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悪役令嬢は剣を嗜む
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『乙女ゲーム』とは、女性向けの疑似恋愛ゲームのことである。複数の攻略対象者の中から好みの男性を選び、好感度を上げ、最終的に恋人関係にまで発展させて楽しむというゲームだ。
また、乙女ゲームを題材とした小説も存在する。その内容は様々だが、『乙女ゲームの登場人物に転生して実際にその世界で生きていく』というものが多い。
そして、例にも漏れずこの小説の主人公もまた乙女ゲームの世界に転生した一人だった。ただし、この小説の主人公は少々変わっていた。
己の前世を覚えてはいたが、乙女ゲームの世界に転生したという自覚を全く持っていなかったのだ。
なぜならば、彼女————否、彼は乙女ゲームという存在すら知らなかったのだから。
神はおそらく転生させる人間を間違えたに違いない。
彼女の前世は前述のとおり男だった。それも、“眉目秀麗”、”文武両道”を地で行くハイスペック男子で、一見すると近寄りがたい人物だったが、存外に面倒見がよかったこともあり、彼を慕う者は多くいた。
また、己に対して厳しく、ストイックな一面を持ち合わせていた。特に、剣道の腕は全国一位をとるほどで、「木刀で真剣に勝った」という嘘のような噂が流れたこともある。ちなみに彼ならばあり得る、というのが世間の認識だった。
そんな彼が乙女ゲームの世界に転生した。しかも、悪役令嬢として。
実は、乙女ゲームの開始日は明日なのだが、もちろん彼女はそんな事は知りもしない。
今日も今日とて普段と変わらず剣を握り、この国の騎士団団長にして『剣聖』の称号を持つ父と対峙していた。
無言で向き合う父と娘。二人の間にはピリピリと緊迫した雰囲気が流れている。
先に動いたのは娘のユーリだ。後ろに一つ結びされた金髪が素早い動きに合わせて馬の尻尾のように揺れる。
女性にしては重い一撃を受け、ラインハルトの紫の瞳が僅かに細められた。一瞬でユーリとの間合いを詰め、剣を弾き返す。
今度は己の番とばかりに、ラインハルトの連撃がユーリを襲った。ユーリは焦ることなく冷静にラインハルトの剣先を滑らせ流していく。
まさしく、ラインハルトは豪の剣、ユーリは静の剣である。
もし、この場にラインハルトの部下達が居合わせていたとしたら、目を見開き、口をあんぐりと開けていたことだろう。しかも、この二人、激しく動いているわりに無表情の上、汗一つかいていないのだ。
「父上、ユーリ、朝食の用意ができたそうですよ」
第三者が発した柔らかな声に緊迫した雰囲気が一瞬で霧散した。
金に近い茶髪に、優し気な緑の瞳、左目の下にある黒子が印象的な男性がタイミングを見計らったように現れた。ラインハルトが跡継ぎの為に分家から養子として引き取ったニコラスである。
シュミーデル家にはユーリ以外の実子はいない。ユーリの母アーリアは、ユーリを産んで数年後に流行り病にかかり亡くなった。
ラインハルトとアーリアはこの世界では珍しい恋愛結婚だった。その愛は周りが想像していたよりも深く、アーリアが亡くなってから十年以上経った今でも再婚する気配はない。
ユーリの幼少期には、お節介な輩達が「子供には母親必要だろう」と半ば無理矢理に女性をあてがおうとしてきたそうだが、その度に剣聖という立場と実力を行使して断ってきたらしい。
「ああ。もう、そんな時間か。ふむ、ではユーリ。最後に“剣道”をしてから朝食とするか」
「はい、父上」
先程まで持っていた剣を捨て、かわりに木刀を手にする。やはり、こちらのほうが手になじむとユーリはかすかに頬を緩ませた。
この世界に“剣道”はない。ラインハルトが“剣道”を知ったきっかけはユーリである。
ユーリがこっそりと木の棒で素振りをしていたところをラインハルトに見つかり、ユーリは咄嗟に自分で考えた遊びだと答えた。
結果、ラインハルトはこの遊びを大層気に入り、ユーリと稽古をする際には、最後に必ず“剣道”をするようになった。
「父上、ユーリ。一戦だけですよ。それ以上は待ちません。……まぁ、朝食がいらないのならばかまいませんが」
「う、うむ」
「わ、わかりました兄上」
黒いオーラを放ちながら微笑んでいるニコラスを見て、二人はコクコクと頷きあった。慌てて向き合う。ニコラスが有言実行な男だということを二人はよく知っていた。ご飯抜きという罰は過去に一度執行されていたからだ。
————————
朝食を食べ終わり、食後の紅茶で喉を潤しているタイミングでラインハルトが明日からの学園生活について語り始めた。
要約すると、寮に入るからといって鍛錬を怠るなと言いたいらしい。それと、毎日手紙を書くことも忘れないよう念を押された。
一通り話し終わったラインハルトが紅茶を口にしようとしてふと思い出したのか「ついでに、時折王太子の事も気にかけてやってくれ」と付け加えた。
「いや……王太子がついでとは……まぁ、いいか」
「何か言いましたか兄上?」
