内海 裕心

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俺はまた、怖い夢を見ていた。


俺は、目が覚めるとすぐに部屋の明かりをつけ、まぶたを擦った。

昔から怖い夢をよく見る俺だったが、最近の夢はどうも、これまでとは違い不気味で、おどろおどろしいものであった。

今朝見た夢なんて、恐ろしくてたまらなかった。俺は見知らぬ廃校のような、古い学校の薄暗く、長い廊下にいた。その廊下の闇の奥から白装束の長い髪の女が黒目しかない目でこちらをめ回し、不気味に口角を上げた途端、俺を追いかけてくるというものだ。俺は必死に逃げたが最後は尋常ではないスピードで追いかけてくる女に掴まってしまう。そこで目が覚めた。何よりも怖かったのがその廃校の様な学校の内部である。教室の窓には、不気味な葉の形をした蔦や蔓などが人間の血管のように張り巡らされ、廊下の天井と床下の隅は、どす黒い紫色のカビのような模様が着いていた。その奇妙な色彩が、恐怖を引き出していた。

その他にも、黒く細長い影(男?)がナイフを持ち、逃げても逃げても、追いかけ殺しにくる夢やたくさんの洋人形に囲まれて、その人形たちが口々に喋り、不吉に談笑している夢、魑魅魍魎ちみもうりょうな、頭は人間の頭蓋骨で、体は毛量の多い獣が色々と混ざっている、例を挙げると日本古来の妖怪であるぬえのような怪物が、頭を揺らしながら、街にいる市民たちを喰い散らかしながら、俺の方へ向かってくる夢などを見た。

そしてこのような怖い夢を頻繁に見るようになり、うなされて、よく眠れないことが多くなったことで、遂に生活レベルで支障をきたすようになっていた。

その夢で、さすがにどうにかしなければまずいと思った俺は、夢についてインターネットで調べるようになっていた。すると、夢日記、夢占い、明晰夢 めいせきむなどというワードがでてきた。色々なサイトを閲覧していく中で、1つ気になるサイトを見つけた。なんでもそのサイトによると、明晰夢を見ることで、夢の内容をコントロール出来るというのだ。俺はこれだ、と思った。俺の悪夢を明晰夢としてコントロールし、自分の思うがままにシナリオを描き、良い夢へと変えればいいのだ!

サイトには、「誰でも出来る!明晰夢の見方3選」とうたわれており、夢日記をつける、二度寝をする。レム睡眠時のタイミングで目覚める。とあった。
別に俺は、明晰夢が見たくて見る訳では無く、ただ悪夢を自分の都合の良い夢に変えたいていで見るので、二度寝をする、レム睡眠時のタイミングで目覚めるは実行外であり、夢日記を付けることとした。また、なぜ悪夢ばかり見るのか、夢の内容も気になっていた俺は、夢占いも始めた。

初めて数週間、夢占いに関しては、どのようなサイトを見ても同じ内容の在り来りな結果しかなかったが、夢日記に関しては、夢を見た内容を具体的に書き記していくことで、自分の夢の展開のパターンが見えてきて、があった。

するとどうだろう、知らず知らずのうちに、これは夢であると夢の中で知覚できることが増えてきたのである。
 
最近では、どのような夢でも夢の中で夢と認知できる明晰夢を見るようになっていた。そうなれば無敵である。悪夢も、夢なのだと分かれば、怖くはないし、これはあくまで自分の思考なのだから展開を変えればいい。

何ヶ月か前にみたあの白装束の髪の長い女がまた出てきた時、俺は動じなかった。彼女が前と同じように、こちらを睨め回して来ても、襲うように近づいてきても動じない。。俺は、焼けただれたような女の肌を優しく撫で、成仏してくださいと言った。すると女は光に包まれてゆっくりと消えていった。光の中、消えていく彼女は、生前の綺麗な姿へと戻り、優しいようなそれでいて悲しいような笑顔を浮かべていた。


