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ヒロインはこんなはずではなかったのにと焦る

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 クロエは宣言通り、実家に帰ってしまった。
 せっかく一緒に暮らすことを認めてもらえていたのに……とダニエルはしょげる。
 学生時代からだから、一緒に暮らし始めてもう三年以上は経つ。

 未だに結婚式を挙げる許しは出ていない。
 ダニエルとしては卒業に合わせて結婚式を挙げたかった。ジョルダン男爵家としてもいつでもクロエを迎え入れる準備はできていた。
 けれど、オーリク子爵家からのお許しをもらえなかったのだ。

 嫁入り前のクロエを半ば強引に家に引き込んだ負い目もあり、ジョルダン男爵はダニエルを不憫に思いながらもオーリク子爵の気持ちを尊重した。
 どちらにしろ、一緒に暮らしているのだから事実婚をしているようなものだ。焦る必要は無い。

 ただ、当の本人ダニエルだけはもんもんとした日々を過ごしていた。
 仕事で疲れて帰ってきて愛するクロエがいるという生活は最高だ。
 けれど、婚前交渉が許されていない現状はダニエルにとってはお預けを食らっているのと同じでもあった。

 それでも、クロエが側にいる日々は幸せだった。
 それなのに今は家のどこにもクロエはいない。
 夜に枕を濡らし、一人寂しく眠る毎日。

 幸いクロエの実家は近いので、手紙のやり取りだけは頻繁にできる。
 そのおかげで耐えられる……はずがない! だって、クロエの顔を見ることもできない。お疲れ様と頭を撫でてももらえない。お帰りなさいのギューもしてもらえない。

 ダニエルのストレス値はたった一日で限界近くまで達した。
 ――――いったい誰なんだ! 噂を流したのは!

 王太子の婚約者……名前は忘れたが、なんか全体的にピンク色のべたべたしたキモいヤツ。そいつと俺の仲が怪しいとかわけわからない噂を流したやつ、そいつの目は節穴だ。そんな目は潰してしまった方がいい。……とは思うがそれは何の解決にもならないことはダニエルもわかっている。
 ダニエルだって知っているのだ。噂というものは出所を潰したところで止まらないということを。

「噂を消す方法……護衛騎士を辞退するか」

 ダニエルは普段使わない脳みそをフル回転させた。いつもなら知恵熱が出るから考え事はしない。
 けれど、クロエとの未来がかかってるなら別だ。

 噂を消すのに、効果的で手っ取り早い方法。
 王太子の婚約者を徹底的に避けて、言動で示せばさすがに噂もおさまるはず。
 自分にしては名案だと頷く。

 ダニエルは早速、王太子の婚約者の元へと向かった。
 サラは勤務時間外に現れたダニエルを喜んで迎え入れた。

「あらダニエル! 休みなのにわざわざ私に会いにきてくれたの?」

 そう言ってサラはダニエルの腕に手を伸ばす。けれど、ダニエルはその手をスッと避けた。サラは驚いて固まる。
 昨日までのダニエルは、サラが触れても、黙って受け入れてくれていた。

 なぜ?と考えたサラはすぐにピンときた。
 憐れみの目をダニエルに向ける。

「ダニエル。婚約者の方が実家に帰ったと聞いたわ」
「……はい」

 その瞬間ダニエルの顔が強ばった。認めたくは無いが事実なので頷く。
 サラはダニエルに近づき、心配そうに上目遣いで見つめた。

「大丈夫?」
「いえ」
「妙な噂が流れているのは私も知ってる。その噂のせいで彼女はへそを曲げてしまったのでしょう? あなたも大変ね。まあ、噂も落ち着くだろうから、そうすれば彼女の気持ちも落ち着くはずよ。それまであなたも羽を伸ばしたらいいわ」

 まるで他人事のようにさらりと言うサラにダニエルはイラッときた。
 ────あんたとの不本意な噂のせいでクロエが家を出たっていうのに!

