもらうわよ!」
鶴の一声ならぬ、塚本の一声で女性社員達が散っていく。静かになってから森は席を立った。
「塚本部長、すみません。助かりました」
それに対して塚本は笑って首を振った。
「いちいち謝りにこないでいいわよ。森君のせいじゃないんだから。あなたは気にせず、仕事をどんどん進めてちょうだい。ああいうのは私が相手をするから。これも上司の役目よ。部下達の作業効率が上がるのならいくらでもヒール役やってやるわ」
そう言って華恋にウインクを飛ばす塚本。バレた!と華恋は顔を真っ赤にしながらも目礼して、キーボードを叩き始めた。
「いっそのこと社内全体に噂を流したらどうなの?」
塚本が二人にそう提案したのは昼休憩の時だった。総務部から出た途端絡まれるので最近ではデスクで昼食を取るようになった森と、元々デスクで取っていた華恋。塚本の提案に、華恋も森も箸を止めた。
塚本が二人を見て首を傾げる。
「別に付き合ってるのを隠しているわけではないでしょう? それならばらした方が楽じゃない?」
そう聞かれ、森は華恋の様子を窺った。華恋も同じように森の様子を窺う。森は塚本に視線を戻し、困ったように口を開いた。
「隠しているわけではないです。ただ……この状況で言っても大丈夫なのか……という不安が……」
そう言って華恋にちらりと視線を向ける。
華恋は無言で苦笑した。その点については華恋も考えていた。今、二人の関係をきちんと知っているのは総務部くらい。華恋としても隠すつもりはないが、わざわざ公表するリスクについては悩んでいた。あの事件があったから尚更。
また、森のファンが暴走する可能性は無きにしも非ず。逆に華恋のファンが暴走することだってあるかもしれない。
あの時のことを思い出すと不安は募る。ただ、それよりも……
「英治さん、私は言ってもいいよ」
「だが」
「別に悪いことしてるわけじゃないもの」
「そうよ。まあ……何を警戒して慎重になっているのかはなんとなくわかるけど。そういう輩は、隠していてもそのうち自分達で気づいて勝手に腹をたてて暴れ回るんだから、後手に回るよりは先手を打った方がいいと思うわ」
塚本の意見に「確かに」と頷く。次第に何故そんな輩に気を遣って生活をしなければいけないのかと腹が立ってきた。どうやら気持ちは森と華恋も同じらしい。二人の気持ちを塚本が後押しする。
「私達総務部は二人の味方よ。ねえ皆?」
塚本の言葉に総務部のほとんど(元副社長を除く)の面子が頷いた。二人は顔を見合わせる。
「ありがとうございます」
「心強いです」
二人の微笑みに、総務部の面々も微笑みを浮かべた。覚悟を決めた二人を見て満足そうに塚本も頷き、溜息を吐く。
「あ~これですっきりできるわ~。見ていてじれったかったのよね~」
「「え?」」
「私達からしてみれば二人が付き合い始めたのはバレバレだったから。はやく堂々といちゃいちゃしてくれればいいのに~ってずっと思っていたのよね! 目の保養にもなるし」
そうそうと頷き合う総務部。かぁあああと華恋の頬が赤く染まる。
「い、いや、それはちょっと……あの」
顔をひくつかせながらも、二人は早速翌日から堂々と彼氏彼女として振舞うようになった。総務部の人達が率先して噂を流してくれたおかげで、二人の関係はあっという間に社内全体に広まり、概ね皆も納得してくれた。……が、中には諦めの悪い人達もいた。そういう人達は、総務部から鋭い視線を受け、本人達からばっさりと振られ、早々に二人の関係に横槍を入れようとする猛者はいなくなった。
◇
「そ、それで英治さんのお願いとはなんでしょうか?」
正座し、両手は膝の上。華恋は意を決して森に尋ねた。――――お泊りでもなんでもどんとこい!
勝手にその気になっていた華恋は森の次の発言に固まった。
「華恋の両親に挨拶にいきたい」
「……え?」
「俺としては結婚も考えているから……いや、すぐにというわけじゃないが。まだプロポーズだってしてないし、ただ……先にけじめをつけてから……というか、その」
その後に続くものがナニを指しているのかに気づいて華恋の頬に朱がさす。嬉しい。それだけ森は真剣に、真面目に、大切にしようと考えてくれているのだ。そんな森がやっぱり好きだと思う。
ただ……
「まだ早い、か?」
「ううん。そんなことない。それは大丈夫」
大丈夫と言いつつ華恋は俯いた。今、自分の顔色が酷いことになっているのには気づいている。
両親はきっと反対しないだろう。というよりは……
「華恋!」
森に名前を呼ばれ顔を上げる。なぜか焦った顔の森と目があった。
「大丈夫か?」
「大丈夫だよ」
ふにゃりと笑う華恋、森の顔が険しくなった。
「……やっぱり止めよう。俺は」
「大丈夫! 大丈夫だから。両親に話して、日程が決まったら教えるね」
「……ああ」
心配そうな森の視線から逃れるように華恋は視線を逸らした。代わりに森の手をぎゅっと握る。本当に大丈夫だと伝えたくて。華恋の想いが伝わったのか、森は黙って握り返すだけで、それ以上は追求しないでくれた。
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