同僚以上、恋人未満始めませんか?

黒木メイ

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同僚以上、恋人未満始めませんか?

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 レトロな内装に、微かに聞こえる洋楽。老夫婦が営む洋食屋は静閑とした場所にあり、知る人ぞ知る隠れ家といった雰囲気を醸し出していた。暗めの照明は時でなければ眠気を誘いそうだ。

「あの……」
「決まった?」
「あ、いや……えっと、じゃあ日替わりを」
「日替わりね。あ、すみません」

 目の前に座っている男性が手を上げて注文するのをぼんやりと見つめる。
 未だにこの現状が理解できていなかった。

 ――――なんで、こうなったんだっけ……。


 ――――――――


 月に一度は必ず訪れるケーキ屋がある。
 少し値段設定がお高めだが、ケーキや巡りが趣味の私が『今まで食べた中で一番美味しい』と感じた店だ。頑張った自分へのご褒美にその月の新作をいただく。私にとっては最高の贅沢だ。
 そして、今日。自分の誕生日だから奮発して三種類は買って帰ろうと朝から意気込んでいた――にもかかわらず、まさかの残業。
 気がついたらケーキ屋の閉店時間はとっくに過ぎていた。

 ようやく残業が終わり、魂が抜けた状態でふらふらと帰宅しようとしていたところ、後ろから名前を呼ばれた————気がした。
 しかも、その声は金井君好きな人にそっくりで、とうとう幻聴まで聞こえだしたのかと苦笑しながら振り向いた。

「え……?」

 間抜けな声が出でしまった。
 金井君本人が後ろに立っていたからだ。一瞬呆けてしまったがすぐに我に返り、軽く頭を下げる。

「お疲れ様です。これから退社なので、できれば提出書類等は明日にしていただきたいのですが」
「え? ああ、誤解です! 違いますよ。仕事の件で声をかけたわけではないので」
「そう、なんですか? すみません。勝手に早とちりをしてしまって」
「いや。急に話しかけた僕が悪いので」

 同期とはいえ、営業部のエースと経理部の雑用押し付けられ係とでは関わる機会もほぼ無い。気軽に話せていたのは研修期間までで、それ以降は会ったら挨拶する程度。
 正直、もう私のことなんて「そんなやついたな」くらいにしか認識していないのではと思っていた。


 相変わらず柔和な話し方をする人だ。落ち着いた低音ボイスが耳に心地よい。その声を聞くだけでドキドキしてしまうと女性社員の中で話題になっていた。かく言う私も例外では無い。

 金井かない君は普通に話しているだけなのに、こんなことを考えているなんて……と少しだけ罪悪感が浮かぶ。

 百八十八センチの高身長に、甘いマスク。泣きぼくろが色っぽくて目を引く。これで仕事も出来るのだからモテないわけがない。
 見ているだけで満足な、手の届かない想い人。

 ふと、新人時代の思い出が蘇った。
 まだ、仕事に慣れていなかった頃、彼が提出した書類を誤って私が処分してしまった事がある。他の社員がいる前で上司に怒鳴りつけられ、自分の不甲斐なさに涙が零れそうになった時、偶然居合わせた彼が口を挟んだ。『書類ミスがあったので自分が処分してほしいと頼んだ』と何故か彼が上司に謝ったのだ。情けないことに当時の私は初めて罵声をかけられ、パニックになっていた。彼の発言を否定する事も、止める事もできなかった。
 横やりを入れられ、呆気にとられた上司は怒りを鎮めたものの、「今度は不備の無いを書類を提出しろ」とチクリと彼に嫌味を言った。彼は笑顔でそれに答え、書類の書き方を聞きたいからと、私もその場から連れ出してくれた。
 私のせいで嫌味を言われ、新たに書類を書くはめになったにも関わらず彼は少しも嫌な顔を見せず、むしろ半泣きになっている私を慰めてくれた。
 あの時のことは未だにトラウマだが、彼を好きになった大切な思い出でもある。