 我慢できなくなったダニエルは前置きも無しに告げた。

「護衛騎士を辞退します」
「……え?」

 サラは何が言われたのかわからないという顔で、ダニエルを見上げる。
 しかし、ダニエルは毅然とした態度で自分の意見を繰り返し告げるのみ。

「護衛騎士を辞退します」
「ちょ、ちょっと待って?!」

 ────聞こえなかったのだろうか。

「護衛騎士を辞退します!」
「だから! ちょっと待ってって言っているでしょう!」

 イライラした様子で声を荒らげるサラ。
 一方、言いたいことを言い終えたダニエルは後は許可が降りるのを待つだけだとジッと待っている。

 けれど、サラは口を結び、黙り込んでしまった。

 淑女らしい表情を作る余裕すら失ったサラは焦っていた。

 ────どうしよう?! ダニエルが辞退してくるなんて予想していなかった。このままじゃ、計画が狂っちゃう。

 そう、サラがダニエルを護衛騎士に指名したのはある狙いがあったからだった。

 サラはクロエとは違い、物心ついた頃から前世の記憶を持っていた。
 この世界が自分がハマっていた乙女ゲームの世界だとに気づいたのも随分早い段階だった。
 将来のことを考えるには充分な時間があったのだ。

 乙女ゲームだけではなく、その二次創作にも手を出していたサラ。
 欲張ると破滅の道がある可能性も理解していた。だから、逆ハールートはハナから諦めていたのだ。
 学園生活が始まると、ターゲットを王太子であるジェレミー・ケロールだけに絞り、ハッピーエンドを目指した。

 ヒロインざまぁエンドを避ける為に、ジェレミーの元婚約者……悪役令嬢ポジションの公爵令嬢と軋轢を生まないように広い心で彼女達からの虐めを許し、断罪の場では減刑を進言した。
 おかげで公爵家に恩を売ることが出来たし、ジェレミーとの婚約を発表した時も目立った反感を買わずにすんだ。

 けれど、幸せだったのはそこまでだった。
 卒業後、始まった王太子妃教育。勉強することは大変だがそこまで苦では無い。けれど、王太子妃に相応しいマナー教育が想像以上に大変だった。

 これまで平民として生きてきたサラにとって、貴族の子女が幼い頃から叩き込まれる淑女マナーを短期間で身体に染み込ませるのはとても難しかった。
 少しでも気を緩めれば、粗が出る。粗が出れば、叱責を受ける。
 ただでさえ、その他の勉強で寝不足なのだ。粗が出ない日などなかった。
 叱られる毎日にサラの心は疲弊していた。

 ふとした時に思い出すのは学生時代のこと。
 あの頃はよかった。

 ジェレミーがいつもサラの側にいてくれて何かあればフォローしてくれたし、愛の言葉は精神面を支えてくれていた。
 だから、悪役令嬢やその取り巻きに虐められても耐えられたのだ。

 それが、今はどうだろうか。
 サラが辛い目にあっているのにジェレミーは側にいてくれない。
 頭ではわかっている。

 公爵令嬢から平民サラに婚約を変更したことで、今まで公爵令嬢がしていた仕事を全てジェレミーが引き受けているから忙しいのだと。
 今のサラにはまだその仕事を引き継ぐほどの余裕も実力もない。

 ジェレミーはサラの為に頑張ってくれているのだ。
 それがわかっているからこそワガママは言えない。嫌われたくない。
 頑張っていればいつかはサラも公爵令嬢がしていたようにジェレミーを支えることができるだろう。そうなれば今の状況も改善されるはず。
 けれど、それはいったいいつになるのか……。

 すでに、サラの心は折れかけていた。
 ────せめて、学生時代のようにジェレミーが熱く求めてくれたら。

 今思えば、悪役令嬢の存在や他の攻略対象達の存在はいい恋のスパイスになっていた。
 そのことに気づいたサラは、

 ちょっとしたスパイスがあれば、忙しいジェレミーもあの時のようになんとか時間を作ってサラに会いに来てくれるのではないかと。

 その当て馬スパイスとして目をつけられたのがダニエルだった。
 今も尚、接点があり、攻略対象の中でもダントツで攻略が簡単な男。
 彼はチョロいから、今からでも攻略できるはず。

 もちろん、攻略が成功してもダニエルと恋仲になるつもりはない。
 サラが好きなのはジェレミーだけだ。
 あくまで当て馬。孤独なサラの心を少しの間だけ支えてくれればいい。
 その程度の軽い気持ちだった。

 攻略対象者なだけあってダニエルの見た目は最高級。高身長で筋肉質な漢らしい身体。脳筋ではあるが、運動神経は抜群で、顔もいい。そんな彼に守ってもらいたいという女性はいくらでもいる。