この夢で、俺が悪夢を変えたという事実を証明するに至り、俺は、遂に、悪夢を克服したのである。


このように、俺は最近まで見ていた色々な怖い夢を明晰夢によって、完全に克服していった。心は、雷雲のように黒ずみ、どんよりとしたものでいつ嵐になってもおかしくないほどだったが、今では雲ひとつ無い、快晴である。物凄いカタルシスを感じた。もうこれで悪夢でうなされることは無いのだと思い、とても嬉しかったし、

その調子で俺は、久しぶりに、外へと出かけた。どれほど久しいか分からないが随分長い間、浴びていなかったお天道様が、ギラギラと光っていて、よりいっそう眩しく感じたが悪い気はしなかった。むしろ気持ち良い朝日だった。

こんな俺でも、何も予定が無くただ外に出るほどの馬鹿じゃない。怖い夢を克服したその日の夜、中学時代付き合いがあった友人と導かれるように久しぶりに合わないかと連絡を入れていた。

すると直ぐに連絡が返ってきた。友人は、もう1人中学の頃仲良くしていたやつを連れてきていいかと、条件を出した。俺は、その人の名前を聞いてもピンと来ず、どのようなやつだったかも覚えていなかったが、唯一無二の友人の頼みであるし、承諾した。

俺は待ち合わせの駅に15分前に着き、友人は待ち合わせの駅に、15分遅れて到着した。こやつのマイペースぶりは、今も尚、健在であることが証明されて、呆れたが、友人が変わっていないことにほっと胸を撫で下ろした。
ただ疑問に思う点がひとつあった。友人が条件として出していた連れが居ないのである。

俺はその事を友人に尋ねると、なんでも急な予定が入ってしまったらしく、来れなくなってしまったらしい。俺としては、覚えておらず、ほぼ初対面と変わらない相手であり、上手く会話ができるかも分からなかったので、それは残念だったなと上辺だけを装い、心の中では安堵していた。

俺は質問責めになり、悪いと思いつつ、その人のことについても聞いてみた。すると友人は覚えてないのか?マジで!と目を見開き、驚いた様子だった。それほど印象の強いやつだったのだろうか、、俺は俺が思う以上に忘れっぽい性格であるかもしれない。そう言うと友人は、まぁ顔を見れば思い出すんじゃないかと軽く笑いながらフォローしてくれた。

友人との久しぶりの交友はとても充実して楽しかった。色々な話で盛り上がり、世間話(俺が悩まされていた夢の話)もした。

特に印象に残ったのは、友人の会社に最近、新しく転勤してきた上司がいるらしく、その上司に悪い意味で気に入られたようで、結構いびられているらしい。俺はこのような話を聞く度に、喉が詰まり、心臓をキュッと握りつぶされたような感覚になる。しかし友人の方が余程大変なのは明白である。

ふと時間を見やると9時40分、これほどまでに時間の流れの早さを実感したのはいつぶりだろうと思った。夕食を食べ終わり、俺たちは駅で別れた。また会えるとき、ちょくちょく会おうと約束して。(ちょくちょくというよりも、その後、数日連続で友人とは遊びに行くのだが。)

帰り道、街の街灯は、今まで感じたことがなかったほどに綺麗に見えた。夜風が少し冷たかったが、とても気持ち良かった。

俺は、怖い夢を見ていた時生活は荒れていて、引きこもりがちであったがその悩みからも解放され、このような充実した日々が訪れるのだろうと本気で思っていたと思う。そして無論願っていた。


しかし、それが叶うことは無かった。


その数日後、あるいは1週間ほど後か、また俺は怖い夢を見た。見知らぬ男が俺を殺しに追いかけてくるという夢だ。最近見ていた恐ろしい夢とは違い、妙にリアルで、現実にどこにでも居そうな顔をしていた小太りのそいつ(動物で表すとウシガエルのような見た目)は、なんの前触れもなく俺の家の近所ですれ違うと追いかけ回して来たのである。

いつものパターンと違い、一瞬ゾクッと身震いするも、これがであり、夢の中と気づいた俺は、早速この夢をコントロールしようと試みた。だが、何度自分の都合の良い展開を、思っていても、変わらない。状況が良くなるどころか、どんどんやつに追い込まれていった。俺は、逃げる、焦る、逃げ惑いながら、なぜだ、なぜだと思考にならない焦燥の感情をめぐらせながら、逃げる。しかし、結局、やつに捕まってしまい目が覚めた。