「今日、このあと空いてるならご飯一緒にどうかなと思ったんだけど」
「え……」

 気を取られていたせいで、金井君の言葉が一瞬理解できなかった。

「急だし……やっぱり、無理だよね」
「いえ! 大丈夫です。……少し驚いてしまって」
「なら、よかった。お店は僕が決めていい?」
「はい」
「よし。じゃぁ、行こうか」

 歩き始めた金井君の後を小走りで追いかける。横に並んだ私を横目でちらりと確認した金井君と目があい、ふわりと微笑まれた。ドクンと心臓が鳴る。不自然にならないように視線を逸らした。

 夜でよかった。きっと頬が赤くなってるから。

 熱い頬を冷たい夜風が撫でていく。それが気持ちよくて目を細めた。

「……ぁ」
「金井君? 何か言った?」
「んーん、何でもないよ。あ、こっち」

 こっち、と指さした裏路地へ入る。普段なら決して通らない道。少し不安になって金井君との距離を詰めた。裏路地に入って五分。わりとすぐの場所にこじんまりとした洋食屋があった。
 金井君が店のドアを開ける。どうぞと促され、店内へと足を踏み入れた。
 どこか懐かしさを感じさせる店内を見渡す。一人で来ている客が多く、各々ゆったりとした時間を楽しんでいるようだった。
 まるで別世界のように居心地のよい空間に自ずと肩の力が抜けた。
 ふと、『可愛らしいおばあちゃん』といった風貌の女性と目があう。エプロンをしているところを見るとお店の人らしい。近寄ってきて、私と後ろに立っている金井君を見比べて嬉しそうに笑った。

「あらあら、みーくん久しぶりねぇ。今日は可愛い子も連れてきてくれたのね」
幸枝さちえさん。お久しぶりです。まだ、大丈夫ですよね?」
「えぇもちろん。さぁ、ここに座ってちょうだい」

 幸枝さんが、ソファーをトントンと叩く。金井君が席に座り、テーブルを挟んだ向かいの席に私も腰を下ろした。
 メニュー表を差し出され、受け取る。


 ――――――――


 どの料理も美味しくてあっという間に食べ終わってしまった。
 好きな人の前だとかそんなことは気にならないくらいに本当に美味しかった。
 満足気にお腹を擦り、はっと我に返った。恐る恐る顔をあげると金井君が何故かすごく楽しそうに見ていた。

「な、なに?」
「いや、相変わらず美味しそうに食べるな~って思ってた」
「ダ、ダメ?」
「ダメじゃないよ。むしろ、嬉しい。連れてきた甲斐があった」

 声を洩らして笑う金井君は職場にいる時よりももっと肩の力が抜けていて、いつもより少し幼く見えた。それが、素っぽく見えて……少し嬉しく感じた。

「はい、どうぞ」

 気配なく現れた幸枝さんが、テーブルの上にケーキを置く。
 いろんな意味で驚いて、幸枝さんを見て、ケーキを見て、金井君を見た。

「ハッピーバースデー」

 金井君がそう言って微笑むから、色んな感情が一気に駆け抜けてポロリと涙が1粒零れた。慌てて、指で拭う。
 目を見開いている金井君が視界に入って、焦りながらも違うと手を振った。

「嬉しくてつい。この会社に入ってからは誰かと祝うなんてことなかったし。毎年誕生日は一人でケーキを買って食べてて。今日とか残業でお気に入りのケーキ屋さんも閉まっちゃったから、祝うことすらできないのかと思ってたら……まさかの展開で。どうしよう。これ、夢なのかな」

 頬をぎゅーっと捻る。
 痛い。痛いけど痛くない気もする。
 さらに捻ろうした手は金井君に握られ、止められた。
 握られた手はそのままテーブルの上に。
 思わずその手を見つめた。

「夢じゃないから」
「あの……手」
「ん?」

 聞こえているだろうに、小首を傾げる金井君。
 あざとい、と思うのにその仕草さえキュン、としてしまう。
 一方で不安な感情も込み上げた。

「なんで、こんなことするの」
「なんで、か。……なんでだと思う?」
「からかってるならやめて……」
「からかってない。って言ったら?」
「何それ。……ずるい言い方」

