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ある国の王の後悔
しおりを挟む————あの頃のことを今思い出しても、ただただ後悔しかない。
この国の王となる事が決められていた私には幼い頃より婚約者がいた。三つ下の彼女は控えめな性格で、それでいて、とても芯が強い女性だった。私はそんな彼女の隣がとても心地よく、政略結婚だと理解はしていたがそれでも大切に思っていた。
彼女との関係はとても穏やかで、正直その生ぬるい関係に物足りなさを感じることもあったが、決して彼女以外を見ようとは思わなかった。このまま彼女と連れ添っていくのだと、そう信じていた。
そんな日常は予期せず崩壊した。ある日突然彼女が姿を眩ませたのだ。
彼女が姿を消すと同時にとある噂が流れた。彼女が他国の者と懇意になり、国を捨てて逃亡したという噂だ。
最初は私も信じていなかった。何かの事件や陰謀に巻き込まれたに違いないと騎士や傭兵、思いつく限りの手を使って捜索させた。けれど、彼女は見つからなかった。
数年が経ち、私が王位につくと家臣達から王妃を娶るよう薦められた。
それでも、私は彼女が戻ってくるのを信じて待ち続けた……否、待ち続けたかったのだ。心の奥底ではすでに『彼女はもう帰ってこない』と理解していたのに。
結果、私は酒に吞まれ過ちを犯してしまった。戦の祝賀会で家臣に王妃にと推薦されていた女性の一人と関係を持ってしまったのだ。その1度で相手の女性は妊娠してしまった。私はその女性を王妃にするしかなかった。
女性は宰相の娘であった。最初は控えめな性格だと思っていたが、王妃になった途端本性が出始めた。妊婦だという事を理由に職務や王妃教育を断り、その一方で王妃の権限で宝石商や商人を呼び寄せ国庫のお金で贅沢を尽くした。
私が仕事ばかりで、王妃を放置して気にかけなかったのも拍車をかけていたのだろう。
気づいた時には国が傾き始めていた。その事実に誰よりも早く気づいておきながら……私は目を逸らしていた。
目が覚めたきっかけは、王妃が子供を産んだ事だった。端的に言えば、王妃が産んだ子は私の子ではなかった。産まれた子には王族の証であるアザがなかったのである。アザの事は直系の王族にのみ口伝で伝えられる。故に、宰相も王妃も知り得ない情報だった。
二人が揃っている時に子供の父親について問えば、「何を馬鹿なこと」をと一笑してしらを切ろうとしたので特別にアザについて教えてやった。その時の宰相と王妃の顔はといえば、普段の姿からは想像できない程に、実に滑稽だった。
彼らを調べ上げた結果、明らかになった罪はそれだけではなかった。『王妃が産んだ子が私の子ではなかった』事など、私にとっては些細な事だった。彼女が宰相と王妃の手の者にすでに殺されていた事に比べれば。
私は、私から彼女を奪った者達を家臣として傍におき、王妃に迎えたのだ。
乾いた笑いしか出てこなかった。怒りで震える拳からは血が滴り、床を汚していく。彼らが怯えた表情を浮かべ、必死に何かを訴えかけてくるが聞く気にもなれない。
————楽に死なせてなどやるものか。
私はまず、彼らを表から消した。本音を言えば彼らの罪を公にして彼女の汚名を返上し、処刑したかった。だが、彼らの罪は王家の威信にも関わる。これ以上国民に負のイメージを与えることはできなかったのだ。
王妃は産後に体調を崩し死亡。宰相は娘が亡くなったことで精神を病み、体調を崩して辞職。その後、領地に引きこもった末に病死という筋書き。
そして、私は表舞台から消えた彼らを幽閉し、食事を与えずに数日捨て置いた。
数日間放置した後、彼らの元へ訪れてみると、最初の頃のような喚く元気はどこにもなく憔悴しきっていた。そこで、私は彼らの前にひとつの皿を置いた。彼らの生気を失った目が自ずと皿に吸い寄せられる。唾液を飲み込む音が耳に届いた。思わず口角が上がりそうになるのを我慢し、皿の隣にナイフを置く。
私は最後に彼らを一瞥すると、一言も喋ることなく部屋を出た。
しばらくして部屋を見に行けば、元宰相は地面に倒れ伏しており、その側腹部には深々とナイフが刺さっていた。元王妃は空になった皿の近くで苦痛に顔を歪ませ息絶えている。
彼らの最後をこうして目にすれば少しは気が晴れるかと思っていたが、そんなことは全く無かった。何とも言えない後味の悪さを感じて、さっさと部屋を後にした。
あれから数十年がたった。私はあの後、宰相の息がかかっていた者達を一掃するのに奔走した。いつの間にか周りは敵ばかりになっていたようで、膿を出し切るまではかなりの時間がかかってしまった。
王妃が亡くなったことで、次の王妃をという声も多かったが私は決して首を縦には振らなかった。もう、王妃を娶るつもりもなかった。王太子には弟の息子を指名した。
私は本当に信用出来る少数の人間しか傍には置かなかった。意外にもその一人はあの元王妃の娘だった。王妃と娘はあの時に亡くなったと世間には発表したが、産まれたばかりの娘には何の責もないと命をとることはしなかったのだ。
