上 下
9 / 16
第一章

しおりを挟む
「何を、しているんですか?」

 自分でも聞いたことがないくらい低い声が出た。頭に血がのぼっているのが自分でもわかる。同時に、現状を冷静に把握しようとする自分もいた。

 ――――当たってほしくない予想が当たってしまった。

 エーリヒの部屋にはエーリヒ以外にもう一人いたのだ。この城の主であるヨハンが。突然現れたダニエルを見て、ヨハンが「おや?」とでも言うように首を傾げる。その表情すら腹立たしい。

「僕の従者から今すぐ離れてくれますか?」

 入口から見て反対方向を向いている一人掛けのソファーにエーリヒは座っていた。ソファーの背もたれから茶色い頭が飛び出している。ヨハンはエーリヒを逃がさないためか、両手をソファーのふちに突いていた。
 エーリヒが今どういう表情をしているかはわからないが、ヨハンを押し返そうとする手で拒否していることはわかった。

 ダニエルが口出すには充分だ。睨まれたヨハンは両手を上げ、素直にエーリヒから離れる。見られてはいけないところを見られたはずなのに余裕の表情だ。口角が上がっている。
 ダニエルはヨハンを見据えた。

「さあ、出て行ってください」

 出口を示すと、ヨハンがダニエルの言葉に意外そうに片眉を上げた。

「弁明もさせてもらえないのですか?」
その必要はありません」
「ふむ。『今は』ですか。エル様はリヒト君をとても大切にしているんですね」
「ええ。僕の従者ですから」
「そうですか。まあ、リヒト君の気持ちも固いようですし……いいでしょう。今宵は私が身を引きましょう」
「……それはどういう意味ですか?」

 眉間に皺を寄せ尋ねるダニエルにヨハンは肩を竦めるだけで答えようとはしない。苛立ちが募る。

「リヒトは渡しませんよ?」
「そう警戒せずとも大丈夫ですよ。リヒト君から言ってこない限り、無理矢理引き抜くようなことはしませんから」
「……そのわりに、強引に迫っているように見えましたが?」
「ああ。アレは内緒話をするのにちょっと近づいただけです。ねえ、リヒト君?」

 ――――あれがちょっと?! だいたい内緒話って出会ったばかりなのに何の話があるっていうんだ。

 イライラするがそれを態度に出すわけにはいかない。せめてエーリヒが助けを求めてくれたら。
 けれど、エーリヒはこちらを見ないまま頷いて肯定を示した。ヨハンが満足気に笑みを浮かべる。ダニエルは眉間に皺を寄せたまま溜息を吐いた。

「わかりました。今回は見逃しましょう。ですが、次はありませんからね」
「それはそれは、ありがとうございます。肝に銘じておきます。それではお二人ともいい夢を」

 にっこりと微笑んで出て行くヨハン。癇に障る男だ。わざとそういう風にふるまっているとしか思えない。

「はぁ……。大丈夫でしたか?」

 ソファーの前に回り、エーリヒの様子を窺う。俯いていたエーリヒが顔を上げた。

「っ」

 ダニエルはエーリヒを見て思考が停止した。
 お風呂上りだったのだろう。エーリヒは寝着一枚しか羽織っていなかった。髪はまだ湿っていて頬も微かに上気している。普段も魅力的だが、今はそれに艶やかさがプラスされている。つまり、色気がすごい。

 ソファーに座っているエーリヒはどうしてもダニエルを見上げる形になる。いわゆる上目遣い。眼鏡越しでもわかる長い睫毛は微かに震えていて、魔道具の効果でダニエルと揃いの茶色に見える瞳は若干潤んでいる。血色のいい唇は薄く開いて、ダニエルはその唇に釘付けになった。

