彼の瞳に映るのは~人形王子の愛~

黒木メイ

文字の大きさ
上 下
6 / 9

しおりを挟む
 ブライアンが久々に登校したという情報はデビッドの耳にも入っていた。
 とある『事情』からアンジェラとブライアンの二人には密偵をつけているからだ。密偵に指令を出したのは陛下だが、その情報はデビッドにも共有されている。

 最初はただの学生である二人にそこまでする必要はあるのかと意見したデビッドだったが、その『事情』を聞き納得した。
 概ね理想的な展開を迎え、大きな問題も起きずに、監視期間もようやく終わる……と思っていた矢先……事件は起きた。

 悲鳴を聞きつけ駆けつけた先でデビッドが見たのは、頭から血を流して倒れているブライアンだった。
 微かに息をしているのを確認し、安堵する。

 その時、周りにいた誰かが一点を指さした。
 その先にいたのは、窓から身を乗り出しているアンジェラだ。

 ――――ブライアンはあそこから落ちたのか。

 根拠はないが、デビッドはそう直感した。
 注目されていることに気づいたのか、アンジェラが急いで窓から離れようとする。咄嗟に叫んだ。

「そこを動くな!」

 護衛を連れて、アンジェラの元へと急ぐ。
 逃がしてはならない。おそらくアンジェラはことの顛末を知っている。
 ――――まさかとは思うが、アンジェラがブライアンを突き落としたなんてことはないだろうな。

 嫌な想像が頭を過る。――――ダメだ。先入観は捨てなければ。
 二人につけていた密偵の報告を聞けばわかることだが、アンジェラから直接証言を取ることも重要だ。

 駆けつけた先で、アンジェラは逃げるどころか腰を抜かしていた。
 デビッドについてきた護衛にアンジェラは抱えられ、場所を移動する。

 空室で事情聴取となった。見るからに放心状態のアンジェラを問い詰めるのは心苦しいが、こればっかりは仕方ない。時間が経てば経つほど、記憶の正確性は失われていくのだから。

 アンジェラはデビッドに聞かれるまま、素直に答えた。
 一通り聞き取りを終えたデビッドはメモを取るのを止め、情報を纏める。

「つまり、ブライアンはソフィー嬢に次の婚約者ができたことを知り、自殺を……コホン、窓から飛び降りたってことだね」
「え、ええ。私が振り向いた時には、もうブライアン様は窓枠に足を乗せていたわ。だから、私がブライアン様を止めるのは無理だったのよ。かけよった時にはもう飛び降りていたんですもの! 信じられないかもしれないけど、本当のことなのデビッド様! 信じて!」

 必死な形相でデビッドに詰め寄るアンジェラ。驚いたデビッドは慌てて、アンジェラに声をかけた。

「わかった。わかったから落ち着いてくれ。……なんだか、以前とイメージが違うな……これが素なのか? それとも動揺しているだけなのか……」
「何? 今、なんて言ったの?」
「いや……何でもない。今は関係ないことだから気にしないでくれ」

 アンジェラを引き離したデビッドは眉根を寄せて思案する。
 その間アンジェラはこのまま誤解されて捕まるのではないかとハラハラしていたのだが、答え自体はすでにデビッドの中ででていた。
 ――――アンジェラの話はおそらく事実だ。密偵に確認すれば、裏も取れるだろう。

 けれど、今この場でそれを告げていいのかが判断できなかった。
 密偵のことを伝えるということは、例の事情についても説明するということだ。
 チラリとアンジェラの手首を確認する。
 ――――陛下の判断を仰ぐべきだな。
 悩んだ末、デビッドはひとまずアンジェラに自宅待機を命じることにした。


 ◆


 自宅待機を命じられたアンジェラは実家の本邸……ではなく、王都から離れた別邸にいた。
 祖母と暮らしていたあの邸だ。懐かしさが込み上げてくる。こんな時ではなければ、喜んでいたくらいだ。