すぐに、俺は、部屋の明かりをつけた。「なんだったんだ」と口に出したかったが声すら出なかった。全身に生温いじっとりとした脂汗をかいていて、呼吸は乱れていた。ただ、サイトには明晰夢でも、夢をコントロール出来ないことがあるということが書いてあったのでその夢はとてもリアリティがあり怖く焦ったが、特には気にしてはいなかった。


しかし、次の日、また次の日と、そいつに追いかけられる、もしくは殺されかける夢を見るのだ。ほぼ毎日見ていたように思う。また、最初見た時と同様に、俺はこれが夢であるとわかっていても、この夢の展開を変えられなかったのである。

さすがに俺はおかしいと思った。

そして、これはでは無いのだと気づいた。
またも、俺は夢に悩まされるというのか。ようやく自分の手で、光を掴みとった矢先に一瞬にして暗闇に引きずり込まれるとは。俺の今の気持ちは、どん底で、真っ暗闇の中に居た。

俺はいてもたっても居られず、友人に連絡していた。また夢を見るようになってしまった。しかも今度は、また別の、何か特別な夢であると。焦燥感に駆られた俺の乱文は、友人も困惑し、伝わらなかったかもしれない。最近はよく、メールで連絡を取り合っていたもののこのような荒れた文章を送ったのは初めてである。

結局、友人からの返事は数日後となり、大丈夫か?力になれることがあれば言ってくれ。また暇な時会って話そうと送られてきた。

寝ることが怖くなってしまった俺は、一日をただ呆然と眠らずに過ごした。しかし、腹だけは減る。午後5時間50分、ちょうど夕飯時を迎えるが、なにか調理する気力もない、俺は戸棚を開き、カップラーメンを探したが、ちょうど切らしていることが分かり、絶句した。今ある材料で何かつくるか買いに行くかの二択を迫られ俺は、近所のスーパーへ買いに行くことにした。

夕飯時もあってか、よく混むスーパーもあまり混んでいなかった。会社員はやけに多いようだが。

さっさと帰ることが俺の何よりの目的であり、すぐさまカップラーメンコーナーへと向かい、テキトーに数種類のカップラーメンを無造作にカゴへと放り込んだ。

すると、後ろから誰かに呼び止められ、肩を叩かれた。振り向くと買い物かごを持った俺よりも年上に感じられる少し老けた顔立ちの男がたっていた。

俺はその男の顔を見た瞬間、全身寒気が走り、鳥肌が立った。

どこか見覚えがある、そうだ、夢で見たあの男に少し似ているのだ。体型も同じ小太りだ。だが、少し違う。同じ一重で細い目には変わりないが、夢にいたあいつは、もっと目がつっていて、有無を言わさないような脅迫地味た圧力のある無機質な真顔だった。それに比べこの男は、そいつに似ているものの雰囲気といいオーラといい柔らかいものを感じさせ、目もつり目と言うよりむしろタレていた。

恐怖で何も口を開くことができない俺を尻目に、その男は俺に向かって、噂聞いてますよ、と話しかけてきた。
俺は男のことは知らなかった。見覚えは夢であったあいつに似ているくらいで現実ではこのような顔の人にあった記憶が無い。彼は...さんですよね?と聞き返した後、名前を名乗った。ハセガワというらしい。名前に聞き覚えはなかった。

彼は名前名乗った勢いで話を続けた。なんでも、俺の唯一無二の友人の知り合いだという。そこで俺はピンと来た。彼は友人が前に連れてこようとしていたやつではないかと。俺はそれを唐突に彼に問いただしていた。余裕がなかったのだと思う。なぜなら、彼がもし、友人の連れであったとしたら過去に出会っている。つまり、俺の記憶の片隅にあり、彼を連想し、夢を見てしまったということだ。なにか俺と彼との心中に深い溝があるに違いない。しかし、返答は予想していたものと違った。男は初対面と言った。友人とは職場で出会い仲良くなったという。俺の顔は友人から、昔遊んだ写真をよく見せられていたから、分かり、声をかけたらしい。