 ぎろりと睨みつけると金井君が苦笑をこぼした。
 そっと手が離れる。その手を追いかけそうになって、ぐっと我慢した。

「自分でもまだよくわからないんだ」
「何が?」
「元々、出会った頃から何となく気にはなっていたんだと思う。本格的にいいなと思い始めたのは三ヶ月前」

 三ヶ月前と言われ、首を捻った。というのも、この数ヶ月間まともに会話をしていないはずだ。それなのに?と疑心が浮かび上がる。

「四ヶ月前、ケーキ屋でお金が足りなかった小学生くらいの女の子にケーキ、買ってあげなかった?」
「……そんなこともあった気がするけど、なんでそれを知ってるの?」

 ショーケースの前で、何度も値段と財布の中身を確認している女の子が気になって思わず聞いてみたことがあった。
『みーちゃんのお誕生日ケーキ買いにきたのに、足りないの』と半泣きになっている女の子が可哀想で、つい二人分のケーキを頼んで彼女に渡した。

 その時の事を思い出していて、あることに気がついた。

「……みーちゃん?」

 ポツリ、と呟く。まさか、と見てみれば嬉しそうな笑みを浮かべて頷き返された。

「そう、その子は僕の姪っ子でね。家が近いからたまに遊びに来るんだけど。僕の誕生日にサプライズでケーキを買って行こうと目についたお店に入ったものの、お金が足りなくて途方に暮れていたら偶然居合わせたお姉さんが払ってくれた。って聞いて、慌ててお店にいったんだけど……さすがにもういなくて。その一ヶ月後くらいにケーキ屋さんの前を姪っ子と通ってたら突然叫ばれてね。何事かと思ったら、あのお姉さんがいるって言うから見たら、まさかの……だったからね。お礼をもっと早くしたかったけど、なかなかそんな機会もなくて。気づいたら、この数ヶ月間ずっと頭の隅で君の事考えてた」
「そ、そう、なんだ。……あー、あの私の誕生日っていうのはどこで?」

 別に告白されたわけでもないのに、恥ずかしくなって視線が左右に揺れる。苦し紛れに質問をする。

「ああ。それは……まぁ、ほら、僕って記憶力がいいから」

 何だか濁された気もするが、金井君の記憶力がいいのは確かなので、一応納得した。

「あの……念のため、確認しておきたいんだけど」

 目を見れずひたすら、テーブルの木目を見つめて言う。

「別に、付き合いたいとかそういう話ではないんだよね?」

 自分で言っておいて、自意識過剰に聞こえてしまい恥ずかしくなる。
 うーん、と前から唸り声が聞こえて、身体が小さく跳ねた。

「そう、だね」

 肯定の言葉にツキリと胸が痛む。と同時に、変に期待せずにすんだから聞いておいてよかったと己を納得させようとしたところで、妙な言葉が聞こえてきて顔を上げた。

「付き合うのはもっとお互いのことを知ってから、だと思うから。だから今は、同僚以上恋人未満から始めませんか?」

 真っ直ぐに見つめられ、告げられた言葉。脳内で処理されるよりも早く……反射的に頷いていた。

 拍手する音と興奮したような声が微かに耳に届いた。驚いて振り向くと、厨房からこちらを見て頬を紅潮させている幸枝さんと、幸枝さんを何とか落ち着かせようとしている旦那さんがいた。
 周囲からも生暖かい目を向けられている気がする。
 金森君を見れば、少し照れた表情でごめんねと言われた。
 首を横に振る。恥ずかしいけれど、それ以上に嬉しかった。




 あれから数年が経った。時折洋食屋を訪れてはいたが、ここ最近は忙しくて二人とも足が遠のいていた。
 久しぶりに訪れてみれば、老夫婦は相変わらず元気そうで。
 私達の顔を見るなり幸枝さんが嬉しそうに笑った。次いで、繋がれた手に視線が注がれる。
 薬指に光るリングを目に留めると驚いた表情で私と深桜みおう君の顔を見比べた。
 深桜君が頷いた瞬間、幸枝さんは感極まった声を上げながら手を叩いた。


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