「いや、なんでもないよ。学園には僕もいるからね。何かあればすぐに会いにおいで」
「はい。ありがとうございます」
こうして、乙女ゲーム開始日の前日は特になんの前兆もなく過ぎていったのである。
また、乙女ゲームを題材とした小説も存在する。その内容は様々だが、『乙女ゲームの登場人物に転生して実際にその世界で生きていく』というものが多い。
そして、例にも漏れずこの小説の主人公もまた乙女ゲームの世界に転生した一人だった。ただし、この小説の主人公は少々変わっていた。
己の前世を覚えてはいたが、乙女ゲームの世界に転生したという自覚を全く持っていなかったのだ。
なぜならば、彼女————否、彼は乙女ゲームという存在すら知らなかったのだから。
神はおそらく転生させる人間を間違えたに違いない。
彼女の前世は前述のとおり男だった。それも、“眉目秀麗”、”文武両道”を地で行くハイスペック男子で、一見すると近寄りがたい人物だったが、存外に面倒見がよかったこともあり、彼を慕う者は多くいた。
また、己に対して厳しく、ストイックな一面を持ち合わせていた。特に、剣道の腕は全国一位をとるほどで、「木刀で真剣に勝った」という嘘のような噂が流れたこともある。ちなみに彼ならばあり得る、というのが世間の認識だった。
そんな彼が乙女ゲームの世界に転生した。しかも、悪役令嬢として。
実は、乙女ゲームの開始日は明日なのだが、もちろん彼女はそんな事は知りもしない。
今日も今日とて普段と変わらず剣を握り、この国の騎士団団長にして『剣聖』の称号を持つ父と対峙していた。
無言で向き合う父と娘。二人の間にはピリピリと緊迫した雰囲気が流れている。
先に動いたのは娘のユーリだ。後ろに一つ結びされた金髪が素早い動きに合わせて馬の尻尾のように揺れる。
女性にしては重い一撃を受け、ラインハルトの紫の瞳が僅かに細められた。一瞬でユーリとの間合いを詰め、剣を弾き返す。
今度は己の番とばかりに、ラインハルトの連撃がユーリを襲った。ユーリは焦ることなく冷静にラインハルトの剣先を滑らせ流していく。
まさしく、ラインハルトは豪の剣、ユーリは静の剣である。
もし、この場にラインハルトの部下達が居合わせていたとしたら、目を見開き、口をあんぐりと開けていたことだろう。しかも、この二人、激しく動いているわりに無表情の上、汗一つかいていないのだ。
「父上、ユーリ、朝食の用意ができたそうですよ」
第三者が発した柔らかな声に緊迫した雰囲気が一瞬で霧散した。
金に近い茶髪に、優し気な緑の瞳、左目の下にある黒子が印象的な男性がタイミングを見計らったように現れた。ラインハルトが跡継ぎの為に分家から養子として引き取ったニコラスである。
シュミーデル家にはユーリ以外の実子はいない。ユーリの母アーリアは、ユーリを産んで数年後に流行り病にかかり亡くなった。
ラインハルトとアーリアはこの世界では珍しい恋愛結婚だった。その愛は周りが想像していたよりも深く、アーリアが亡くなってから十年以上経った今でも再婚する気配はない。
ユーリの幼少期には、お節介な輩達が「子供には母親必要だろう」と半ば無理矢理に女性をあてがおうとしてきたそうだが、その度に剣聖という立場と実力を行使して断ってきたらしい。
「ああ。もう、そんな時間か。ふむ、ではユーリ。最後に“剣道”をしてから朝食とするか」
「はい、父上」
先程まで持っていた剣を捨て、かわりに木刀を手にする。やはり、こちらのほうが手になじむとユーリはかすかに頬を緩ませた。
この世界に“剣道”はない。ラインハルトが“剣道”を知ったきっかけはユーリである。
ユーリがこっそりと木の棒で素振りをしていたところをラインハルトに見つかり、ユーリは咄嗟に自分で考えた遊びだと答えた。
結果、ラインハルトはこの遊びを大層気に入り、ユーリと稽古をする際には、最後に必ず“剣道”をするようになった。
「父上、ユーリ。一戦だけですよ。それ以上は待ちません。……まぁ、朝食がいらないのならばかまいませんが」
「う、うむ」
「わ、わかりました兄上」
黒いオーラを放ちながら微笑んでいるニコラスを見て、二人はコクコクと頷きあった。慌てて向き合う。ニコラスが有言実行な男だということを二人はよく知っていた。ご飯抜きという罰は過去に一度執行されていたからだ。
————————
朝食を食べ終わり、食後の紅茶で喉を潤しているタイミングでラインハルトが明日からの学園生活について語り始めた。
要約すると、寮に入るからといって鍛錬を怠るなと言いたいらしい。それと、毎日手紙を書くことも忘れないよう念を押された。
一通り話し終わったラインハルトが紅茶を口にしようとしてふと思い出したのか「ついでに、時折王太子の事も気にかけてやってくれ」と付け加えた。
「いや……王太子がついでとは……まぁ、いいか」
「何か言いましたか兄上?」
「いや、なんでもないよ。学園には僕もいるからね。何かあればすぐに会いにおいで」
「はい。ありがとうございます」
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