娘を昔から知っている乳母の養子として育てさせた。娘は元王妃に似たのか見た目はとても美しかった。性格も似てしまうのかと心配をしていたが、それは杞憂だった。
娘は見た目に反してとても慎ましやかな性格だった。それでいてとても芯が強い女性でもあった。
いつの間にか娘は大きくなり、気づけば私の仕事の手伝いをするようになっていた。あの元王妃の娘だ……何か裏があるのではと疑ったこともあった。けれど、いくら調べようとも何も出てくることはなかった。そのたびに安堵と罪悪感が沸き起こった。
いつしか娘を疑うことも無くなり、絆され始めたある日。私は久方ぶりに体調を崩してしまった。娘に無理やり寝室に押し込められ、私は仕方がなく仮眠をとることにした。言われた通りに目を閉じてじっとしていると、いつの間にか本当に寝てしまっていた。思っていた以上に疲労が溜まっていたのだろう。
目を開けると見慣れた天井が目に入った。少しまだ熱っぽいが寝たおかげでだいぶ身体も楽になった気がする。身体を起こそうとして気がついた。私の腹部辺りを枕にして娘が寝ていたのだ。驚いたがとりあえず娘を起こさないようにとゆっくりと身体を起こした。
何故か娘が看病をしてくれていたようだ。水が入ったタライ、おでこにあったタオル。それらを見て、何故か懐かしさを感じた。
そういえば昔、私が風邪を引いた時、リリーは移るからいいというのに頑なに私のそばにいて離れようとしなかった。
懐かしい記憶に思わず頬が緩む。その事に自分で驚いた。
こんな穏やかな気持ちはいつぶりだろうか。
同時に、リリーのそばはいつもあたたかかったことを思い出した。そのあたたかさを守れなかった自分も。
未だにリリーを忘れられない自分に苦笑いを零していると、ふとサイドテーブルに小皿が置かれているのに気がついた。
粥だろうか?
小皿を手に取り、中を見て————息を呑んだ。
目の錯覚かと思ったが、何度見ても変わらない。それは昔見たものとよく似ていた。小皿のなかにあるのは『すりおろしたりんご』だった。
心臓がバクバクとうるさく鳴る中、震える手でスプーンを取りそっと口へと運ぶ。
口の中にりんごの味が広がった。はちみつの優しい甘みと、少しのお酒も感じた。
ソレは昔食べた事のあるソレと幾分の狂いもなく同じであった。気がつけば瞳からポロポロと涙が零れていた。
リリーが消えてから一度も流したことがなかったはずの涙が何故か今溢れて止まらない。
ようやく涙が止まった頃、未だベッドに頭を乗せて寝ていた娘が身動ぎした。
思わずゴクリと喉を鳴らし様子を伺っていると、娘の瞼が震えゆっくりと瞼が開いた。
「ん……、起きたのですか?」
「あ、ああ」
「熱は?」
「もう、大丈夫だ」
「本当ですか?」
娘は疑わしげな目を向けてくる。その様子が本来似ても似つかないはずのリリーと重なった。
「本当だよ。……リリーが心配症なだけだ」
「またそんなことを言って。無理しすぎはよくないと何度も申し上げて……っ」
娘は窘めるような言葉を言い、途中ではっきりと目が覚めたのか顔色が一瞬で真っ青になった。
「も、申し訳ございませんっ。陛下が起きたのであれば私はお暇致します」
娘がそそくさとその場を離れようとするが逃がすはずもなかった。細腕を掴み、引き寄せ、そのまま腕の中へと囲った。
「へ、へへへ陛下。こ、こんな子供にお戯れはっ」
「ふむ、幼妻という響きも良いと思わないか。なぁ、リリー」
「な、何をおっしゃいますかー陛下ー」
あまりの棒読みに可笑しくなってくつくつと笑いが零れる。
「お前は本当に昔から嘘が下手だな」
「なっ!」
「今度こそ守るからずっとそばにいてくれ」
思わず力を入れて抱きしめてしまったが、リリーは黙ったまま抱きしめ返してくれた。
腕の中のリリーから小さな嗚咽が聞こえてきて、つられて己の目からも涙が零れた。幼い日の頃のように二人抱き合い気が済むまで泣いた。
数年後。私はリリーを王妃として娶ると宣言した。リリーからは元王妃の娘が王妃になるのはと一度は断られた。臣下たちからもあまりにも歳が離れている上に身分差がありすぎると言われたが、リリー以外を娶るつもりはないと公言し無理矢理認めさせた。
許可は出たものの王妃と娶る事になるのはもっと先かと思われていたが、リリーには前世の記憶があったため王妃教育に時間を割かずに済んだ。
そして、リリーの事をうっすら勘づいていた乳母はたいそう喜び涙した。
後日、内密にリリーの元家族にも会わせた。
リリーは自分のせいで家族達が社交界で爪弾きにされていたのを知り、責められる覚悟だったようだがリリーの家族達はリリーを責めるようなことはせずただ喜び、神に感謝をしていた。リリーは元家族の養子となり、再び『家族』となった。
そして、今日。私は元婚約者と結婚式を挙げる。
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