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第一章
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メーベルト領の『表』の顔とも言えるヨハン商店街。領主が変わったことで今はメーベルト商店街と名前を元に戻している。そこから通じる細道を通った先にある『裏』商店街。
『裏』商店街に立ち並ぶ建物の中でも一際大きな娼館……の隣にある小さな建物。そこにダニエル探偵事務所がある。
社長でもあり、たった一人の従業員でもあるダニエルは不貞腐れた顔でソファーに座っていた。ここ一週間。入ってきた依頼と言えば、浮気調査に、逃げた家畜の捜索に、娼館の扉の修復。相変わらずダニエルの理想の『探偵』とは程遠い仕事ばかり。
お金が貰えるのだから文句は言えない。と、わかってはいるが娼館からの依頼についてだけは別だ。娼館の扉が壊れた原因は、客達の醜い争い。その扉の修復を頼むのに他の男を呼ぶのはさらなる争いを招いてしまうかもしれない。その為、ダニエルに依頼が入った。
「おかしいだろ。僕だって男だっていうのに」
なんやかんや報酬がいいから直接は文句は言えない。けれど、鬱憤は溜まる。ダニエルは何度目かもわからない溜息を吐いた。その時、扉をノックする音が聞こえた。
「はーい。入ってきてくださーい」
投げやりに答える。どうせ、また同じような内容の依頼だ。
「失礼します」
聞き覚えのある声に驚いて顔を上げ、入ってきた人の顔を見てもう一度驚いた。驚きすぎて膝の上についていた肘がずれてしまうくらいに。はずかしいところを見られてしまった。咳ばらいをして素知らぬ顔を浮かべる。
「エ、エーリヒ。君がここにくるなんてどうしたの?」
「ダニエルに少し話したいことがありまして、今お時間ありますか?」
「う、うん。あ。ちょっとまってね」
慌ててテーブルの上を片付ける。あわあわとコーヒーの準備をしようとするのをエーリヒが止めた。
「私がしますよ。お土産もあるので一緒に食べましょう。いいですか?」
「うん。おねがい」
自分で入れたコーヒーと人気店リポッソのマスターが入れるコーヒー、どちらがいいかなんて決まっている。ここは素直に甘えよう。
ダニエルはソファーに腰掛け、大人しく待っていた。
しばらくすると、目の前に美味しそうなカップケーキとコーヒーが置かれる。向かいにエーリヒが座った。
「まだ開発中のメニューなんですけど、感想を聞いても?」
「もちろん。……うん。おいしいよ。甘じょっぱい不思議な味だけど、癖になる。コーヒーともよくあうね」
「そうですか。よかった」
ホッとしたように笑うエーリヒの顔に見惚れ、慌てて目を逸らした。危ない危ない油断するとつい凝視してしまう。
「そ、それで話したいことって何かな? このメニューのことじゃないよね」
「はい。その前にアルマのことを聞いてもいいですか?」
「ああ……エーリヒになら」
相手がエーリヒならアルマも許してくれるだろう。彼女もエーリヒのことは気にしていたし、彼女達を助ける手助けをしてくれたこともある。念のためここだけの話だと釘を刺した。
「もちろんです。絶対に誰にも言いません」
「アルマの為にもお願いね。……アルマは今、公爵家にいる。ついでに言うとアルマだけじゃなく、あの城で働いていた者達の中で希望した人達は全員ね」
「公爵家で匿っているってことですか?」
「というよりはヨハンがやっていたことをうちがしている感じかな。育成と斡旋。まだ新領主には彼女達の面倒を見るほどの余裕はないだろうし。もちろん、身の安全は保証してね」
「公爵家なら安心ですね」
「うちを信用してくれているんだ」
「公爵家というよりはエル様を信用しているんですよ」
「そ、その呼び名はここでは止めてよ」
「すみません」
「う、ううん。それでヴィリーには予定通り、アルマは亡くなったと伝えたよ」
「ああ。やっぱり」
エーリヒの反応におやと首をかしげる。
「もしかして、最近ヴィリーに会った?」
メーベルト城での一件以降ヴィリーはリポッソでの仕事は辞めたはず。元々仲が良かったとは言えない二人だからてっきりその後は顔をあわせていないと思っていたのだが。
「はい。用事があって先日ヴィリーに会ったんです」
「へえ……それで、どうだったの?」
