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十一

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 鏡に映るのは銀の長い髪を結い上げ、普段しない化粧を施した一人の少女。少女の銀の瞳はこの後の予定を期待して輝いていた。

 今日は、今日だけは『聖女』が『ステファニア・エンリーチ』に戻れる日。そして、彼に会える日でもある。化粧は大丈夫かしら。髪は変じゃないかしら。

 角度を変え入念に確かめる。けれど、そんな彼女の期待はいつものように打ち砕かれた。扉のノック音によって。

「ステファニア様」
「どうしたの?」
「シッキターノ侯爵家から、その、連絡が」

 扉越しでも言い辛そうにしているのがわかる。ステファニアは鏡に映っている自分を改めて見た。先程までは輝いて見えていたのに、今はもう色褪せているように見える。何も変わっていないはずなのに。

 ステファニアは鏡から視線を逸らすと、ヴェールを被り、ドアノブに手をかけた。


 ◇


「ん……」

 目を開いて最初に見えたのは、真っ暗な闇、ではなく見慣れない天井だった。上半身を起こす。きょろきょろと部屋を見回したがやはり見覚えはない。狭いけれど管理が行き届いた綺麗な室内。あるのはベッドが一つとサイドテーブルが一つ。そのベッドの上にステファニアはいた。

「ここはいったい……」

 気を失うまでの記憶を辿る。覚えているのはあの廃墟同然のチャペルに入ったところまで。いや、もう少し続きがあったはず。チャペルに閉じ込められた後、どこからか煙が立ち始めた。なんとか脱出できそうなところを探そうとしたけれど結局見つからず、煙を吸ってしまい……その後の記憶は無い。

 ――――駄目だわ。情報が少なすぎる。ただ、さらわれたのは間違いない。さらわれたのは私だけなのかしら。それとも、どこかにロザンナも……。

 その時、近づいてくる足音が聞こえた。警戒しながら扉を見つめる。扉が開く。
 部屋に入ってきたのは意外な人物だった。あちらもステファニアが起きているとは思わなかったのか目を丸くしている。

「起きたんですねステファニア様!」
「エ、エディ? どうしてあなたが」
「ちょうどよかった! そろそろ起こそうと思っていたんです」

 エディは手に持っていたトレーをサイドテーブルに置くと、床に膝をついた。

「ステファニア様、お腹すいているでしょう? まずは、コレ食べてください」

 トレーの上からミルクスープが入ったカップとスプーンを持って差し出す。けれど、ステファニアは受け取らなかった。

「いいえ。結構よ。それよりも先に何が起きているのかを教えてちょうだい」
「ダメです! 先にちゃんと食べてください。昨晩から何も召し上がってないんですから」

 はいと強引に渡されたスープ。どうやら食べないと話もできないらしい。そんな食欲はないのに。と顔をしかめた瞬間、ステファニアのお腹が鳴った。顔が真っ赤に染まる。
 ちらりとエディを見たが、聞こえないフリをしてくれているらしい。ステファニアは恐る恐るスープに口をつけた。

「あら……おいしい」
「本当ですか?!」
「え、ええ」
「よかったです」

 嬉しそうに微笑むエディ。ステファニアの戸惑いは大きくなるばかり。
 いったい、今、自分がどういう状況に置かれているのか全くわからない。
 とにかく今できることは、この食事をできるだけ早く終わらせること。焦る気持ちを抑えながら口をつける。飲み終えたスープのカップはエディが回収した。次に差し出されたのは美味しそうなパン。戸惑いながらも受け取る。その瞬間、地面が大きく揺れた。

