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 塚本の言葉に全員が表情を変えた。

 白金から見た『佐藤 姫』は『金持ちの親から甘やかされて育ったわがまま姫』だ。性格は歪んでいて、凶暴性も高いが、あくまで一般人。裏社会に属する人間では無い……と思っていた。

 それというのも、白金を刺した時……『佐藤 姫』は動揺していたからだ。刺してすぐに逃げたというのも、プロではありえないこと。

 だから、白金はその後『佐藤 姫』の素性について深く調べようとはしなかった。だが……名前も住所も全て偽装していたとなるとまた話は変わってくる。

 依頼内容によっては素性を隠そうとする人もいるが、『佐藤 姫』が依頼してきたのは『パーティーにパートナーとして出席すること』だ。そこまでする必要があったとは思えない。

 ――――素性を隠す理由……か。正直、嫌な予感しかしないが……。

 深入りは避けたいところだが、金子のことがある以上、そうもいかない。
 白金は俯き、唸り声を上げると頭をガシガシとかいた。そして、ゆっくりと顔を上げる。
 鋭い視線を塚本と田中に向けた。二人も白金を見つめて指示待ちをしている。

「『佐藤 姫』の素性については佐久間に調べてもらう。おまえ達も身辺には注意を払っておけ。何かあればすぐに連絡を」
  
 二人が心得ているように深く頷き返すと、今度は黒井に視線を向けた。

「大丈夫だとは思うが……黒井さんの周りを怪しいやつがうろつき始めたり、何か異変を感じたらすぐに俺か事務所に連絡をしてほしい」

 ――――一般人を巻き込むのは極力避けたいところだが、金子の件は黒井さん無しでは解決できない。だが、黒井さんが手を引きたいと言うんだったら……。

 という白金の心配は杞憂だったようで、黒井は特段怯えた様子もなく答えた。

「わかりました。その時はご連絡しますね」
「黒井さん。不安な時はいつでも連絡してきてくださいね! 俺が護衛しますからっ!」

 張り切っている田中に対して、黒井はさらっと返す。

「ありがとうございます。でも……田中さんは塚本さんの護衛を優先してください。私、こう見えて人間相手慣れているので」

 上品に微笑みながら物騒な発言をする黒井に皆固まる。いち早く平常心を取り戻した白金が咳払いをして立ち上がった。

「とりあえず、今日はもう解散しよう。黒井さんを家まで送ってくる。健二は香を頼む」
「はーい」
「え、所長、私は」
「さ、香さん。資料片付けましょ。俺も手伝うから」

 狼狽える塚本の背中を押す田中。その隙に、白金は黒井を連れて事務所を出た。

 ◆

 夜道を二人で並んで歩く。
 元々白金は田中のように自分から話題をふるような男では無い。その上、黒井とは十以上離れている。気心しれた塚本や田中相手なら話題が思い浮かぶが、ほぼ初対面の相手にいったい何を話せばいいのか見当もつかない。

 結局、黒井の家に着くまで二人は黙ったままだった。ただ、居心地の悪さは感じなかった。それというのも黒井が全く気にしている様子が無かったからかもしれない。

「ここです」

 足を止め、黒井が示した建物を見上げる。

「ここ……って」

 何十階あるかもわからないマンションを見上げて、白金は息を呑んだ。
 白金が住んでいるマンションもそこそこいいお値段するところだが、黒井の住んでいるマンションはそれよりも明らかに上だ。

 ――――億ションかよ。

 マンションを見上げるのを止め、黒井に視線を戻す。
 驚いたが……納得もした。
 浮世離れした美貌に目を惹かれがちだが、黒井の所作には一昼一夜では身につかない育ちの良さが滲んでいる。

 白金はちらりと周りを窺った。誰もいないことを確認する。
 億ション前、和風美人の女子大生、強面のおっさん。悪い意味で目を引く組み合わせだ。

 ――――誰かに見られる前にさっさと帰るか。

「それじゃあ」

 白金は早々にその場から立ち去ろうとした。が……

「白金さん。お茶だけでも飲んでいきませんか?」

 驚いて足を止める。振り返り、まじまじと黒井の顔を見つめた。その表情に変化はない。

 ――――社交辞令っていうやつか?