「まるで別人のようにやつれ、この世の不幸を全て背負ったかのような顔をしていました」
「そう……」
想定内ではあった。ヴィリーに告げた時も受け止めきれていないようだったから。時間が解決するまではまだまだかかるのかもしれない。アルマにしていたことはともかく、彼のアルマに対する気持ちは本当だったと思うから。少しだけ罪悪感が浮かぶ。
「アルマは元気ですか?」
「手紙を読んだ感じ、元気にしているみたいだよ。毎日覚えることがいっぱいで忙しいらしい。それがありがたいとも書いてあったけど。公爵家のメイド教育はかなり厳しいからね。でも、身につけることができれば就職先に困ることはなくなるから」
「よかった。……忙しければヴィリーのことを思い出す暇もないでしょうし、アルマならきっとやりとげるはずです。これで、ヴィリーとは完全に縁も切れましたね」
心底よかったという顔をしているエーリヒ。
「意外だ」
「何がですか?」
「え、いや」
「遠慮せずに言ってください」
「そ、それじゃあ遠慮なく……エーリヒは何というかとっても心が広い人だから、彼のことも許していたのかと思っていたんだけど」
「まさか」
にっこり微笑むエーリヒにダニエルの顔が強張る。――――あれ? もしかして、想像以上にエーリヒはヴィリーに怒っていた?
「私はああいう人が一番嫌いなんです。当たり前のようになんでも自分の思い通りになると思っていて、思い通りにならないことがあれば力でねじ伏せようとする人が。しかも、自分に非があるなんてこれっぽっちも思っていない」
「……そ、そう」
気まずさを覚えて視線を逸らす。公爵家の末っ子という立場を持っているダニエルとしては耳が痛い話だ。エーリヒがそういう意味で言っているのかはわからないが、力というのは単純に腕だけではないと思っている。権力もその一つ。ダニエルがこうして事件の後処理をスムーズに行えたのもその力に頼ったから。家を出たくせに結局自分一人では対処しきれなくて家に頼ったのだ。
「あ、あの。一応補足しておきますが、力を使って人助けをすることは別ですからね。もちろん、それが空回ってしまうこともあるかもしれませんけど……少なくともエル様がそういう人ではないことはわかっていますから」
「ありがとう」
「いえ……」
余計なことを言ってしまったという顔をしているエーリヒ。けれど、そんなエーリヒにかける言葉も見つからず別の話題を振ることにした。
「話ってそれだけ?」
「あ、いえ。実は本題は別にあるんですけど」
「うん。何かな?」
「ここで働きたいんですけど、募集はしているんでしょうか?」
「え? ええー?!」
驚いて無駄に大きな声を出してしまった。喉が痛い。咳が出る。コーヒーを飲んで落ち着こうとして今度は舌をやけどした。
「だ、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫。でもリポッソは?」
「リポッソも続けるつもりです。……ですから、依頼が入った時や人手がない時だけこちらで働くという形にはなるんですけど」
ダニエルの眉間に皺が寄る。その表情を見てエーリヒの眉尻が下がった。
「やっぱり、ダメですか?」
「あ、いや。僕としては嬉しいんだけど、どう考えてもエーリヒにはメリットがないなと思って。まともに給料を渡せる自信もないし」
「別に給料はいりませんよ」
「それはダメだよ! そういうことはきちんとしないと。もし、前回のことで恩を感じているとかだったら」
「では、払える時にまとめて支払ってもらうというのはどうでしょう」
「どうしてそこまでして?」
「もちろん恩を返したいという気持ちはありますが、一番の理由はそれではありません。何度も言ったと思いますが、私がダニエルの下で働きたいと思ったからです。助手でも雑用係でも、宣伝係でも構いません。それに、私にもメリットはあります」
「本当に?」
「はい。前々から悩んでいたんです。リポッソにくるお客様は私との会話を楽しみにしてこられる方が多いです。その中にはアルマのように悩みを抱えている人もいます。けれど今まではその話をただ聞くことしかできませんでした。でも、ここならなんとかできるのではないかと……」
「つまり、リポッソの客をこちらに流してくれるということ?」
「流す、というか仲介ですね」
「なるほど……それは、いや、かなり助かる」
