初めてのリアルな恋

黒木メイ

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十五

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 一回、二回、コール音が鳴る度に心臓がぎゅっぎゅっと押しつぶされていく。
 結局、電話は繋がることはなかった。振り絞った勇気がしわしわとしぼんでいく。

「嫌われちゃった……かな」

 空笑いが口からこぼれた。――――やっぱり、私には恋愛向いてないかも。
 そんな考えが頭を過る。

 後で話をすれば大丈夫だと思っていた。軽く考えていた。苦しい。
 今、森さんはどこにいるのかな。何を思っているのかな。知りたい。

「あ」

 緩んだ手からスマホがすべり落ちた。散々だ。
 溜息を吐き、スマホに手を伸ばす。ところが、華恋が拾い上げる前に横から大きな手が伸びてきてスマホを拾い上げた。

「はい、どうぞ」

 差し出されたスマホを反射的に受け取り、顔を上げる。
「ありがとうございま……え。八木、課長?」

 何故か目の前に八木がいた。八木が華恋に微笑みかける。
「華恋ちゃんの様子がおかしかったから追いかけてきちゃった。もう遅いし送っていくよ」

 社内の女子達ならば『まるで少女漫画のような展開!』と喜んだだろうが、あいにく華恋はそうは思わなかった。むしろ、言い様の無い恐怖に襲われ、鳥肌が立った。

「あ、ありがとうございます。でも、一人で大丈夫なので結構です」
「いやいや、華恋ちゃんみたいな可愛い子がこんな夜道を一人で帰るのは危ないって。謙虚なのは華恋ちゃんのいいところだけど、こういう時は遠慮しなくていいの」
 そう言って華恋の顔を覗き込む八木。咄嗟に華恋は後ずさった。以前こうして近づいてきて、頭を撫でられたことがあった。ちょっとした華恋のトラウマだ。

「いえ! 本当に大丈夫ですから。私、この後買い物してから帰る予定なので八木課長はお先にどうぞ」

 頬をひきつらせながらなんとか笑顔を浮かべてこの場を切り抜けようとする華恋。ところが、八木には全く通じなかったらしい。

「そっか。それなら俺が荷物持ってあげるよ。男手があると助かるだろう? お礼は華恋ちゃんの手作りご飯でいいからさ!」

 名案を思い付いた!とでもいうように明るい声を上げる八木。対照的に華恋は一瞬言葉を失った。
「……む、無理です! 今日は人がくる予定なのでっ!」
「人? それってもしかして……彼氏?」
 首を傾げる八木。口角は微かに上がっているのに、目は笑っていない。
 華恋は本能的に身の危険を感じた。返答を間違えたら……大変なことになる。

 ――――どうしよう。なんて言えばっ

「華恋ちゃん?」

 背後から聞こえてきたのは、女性にしては低めの、凛とした声。聞き覚えのある声だ。振り向けば、想像通り裕子がいた。

「裕子さんっ」
「やっぱり華恋ちゃんだ。お仕事お疲れ様。買い物なら私がすませておいたよ」

 そう言って手に持っていた荷物を掲げる裕子。
 一瞬何のことを言っているのかわからなかったが、すぐに理解した。

 華恋は急いで八木から離れ、裕子に駆け寄った。

「ありがとうございます! それじゃあ、八木課長。お疲れ様でした。お先に失礼します!」
「あ、ああ」

 一気に捲し立て、八木が正気に戻る前にそそくさとその場を立ち去る。


「華恋ちゃんこっちこっち」
「はい」

 誘導されるまま裕子の後をついていく。着いた先には一台の外車が停まっていた。裕子が後部座席のドアを開き、華恋に乗るように勧める。華恋は促されるまま車に乗り込んだ。

「とりあえず私達の家でいいかな?」
「はい」
「じゃあ、健お願い」
「OK~」

 緩い返答とともに、運転席でハンドルを握っていた健太が車を発進させる。車が走り出し、五分程経てば華恋の緊張感も解け、気持ちが落ち着いてきた。

「裕子さん、ありがとうございました。助かりました」
「どういたしまして。っていうか、大丈夫なの?」
「?」
「さっき華恋ちゃんに言い寄っていたあの男のことよ。課長って呼んでいたってことは同じ会社の人ってことよね?」
「はい」
「面倒な相手ね~。アレ……完全に華恋ちゃんに気があるわよね。もしかして、いつもあんな感じ?」
「はい、まあ」