「ぎりぎり、でした」
「ぎりぎり……なにがぎりぎり……ぎりぎり? 何かされたんですか?!」

 我に返ったダニエルが問い詰めるとエーリヒは首を横に振った。己の掌をじっと見つめ呟く。

「いいえ。ただ、もう少しで殴り殺してしまうところだったんです」

 残念そうな。ホッとしたような。どちらともとれそうな声色。
 物騒な発言だが、ダニエルはその言葉を聞いてホッとした。

「そうでしたか。どちらにしろリヒトが無事ならよかった」

 考えるよりも先に本音が口から飛び出していた。
 エーリヒが「え」と顔を上げる。慌ててダニエルは誤魔化すように微笑んだ。

「そ、それはそうと、バレませんでしたか?」
「あ、はい。それも大丈夫だと思います。エル様が絶妙なタイミングできてくれたので助かりました」
「よかった」
「……もしかして、エル様の方でも何かあったんですか?」
「え?」

 ギクリと身体を揺らす。

「ま、まさか。僕なんかに何かしかけてくるはずがないじゃないですか」
「本当に? 何かあったから気づいて助けに来てくれたんじゃないんですか? ……たとえば女性が送られてきたりだとか」

 ダニエルは完全に固まった。視線がぎこちなく空を泳ぎ出す。

「ま、まさかそんなことがあるはずが」
「あったんですね?」
「……はい。でも、断りました」
「本当に?」

 疑いの目を向けられ、ダニエルはコクコクと頷き返す。

「本当です。おそらく足止めの為に送り込んできたんでしょうけど、僕はそういうのには全く興味がないのできっぱり、はっきりと断りました! だからこそ、こうしていち早く助けにこれたんです」
「……それもそうですね。でも、やっぱり一発くらい殴っておくべきでした」
「ははは。まあでも、その力を知られていないというのはいいことです。切り札はいざという時に使うのが一番効果を発揮してくれますから」
「そう、ですね」

「確かに」とエーリヒは頷いた。ダニエルはゴホンとわざとらしく咳ばらいをする。

「それと、僕からも内緒の話があるんですが……近寄ってもいいですか?」
「はい。私からもあるので。……そっちのソファーに移動しましょうか」
「はい」

 一人掛けのソファーから三人くらいは座れそうなソファーへと二人で移動し身を寄せる。

 ――――僕の部屋にはこんなソファーはなかったのに。あのむっつりめ!

 ヨハンへの悪態を吐きつつ、ドキドキする己の心臓には気づかないフリをしてダニエルはエーリヒの耳に顔を寄せた。


 ◇


 雲一つ無い快晴。まさに観光日和だ。

「楽しみですねエル様」
「そうだねぇ。あ、ヤンちょっと」
「はい」

 離れたところで控えていたヤンを呼び寄せる。ダニエルは手にしていた観光パンフレットをヤンに見せて一点を指さした。

「予定変更で、今日はココに行ってみたいんだけど案内を頼めるかな?」
「それはかまいませんが、この場所は少し離れたところにあるのでしばらく馬車に乗ることになりますが大丈夫ですか?」
「離れたところと言っても領地内だ。移動に一日以上かかるわけじゃないだろう? なら大丈夫だよ。今日は身体の調子もいいから」
「かしこまりました。それではお時間もないですからすぐに向かいましょう」

 用意されていた馬車に乗り込む。ヤンは空気を読んだのか、一緒には乗らず、御者の隣に座った。つまり、車内にはエーリヒとダニエルの二人だけ。ヤンが一緒に乗るならそれっぽく見えるように演技をしようと思っていたのだが……どうしようかと悩んでいるとエーリヒの強張った表情が目に入った。

「どうしたの?」
「いえ……」

 視線を逸らすエーリヒ。よくよく見れば顔色が悪い気がする。ダニエルは顔を近づけ、小声で尋ねた。

「もしかして寝れなかった? 昨晩、僕が無理なお願いをしたから」
「いえ。それは関係ありません。……ただ、少々寝つきが悪かっただけです」

 やはり寝れなかったらしい。それならとダニエルは腰を上げた。

「到着するまでの間、寝ているといいよ。着いたら起こしてあげるから」

 返事を待たずにエーリヒの隣に移動する。強引にエーリヒの肩に腕を回して引き寄せた。

「え? あ、あの?」
「頼りない肩で申し訳ないけど、僕の肩を使って。壁に寄り掛かるのは痛いだろう?」
「そ、そんなことないです。自分は平気ですから」
「いいからいいから」

