不実なあなたに感謝を

黒木メイ

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『永遠の絆』を象徴するダイヤモンドが全周に埋め込まれたフルエタニティタイプの指輪。マルコがベアトリーチェの為に特別にオーダーメイドした結婚指輪だ。完全一点もの。
 それが今、マルコの手に戻ってきた。

「お返し致しますわ」

 ベアトリーチェがニッコリと微笑む。マルコはゆっくりと頭を上げた。信じられないモノを見た後のような顔でベアトリーチェを見つめる。ベアトリーチェは微笑んだまま何も言わない。

 周りにいた野次馬がなんだなんだとマルコの掌を遠くから覗き見た。そして、マルコの掌にあるものが指輪だと気づき騒ぎ始める。慌てて拳を握って指輪を隠そうとしたが、それも今更だ。

 マルコはぐっと眉根を寄せ、唾を飛ばす勢いでベアトリーチェに向かって吠えた。

「ベアトリーチェ、気でも狂ったか! 俺の行いに怒っているとしてもコレはやりすぎだろう?! 皆の前でこんなことをしたら誤解されてしまう。それくらい王太子妃の君ならわかるはずだ!」
「ええ、もちろん。理解した上での行動ですわ」

 そう言って全く動じずにベアトリーチェが頷き返せば、マルコは傷ついた表情を浮かべる。
 まさかこんなことになるとは思ってもいなかったマルコは目を泳がせ、最終的に王座に座っている国王陛下と王妃陛下に視線を向けた。ベアトリーチェを止めてくれとお願いする為に。
 しかし、彼らはいくらマルコが目で訴えようと、応えようとはしない。どうしてと困惑するマルコに、ベアトリーチェが告げる。

「マルコ様、無駄ですわ。私にはもうその指輪をつける資格がありませんから」
「は?」
「その指輪に最もふさわしいのは私ではなく……」

 言葉を切って、視線をマルコの後ろにいるアンナへと向ける。突然のことに驚いたが、アンナは目を輝かせた。けれど、マルコがその先を否定するように身体をずらして二人の視線を遮る。

「違う! 俺の妻にふさわしいのはベアトリーチェ、君だけだ! 彼女は君の足元にも及ばない! 確かに誤解されても仕方ないような態度を取っていたことは認める。彼女を特別扱いしていたのは事実だ。でも、それは俺が彼女の後見人だったからで仕方なく……ただそれだけなんだ。ベアトリーチェが嫌だというのなら俺はもう二度と彼女に近づかない。なんなら彼女の後見人を他の者に譲ったっていい! だから、ベアトリーチェ俺を信じてくれ!」

 必死な形相でベアトリーチェに詰め寄ろうとするマルコ。思わず逃げ腰になったが、マルコの進行を止めてくれた人物がいた。今まで大人しくしていたアンナだ。先程までの可憐な姿からは想像できないような形相をしている。マルコの台詞がかなり頭にきているらしい。
 ――――今喧嘩をされたら困るわ!
 アンナが何か言うよりも先にベアトリーチェは口を開いた。

「マルコ様。今更、そのような嘘を吐かなくても結構ですわ。『二人が先日とうとう一線を越えた』という情報はすでに私の耳にも入っているのですから」

 聞き捨てならない台詞に静観していた野次馬がざわつく。――――これで噂はあっという間に広がるだろう。

「ち、違うんだ。それについては、そのっ」

 あからさまにしどろもどろになったマルコの言葉を遮り、ベアトリーチェは話を続ける。

「アンナ様」
「はい」

 流れが変わって冷静さを取り戻したのか、アンナがいつも通りの純真無垢な表情を浮かべ返事をする。しかし、その目から警戒心は消えていない。――――思いのほか彼女は馬鹿ではないようね。それもマルコに比べたら……程度だけど。

 ベアトリーチェは敵意がないことを示す為、柔らかな声を意識する。

「お身体は大丈夫ですか?」

 すぐにベアトリーチェの意図に気づいたらしい。アンナが恥ずかしそうに頬を染め、頷いた。

「はい。私、実はマルコ様が初めてだったんですけど。マルコ様が優しくしてくれたから……大丈夫です!」
 健気さを前面に出してくるアンナに、ベアトリーチェは満足気に頷いた。
「そう。それはよかったわ」

 うんうんと頷きあう女性二人。その間にいるはずのマルコの顔色は青を通り越してもはや真っ白だった。



 コスタ王国では未婚の男女が関係を持つことは決して珍しいことでは無い。それどころか、結婚後の夫婦生活が上手くいくかどうかを確かめる為に婚前交渉を推奨している地域もある。

 けれど、血筋を第一に考える王族だけは例外だった。閨教育でさえ一線を越えることは許されない。実践できるのは婚姻後。結婚相手にのみ。しかも、コスタ王国は一夫一妻制だ。過去に醜い継承者争いが起きたためできた決まりごと。もちろん、血を絶やさない為の例外は許されるが。国王陛下が側妃を一人迎えたように。

 そして……ベアトリーチェとマルコの間には未だ子供が一人もいなかった。結婚してから数年経っているのにも関わらず一人も。
 けれど、その間に側妃をという話にはならなかった。国王陛下自身がなかなか子供に恵まれなかったことと、マルコがあまりにも仕事ができないせいでベアトリーチェが昼夜問わず仕事に追われていたのを皆が知っていたからでもある。今はまだ焦る時ではない……というのが皆の総意だった。

 ただ、マルコだけは違った。夫婦生活に不満を抱いていたのだ。仕事なんて臣下に任せて子作りを優先させるべきだと提案したこともある。けれど、ベアトリーチェ本人からも国王陛下からも、臣下達からも却下されてしまった。