俺は混乱していた。ならなぜ彼が夢に出てきたのだ?いや、まず夢に出てきたのは本当にこの男なのだろうか?この男だとしたらどうやって?彼ではなかったら夢の男は一体誰なんだ?いろいろな思考が頭の中で何十週もして、俺の感情を恐怖と困惑と焦燥のくすぶった色の絵の具を混ぜた濁った気持ち悪い色をしていた。

俺は会話どころでは無くなって、彼との会話に集中できず、あいずちを打つことしか出来なかった。心ここに在らずの状態で、いつの間にか彼がもういなくなっているのにも気づかなかった。

夜になり、寝る時間となった。

俺は今日の出来事、あの男とのことを思い返していた。

あの恐ろしい夢をもう一度見たいなどとは決して思わないが、あの男が夢の男と同じなのか確かめたい気持ちはあった。
これが怖いもの見たさというものなのだろうか、俺は初めてその感情を抱いたきがした。

いつの間にか朝になっていた。俺は眠気眼を擦ったが、まだ瞼は思うように開かなかった。しかし時刻を見やると、もう午前10時を回っていた。

結局、昨日の夜は、あの忌々いまいましい悪夢どころか、夢すら見なかった。いや、それは喜ばしいことなのだが。どうせそんなことは起こらないだろうとペシミズムな思考でいたが、それを裏切ってくれるとは思いもよらなかった。


この日から1週間近く、あの悪夢を見ることは無かったのである。


そして、、俺は気が乗らないものの、また食料がそこをつき、近所のスーパーへ買い出しに出かけた。
すると、また奴がいるでは無いか。俺は見つからないように横目で彼を見ながらすぐに別の商品コーナーの棚へ隠れようとしたが、時すでに遅く、捕まってしまった。

彼は異様にテンションが高く、俺とまた会えたことを喜んでいるようだった。話したいことがいっぱいあると言わんばかりに、お預けが解かれた犬がドックフードをガツガツと勢いよく食べるように、まさに食い気味で色々な話を振ってきた。俺はそんな彼を見て吐き気を催すほどに、気分は、気持ち悪くなっていた。しかし勢いに負けて話さざるおえなかった。

話していくうちに、こいつは思った以上に友人のことを知っていると思った
。俺と同じほど、いやそれ以上の仲なのだろうか、友人が知られたくないと言っていた話題についても知っていた。俺は相槌が多かった気がしたが、話が盛り上がって冷めないから、お茶しないか?と申し付けて来た。俺は断れなかった。残念なことに断る勇気なんて俺には微塵も持ち合わせてなかった。

彼はオシャレな隠れ家のようなカフェなんだと言い、小洒落た喫茶店へ案内していた。この街にしかもこんな近所にこのような店があったなんて、、、なぜ今まで気づかなかったのだろう。角に奥まった場所に店を構えているこの場所は、まさに隠れ家だ。

店内へ入るといかにもマスターと呼ぶにふさわしい白髭を生やし、丸眼鏡をかけた還暦の男が迎え入れてくれた。男は酒を頼んでいた、俺は酒に詳しくないので男が何を頼んでいるのかわからなかった。俺は適当にアールグレイでも頼んだ。男はすぐに酔って、さっきスーパーで話した友人の話とは違い、世間話や趣味の話を始めた。思いのほか価値観や嗜好が合い、彼の滑稽な話し方も相まって、思わず俺もその話に乗っかって色々な話をしてしまった。俺は会話を楽しんでしまっていた。

数時間経っても話は尽きるどころか盛り上がっていた。しかし、もう夜ご飯時なのでと彼が切り出し解散した。
家族がいるのだろうか。プライベートのことに干渉するのはどこか気が引け、気になってはいたものの聞き出せなかった。そのようなことを考えているうちにあれはいなくなっていた。代金はどちらが払ったのか、それとも割り勘なのか。俺はそれすら覚えていなかった。

翌日も悪夢を見ることなく、快眠だった俺は、気持ちの良い朝を迎え、早起きであった。
時刻を見ると午前7時30分であり、いつもなら、今までなら、まだ悪夢で魘されている頃だろうと思い耽っていた。
着替え、朝食を作り、食べ、ようやく活動休止といったときに、空気を切り裂くように、家中に、