ダニエルが悩んでいた点もエーリヒの申し出を受け入れれば解消できるだろう。ダニエル探偵事務所の知名度が低いのはもちろんだが、仮に依頼したい悩みがあってもダニエル探偵事務所を訪れるにはハードルが高い。
――――裏商店街にあるいかにも怪しい事務所になんて僕も行きたくないもんな。
ダニエルはそのことに最近になってようやく気づいた。だからといって今の経営状況じゃあ移転はできない。そもそも、探偵に依頼しようと考えている人は誰にも知られたくない悩みを抱えている人がほとんどだ。場所はできれば今のままの方がいい。リポッソが表の窓口になってくれるのならばその点を解決できる。
「でも、エーリヒがこっちで働いている間、リポッソはどうするの? 誰か雇い入れるの?」
「はい。私がいない間はヴィリーに任せようかと」
「え?! で、でもヴィリーのことが嫌いなんじゃあ」
「嫌いですよ。だからこそ、私の目の届くところにいてもらうんです。アルマを思っている間はうちのお客様に手を出すことはないでしょうし、もし新しい相手が出来たとしても私が気づけますから」
「確かに……あ、そういえば聞きたかったんだけど」
「はい」
「アルマに髪留めをプレゼントしたのってエーリヒだよね?」
「はい。そうです」
「あれって……魔道具だよね?」
「ええ。物理攻撃を防ぐものです。ヴィリーのことを聞いてから心配だったので」
「だからか」
でも、エーリヒはそのことをアルマには伝えなかったのだろう。だから、大事にしまわれていた。
「……エーリヒってもしかして」
「はい?」
「あ、いや。なんでもない」
視線を逸らす。気になることはあるが、そのことについてはエーリヒではなく別のモノに尋ねないとわからない問題だ。正直に教えてくれるかはわからないけど。
「わかった。そこまで考えてくれているのなら僕も断る理由はない」
パッと表情が明るくなるエーリヒ。
「じゃ、じゃあ」
「うん。これからよろしくね」
「はい!」
「さっそく雇用契約書を書いてもらおうかな」
いつか必要になるだろうと用意していた紙の出番がようやくやってきた。内容を書き加え、エーリヒに渡す。エーリヒが書類に目を通し、サインを書き終えるまで待っていた。
「できました」
「ありがとう」
渡された書類を見てあれ?と首を傾げる。
「名前、間違っているよ?」
「いえ。間違っていませんよ。本名はエーリカっていうんです」
「え?! そ、そうなの?」
「はい。今までは吸血鬼たちにバレないようにと性別を隠してきましたから。本名を知っているのはダニエルだけですよ」
「え」
「特別です」
ふふと微笑むエーリヒ、いやエーリカを見て顔に熱が集まる。
「エ、エーリカ。よろしくね」
「はい。よろしくおねがいします。あれ?」
話が終わったタイミングで空気を読んだかのようにふわふわと光がエーリカの周りに集まり始める。それを見てエーリカは微笑んだ。
「皆さんにもお土産を持ってきました。どうぞ」
包み袋から出てきたのはいつものクッキーとパウンドケーキ。喜ぶように光が飛び回る。
「こいつらの分はよかったのに。対価はもう支払ったんだし」
「とんでもない。あれだけじゃ足りませんよ」
「そうかな~あいた!」
余計なことは言うなとでもいうように光がダニエルの髪の毛を四方からひっぱった。エーリカにはもう存在がバレているから皆したい放題だ。
エーリヒはくすくすと笑い、ふとある物を見つけて笑いを止めた。
「コレは」
足元に落ちていた手紙を拾い上げる。明らかに高級感漂う封筒。ダニエルは驚いた顔をして受け取った。
「ありがとう。落としたまま拾うのを忘れていたよ。実家からの手紙なんだけど、今回の件については前回の手紙で終わったはずだから後回しにしてたんだよね。多分、近況報告だと思うんだけど……」
封筒を開いて目を通す。
「……えーーーーー?!」
「ど、どうしたんですか?!」
「イ、イヴァン兄さんが婚約したらしい」
「そ、それはおめでとうございます?」
「いや、それがそうとも言い切れない話で」
「え?」
「結婚秒読みだった婚約者との婚約を破棄して、すぐに新しい人と婚約したって言うんだ」
「え。それはまさか……真実の愛に目覚めたとかそういうやつですか?」
エーリカの眉間に皺がよる。最近若者の間でそういう小説が流行っていることをエーリカも知っている。その小説に感化された一部の男達が真実の愛を理由に最低な振る舞いをしていることも。まさか、ダニエルにお兄さんも……?