「っ!」
「大丈夫ですか?」
「え、ええ」

 エディに支えられ頷き返す。先程から小さな揺れを感じてはいたが、それはてっきり煙の後遺症だと思っていた。でも、今ので確信した。

「エディ。この食事が終わったら外を見てもいいかしら?」
「もちろんです」

 快諾するエディを訝しみながらも一気に平らげる。いつもならこんな食べ方はしないが、今は一刻も早く確かめたい。そんなステファニアの気持ちを理解しているのかエディは何も言わなかった。
 食事が終わり、エディが片付けをする。その間ステファニアは大人しく待っていた。
 ――――焦ってはダメ。今逃げたところでどうせ捕まるもの。今は無駄な行動は避けて機を待つの。

 エディはたいして時間をかけずに戻ってきた。

「では、外を案内しますね。ただ、危ないので僕から離れないようにしてください」
「……わかったわ」

 緊張した面持ちで頷き、エディの後に続いて部屋を出る。外はステファニアが想像した通りだった。鼻につく磯の香り、安定しない揺れ、見渡す限りの海原。ステファニアは船上にいた。

「海の上だったのね」
「はい」

 その通りだと頷くエディ。ステファニアは眉間に皺を寄せ、拳を握った。

 ――――これは……逃げだすのは無理かもしれない。

 ステファニアが乗っているのはそこそこ立派な客船だった。中級貴族や大手の商会が所有していてもおかしくないような。その船に乗っている全員がエディの仲間らしい。聖騎士に、司教、貴族に、平民まで身分は様々。でも、ステファニアは彼らの顔に見覚えがあった。

 皆、ステファニアと目が合うたびに嬉しそうな表情を浮かべ、会釈してくる。戸惑いつつもステファニアは会釈し返した。それを隣で満足そうに見ているエディ。
 聞かずにはいられなかった。

「エディ、教えてちょうだい。あなたの……あなた達の目的はなんなの?」
「それを僕に聞くなんて、さすがステファニア様。でも、そう警戒せずとも大丈夫ですよ。ここにいる者達がステファニア様に危害を加えることは決してありませんから。……ただ、そうですね。万が一そんなやつがいたら僕に遠慮なく言ってください。僕がソイツをこの海の藻屑にしてやりますから」
「そ、そう。それは頼もしいわね(?)。それで、結局あなた達は何をしようとしているの? 私の力が必要なんでしょうけど……」
「僕達の目的は一つ。『聖女ステファニアに仕えたい』それだけですよ」
「はい?」

 ステファニアは目を丸くして首を傾げる。

「ますます意味がわからないわ。それならなぜこんな真似を? こんなことをしてもマイナスにしかならないのに。それに、私はもう聖女ではないのだけれど」
「そうですね。だから、こうするしかなかったんです。オルランドでは僕らの目的は達成できないので」
「それはいったいどういう?」
「ステファニア様。この船が目指す先がどこなのか、気になりませんか?」
「それは、気になるけれど」
「ブラス王国です」
「ブラス王国……まさかあなた達」

 エディの笑みが、ステファニアの予想が正解だと告げている。
 ブラス王国は多民族国家。色んな事情を抱えた人々が集まり、多様性を認めている国。それは、宗教についても同様に。

「私をもう一度『聖女』に就かせる為にブラス王国に?」
「はい」

 満面の笑みで頷くエディ。周りで聞き耳を立てている人々達も同じような笑みを浮かべている。困惑しているのはステファニアだけ。

「なぜ? 別にそんなことをしなくても『聖女』はいるのだから」
「僕達はステファニア様にお仕えしたいんです。誰でもいいわけじゃない。だから、どうか僕達の『聖女』になってください」

 エディは笑みを消し、真剣にステファニアに乞う。皆も続く。ステファニアは息を吞んだ。

「もし、私が嫌だと言えば?」
「ステファニア様がどうしても嫌だとおっしゃるのであれば仕方ありません。その時は皆で命を絶ちます」

 平然と言ってのけるエディに絶句する。

「ステファニア様を巻き込んで無理心中をするつもりはありませんからその点は安心してください。あくまで死ぬのは僕達だけです。その際は、僕達のことは気にせずステファニア様は帰国してください」

