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第76話『捧げたい』
しおりを挟む俺は目の前の彼女が、どんな魂胆なのかわからなかった。
だって、ただ無償で俺を救いたかったはずないでしょ?
魔女も魔法使いも強欲なのに‥。
なんで受け取ってくれないんだろう。
契約する価値すら、俺にはないのかな。
「私はいつまでもここにいれるわけではありません。継母を殺してしまっては、貴方がのちのち苦しむことになり兼ねない‥
‥だとしても、私はまんまと‥」
そう言って、彼女はまた頭を抱える。
「‥‥ねぇ、俺‥知り合いなの?」
じゃなきゃあり得ない。
突然現れて、突然こんなことになって。
「‥‥‥」
彼女は気まずそうに口を噤んだ。
ああ、どうしよう。
こんな状況なのに‥この人が愛おしくて仕方がない。
初めて受ける、無条件に注がれる想い。
「‥なんで俺の今後まで心配してくれるの?
どうして俺から何も取らないの?」
「‥‥」
むしろ捧げたい。
今死んでも構わないんだ。
だって今俺は、こんなにも満たされてる。
「貴方は‥‥」
彼女が伏せ目がちに呟く。
ここにいれないといった彼女は、きっと俺の前から消えてしまうんだ。
俺に価値があれば。
‥もっともっと位の高い貴族の息子だったら違ったかな?
爪の先だって、興奮気味に動き続けるこの心臓だって。代償は本当になんでも良いんだ。
側にいて欲しいのに。
一生駒でも、例え非常食だとしても。
それでも良いのに。
どうして消えてしまうの‥。
「‥‥貴方は、この先‥とても大切な人と出会います」
「え‥?」
「っ‥。その人は、貴方の兄のような存在で‥
貴方はその人をきっと心から大切に想うでしょう」
俺は、ただただ彼女の言葉を一語一句聴き逃すまいと神経を集中させていた。
「でも‥その大切な人は、消えてしまうんです」
「‥ねぇ、なんでそんなことがわかるの?
まるで未来を知ってるみたい」
「‥‥それが、どれほど辛いか。
そして、明日以降の貴方がこの先どれほど辛い思いをするのか‥」
「‥‥」
「想像を絶する程でしょう。
‥でも、酷なことを言いますが‥
私は貴方に味方でいて欲しいと思ってます」
彼女は、自分で言葉を落としながら、何かに気付いたように瞳を揺らした。
その大きな瞳から、涙が一筋零れ落ちていく。
「貴方はこの先、とてつもなく辛い想いをします‥
だけど、だけどっ‥」
ぽろぽろとこぼれ落ちるそれは、とても綺麗なものだった。思わず手を差し伸べて、その涙を堰き止めてしまうほど‥
彼女の痕跡を一粒たりとも落としてしまいたくないと、そんなことを思った。
「‥どうか、レオ王子を助けて欲しいんです。
私だけじゃ無理なんです。‥‥っ、うぅ‥」
泣き崩れた彼女に、俺はオロオロと慌ててしまった。
だけど、未来に一筋の光が走ったような気がした。
だって彼女の口振りからして、未来で会えるということでしょ?
それはもはや、俺の希望でしかなかった。
「私‥私だったんだ」
そう言って、彼女はおいおいと泣き続けた。
俺はただただ、突然現れた愛しくて仕方ないこの人の背中をさすることしかできない。
堰き止めても俺の小さな手のひらでは何の意味もなさなかった。簡単に決壊し、次から次へと零れ落ちていってしまう。
「‥ごめんなさい、ネロさん。
私だったんですね」
「え?」
「私が、頼んだ張本人だったんですね‥」
彼女はそう言って、涙を強引に拭った。
何に対して謝っているのか、俺にはわからない。
だけど、もう何でもよかった。
明日以降‥そしてこの先の未来。
きっとこの人が言うように相当辛いことがあるんだろう。
だけどその辛い未来に、この人もいるんだ。
「‥未来の俺はどうなの?」
「え?!えぇっと‥」
彼女は露骨に視線を落とした。
頬を赤らめる彼女に対し、何となく勘が働く。
未来の俺のことが好きなのか、それとも仲間としてよほど大切なのかはわからない。
だけど幼い俺は、例えどんな形でも、彼女の心にいる未来の俺に妬いてしまった。
だって命すら簡単に差出せるというのに、彼女はそんな今の俺よりも、未来の俺が良いと言う。
ならば、せめて‥。
彼女の髪に指を通す。
ふわりと香る、彼女の匂い。
つん、と尖った小さな耳。
揺れる大きな瞳。
俺は、初めてのキスを彼女に捧げた。
柔らかな唇が重なると、俺はそのまま彼女を押し倒しながらキスを続けた。
良いんだよ、嫌なら‥今すぐ俺を殺しても。
そんなずるいことを考えながら、俺の全てを捧げるつもりで、ただただ唇を重ね合わせた。
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