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バラが咲き乱れる庭園の奥に知る人ぞ知るガゼボがある。そのガゼボは王家の女性専用に作られたものだ。
他が豪奢なデザインのガゼボに対し、そのガゼボは人目を避けることを念頭に作られた。
周りの風景に溶け込むようにとガゼボの全体を覆うようにバラのツタが張り巡らされている。
その特別なガゼボにクリスティーヌは勇気を連れ出した。護衛もつけずに。

「ユウキ様」
「ん?」

バラの濃厚な匂いに気を取られていた勇気は名前を呼ばれてようやく気づく。いつのまにかクリスティーヌとの距離が数センチになっている。ドキリと胸が鳴った。
一つしかベンチがないとはいえこの距離は――――いいのだろうか。
今更になって二人きりだということが気になり始めた。
クリスティーヌはそわそわし始めた勇気からそっと身を引く。

「今日で訓練期間が終わり、明日から実戦に入ると聞きましたが本当ですか?」
「ああ、そのことか。本当だぞ。さっきマンフレートさんとギュンターさんから合格をもらったからな。それにしても、情報が周るのが早いな。それだけ俺が注目されているってことか」
「さすがはユウキ様ですわ。……ところで」

クリスティーヌは得意げに笑みを浮かべる勇気へと勢いよく顔を近づけた。
勇気は驚いて思わず仰け反る。

「ユウキ様にお願いがありますの!」
「お、おお。ちなみにどんな?」
「実戦で成果を上げていただきたいのです。できるだけ大きなものをたくさん」

鬼気迫る表情に戸惑う勇気。そんな勇気の様子に気づいたのか、クリスティーヌはそっと元の位置に戻った。
そして、悲し気な表情を浮かべて俯く。

「私には……婚約者がいます」
「え?」

突然の告白に勇気は一瞬呆け、そして次の瞬間青ざめた。そっと腰を浮かせて一人分の距離をあけようとする。けれど、クリスティーヌからじっと見つめられてそのまま腰を下ろした。身体は動かさずに視線だけを泳がせる。
――――誰も見てないよな? その婚約者にバレたら俺は間男として捕まるんじゃあ……。
昼ドラのような展開を思い浮かべてビクビクする。
けれど、クリスティーヌの次の言葉でそんな考えは消えた。

「彼……レン様は我が国で『(仮)勇者』として認められているお方です。そのレン様は我が国の人間ではありません。もし、彼が国を出たいといえば止める事はできないのです。そのため、私との婚約が結ばれました。万が一彼が国を出たとしても私を通して繋がりは保てますから」
「なんだよそれ……なんでそんな他人事みたいに……」

政略結婚なんてものに全く縁がない勇気からしてみれば理解できない話だ。

「仕方ありませんわ。私は王女ですもの。彼を愛していなくても、たとえ彼から愛されなくても国の為ならば結婚するしかない。……そう、思っていました。ユウキ様が現れるまでは」

クリスティーヌはじっと勇気を見つめた。その瞳には仄かな熱が宿っている。視線を逸らせない。

「ユウキ様は私が嫌いですか? ユウキ様の好みではありませんか?」
「いや、それは……好きか嫌いかと聞かれたら好きだが……。魅力的な女性だとも……思う」

日本でもそれなりにモテていた勇気だが、正直恋愛にはあまり興味がなかった。それよりも大切なものがあったから。でも、なぜか今は気持ちが揺らいでいる。
――――俺は、クリスティーヌに惹かれているのかもしれない。

「でしたら! どうかユウキ様がの『勇者』になってくださいませ!」

勇気の手を両手で握るクリスティーヌ。その手はクリスティーヌの胸元に引き寄せられ、……――――胸が! やわらかいのが当たっている! なんなら若干挟まれている!

一気に煩悩まみれになった勇気はそれ以上考える事を止めて頷き返した。その目にはクリスティーヌの胸しか映っていない。
これもクリスティーヌの計算内。内心ほくそ笑みながらクリスティーヌは勇気の耳元にそっと唇を寄せる。触れるか触れないかのところで囁いた。

「その時を楽しみに待っていますわ」
「は、はい」

やや前かがみになりながら頷く勇気。適切な距離まで離れたクリスティーヌはすでに淑女モードに切り替わっている。まるでキツネにつままれた気分だ。
クリスティーヌと別れた後のユウキは一日中己の手を見つめていた。すっかり大事なことを忘れたまま。


――――――――


勇気がクリスティーヌと親睦を深めていた頃、沙織は教会へと向かっていた。
沙織も勇気と同じくギュンターから合格をもらっていたのだ。とはいえ、沙織が扱う属性は特殊なのでギュンターから習ったのは魔法の基礎知識や初期魔法程度だ。 

これ以上は教えられないと言われ、教会へと引っ越すことになった。
元々沙織につけられていたメイドや護衛騎士はクリスティーヌのものだ。
教会に連れて行くことはできない。