 華恋が苦笑すると裕子の眉間に皺が寄る。

「あんまりしつこいようなら我慢せずに会社の相談窓口かもっと上の上司に相談した方がいいと思うけど……もうしてる感じ?」
「いえ、まだ……なんです」

 華恋も過去に何度か相談しようしたことがある。けれど、決定打となるものがなくて結局できずに終わった。

 八木の社内での評価は高い。その八木に華恋が気に入られているのは周知の事実。一部の女性社員達からそのせいでやっかみを受けていたりもする。そんな中、証拠も無しに華恋が訴えれば、逆に追い詰められる可能性がある。むしろ、その可能性が高いと華恋は考えていた。

 表情の暗い華恋をバックミラー越しに見た健太が口を開く。

「ああいう輩を相手にするのは大変だよね。話は通じないし、ああいう輩に限って狡猾だったりする。関わらないのが一番だけど同じ会社だとそうもいかない」
「そうなんですよね」

 疲れたような声で華恋が言えば健太がうーんと唸る。

「いっそのこと英治を盾にしちゃえば? あいつそういう輩を相手にするのは慣れているし、華恋ちゃんの為なら率先してやってくれると思うけど」

 森の名前を出した途端、華恋の顔が強張った。不自然な沈黙に、裕子も健太も二人の間に何かあったのだと気づく。
 裕子が華恋に優しく声をかけた。

「華恋ちゃん。英治と何かあった?」
「私が、悪いんです」
「何があったのか、私達には言えない?」

 華恋は首を横に振る。一瞬戸惑いを見せた華恋だったが、すぐに話し始めた。
 話し終えた後、華恋は再び黙り込んだ。

「はあ」

 裕子の溜息が聞こえてきて、ビクリと華恋の身体が震える。

「す、すみませ」
「英治、あのバカっ」
「ぇ」
「健、行先変更! 英治ん家に向かって!」
「はーい」
「え? え?」

 混乱する華恋をよそに、車は方向を変えて進んでいく。
 裕子はおもむろにスマホを取り出し、電話をかけた。

「今そっちに向かってるから、逃げずに首を洗ってまっていなさい」
『は? なんで』

 スマホから漏れて聞こえてきた森の声にドキリと心臓が反応する。同時に、やはり先程の電話が繋がらなかったのは森から拒否されたからだと確信を持つ。華恋は握った拳に力をいれた。

 裕子は森が話している途中で電話を切った。程なくして森が住むマンションに到着する。

「じゃあ、華恋ちゃんと健はここで待っていてね?」
「え、は、はい」
「ん」

 逃げ腰の己に活を入れて車から出ようとした華恋は裕子から出鼻をくじかれた。再び、後部座席のシートにお尻を戻す。
 狭い車の中に推しの健太と二人きり。という事実に、余裕のない華恋は気づいていない。今二人は何を話しているのだろう。

「大丈夫だよ」
「え?」
「英治は渡辺ちゃんが思っている以上に単純でアホだから。特に惚れた女渡辺ちゃんが相手だとね」
「え、ええ?」
「ふふ、だからそんなに思いつめた顔しないでもいいよ」
「いえ、その、あの、はい」

 健太が言わんとすることの半分もわからなかったが、慰めようとしてくれたことは伝わった。

「ありがとうございます」
「何のこと?」
「お二人にはたくさん迷惑をかけてしまって……」
「それこそ気にしないでいいよ。俺だって渡辺ちゃんを巻き込んだことあるじゃん。持ちつ持たれつでしょ。それに、赤の他人のことならともかく二人のことだしね」

 華恋が首を傾げれば健太はにやりと笑った。
「二人が上手くいけば俺達親戚になるでしょ?」
「?!」

 華恋の顔が真っ赤に染まる。

「な、なにをいって」
「ふふふ」

 によによと笑う健太に何も言い返せない華恋。ガチャ、と突然車のドアが開いた。いつのまにか裕子が戻ってきていたらしい。裕子が健太を睨みつける。

「健~、華恋ちゃんをいじめてないでしょうね」
「俺がそんなことするわけないでしょ~」
「ふん。まあ、いいわ。さ、華恋ちゃん。英治とゆっくり話しておいで」
「は、はい」

 まだどこか不安げな華恋。裕子は安心させるように華恋の肩に手をやった。

「大丈夫よ」

 裕子にそう言われると不思議とそんな気がしてくる。華恋はコクリと頷いた。

「いってらっしゃい」
「……いってきます」

 二人に見送られ、華恋はマンションの中へと、英治の元へと向かった。
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