 白金がどう断るのが正解かと考え込んでいると、黒井が『ああ』という顔をした。
「一人暮らしですから、大丈夫ですよ」
「っ! いや、それは……」

 どういう意味での『大丈夫』なのだろうかと困惑する。
 けれど、黒井の表情からは思考が読み取れない。しばらく見つめあった後、白金はやけくそで頷いた。

「なら、邪魔するわ。ただし、茶はいっぱいだけな」
「はい」

 真顔で指摘する白金に、フフと微かに笑う黒井。思わずその笑みに目を奪われた。数秒もしないうちに黒井は無表情に戻り、背中を向けて歩き始める。白金は慌ててその背中を追った。

 先に中に入った黒井がコンシェルジュと何やらやり取りをしている。コンシェルジュの視線が白金に向けられた。白金は表情筋を動かし、できるだけ愛想良く頭を下げる。コンシェルジュはニコリと返し、視線を黒井に戻した。どうやら、通報はされないですむようだ。(当たり前だが)ホッとする。

「こちらです」

 黒井から促され、エレベーターに乗り込む。
 まるで、高級ホテルのような設備だ。

 感心している間にエレベーターが着いた。扉が開く。目の前には壁、大きな扉が一つだけあった。黒井がカードキーをかざすと、鍵が開いた。
 中に入ると、いくつもの扉。驚くことにこのフロア全部が黒井の家らしい。

 奥のリビングに通され、白金は促されるまま椅子に座った。
 しばらくすると、黒井がいれたてのコーヒーを持って現れる。

「砂糖やミルクはいりますか?」
「いや、ブラックで」
「わかりました」

 黒井が向かいに座る。
 先に黒井がコーヒーに口をつけた。次いで、白金も口をつける。鼻を抜ける、独特の匂い。舌の上に広がる苦み。程よい熱さ。無意識に感想が口から漏れていた。

「上手い」
「それはよかったです」
「ああ。……で? 何の話だ?」

 ソーサーにカップを戻し、白金は不躾に問いかけた。
 黒井も同じようにカップを戻した。伏し目がちだった瞼が開き、白金を捉える。
 ――――また、この感覚だ。思考が、奪われる。

「俊さんの件について、です」
「ああ」

 それは予想していたと頷き返す。黒井は申し訳なさそうに口を開いた。

「お願いがあるのですが……俊さんの心残りが解決するまでの間、俊さんを白金さんに憑けたままにしておいてはいただけないでしょうか? というのも、俊さんの希望でして、今後白金さんの迷惑になるようなことはしない。大人しくしておくからどうかこのままでいさせてほしいと……」

 白金の眉間の皺が深くなる。――――正直、さっさと離れてほしい。というのが本音だが。

「それは……なぜか聞いても?」
「もちろんです。俊さん曰く、今まで白金さんにご迷惑をかけたお詫びに白金さんの守護霊のお手伝いをしたい……と」
「なる、ほど?」

 ――――守護霊。いるのか。

 ちらりと、背後を見るが何も見えない。詳細が気になるところではあったが、とりあえず今はそれよりも先に確認することがある。

「もし、俺が断ったら?」
「私が俊さんをお預かりします」
「なら、そのままでいい」

 考えるよりも先に口から言葉が飛び出していた。
 ――――女好きの元ホストを黒井さんに憑けるくらいなら、俺に憑けといた方がましだ。

 わかりましたと黒井が頷く。

「あ、それと。私も『彼女『佐藤 姫』』に話しがあるんです。ただ、その話で彼女を怒らせる可能性があって……」
「ああ。その時は俺がついているから大丈夫だ。黒井さんは気にせず話してればいい」
「ありがとうございます。おいくらですか?」
「いい。それくらいのことで、お金は取らない」
「そうなんですか?」
「ああ」

 何故か残念そうな顔で財布を鞄の中にしまう黒井。白金はグッと眉間に力を入れた。
 ――――くそっ! 本当に何を考えているかわからねえ人だな。調子が狂う。

 心の中で唸っていると黒井が白金をじっと見つめて口を開いた。

「それでは、そのとってつけたような『さんづけ』はやめてもらえますか? あと、敬語も」
「は?」
「私は依頼者ではありませんし、白金さんよりも年下なんですから敬語は必要ありません。……ずっと違和感があったんです。……あ、もしかして、実はあんまり年は変わらなかったりしますか?」
「いや、一回り以上は離れているが……」