「ありえない。あのイヴァン兄さんに限ってそんなことがあるわけがない。多分、何かあったんだ」
「なにか、ですか?」
「うん。サンドロ兄さんがそう言っているから間違いないと思う。サンドロ兄さんはとてつもない脳筋だけど、その分直観が鋭いというか、第六感が優れているんだ。サンドロ兄さんが怪しいと感じたのなら本当に何かあるんだと思う。あのサンドロ兄さんがわざわざ僕に帰ってきて調べてほしいと言っているくらいだし」
僕が外に出るのを一番に後押ししてくれたのはサンドロ兄さんだ。そんなサンドロ兄さんが僕にこういう頼み事をしてくる時は毎回僕の力が必要な時だった。
「早く帰らないと。ゴメンね。契約して早々申し訳ないけど、しばらく僕はいないから仕事は」
「それなら私も行きます」
「え?」
「これも探偵の仕事でしょう」
「いや、これはどちらかというとお家騒動」
「いいえ。調べて欲しいと書いているのですから、これも立派な依頼です。もちろん、分はわきまえた行動をします。あくまで助手として。できるだけ早く帰りたいんですよね? それなら尚更私を連れて行ってください。道中の用心棒くらいにはなりますから」
「そ、それは……でも」
「私も連れて行ってください。お願いします」
ぎゅっとダニエルの両手を握るエーリヒ。ダニエルの思考は止まった。
「……わ、わかった」
それを聞いてエーリヒがぱっと手を放す。それが残念だと思った自分が恨めしい。けれど、正直なところエーリヒがついてきてくれるのは助かる。それに……これは勘だがエーリカにはついてきてもらった方がいい気がする。エーリカの力が必要になるようなそんな気がするから。
「エーリカ。僕の助手として一緒についてきて」
「はい」
力強く頷いたエーリカの意志を、ダニエルの判断を後押しするように精霊達が飛び回る。その様子を見つめながらダニエルは拳を握りしめた。
『裏』商店街に立ち並ぶ建物の中でも一際大きな娼館……の隣にある小さな建物。そこにダニエル探偵事務所がある。
社長でもあり、たった一人の従業員でもあるダニエルは不貞腐れた顔でソファーに座っていた。ここ一週間。入ってきた依頼と言えば、浮気調査に、逃げた家畜の捜索に、娼館の扉の修復。相変わらずダニエルの理想の『探偵』とは程遠い仕事ばかり。
お金が貰えるのだから文句は言えない。と、わかってはいるが娼館からの依頼についてだけは別だ。娼館の扉が壊れた原因は、客達の醜い争い。その扉の修復を頼むのに他の男を呼ぶのはさらなる争いを招いてしまうかもしれない。その為、ダニエルに依頼が入った。
「おかしいだろ。僕だって男だっていうのに」
なんやかんや報酬がいいから直接は文句は言えない。けれど、鬱憤は溜まる。ダニエルは何度目かもわからない溜息を吐いた。その時、扉をノックする音が聞こえた。
「はーい。入ってきてくださーい」
投げやりに答える。どうせ、また同じような内容の依頼だ。
「失礼します」
聞き覚えのある声に驚いて顔を上げ、入ってきた人の顔を見てもう一度驚いた。驚きすぎて膝の上についていた肘がずれてしまうくらいに。はずかしいところを見られてしまった。咳ばらいをして素知らぬ顔を浮かべる。
「エ、エーリヒ。君がここにくるなんてどうしたの?」
「ダニエルに少し話したいことがありまして、今お時間ありますか?」
「う、うん。あ。ちょっとまってね」
慌ててテーブルの上を片付ける。あわあわとコーヒーの準備をしようとするのをエーリヒが止めた。
「私がしますよ。お土産もあるので一緒に食べましょう。いいですか?」