「ピーンポーン」
 

というインターホンの無機質で甲高い音が響き渡る。

何か嫌な予感がする。正直出たくなかったが、俺は、ベットから出て、インターホンへと向かう。

インターホンを見ると、インターホンの前には、彼、ハセガワが立っていた。


嫌な予感は見事に的中していた。楽しい話をしたとはいえ、俺は奴への警戒心は未だに解けていなかった。
俺は勇気をだしてインターホンの通話ボタンを押した。ドアを開けると彼は躊躇なく玄関へと上がってきた。

昨日ぶりですね、昨日は楽しい話ありがとうございますと丁重な挨拶をした後、まるで人格でも入れ替わったかのように、友人の話を笑いながら始めた。このように俺の出方を伺わず、強引に話をもちかけてくる彼が俺はとても嫌いだっ
た。

話によると、彼は友人と連絡は取り合っているものの、最近は仕事の都合などで忙しく、会えていないらしい。俺もあれから友人とはあえていない。そこでちょうどいいじゃないかと彼は、突然閃いたように言った。つまり、最近会えてないのなら、3人で会う機会を作ろうということらしい。なにか裏があるのではないかとは勘繰かんぐったが、結局、会う予定ではあったのだし、俺も友人に会いたかった。俺は軽い気持ちで、そうだなと話に乗った。

ハセガワとの話は、かれこれ何時間だったかも覚えていない、酒を飲みながら、メシを食いながらだったろうか。その記憶も曖昧で、夜遅くまで話していたように思える。

翌日俺は早速友人に電話をかけた、ハセガワが今度一緒に3人で出かけないかと
持ち出してきたと、実に友人にハセガワことを話すのは、これが初めてである。友人は、軽い相槌を打ちながら、俺の話を聞いていた。どちらの商品が優れているのか品定めをする商売人のような、疑問詞めいた相槌であった。いつもの友人なら俺の長ったらしい中身のない会話に、おどけた抑揚のあるキレのいいツッコミを入れてくるところだが、それがない。ただただ黙って含みのある相槌を打っていた。俺が、そういうことだから3人で行かないか?と最後の一文を言いかけたその時、友人が初めて口を開いた。


「なぁ、ハセガワって誰だ?」


この友人の一言で、一瞬にして、辺りの空気が凍り、俺は言い表しようのない、寒気を覚えた。鳥肌が立って、奥歯はガチガチと鳴り、心臓の音は、バクバクとふたつが共鳴し合っていた。脳内ではこの言葉が何回も再生され、じんわりと、じっとりとした生温い汗をかいていく。声にならないような声しか出なかった。

すると、友人はこう言った。俺にハセガワなんて苗字の友達なんて一人もいないぞ?どういうことなんだ?お前誰かに騙されてない?もしそんなこと言っている奴がいたとしたら、誰だって言うんだよ。

それは俺が聞きたかった。まさか友人の友達だと思っていた奴が、全くの赤の他人で、そんな赤の他人と俺は出会い、何度も、談笑していたなんて。しかも、友人の話題で、、、。

とても恐ろしかったが、そんな感情は次の友人の言葉ですぐに消し去られた。

友人は、話を続ける。待てよ、、お前確か、明晰夢を見るって言っていたよな?俺は小声で頷く。これは俺が友人と会った時に話した内容だ。もしかしたら、なんだが、お前は夢と現実の区別がつかなくなっていたんじゃないか?そのハセガワってやつは、本当は存在しないんだよ。つまりだな、 


俺は驚愕し、納得した。


そして今、やっと理解した。これまでのハセガワとのやり取りの記憶、全てが夢であったということを。

友人は話を続けた。お前の言ってた、明晰夢だっけ?一応俺も気になってさ、調べてみたんだよ。確かにお前が言っていた通り、夢の中でこれは夢だと認識できるから、夢をコントロールできるそれは間違いではない。だけどな、夢日記を付けること、夢を思い出すことによって、、お前このデメリット知らなかったのか?