 白金が否定すれば黒井はホッとしたように一つ頷く。

「それならやっぱりやめてください」
「だが、俺は依頼する側だぞ?」
「私は気にしません。依頼と言っても私がしていることは白金さんのようなきちんとしたお仕事ではなく、お小遣い稼ぎのようなものですから。それに、白金さんは佐久間さんの知り合いですし」

 白金は一瞬無言になる。『きちんとした仕事』と言われて、どう反応すればいいのか迷ったのだ。結局、無理矢理話を変えることにした。

「佐久間と仲がいいんだな」
「ええ、まあ……仲がいいというかなんというか。幼なじみのようなもの……ですかね」
「そう、なのか」
「はい」

 そういえば、佐久間も元はいいところのお坊ちゃんだった。と、思い出す。

「じゃあ、遠慮なくそうさせてもらう。黒井も、気にせず俺のことは好きなように呼んでくれ。敬語じゃなくてもいいからな」
「はい。わかりました」

 ――――自分は変える気ないだろう。コレ。

 満足そうに頷く黒井に、苦笑する白金。
 金子は少し離れたところから、そんな二人の様子を、白金を、じっと見つめていた。

 金子の肩に手がのる。ビクリと身体が跳ねた。怯えたように、けれど救いを求めるように金子は顔を上げる。
 すると、この世のものとは思えない程の美貌の持ち主と目が合った。
 その時、後ろから伸びてきた白魚のような腕が金子の首に巻き付いた。耳元で囁かれる。金子は唇を噛み、目を閉じ、ゆっくりと頷いた。


 ◆


 佐久間は忙しい中、迅速に動いてくれた。一週間も経たずに佐藤姫の正体を突き止めてくれたのだ。
 その報告の為、白金の事務所に関係者全員が集められた。
 どこか、緊迫した空気が漂っている。

 佐久間は持ってきたノートパソコンを皆に見えるように向け、徹夜でまとめた資料を読み上げた。

「『佐藤 姫』、本名は『藤田ふじた 仁美ひとみ』 。母親はすでに他界。父親の藤田 啓吾けいごは表向き外科医として働いていますが、裏では佐藤組とずぶずぶの関係になっていて、専属の闇医者として働いています。藤田仁美自身は組に入ってはいないようですが、組員の何人かと関係を持っています。それでかわかりませんが、周りに自分はある組の姫だと匂わせをしている……という証言もありました」
「佐藤組の……ね。あいつらも組のやつか……」

 白金の頭に過ったのは、あの日追いかけてきた男達。

藤田仁美を聞いてくれる連中でしょうね。藤田仁美は過去に何度も問題を起こしていますが、毎回父親かその連中に揉み消してもらっているようですから」

 佐久間が頷く。
 田中が頬杖をつき、着飾った藤田仁美の写真を見ながら呟いた。

「綺麗な薔薇には棘があるってやつかあ……」
「健二君が怪我したいっていうなら私は止めないわよ」
「ちがっ! 香さん違うから。ただの言葉の綾だから!」

 塚本から冷たい視線を向けられた田中は必死になって否定している。
 そんな二人のやり取りを無視して佐久間が話を進める。

「それと、『金子 俊の死』についてですが」

 佐久間と白金の視線が交わる。
 佐久間は一瞬黒井を見た後、白金に視線を戻し、告げた。

「警察では人身事故として処理したようですが、実際は違いました。おそらく……組織絡みの犯行です」

 誰かが息を呑んだ。
 次の瞬間、部屋に置いてある小物が激しく揺れ、パリン! と照明が割れた。
 皆が動揺する中、黒井は立ち上がり、何もない空間を見つめる。

「落ち着いて、俊さん。大丈夫。大丈夫だから」

 全てをわかっていたかのように静かに金子に語りかける黒井。皆は黙ってその様子を見守った。
 揺れが、次第に納まっていく。皆、ホッとしたように息を吐いた。

 佐久間が持っているノートパソコンには藤田仁美の笑顔が映っている。
 白金はその顔を食い入るように見つめ、己の拳を握りしめた。
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