「うん。おねがい」
自分で入れたコーヒーと人気店リポッソのマスターが入れるコーヒー、どちらがいいかなんて決まっている。ここは素直に甘えよう。
ダニエルはソファーに腰掛け、大人しく待っていた。
しばらくすると、目の前に美味しそうなカップケーキとコーヒーが置かれる。向かいにエーリヒが座った。
「まだ開発中のメニューなんですけど、感想を聞いても?」
「もちろん。……うん。おいしいよ。甘じょっぱい不思議な味だけど、癖になる。コーヒーともよくあうね」
「そうですか。よかった」
ホッとしたように笑うエーリヒの顔に見惚れ、慌てて目を逸らした。危ない危ない油断するとつい凝視してしまう。
「そ、それで話したいことって何かな? このメニューのことじゃないよね」
「はい。その前にアルマのことを聞いてもいいですか?」
「ああ……エーリヒになら」
相手がエーリヒならアルマも許してくれるだろう。彼女もエーリヒのことは気にしていたし、彼女達を助ける手助けをしてくれたこともある。念のためここだけの話だと釘を刺した。
「もちろんです。絶対に誰にも言いません」
「アルマの為にもお願いね。……アルマは今、公爵家にいる。ついでに言うとアルマだけじゃなく、あの城で働いていた者達の中で希望した人達は全員ね」
「公爵家で匿っているってことですか?」
「というよりはヨハンがやっていたことをうちがしている感じかな。育成と斡旋。まだ新領主には彼女達の面倒を見るほどの余裕はないだろうし。もちろん、身の安全は保証してね」
「公爵家なら安心ですね」
「うちを信用してくれているんだ」
「公爵家というよりはエル様を信用しているんですよ」
「そ、その呼び名はここでは止めてよ」
「すみません」
「う、ううん。それでヴィリーには予定通り、アルマは亡くなったと伝えたよ」
「ああ。やっぱり」
エーリヒの反応におやと首をかしげる。
「もしかして、最近ヴィリーに会った?」
メーベルト城での一件以降ヴィリーはリポッソでの仕事は辞めたはず。元々仲が良かったとは言えない二人だからてっきりその後は顔をあわせていないと思っていたのだが。
「はい。用事があって先日ヴィリーに会ったんです」
「へえ……それで、どうだったの?」
「まるで別人のようにやつれ、この世の不幸を全て背負ったかのような顔をしていました」
「そう……」
想定内ではあった。ヴィリーに告げた時も受け止めきれていないようだったから。時間が解決するまではまだまだかかるのかもしれない。アルマにしていたことはともかく、彼のアルマに対する気持ちは本当だったと思うから。少しだけ罪悪感が浮かぶ。
「アルマは元気ですか?」
「手紙を読んだ感じ、元気にしているみたいだよ。毎日覚えることがいっぱいで忙しいらしい。それがありがたいとも書いてあったけど。公爵家のメイド教育はかなり厳しいからね。でも、身につけることができれば就職先に困ることはなくなるから」
「よかった。……忙しければヴィリーのことを思い出す暇もないでしょうし、アルマならきっとやりとげるはずです。これで、ヴィリーとは完全に縁も切れましたね」
心底よかったという顔をしているエーリヒ。
「意外だ」
「何がですか?」
「え、いや」
「遠慮せずに言ってください」
「そ、それじゃあ遠慮なく……エーリヒは何というかとっても心が広い人だから、彼のことも許していたのかと思っていたんだけど」
「まさか」
にっこり微笑むエーリヒにダニエルの顔が強張る。――――あれ? もしかして、想像以上にエーリヒはヴィリーに怒っていた?