 身長差がほぼないとはいえ少しだけダニエルの方が高い。頭を肩に乗せるというよりはただ寄り掛かるようになってしまうが仕方ない。

「あ、あの」
「しっ……ちょうどいいからこのままで。それか、膝枕でもいいよ。エーリヒが寝やすいほうで」
「っ。そ、それでは、このままで」

 御者がいる小窓から視線を感じたのか、エーリヒはぎゅっと目を閉じ大人しくなった。話し相手がいなくなったダニエルは外の景色を見て気を紛らわせる。なんだか車内が暑く感じるのは気のせいだろう。


 ◇


「ここが例の観光スポットか」
「きれいですね」
「うん。空気も澄んでるしいいね~」

 両手を広げ深呼吸をするダニエルの隣でエーリヒは湖に目を奪われていた。
 その気持ちはわかる。
 森林に囲まれた湖。その水面には木々の隙間から差し込む光が反射してきらきらと光り輝いている。王都ではまず見ることができないような自然の美しさ。そのせいか、まるでおとぎ話に出てくるような幻想的な空間が出来上がっている。

 ただ、意外だったのはエーリヒもここにくるのが初めてだったということ。他国からきたとはいえ、モテるエーリヒのことだから誘われてきたことが一度くらいはあるだろうと勝手に思っていた。なにせこの場所はカップルに人気の観光スポットなのだから。

 ――――とはいえ、確かここも数年前までは魔物の住処だったはず。『今代の領主ヨハンが魔物を根絶やしにしてくれたおかげで動植物が増え、湖も綺麗になり、絶景の観光スポットになった』と聞いたけど……。

「ヤン」
「はい」
「リヒトとちょっと湖の周りを一周してくるからここら辺で待っていて」
「かしこまりました。必要でしたら小舟の用意をしておきますが」
「あーそうだね。せっかくだしお願いしようかな」
「用意しておきます」
「よろしく。それじゃあ、リヒト行こうか」
「はい」

 二人で並んで歩き始める。
 その背中をヤンはじっと見つめた後、小舟の準備の為踵を返した。

「……そろそろ大丈夫かな」
「だと思います」

 そっとエーリヒから離れる。といってもヤン達から見られた時に違和感を覚えられない程度の距離。

「なんかごめんね」
「何がですか?」
「なりゆきとはいえ、変な役回りをさせちゃったから」

 こんな地味な男の相手役なんて嫌だろう。エーリヒと自分とでは不釣り合わないことはわかっている。それでも昨晩のことを考えると、こうするのが一番だと思う。ヨハンを牽制する為にも。
 昨晩二人で話し合って決めたことの一つだ。

「とんでもない。むしろ役得ですよ」

 微笑むエーリヒを見て、ダニエルはつい遠い目になった。

 ――――僕にエーリヒの十分の一でも魅力があればなあ。

「あ、ちょっと、そこに立っていてもらってもいい?」
「はい」

 いつの間にか、半周程歩いていた。足を止め、ヤン達からは見えないようにエーリヒを盾にする。ダニエルはその場にしゃがみこむと少しだけ眼鏡をずらし、周囲を見渡した。精霊達へのは昨晩のうちに済ましている。あまり時間をかけずに情報を集めることができるはずだ。

「やっぱり」
「え?」

 ダニエルは眼鏡をかけなおし、立ち上がった。首を傾げるエーリヒににっこりと微笑みかける。

「お待たせ。行こうか」
「はい」

 エーリヒとたわいない話をしながら時間をかけて残りの半周を歩く。
 戻ってきた二人にヤンが駆け寄った。

「大丈夫ですか? 途中うずくまっていたようでしたが」
「あー……見えていたのか。一応隠れて休憩していたつもりだったんだけど。大丈夫だよ。いつもこんなものだから。すぐ体力が尽きて、すぐ回復する。リヒトもついてるからそう気にしなくていい」
「そうですか。ですが、メーベルト城に滞在している間は私にも教えていただけると助かります。お二人に何かあった時、ヨハン様に叱られるのは私なのですから」
「それはそうか。なら、次からはヤンにも伝えるようにするよ」
「よろしくお願いします」