 あらかじめ話し合っていたのか皆驚く様子はない。
 ステファニアは思わず後ろに下がった。言い様のない感情に襲われ鳥肌が立っている。

「あなた達正気じゃないわっ。命を軽く考え過ぎている。絶対に後悔するわ。そもそも、私にそんな価値はないのに」
「それを決めるのはステファニア様ではありません。少なくともここにいる皆にとって、ステファニア様に仕えることはなによりも大切なことなんです。それを否定する権利はステファニア様にだってありません」

 言葉に詰まる。そうはっきり言われてしまっては返す言葉がない。
 順に視線を向ける。見覚えのある顔ばかり。全員が全員、真剣に、ステファニアを見つめていた。

 重い。皆の気持ちが重すぎる。今まで筆頭聖女の地位に恥じない行いをしてきた自信はある。けれど、それだけだ。それ以上の何かをしたことはない。それなのに、なぜ……。
 徐々に後ずさっていくステファニアを見て、エディは困ったように微笑んだ。

「そんなに怯えないでください。最初に言ったように僕らはステファニア様を傷つけるようなことは決してしませんので。まあ、急な話で戸惑う気持ちもわかります。でも、ステファニア様にとってもそんなに悪い話ではないと思いますよ」
「それは、どういう意味?」
「制約が緩いブラス王国で『聖女』になれば、実家と連絡を取るのも自由ですし、面会や一時帰省も可能です。何より、任期がないのでステファニア様が力を失わない限りずっと『聖女』のままでいられるんです。つまり、無理に結婚をする必要がないんですよ。……ステファニア様、できることなら結婚を避けたいと思っていたでしょう?」
「それは……」

 その通りだ。でも、なぜそれをエディが知っているのか。
 訝しげな視線を向けると、エディはふふっと微笑んだ。

「孤児院のシスターが教えてくれました。ステファニア様はシスターになるつもりかもしれないと。まあ、心優しいステファニア様のことですから結局家族の為にと自分の気持ちを押し殺していたでしょうけど」

 ぐうの音も出ない。
 そういえば、エディはこういう子だったと今更思い出す。あの時とはまるで別人のようになっていたから今まで気付かなかったけれど……。まさか聖騎士になったなんて。

「だから、僕達考えたんです。ステファニア様の為にもなって、僕達の願いも叶うちょうどいい方法がないかって」
「それがこんな無茶苦茶な方法だというの?」
「はい。でも、これは必要な無茶ですから」
「その無茶にどれだけの人を巻き込んだと思っているの」
「皆合意の上ですよ。無理強いはしていません。皆にも。ステファニア様にも」
「っ」
「ちゃんと待ちますよ。ステファニア様の気持ちが固まるまで」

 いつもの人好きのする笑顔が、今は毒毒しく見える。ステファニアは直視できずに視線を逸らした。
 なんだか頭が痛い。地面が激しく揺れている気がする。波の影響か。それ以外の影響か。

「顔色がよくありませんね。休んだ方が良さそうです。部屋に戻りましょう。ステファニア様」

 エディに手を引かれよろよろと歩く。足に上手く力が入らない。そんなステファニアに心配そうに声をかける人々。ステファニアは反射的に笑顔を浮かべ「ありがとう。大丈夫よ」と返した。今までのように。それが当たり前かのように。


 ◇


「落ち着けルカ。焦ったところでもう船は出た後だ」
「そんなことはわかってるよ! だから焦っているんだろっ! もし、ステファニアに何かあったらっ」
「ステファニア様なら大丈夫だと思います」