 せっかく好きな女を手に入れることができたのに、好きな時に抱けないなんて……とマルコの不満は日に日に強くなっていった。
 マルコの自分勝手な思いはどんどん膨らみ、とうとう案を思いつかせてしまったのだ。

 きっかけは、この国の常識が当てはまらない存在。落ち人アンナがマルコの前に現れたことだった。

 ――――この女を上手く利用すればベアトリーチェに嫉妬してもらえるかもしれない。さすがのベアトリーチェだって自分の立場が脅かされれば、考えを改めて自分から俺を求めてくるようになるだろう。

 そんな魂胆があって、マルコはわざとアンナに都合の悪いルールについては教えなかった。周りもアンナが落ち人だからと普通なら許されないような言動をしても黙認した。

 マルコの目論見は順調にいっているかのようにみえた。アンナといるようになってからベアトリーチェの言動に変化があったからだ。視線を向けられる回数が増え、ベアトリーチェの息がかかった者達がマルコ達の周りをうろつくようになった。

 きっと、近いうちに痺れを切らしたベアトリーチェが俺の元を訪ねて来るに違いない。
 その時、ベアトリーチェはどんな顔をしているのだろうか。
 嫉妬したベアトリーチェの誤解を解き、慰め、そしてその後は……。

 なんて呑気に妄想をしていた自分の愚かさに今になって気づく。最初からマルコの企みはベアトリーチェにバレていたのだ。
 そうでなければありえない。

「アンナ様。初夜の証はきちんと提出しておきましたから安心なさってね」
「は、はい」

 それがいったいどんな意味を持つのかピンとこなかったのだろう。アンナがとりあえずといったように頷く。
 マルコは言い逃れのできない証拠がすでに提出された後だと知り奥歯を噛んだ。しかも、その証拠を提出したのが他でもないベアトリーチェ。

 マルコの目がつり上がる。怒りで握った拳が震えていた。指輪が食い込んでいるが痛みなんか気にならない。この胸の痛みに比べたら。

「ベアトリーチェ。なぜそんなことをした! 俺のことを愛しているんじゃないのか?! まさか、まだおまえはっ……くっ」

 その先は口にしたくもない。
 今まで周囲には隠し通していたマルコの異常な執着愛が顔を覗かせた。初めて見る一面にさすがのアンナも戸惑いを見せる。

「マ、マルコ?」
「うるさい! おまえは黙っていろ!」

 マルコが殺気を飛ばし、アンナはハクハクと口を開閉させた。可哀想に、とベアトリーチェは眉を寄せる。

「マルコ様」

 ベアトリーチェが名を呼ぶと、マルコの表情が幾分か和らいだ。今にも泣き出しそうな顔でベアトリーチェを見つめる。

「ベアトリーチェ、俺が悪かった。君の気持ちを試そうとした俺が悪い。俺達の婚姻は政略的なものだとわかっていたはずなのに……欲張って君からの愛を欲してしまった。俺は君のことを心から愛しているから。ベアトリーチェ……どうかこんな俺を見捨てないでくれ。俺には君だけなんだ」

 ベアトリーチェの足元に膝をつき、懇願するマルコ。その姿に同情を向ける人がチラホラ現れ始めた。ベアトリーチェの握る扇が軋む。

 ベアトリーチェは深く息を吐き出し、困ったようにマルコに微笑みかける。

「マルコ様。確かに、私達の婚姻は政略的なものでしたわ。でも、だからこそ私はこの先何があっても王太子妃としてマルコ様を慕い、支え続けようと、生涯を共にする覚悟で嫁ぎました」

 初めて聞くベアトリーチェの本音にマルコが素で呆ける。だが、次の言葉でマルコの淡い期待は砕かれた。

「けれど、その気持ちもマルコ様がアンナ様に手を出したと聞いた時に完全に消えましたが」
「っ! ちがっ、それは」
 否定しようとするマルコを手で制し、首を横に振る。それ以上は必要ないと。

「仕事だけしか能がない石女うまずめよりも神様からの贈り物であるアンナ様を選ぶのも道理。私には二人を責める権利もそのつもりもありません。ですから、どうか遠慮なさらず今後はアンナ様と愛をはぐくんでくださいませ」

 愛する人に突き放されたマルコは現実を受け入れきれず嘆き始める。
「そんなっ。どうしてっ。俺が愛しているのはベアトリーチェだけなのにっ。他の女なんてこれっぽちも興味ないのにっ」
「でも、アンナ様とは一線を越えてしまったのでしょう?」

 今までどんな女性を相手にしてもそれだけはしなかったのに。アンナもマルコにとっては特別な存在なのでは?と、言外に含ませればマルコはフルフルと首を横に振った。

「違うんだ。あの日、俺はあの女を君だと思って抱いたんだ。目が覚めたら隣にあの女が寝ていて……酷く酔っぱらっていたせいでとんだ間違いを起こしてしまった。俺はそんなつもりなかったのにっ」

 マルコが両手で顔を隠す。指の隙間からポロポロと涙が零れ落ちる。まるで悲劇のヒロインのような言動だが……この場にいる誰もがマルコの言葉を信じていなかった。

 それもそのはず。ベアトリーチェとアンナでは体型も顔立ちも声も何もかも違うのだから。いくら酔っていたからといっていったいどこを間違えるというのか。

 まあ、当時のマルコにどの程度の把握能力が残っていたかはわからないが。どちらにしろ、二人が関係を持ったという事実は変わらない。

「もうやめてマルコ!」

 とうとう黙っていられなくなったのか、アンナがマルコとベアトリーチェの間に躍り出た。
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