「私はああいう人が一番嫌いなんです。当たり前のようになんでも自分の思い通りになると思っていて、思い通りにならないことがあれば力でねじ伏せようとする人が。しかも、自分に非があるなんてこれっぽっちも思っていない」
「……そ、そう」
気まずさを覚えて視線を逸らす。公爵家の末っ子という立場を持っているダニエルとしては耳が痛い話だ。エーリヒがそういう意味で言っているのかはわからないが、力というのは単純に腕だけではないと思っている。権力もその一つ。ダニエルがこうして事件の後処理をスムーズに行えたのもその力に頼ったから。家を出たくせに結局自分一人では対処しきれなくて家に頼ったのだ。
「あ、あの。一応補足しておきますが、力を使って人助けをすることは別ですからね。もちろん、それが空回ってしまうこともあるかもしれませんけど……少なくともエル様がそういう人ではないことはわかっていますから」
「ありがとう」
「いえ……」
余計なことを言ってしまったという顔をしているエーリヒ。けれど、そんなエーリヒにかける言葉も見つからず別の話題を振ることにした。
「話ってそれだけ?」
「あ、いえ。実は本題は別にあるんですけど」
「うん。何かな?」
「ここで働きたいんですけど、募集はしているんでしょうか?」
「え? ええー?!」
驚いて無駄に大きな声を出してしまった。喉が痛い。咳が出る。コーヒーを飲んで落ち着こうとして今度は舌をやけどした。
「だ、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫。でもリポッソは?」
「リポッソも続けるつもりです。……ですから、依頼が入った時や人手がない時だけこちらで働くという形にはなるんですけど」
ダニエルの眉間に皺が寄る。その表情を見てエーリヒの眉尻が下がった。
「やっぱり、ダメですか?」
「あ、いや。僕としては嬉しいんだけど、どう考えてもエーリヒにはメリットがないなと思って。まともに給料を渡せる自信もないし」
「別に給料はいりませんよ」
「それはダメだよ! そういうことはきちんとしないと。もし、前回のことで恩を感じているとかだったら」
「では、払える時にまとめて支払ってもらうというのはどうでしょう」
「どうしてそこまでして?」
「もちろん恩を返したいという気持ちはありますが、一番の理由はそれではありません。何度も言ったと思いますが、私がダニエルの下で働きたいと思ったからです。助手でも雑用係でも、宣伝係でも構いません。それに、私にもメリットはあります」
「本当に?」
「はい。前々から悩んでいたんです。リポッソにくるお客様は私との会話を楽しみにしてこられる方が多いです。その中にはアルマのように悩みを抱えている人もいます。けれど今まではその話をただ聞くことしかできませんでした。でも、ここならなんとかできるのではないかと……」
「つまり、リポッソの客をこちらに流してくれるということ?」
「流す、というか仲介ですね」
「なるほど……それは、いや、かなり助かる」
ダニエルが悩んでいた点もエーリヒの申し出を受け入れれば解消できるだろう。ダニエル探偵事務所の知名度が低いのはもちろんだが、仮に依頼したい悩みがあってもダニエル探偵事務所を訪れるにはハードルが高い。
――――裏商店街にあるいかにも怪しい事務所になんて僕も行きたくないもんな。
ダニエルはそのことに最近になってようやく気づいた。だからといって今の経営状況じゃあ移転はできない。そもそも、探偵に依頼しようと考えている人は誰にも知られたくない悩みを抱えている人がほとんどだ。場所はできれば今のままの方がいい。リポッソが表の窓口になってくれるのならばその点を解決できる。
