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第3話『庭師』

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  あの監禁事件があった8歳の頃までは、ソフィアもレオ王子と何度か会ったことがあった。
彼女にとってのその頃のレオ王子の印象は、とても好奇心旺盛で八重歯が印象的な、健康的に日に焼けたお兄さんだった。


シンシアの話を聞きながら、ソフィアは当時のレオ王子を思い浮かべて、小さく笑った。
10年の間に、彼はどう成長したのだろう。いま、どんな姿をしているんだろう。シンシアの話はまだ続いていたが、ソフィアはいまのレオ王子の姿を思い浮かべ、想像に耽っていた。



お昼前、いつものように広い庭を歩く。敷地の隅にあるドーム型の植物園。ソフィアは、ここをえらく気に入っていた。
ソフィアがこの植物園で過ごす時は、シンシアには植物園の二階にある休憩室で休んでもらっている。ソフィアがゆっくりと花々を見て回るのを、わざわざこんな安全な敷地内の奥でまで、毎日毎日何時間も付き添って歩いてもらうのは申し訳ないからだ。
ただ、首から笛をぶら下げていて、もしものことがあったときはこの笛を吹くことになっている。不審者に遭遇した場合のみならず、足をくじいたり、体調が悪くなったりしたときのためだ。


ひとつひとつの花を見て、ソフィアは心の中で話しかける。
友人、という存在のいないソフィアにとって、この植物園の草花は唯一の友人だ。ふと、力なく萎れた花を見つけた。昨日まではごく普通だったはずのその花を見て、ソフィアは眉を顰めた。

草花は好きだが、基本的に手入れをしてくれているのは専属の庭師達だ。こんなに萎れてしまった花を、どうすれば元気にさせてあげれるのか、ソフィアは知らない。


「‥あー、もうダメだね」


ふと、真横から見知らぬ声が聞こえてきて、ソフィアは思わず尻餅をついた。よっぽど真剣に花を見ていたらしい。突然現れた男の人に気付くことができなかった。


「おっと失礼‥」


スッと手を差し出される。
ソフィアはその手を取り、立ち上がった。帽子を被り、作業着を着たその人は、専属庭師の服を着ていた。
見知らぬ人ではあったけれど、専属庭師の格好をしていたため、ソフィアが笛を吹くことはなかった。


それにしても、初めて見る顔だ。
広い敷地内には、このドーム型の植物園の他にも広場やバラ園など様々な施設があり、何人もの専属庭師が存在する。
草花を見て回るのが趣味な(というよりもそれしか楽しみがない)ソフィアにとって、専属庭師はよく顔を合わせる存在だった。

他の専属庭師に比べ、年齢は随分と若い。口角が上がったその表情は、男らしく整っているのに、なんとなく母性をくすぐられるような愛らしさが滲み出ている。それなのに、目元のホクロはなんとなく妖艶だ。



その専属庭師は、目を細めてソフィアを見つめると、華麗な所作でお辞儀をした。
先程「もうダメだね」とため口を使っていたのが嘘のような、丁寧な挨拶だ。


「はじめまして、ソフィア様。
僕は新人の庭師、アダムと申します」


そう言って、ニコッと笑う。
ソフィアの周りに年頃の異性は少ない。そのためだろうか、ソフィアはアダムを見つめたまましばらく動くことができなかった。


「‥どうやら、声が出ないというのは本当なのですね」


アダムの問いに、静かに頷く。
ただの庭師にしては、随分と踏み込んだ質問をしてくるアダムに少々戸惑いながらも、ソフィアは素直に頷いている自分に驚いた。


「それはお辛いですね‥」


アダムはしゃがみ込み、萎れた花を摘んだ。
ソフィアがその様子をジッと見つめていると、アダムは小さく笑う。


「何故そんなに悲しそうな顔をするのですか?
花が枯れたのが悲しい?」


昨日までは元気そうだったのに、
と伝えたいが、ソフィアにその術はない。


「花の命は短いのです。
草花を愛しているソフィア様は、もちろんご存知かと思いますが。
それとも、この花に何か思い入れがありましたか?」



アダムの低い声は、なんだか温かみを帯びていて心地が良い。誰かと会話をしたり、思いを伝えることを諦めていたソフィアだったが、何故かアダムとは話がしたいと思った。


口を開いて、喉に手を当てる。


アダムは、その様子を静かに見ていた。




ソフィアの口から、やはり声は出ない。
ソフィアは眉を下げ、口を閉じた。



「‥筆談は可能なのですか?」


アダムの問いに、小さく首を横に振る。


「そうですか‥‥」



字は書けるはずだった。
でも、筆を持っても何かに遊ばれるかのように、筆は勝手に動く。思ってもいないことをスラスラと紙に書き記すのだ。それは、まるで何かの呪い。


でもそれすらも、ソフィアは周りに伝える術がなかったのだ。



「では、僕が文字をお教えしましょう」



アダムがニッコリと笑う。
それは、ソフィアにとって予想もしなかった展開だった。目を丸くしてアダムを見るが、アダムは人懐っこい笑顔を浮かべたままだった。


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