 幼少期からアンジェラは祖母と暮らしていた。離れて暮らしていた両親にとってアンジェラは実の娘というよりは『母の孫』という認識が強かった。
 だから、今回の事件を知った時も自分達には関係ないとばかりに、ろくにアンジェラの話を聞こうともせず、最低限の使用人をつけて別邸へと追いやったのだ。

 助けを求めたくても頼る相手がいないアンジェラは、現実から目を逸らすように自室に閉じこもった。

「いったいなんなのよ」

 頭を抱えて涙声で呟く。
 今はまだ日中だ。にも関わらず、明るい室内でベッドのシーツを被って震えるアンジェラ。
 ――――こうすれば何も見ないですむわ。

 健康なのにベッドの上の住人となったアンジェラに、ベッドの中から出ざるを得ない相手が現れた。
 まさかのソフィーだ。

 老婆心で気を利かしたつもりのメイド長が、アンジェラの許可も得ずに、勝手にこの部屋まで連れてきたのだ。

「アンジェラ様。」

 突然聞こえてきたソフィーの声。アンジェラの身体が揺れた。反応したことに気づいたソフィーは、今が好機とばかりに話しかける。

「突然押しかけてきてしまって申し訳ありません。一応先触れを出したのですが……返事がなく、もしや……それどころではない状況なのではないかと心配になってきてしまいました」

 アンジェラはむくりと身体を起こした。
 行儀が悪いとはわかっていながら、シーツを被ったままソフィーに話しかける。

「きてしまいましたって……。なんで……ソフィー様が私の心配なんかするんですか。私はあなたからブライアン様を奪い取った女なんですよ?」
「それは……そうなんですけども。ですが、私それについてはアンジェラ様に感謝しているくらいでして」

 思わぬソフィーの本音に「え?」と声を漏らす。

「ほ、本気で言っているの? だって、あのブライアン様なのよ?!」
「まあ、好みは人それぞれですから。それよりも、あの日のことです。あの日、あの後、ブライアン様が誤って窓から転落したと聞きました。それで、アンジェラ様も体調を崩し寝込んでいると」
「え、ええ」

 なんだか話が捏造されているが、おそらくなのだろう。
 ならば、あえて否定せずにアンジェラは頷く。
 ソフィーが息を呑む音が聞こえた。

「あの日……お二人を二人きりにさせたのは私です。どういう経緯で事故が起きたのかはわかりませんが、あの場を私達が去らなければ起きなかった事故です。私の判断ミスです。申し訳ありません」
「ちょっ、何でそうなるの?!」
 あまりのお人好しな思考回路に、アンジェラはシーツを脱ぎ捨てて怒鳴った。
 ソフィーは驚いて目を丸くしている。

 アンジェラはグイッとソフィーに顔を寄せる。
「いいですか? ソフィー様は全く悪くありません。間違っていたのは私です。大事なことなのでもう一度言いますよ。ソフィー様は全く悪くありません! わかりました?」
「は、はい。わかりましたわ! ……アンジェラ様は優しい方なんですね。クーパー様が惹かれたのもよくわかりますわ。ああ、そうでした! お渡しするのを忘れるところでしたわ。これ、お見舞いの品です」
 そう言って、渡してきたのは巷で有名な商会のギフトセットだ。贈り物として人気の商品で、品薄だと噂だ。
 そんな商品をわざわざ持ってきてくれるなんて……一時期はソフィーに対して敵対心を向けていたアンジェラだがすっかり毒気を抜かれてしまった。
 ――――ソフィー様って。裏があるどころか、底抜けのお人好しじゃない。

 長居するとアンジェラの体調に影響するかもしれないからとソフィーは帰っていった。
 再び一人になる。けれど、今度はシーツを被らなかった。
 代わりに、じっと一点を見つめる。

 そこにはアンジェラだけが視認できるモノがいた。
 この世のものとは思えないような美貌。無表情も相まってまるで本物の人形のようだ。

「残念だったわね。ソフィー様にはあなたが全く見えなかったみたいよ。『運命の相手』が聞いて呆れるわね。まあ、だからといって今更私とあなたが運命の相手だとは言うつもりもないけど」