「でも、エーリヒがこっちで働いている間、リポッソはどうするの? 誰か雇い入れるの?」
「はい。私がいない間はヴィリーに任せようかと」
「え?! で、でもヴィリーのことが嫌いなんじゃあ」
「嫌いですよ。だからこそ、私の目の届くところにいてもらうんです。アルマを思っている間はうちのお客様に手を出すことはないでしょうし、もし新しい相手が出来たとしても私が気づけますから」
「確かに……あ、そういえば聞きたかったんだけど」
「はい」
「アルマに髪留めをプレゼントしたのってエーリヒだよね?」
「はい。そうです」
「あれって……魔道具だよね?」
「ええ。物理攻撃を防ぐものです。ヴィリーのことを聞いてから心配だったので」
「だからか」
でも、エーリヒはそのことをアルマには伝えなかったのだろう。だから、大事にしまわれていた。
「……エーリヒってもしかして」
「はい?」
「あ、いや。なんでもない」
視線を逸らす。気になることはあるが、そのことについてはエーリヒではなく別のモノに尋ねないとわからない問題だ。正直に教えてくれるかはわからないけど。
「わかった。そこまで考えてくれているのなら僕も断る理由はない」
パッと表情が明るくなるエーリヒ。
「じゃ、じゃあ」
「うん。これからよろしくね」
「はい!」
「さっそく雇用契約書を書いてもらおうかな」
いつか必要になるだろうと用意していた紙の出番がようやくやってきた。内容を書き加え、エーリヒに渡す。エーリヒが書類に目を通し、サインを書き終えるまで待っていた。
「できました」
「ありがとう」
渡された書類を見てあれ?と首を傾げる。
「名前、間違っているよ?」
「いえ。間違っていませんよ。本名はエーリカっていうんです」
「え?! そ、そうなの?」
「はい。今までは吸血鬼たちにバレないようにと性別を隠してきましたから。本名を知っているのはダニエルだけですよ」
「え」
「特別です」
ふふと微笑むエーリヒ、いやエーリカを見て顔に熱が集まる。
「エ、エーリカ。よろしくね」
「はい。よろしくおねがいします。あれ?」
話が終わったタイミングで空気を読んだかのようにふわふわと光がエーリカの周りに集まり始める。それを見てエーリカは微笑んだ。
「皆さんにもお土産を持ってきました。どうぞ」
包み袋から出てきたのはいつものクッキーとパウンドケーキ。喜ぶように光が飛び回る。
「こいつらの分はよかったのに。対価はもう支払ったんだし」
「とんでもない。あれだけじゃ足りませんよ」
「そうかな~あいた!」
余計なことは言うなとでもいうように光がダニエルの髪の毛を四方からひっぱった。エーリカにはもう存在がバレているから皆したい放題だ。
エーリヒはくすくすと笑い、ふとある物を見つけて笑いを止めた。
「コレは」
足元に落ちていた手紙を拾い上げる。明らかに高級感漂う封筒。ダニエルは驚いた顔をして受け取った。
「ありがとう。落としたまま拾うのを忘れていたよ。実家からの手紙なんだけど、今回の件については前回の手紙で終わったはずだから後回しにしてたんだよね。多分、近況報告だと思うんだけど……」
封筒を開いて目を通す。
「……えーーーーー?!」
「ど、どうしたんですか?!」
「イ、イヴァン兄さんが婚約したらしい」
「そ、それはおめでとうございます?」
「いや、それがそうとも言い切れない話で」
「え?」
「結婚秒読みだった婚約者との婚約を破棄して、すぐに新しい人と婚約したって言うんだ」
「え。それはまさか……真実の愛に目覚めたとかそういうやつですか?」
エーリカの眉間に皺がよる。最近若者の間でそういう小説が流行っていることをエーリカも知っている。その小説に感化された一部の男達が真実の愛を理由に最低な振る舞いをしていることも。まさか、ダニエルにお兄さんも……?