 浮気心を抱くことはないが、そんな男を護衛騎士として連れ歩くのは気分が良かった。
 『いい男に守られる自分』にサラは酔いしれていた。
 つい、淑女マナーが頭から抜け、べたべたとスキンシップをはかってしまう程に。

 人目の多い王城。特に次期王太子妃として注目されているサラの行動は瞬く間に人々の口にのぼった。
 気づいた時にはすでに遅かった。サラはマナー教師や王妃から苦言を呈された。
 慌てたサラは必死に「そんなつもりはなかった。同級生ということもあり、つい気が緩んでしまった。今後は気をつけます」と弁明したが、ダニエルを護衛騎士から外すつもりは毛頭なかった。

 だって、噂が流れてからジェレミーが忙しい合間を縫って会いに来てくれるようになったから。噂について何も聞かれることは無かったが、間違いなくその瞳には嫉妬の色が宿っていた。
 サラはそのことに興奮を覚えた。もっと、もっと自分を求めてほしい。そう思った。

 サラの計画は順調だった。それなのに……ここにきてまさかのダニエルから終わりを告げられた。
 今の幸せを失いたくないサラは必死にダニエルを説得しようとした。

「よく考えて! 次期王太子妃の護衛騎士なのよ?! こんな名誉なことはないのよ?!」

 けれど、ダニエルの決意は少しも揺るがない。

「護衛騎士を辞退します」

 変わらない答えにサラは苛立った。

「将来を不意にするなんて馬鹿なの?!」
「なんと言われても自分の意志は変わりません」
「なんでそんなに……わかった。婚約者に脅されたのね?! 私の護衛騎士を辞めないと婚約破棄するとでも言われたんでしょう?! 酷いことを言う女ね。そんな女、あなたには相応しくないわ! あなたから捨ててしまいなさい。あなたは素晴らしい人よ。もっと相応しい相手が他にいるはず。あなたに相応しい相手を私が紹介してあげるからっ」

 地雷を踏んでしまったのだと気づいた時にはもう遅い。
 息が詰まる程の殺気。それを目の前の男が自分へと向けていることにサラは気づいた。────怖い。
 思わず後ずさる。

「俺の特別はクロエだけだ。俺からクロエを奪うやつは誰であろうと許さない」
「ご、ごめんなさい。でも、あの、」
「おまえか?」
「え?」
「おまえがあのくだらない噂を流したのかと聞いている」
「ち、ちがうわ! あの噂は私たちが一緒にいるのを見た人達が勝手に流しただけよ!」
「なら、やはりおまえの護衛騎士を辞めるのが手っ取り早い。いいか、俺は、おまえの、護衛騎士を辞める」

 ガクガクと震えとうとうへたり込んだサラを、瞳孔の開いた目でダニエルが覗き込む。
 サラはもはや喋る余裕もなくコクコクと頷いた。

 その瞬間、ドタバタと剣に手をかけた騎士達がなだれ込んでくる。
 ダニエルの殺気は外にも漏れ出ていたらしい。
 部屋に入ってきた騎士達はダニエルとサラを見てこれはいったいどういうことなのかと戸惑いの表情を浮かべた。

 何もなかったとはいえ、護衛騎士が次期王太子妃に殺意を向けるというのは大問題だ。
 ダニエルは拘束され、サラは保護された。
 すぐに騒ぎを聞きつけたジェレミーが駆けつけてきた。
 部屋の外には修羅場なのかと興味津々のメイド達が集まっている。
 ジェレミーは溜息を吐き、彼女達に口止めをするとこの場から立ち去るように命令した。

 真顔で拘束されたままのダニエルと青褪めて震えるサラを前に、ジェレミーは深い溜息を吐いた。
 二人の噂は当然ジェレミーの耳にも入っていたし、気にはなっていた。けれど、サラの気持ちは疑っていなかったし、ダニエルがクロエ一筋なことも知っていた。
 だから、今まで二人に何も確認しなかったのだ。その必要はないと……そう思いたかったのかもしれない。

 けれど、こんな騒ぎとなってしまってはもう放っておくことはできない。
 王太子として、きちんと向き合わなければならない。
 ジェレミーは事情聴取の為、口を開いた。
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