 言葉とは裏腹にヤンの表情は変わらない。相変わらず無表情で、こげ茶の瞳は一切揺れていない。
 ――――エーリヒを見て人形のように綺麗だと思ったことはあるけど、ヤンはまた別の意味で人形みたいだな。

「小舟の用意は済んでいますが乗りますか?」
「もちろん。せっかくここまできたんだからね。リヒト乗ろう」
「はい」
「漕ぐのはどうしましょうか? 私が漕ぐこともできますがリヒト様にお任せしても?」
「あー」

 ちらりとエーリヒの顔色を窺う。――――この顔を見る限り頼んだ方が良さそうだなあ。普段引きこもり(設定)の僕の従者なら漕げなくても変じゃないし。

「ヤンに任せるよ」
「かしこまりました」

 舟に乗るのはいつぶりだろうか。少しワクワクしている。
 エーリヒは初めてだったらしい。眼鏡の隙間からきらきらとした瞳が見える。そんなエーリヒを見て、ダニエルの口元が綻んだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった

なるとし
ファンタジー
 鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。  特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。  武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。  だけど、その母と娘二人は、    とおおおおんでもないヤンデレだった…… 第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活

昼寝部
ファンタジー
 この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。  しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。  そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。  しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。  そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。  これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

テンプレな異世界を楽しんでね♪~元おっさんの異世界生活~【加筆修正版】

永倉伊織
ファンタジー
神の力によって異世界に転生した長倉真八(39歳)、転生した世界は彼のよく知る「異世界小説」のような世界だった。 転生した彼の身体は20歳の若者になったが、精神は何故か39歳のおっさんのままだった。 こうして元おっさんとして第2の人生を歩む事になった彼は異世界小説でよくある展開、いわゆるテンプレな出来事に巻き込まれながらも、出逢いや別れ、時には仲間とゆる~い冒険の旅に出たり 授かった能力を使いつつも普通に生きていこうとする、おっさんの物語である。 ◇ ◇ ◇ 本作は主人公が異世界で「生活」していく事がメインのお話しなので、派手な出来事は起こりません。 序盤は1話あたりの文字数が少なめですが 全体的には1話2000文字前後でサクッと読める内容を目指してます。

転生貴族のハーレムチート生活 【400万ポイント突破】

ゼクト
ファンタジー
ファンタジー大賞に応募中です。 ぜひ投票お願いします ある日、神崎優斗は川でおぼれているおばあちゃんを助けようとして川の中にある岩にあたりおばあちゃんは助けられたが死んでしまったそれをたまたま地球を見ていた創造神が転生をさせてくれることになりいろいろな神の加護をもらい今貴族の子として転生するのであった 【不定期になると思います まだはじめたばかりなのでアドバイスなどどんどんコメントしてください。ノベルバ、小説家になろう、カクヨムにも同じ作品を投稿しているので、気が向いたら、そちらもお願いします。 累計400万ポイント突破しました。 応援ありがとうございます。】 ツイッター始めました→ゼクト  @VEUu26CiB0OpjtL

性的に襲われそうだったので、男であることを隠していたのに、女性の本能か男であることがバレたんですが。

狼狼3
ファンタジー
男女比1:1000という男が極端に少ない魔物や魔法のある異世界に、彼は転生してしまう。 街中を歩くのは女性、女性、女性、女性。街中を歩く男は滅多に居ない。森へ冒険に行こうとしても、襲われるのは魔物ではなく女性。女性は男が居ないか、いつも目を光らせている。 彼はそんな世界な為、男であることを隠して女として生きる。(フラグ)

セクスカリバーをヌキました!

ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。 国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。 ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

ユーヤのお気楽異世界転移

暇野無学
ファンタジー
 死因は神様の当て逃げです!  地震による事故で死亡したのだが、原因は神社の扁額が当たっての即死。問題の神様は気まずさから俺を輪廻の輪から外し、異世界の神に俺をゆだねた。異世界への移住を渋る俺に、神様特典付きで異世界へ招待されたが・・・ この神様が超適当な健忘症タイプときた。

処理中です...