「ありえない。あのイヴァン兄さんに限ってそんなことがあるわけがない。多分、何かあったんだ」
「なにか、ですか?」
「うん。サンドロ兄さんがそう言っているから間違いないと思う。サンドロ兄さんはとてつもない脳筋だけど、その分直観が鋭いというか、第六感が優れているんだ。サンドロ兄さんが怪しいと感じたのなら本当に何かあるんだと思う。あのサンドロ兄さんがわざわざ僕に帰ってきて調べてほしいと言っているくらいだし」
僕が外に出るのを一番に後押ししてくれたのはサンドロ兄さんだ。そんなサンドロ兄さんが僕にこういう頼み事をしてくる時は毎回僕の力が必要な時だった。
「早く帰らないと。ゴメンね。契約して早々申し訳ないけど、しばらく僕はいないから仕事は」
「それなら私も行きます」
「え?」
「これも探偵の仕事でしょう」
「いや、これはどちらかというとお家騒動」
「いいえ。調べて欲しいと書いているのですから、これも立派な依頼です。もちろん、分はわきまえた行動をします。あくまで助手として。できるだけ早く帰りたいんですよね? それなら尚更私を連れて行ってください。道中の用心棒くらいにはなりますから」
「そ、それは……でも」
「私も連れて行ってください。お願いします」
ぎゅっとダニエルの両手を握るエーリヒ。ダニエルの思考は止まった。
「……わ、わかった」
それを聞いてエーリヒがぱっと手を放す。それが残念だと思った自分が恨めしい。けれど、正直なところエーリヒがついてきてくれるのは助かる。それに……これは勘だがエーリカにはついてきてもらった方がいい気がする。エーリカの力が必要になるようなそんな気がするから。
「エーリカ。僕の助手として一緒についてきて」
「はい」
力強く頷いたエーリカの意志を、ダニエルの判断を後押しするように精霊達が飛び回る。その様子を見つめながらダニエルは拳を握りしめた。
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訳も分からないまま命を落とし、訳の分からない神様の手によって、別の世界の公爵令嬢・プリムローズとして転生した、美味しい物好きな元ヤンアラサー女は、自分に無関心なバカ父が後妻に迎えた、典型的なシンデレラ系継母と、我が儘で性格の悪い妹にイビられたり、事故物件王太子の中継ぎ婚約者にされたりつつも、しぶとく図太く生きていた。
そんなある日、プリムローズは王侯貴族の子女が6~10歳の間に受ける『スキル鑑定の儀』の際、邪悪とされる大罪系スキルの所有者であると判定されてしまう。
プリムローズはその日のうちに、同じ判定を受けた唯一の友人、美少女と見まごうばかりの気弱な第二王子・リトス共々捕えられた挙句、国境近くの山中に捨てられてしまうのだった。
しかし、中身が元ヤンアラサー女の図太い少女は諦めない。
プリムローズは時に気弱な友の手を引き、時に引いたその手を勢い余ってブン回しながらも、邪悪と断じられたスキルを駆使して生き残りを図っていく。
これは、図太くて口の悪い、ちょっと(?)食いしん坊な転生令嬢が、自分なりの幸せを自分の力で掴み取るまでの物語。
こちらの作品は、2023年12月28日から、カクヨム様でも掲載を開始しました。
今後、カクヨム様掲載用にほんのちょっとだけ内容を手直しし、1話ごとの文章量を増やす事でトータルの話数を減らした改訂版を、1日に2回のペースで投稿していく予定です。多量の加筆修正はしておりませんが、もしよろしければ、カクヨム版の方もご笑覧下さい。
※作者が適当にでっち上げた、完全ご都合主義的世界です。細かいツッコミはご遠慮頂ければ幸いです。もし、目に余るような誤字脱字を発見された際には、コメント欄などで優しく教えてやって下さい。
※検討の結果、「ざまぁ要素あり」タグを追加しました。

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
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スキル【レベル転生】でダンジョン無双
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そんな絶望的な状況下で、最弱のソロモーラーとしてダンジョンに挑み、天才的な戦闘センスを磨き続けるも、攻略は遅々として進まない。それでも諦めずチュートリアルダンジョンを攻略していたある日、一人の女性と出逢う。その運命的な出逢いによって辰巳のモーラー人生は一変していくのだが……それは本編で。
小説家になろう、カクヨムにて同時掲載
カクヨム ジャンル別ランキング【日間2位】【週間2位】
なろう ジャンル別ランキング【日間6位】【週間7位】
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