残念だが彼らとはここでお別れだ。哀愁を漂わせながら馬車に乗り込んだ沙織。
彼らは見送りにきてくれた。少々感傷的になりながらも教会へとドナドナされる。

ただ、数分後にはそんなことを考える余裕すらなくなってしまった。

初めて乗る馬車の乗り心地は最悪だ。
簡単な治癒魔法を習得していたおかげで少しはマシだが、数分経つと再びお尻の痛みと吐き気が襲いかかってくる。

沙織は心の中で強く思った。
――――早いところ対策を考えなければ!
おそらく今後も馬車に乗る機会はあるはず。知識チートなんてベタな展開を望んでいるわけではないが、この馬車事情だけはどうにかしなければならない。私のお尻は繊細なのだ。

もう一度治癒魔法をかけなおして一息つく。
ふと頭によぎったのは勇気の顔。

「幼馴染なんてこんなものか……」

窓の外を見ながらぽつりと呟く。
見送りの中に勇気の姿はなかった。別にそのことに対して不満があるわけではない。ただ……何となく複雑な心境になったのだ。

日本にいた頃は勇気の執着心に辟易していた。
でも、それがこちらの世界にきてからは無くなって……嬉しいと思う反面、何故か落ち着かない。
何よりそう感じている自分に驚いた。なんだかんだ幼馴染の情は持っていたということだろうか。

何度目かもわからないお尻の限界が近づいてきた頃、馬車が到着した。
――――よかった。吐かなかったし、お尻もぎりぎり無事だ。
扉が開かれ、外から手が差し伸べられる。沙織はその手を支えによろよろと馬車から降りた。

ちなみに手を差し伸べてきたのはマンフレートだ。教会までの護衛を誰が担当するかという話になった時、沙織は最低人数で構わないと言った。それにクリスティーヌも同調した。
だが、結果的にはまさかのマンフレートとアルミンが御者と護衛を担うことになった。

騎士団長と副団長が同時に王城を離れてもいいのかと慌てて聞いたが、マンフレートは「たった数日俺達がいないだけで城を落とされるようなやわな鍛え方はしていないから安心しろ」と笑い、アルミンも「まったく、その通りです」と頷いた。
極めつけはバルドゥルの一言。

「これも教会に王家の力を示す為に必要なことなんだ。くだらない見栄張りに付き合わせちゃってごめんね」

バルドゥルの後ろでベンノが咳ばらいをしている。これ以上断っても無駄だと理解した沙織は黙って受け入れた。
クリスティーヌは不機嫌そうにそっぽを向いている。さすがにバルドゥルの決定に異論は唱えられないのだろう。

思い返せば、なぜか最初からクリスティーヌは沙織に対してあたりが強かった。
心当たりはある。むしろ、日本にいた時もこういうことはよくあった。
沙織としては『またか』といったくらいの認識だ。

ただ、勇気の様子だけが今までとは違った。
女の子に興味があるフリをしながらも、いざ告白されたらばっさりと振る。それが今までの勇気だ。
――――勇気って、ものすんごい面食いだったんだな。とクリスティーヌの横顔を見て思った。

「こっちだ」

マンフレートに手を引かれ、我に返って歩き出す。ふと気づいた。
どうやらマンフレートは沙織の歩幅に合わせて歩いてくれているらしい。――――意外だ。女性の扱いに慣れているのかな。
大柄なマンフレートとは基本的な歩幅が違う。もし、マンフレートが気を遣えない人だったならさっさと置いて行かれたか、引きずられていた事だろう。

そういえば以前『マンフレートは愛妻家』だという話を聞いたことがある。なるほどと納得した。
その一方で、後ろからは痛いくらいの視線を感じる。ちらりと見ると、アルミンと目があった。何か言いたいことがあるのだろうが、ここは無視をするに限る。
短い期間でアルミンがどういう人なのかは理解したつもりだ。


王城も立派だったが、教会も遜色ないくらい立派だと見上げながら思う。イメージしていた小さな教会とは全く違う。いわゆる大聖堂というものなのだろうか。
厳かにそびえ立つ建物を見上げていると、さりげなく手を引かれて促された。後ろから舌打ちが聞こえてきて、慌てて足を動かす。

中央の扉を通って、回廊を通らずにまっすぐに突き進んでいく。
楽しそうな声が聞こえてきた。
見たこともない程の大きな木が一本あり、その足元にテーブルと椅子がセッティングされている。
ティータイムを楽しんでいた男女が会話を止め、こちらを向いた。

そっと横のマンフレートを見上げれば、視線に気づいたのか小声で教えてくれる。

「聖女と(仮)勇者だ」
「ありがとうございます」

――――出た! 聖女と勇者! ……(仮)って何?

「マンフレート。その説明は雑過ぎないかしら?」
「まあまあ。自己紹介は自分ですればいいさ」
「それもそうね」

クスクスと笑い合う男女。聖女と呼ばれた女性は沙織と同じくらい背が低い。この世界にきて初めて自分と同じくらいの身長の人に会った。その隣にいる(仮)勇者と呼ばれた男性も他の人に比べたら小柄だ。なんとなくホッとした。

「あなたたちもこっちにいらっしゃいな」

手招きされた沙織は警戒心を抱くことなく一歩前に踏み出した。
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