 ギロリと睨みつけてくるのは、命を取り留めたものの未だに目が覚めていないはずのブライアンだ。

 最初はあまりのショックで幻を見ているのかと思った。
 けれど、寝ても醒めてもブライアンはアンジェラの近くにいる。会話はできない。けれど視認はできる。
 試しに物を投げて追い払おうとしてみたが、すり抜けてしまった。まるで幽霊だ。
 まさか死んだのかと思ったが、どうやら生きてはいるらしい。

 ブライアンに恋をしている時だったらともかく、今はひたすらに怖い。
 ブライアンからの視線も。ブライアンがソフィーではなくアンジェラに憑いていることも。

 視界にいれるのすら嫌でずっとシーツを被って過ごしていたのだが、ソフィーのおかげで今は怖さが半減した。
 反撃するには今かもしれない、と思ったアンジェラは軽くジャブを打つ。

「あなた、これっぽっちもソフィー様に好かれていなかったみたいね。だって、ソフィー様ったら私の心配はしてくれるのに、あなたの安否については一度も確かめようとはしなかったもの」

 事実だが、それが全てではないことはアンジェラだってわかっている。
 あの優しいソフィーが長年婚約者だったブライアンの心配をしていないわけがない。けれど、婚約者ではなくなったソフィーが表立ってブライアンの心配をできるわけもない。少なくとも、アンジェラの前では。
 ソフィーのことを理解しているならわかるはずのことだ。

 しかし、ブライアンは理解していなかったらしい。
 殺気を帯びた視線をアンジェラに向ける。
 ブライアンの怒りに反応するかのように部屋が揺れた。

「キャッ! ちょっと、物理的に攻撃するのはずるいわよ!」

 反撃する手段がないのに、と睨み返す。
 以前からは考えられない険悪さだ。愛しさ余って憎さ100倍とはこのことだろう。

「お祖母様の嘘つき。運命の相手なんかじゃなかったじゃない」

 恋から冷めると今まで最高だと思っていたあの幸せな時間が一気に色褪せる。
 世界で一番素敵だと思っていたブライアンの評価もダダ下がりだ。
 同時に、ソフィーに対しての申し訳なさが込み上げてきた。
 ソフィーは気にしていないかもしれないが一言くらいは謝りたい。謝るという行為は苦手だが、頑張ろう。
 ――――さすがにお祖母様も許してくれるはずだわ。

「はあ。とりあえず、あなたははやく自分の体に戻ったら? 私達もう終わったんだから付きまとわないでちょうだい」

 ブライアンが目を見開き、アンジェラを激しく睨みつける。口を何度も開閉させているが、何を言っているのかは全くわからない。
 首を傾げると、ブライアンはイラついたように顔を顰め、くるりと背を向けてしまった。
 アンジェラもフンッと顔を背け、ブライアンを視界から追い出す。
 そして、『早くブライアンが目を覚まして、平和な日常が戻ってきますように』と願い、ギュッと目を閉じた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王子の片思いに気付いたので、悪役令嬢になって婚約破棄に協力しようとしてるのに、なぜ執着するんですか?

いりん
恋愛
婚約者の王子が好きだったが、 たまたま付き人と、 「婚約者のことが好きなわけじゃないー 王族なんて恋愛して結婚なんてできないだろう」 と話ながら切なそうに聖女を見つめている王子を見て、王子の片思いに気付いた。 私が悪役令嬢になれば、聖女と王子は結婚できるはず!と婚約破棄を目指してたのに…、 「僕と婚約破棄して、あいつと結婚するつもり?許さないよ」 なんで執着するんてすか?? 策略家王子×天然令嬢の両片思いストーリー 基本的に悪い人が出てこないほのぼのした話です。