 そう言ったのはロザンナ。ルカはキッと睨みつけた。

「なんでそう言える?! だいたいロザンナがついていながら」
「その通りです。返す言葉もありません。自分の腹を自分で刺したいくらいには自分自身に憤りを感じています。ですが、今はそんなことをしている時間はありません。ステファニア様を助けるのが先です」
「っ。そこまでわかっているならテキトーな発言をしないでくれっ!」
「テキトーな発言ではなく、推論を立てた上での発言です」
「それが」
「まあまあ、ルカ落ち着けって。第一、一杯食わされたのは俺達だって一緒だろ。エンリーチ公爵夫妻を探している間にステファニアがさらわれたんだから、俺らにバレているのもこみこみの作戦だったんだろう。相手が一枚上手だったんだ。でも、まだ間に合う。今、リタがもろもろの手配をしてくれている。俺達はその間にロザンナ卿の立てた推論とやらを聞こう」
「っ……そう、だね。ゴメン、ロザンナ。話を聞かせて」

 不甲斐ない。エディが怪しいと気づいていたのに、ステファニアをさらわれてしまった。助けられなかったのは、これで二回目だ。その上、ロザンナに八つ当たりをした。
 今はステファニアを助ける為に皆が力を合わせないといけないのに。

 ルカは頬を両手で叩き、黙ってロザンナの推論に耳を傾けた。


 ◇


「ステファニア様。何かトラブルがあったようです。ちょっと確認してくるので待っててもらえますか?」
「ええ。もちろん」

 にっこりと微笑みエディを送り出す。この数日間、エディはまるでロザンナのようにステファニアにつきっきりだった。いや、おそらく『ように』ではない。エディは専属聖騎士としてそのつもりで振る舞っていたのだろう。

 結局、ステファニアは選んだ。ブラス王国に到着する前夜。エディ達の要望通り、『聖女』になることを。
 それがたとえエディ達の策略だったのだとしても。彼らの命を見捨てることなどできなかった。

 じっとエディが戻ってくるのを待つ。

「………………さすがに遅すぎではないかしら」

 もうブラス王国の港には着いている。何か手続きでトラブルがあったようだけれど、それが長引いているのだろうか。
 ――――少しだけ覗いてみる?
 迷った末、とりあえず立ち上がる。その時、

「ステファニア」

 名前を呼ばれた気がした。聞き覚えのある声で。そんなわけないのに。
 次の瞬間、確かにノック音が鳴った。

 震える手で、ドアノブを掴む。そして、ゆっくり開いた。

 そこにいたのは

「ルカ」

 ここにいるはずのない人。一瞬、夢かと思った。

「ステファニアっ」

 でも、強い力で抱きしめられ、その痛みで夢ではないと実感する。

「よかった無事で」
「ルカ、痛いよっ」
「ご、ごめっ」

 慌てて離れるルカ。勝手に目から涙がこぼれる。それだけじゃない。勝手に口角も上がる。
 きっと、今の私の顔は歪だろう。でも、ルカはそんな私を見てホッとしたように微笑んだ。

「行こうか」

 そう言って手を差し出してくる。その手をじっと見つめた。

「でも、」
「大丈夫だよ」

 その言葉に後押しされ、ルカの手に己の手を乗せる。そして、一緒に部屋から出た。




「これは……」

 船内にいた人々は全員捕まえられていた。エンリーチ家とシッキターノ家の騎士達によって。指示を出しているのはアルベルトとリタ王女。まさか、彼らまで来ているとは思わなかった。

「ハッハッハッ! あたしの力を見誤ったのが貴様らの運のつきよー!!!!!!」

 悪役さながらに高笑いをしているところを見ると嫌々きたわけではなさそうだ。

「ステファニア様ッ!」
「ロザンナッ!」

 名を呼ばれ振り向く。と同時に抱きしめられた。安心できる腕の中。ステファニアもようやく緊張を解き、抱きしめ返した。

「申し訳ありませんっ私がついていながら」
「いいえ。いいえ。助けに来てくれてありがとうっロザンナ」

 抱きしめ合う二人を複雑な表情で見つめるルカ。そんなルカの肩をアルベルトが叩いた。そして、ルカにだけ聞こえる声で囁く。

「今、どんな気持ちだ?」

 ルカは無言で拳を握った。
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