もちろん知っていた。そのようなデメリットがあることも。でも目を逸らしていた。自分は決してそうはならないと。何か心の中で、勝手に確信していた。もしくは余裕がなかったのかもしれない。そのリスクを考慮するよりも、リスクを負ってでも何とかして悪夢を消し去りたい、そんな想いだったような。もう遠い昔のことのように感じられ、あの時の思考が俺には分からなかった。そしてまんまといつの間にか夢での出来事を現実として記憶に保存していた。妙にリアリティのある夢であっただけに、そうなるのは容易のことだったが、今思うと、細かい夢の内容は、矛盾する点は多かったように思う。

記憶を整理し、これまでのことを振り返り、ようやくこのような衝撃的な事実を受け入れ体勢ができた俺は、情緒が安定し、地に足が付き、世迷言を言って悪かったと友人に謝罪した。友人は優しく、謝らなくていいからな、何か病院でも行った方がいいのではないかと心配してくれた。しかし俺はもう大丈夫だから、と断った。そして会うのはやめて、休んだ方がいいと言われた。

俺は、なぜだか分からないが、無性に友人と会いたかった。どうしても会わねばいけない気がして、いや、会おう。なんなら明日暇だから合わないか?都合はどうだ?と聞き返していた。でも友人は、仕事が佳境に入り、大事なプレゼンの準備があって今忙しい時なので済まないが会えないと、歴とした理由で断られてしまった。

それでも俺はどうしても会いたくて、そこをなんとかと懇願するところだったが、友人はその後に、俺も会いたい気持ちは山々で、お前のことが心配でたまらないという俺の身を案じ、気にかける優しい言葉を続け、俺は何も言い返すことは出来なかったのである。

俺は気持ちが晴れずに眠れなかった。最近見ていなかったと思っていた悪夢(現実だと思っていた最近の夢は怖い夢ではないので、悪夢と言うべきではなく、あの男と言うべきかもしれない)は、今までも見続けていたのだと分かると、忽然こつぜんと恐怖と不安というとした影が俺の心の中に、忍び寄ってきて、その影で満たされてしまう。その影はやがて心臓から身体中に広がっていき、全身を麻痺させていった。

結局朝もしくは昼だっただろうかそれほどまで、俺は、放心状態だった。睡眠欲はもちろんあったものの、体は影に支配されたままで脳内でさえ、虚ろになっていたのである。

しかし、それも時間が経てば、消えていく。身体全身を満たしていた影は抜けていき、麻痺は解かれ、正常な脳みその働きを再び手にした時には、もう無意識下で脳は第一次欲求の睡眠欲を満たそうと指令を出して行動に移していた。つまり気付かぬうちに、俺は眠っていた。

そして夢を見た。薄暗い闇の中、ひとつの大きな影が浮び上がる。あの男だ。後ろ姿だが、あの少し猫背で、ずんぐりとした体型はやつしかいない。そしてその影は、ゆっくりと、俺の方へ振り向いて、こう言い放った。


「もう今日で最後だよ、、ひひひひひ。もう出てこないから、安心しなよ。良かったねえ。」


今でも、この声が耳に嫌に残っている。夢で聞いただけなのに、妙に脳内にへばりつき、声がリアルに再生される。この声は、嫉妬や恨みの衝動に駆られた人間が発するような、怨声に似た、ねっとりとドロドロした、心底、気持ちの悪い声だった。

その言葉通り、その日以来、奴が夢に出てくることは無かった。

結局やつの正体は誰で、なぜ俺の夢に出てきたか、そしてなぜいきなり夢を見なくなったのか、全くもってわからなかった。

しかし、思いもよらない形で俺はやつの正体を知ることとなる。

あれから3週間ほどたったのだろうか。悪夢を見ることすら無くなっていた俺は、夢の男の正体などどうでも良くなっていて忘れていた。そんなことは早く忘れたかったのかもしれない。悪夢を見ていた時、引きこもりがちになっていた反動だろうか、最近は、毎日出掛けるようになっていた。1人でも家族とでも。ちょっとした買い物や、娯楽施設などに気分転換をしようと。