皇太子殿下の御心のままに~悪役は誰なのか~

桜木弥生
恋愛
「この場にいる皆に証人となって欲しい。私、ウルグスタ皇太子、アーサー・ウルグスタは、レスガンティ公爵令嬢、ロベリア・レスガンティに婚約者の座を降りて貰おうと思う」 ウルグスタ皇国の立太子式典の最中、皇太子になったアーサーは婚約者のロベリアへの急な婚約破棄宣言? ◆本編◆ 婚約破棄を回避しようとしたけれど物語の強制力に巻き込まれた公爵令嬢ロベリア。 物語の通りに進めようとして画策したヒロインエリー。 そして攻略者達の後日談の三部作です。 ◆番外編◆ 番外編を随時更新しています。 全てタイトルの人物が主役となっています。 ありがちな設定なので、もしかしたら同じようなお話があるかもしれません。もし似たような作品があったら大変申し訳ありません。 なろう様にも掲載中です。

断罪される前に市井で暮らそうとした悪役令嬢は幸せに酔いしれる

葉柚
恋愛
侯爵令嬢であるアマリアは、男爵家の養女であるアンナライラに婚約者のユースフェリア王子を盗られそうになる。 アンナライラに呪いをかけたのはアマリアだと言いアマリアを追い詰める。 アマリアは断罪される前に市井に溶け込み侯爵令嬢ではなく一市民として生きようとする。 市井ではどこかの王子が呪いにより猫になってしまったという噂がまことしやかに流れており……。

光の王太子殿下は愛したい

葵川真衣
恋愛
王太子アドレーには、婚約者がいる。公爵令嬢のクリスティンだ。 わがままな婚約者に、アドレーは元々関心をもっていなかった。 だが、彼女はあるときを境に変わる。 アドレーはそんなクリスティンに惹かれていくのだった。しかし彼女は変わりはじめたときから、よそよそしい。 どうやら、他の少女にアドレーが惹かれると思い込んでいるようである。 目移りなどしないのに。 果たしてアドレーは、乙女ゲームの悪役令嬢に転生している婚約者を、振り向かせることができるのか……!? ラブラブを望む王太子と、未来を恐れる悪役令嬢の攻防のラブ(?)コメディ。 ☆完結しました。ありがとうございました。番外編等、不定期更新です。

【完結】悪役令嬢の反撃の日々

くも
恋愛
「ロゼリア、お茶会の準備はできていますか?」侍女のクラリスが部屋に入ってくる。 「ええ、ありがとう。今日も大勢の方々がいらっしゃるわね。」ロゼリアは微笑みながら答える。その微笑みは氷のように冷たく見えたが、心の中では別の計画を巡らせていた。 お茶会の席で、ロゼリアはいつものように優雅に振る舞い、貴族たちの陰口に耳を傾けた。その時、一人の男性が現れた。彼は王国の第一王子であり、ロゼリアの婚約者でもあるレオンハルトだった。 「ロゼリア、君の美しさは今日も輝いているね。」レオンハルトは優雅に頭を下げる。

乙女ゲームの悪役令嬢に転生しました! でもそこはすでに断罪後の世界でした

ひなクラゲ
恋愛
 突然ですが私は転生者…  ここは乙女ゲームの世界  そして私は悪役令嬢でした…  出来ればこんな時に思い出したくなかった  だってここは全てが終わった世界…  悪役令嬢が断罪された後の世界なんですもの……

愚か者の話をしよう

鈴宮(すずみや)
恋愛
 シェイマスは、婚約者であるエーファを心から愛している。けれど、控えめな性格のエーファは、聖女ミランダがシェイマスにちょっかいを掛けても、穏やかに微笑むばかり。  そんな彼女の反応に物足りなさを感じつつも、シェイマスはエーファとの幸せな未来を夢見ていた。  けれどある日、シェイマスは父親である国王から「エーファとの婚約は破棄する」と告げられて――――?

悪役令嬢は推し活中〜殿下。貴方には興味がございませんのでご自由に〜

みおな
恋愛
 公爵家令嬢のルーナ・フィオレンサは、輝く銀色の髪に、夜空に浮かぶ月のような金色を帯びた銀の瞳をした美しい少女だ。  当然のことながら王族との婚約が打診されるが、ルーナは首を縦に振らない。  どうやら彼女には、別に想い人がいるようで・・・

処理中です...