唯一、残念なのは、あれから友人と連絡が取れていないということであった。

メールを送っても既読無視であり、俺は少しだけ嫌な予感がして、電話を何回か掛けたが返ってくることは無かった。そしてある晩、その日も、夕方まで遊びに出掛けていて、充実した一日を過した俺は、家に帰ると乱暴に投げつけられた衣服ように、ソファーにばたりと、もたれ掛かり、テレビをつけた。

テレビは、ニュース番組がちょうどやっていてちょうど何かの事件の報道で、事件現場から生中継していた。強盗?いや殺人事件だ。俺はその現場に目を疑った。

そこは、俺の家からは少し遠いものの、いつも中学を通う時に通っていた通学路によく見ていた家だったのである。古い造りの大きな家で家の庭には雑草が生い茂り、家は所々に錆が入っていたことから魔女や山姥でも住んでいるのではないかとよく中学で話題になっていたから覚えている。

俺はそのような懐かしい記憶を再生しながらこのニュースに聞き入っていた。今では、その家は多くの警官に囲まれ、KEEPOUTと書かれた黄色いテープで規制線が張られていた。

そして、次の瞬間には、天と地がひっくり返るような衝撃の事実が告げられた。

「この事件の被害者の名前は、△△に住む〇〇さんで~、」

俺は耳を疑った。鼓動は、異様な速さで脈打ち、呼吸をすることすらままならない、 これは何かの間違いである、そうに違いない。きっと幻聴が聞こえたのだ。

俺の頭は事実を理解することを拒絶していた。しかし、ニュースは無慈悲にも被害者の名前を繰り返し、これは幻聴ではない、現実を受け入れろと俺を強迫してくる。幻聴でもないとすれば、そうじゃなければ、、もう、これこそ夢なのだ。夢に違いない。夢であってくれ。強迫され、自分に言い聞かした言葉は、願望へと変わっていった。

今まで俺は散々な悪夢をたくさん見てきた。そして悩まされてきた。精神まで病んでいた。でも、俺にとってこれが一番の悪夢となった。唯一無二であった友人が死ぬこと、そして何よりこれが現実に起こったことであることが、これほどまで恐ろしく、絶望的で、救いようのない悪夢だとは。

これまでの悪夢で悩まされていた自分のことを馬鹿みたいに思うほどに、それほどまでにこの悪夢は今までとは比べ物にならないくらい、比べるようとすることすら、お門違いであると感じさせるくらいの絶望と恐怖を俺にもたらしたのであった。

悲しみの感情がやってきたのは、数時間経ってからである。俺は、事実を受け入れるまでに数時間も必要とした。その時間で俺は、これが夢である、いや夢でないと独りよがりの自問自答を繰り返し、夢でないのなら、なぜ!なぜ友人が殺されなければならない!と憤怒の感情をただただ心の中で自分自身へぶつけていた。最後に悲しみの感情が訪れた時には、情動の波はおだやかになり、涙は出なかった。涙が出る機会があったとすれば、このニュースを聞いた瞬間の感情が昂った時だったろうが、その時は、衝撃が強く、悲しみの感情よりも、驚きや恐怖の方が強かったので泣けなかった。


俺はその日から、生きた屍のように、抜け殻のように、そして亡霊のように、放心状態で生きた。視界は歪み、かすみ、白い靄がかかり、ぼやけていた。生きた心地がせず、時間の流れを感じ取ることが出来ない。何も無い空白の閉鎖空間に閉じ込められたような気分だった。そんな日々は、友人の死を実質的に肌で感じるまで続いた。俺は、友人の死をずっと受け入れられなかったのである。
その日々に終わりを告げる日は、友人の葬式であった。

葬式に参加した俺は、友人の笑顔の遺影と、棺に入った友人を見て、泣きそうになった。

そこで俺は初めて友人の死を受け入れ、実感した。友人は慕われていたのか。葬式の参加者は多く、見ない顔ばかりであった。周りを見渡して、知っている顔は友人の母親くらいだろうか。

葬式は、静かにゆっくりと進められていった。ようやく時間の流れを肌で感じとることが出来るようになった俺は、少し退屈だなと思った。

そんな時、肩を叩かれた。その肩の叩かれかたは、どこかで体験したような気がした。


振り向くとそこには、 がこちらを奇妙で醜い笑顔を浮かべながら俺を見ていた。


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